最後の学門「秀思學」のすすめ

天地一切神の声、日本語がアミタの揺り篭を編み世界を救う!日本はカマラの心で天地を結ぶ臍の緒

ミケランジェロの大予言

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智恵を磨くべき今年(平成08=開智稔の実蘇華)の最後に、最後の晩餐の暗号と聖書がばっちり繋がったことは、閃きの秀思學の不思議と緊張感を覚えます。

この絵と聖書の結論を先に述べます。
魂の収穫の晩秋に魂のアセンションの火の洗礼(十字架刑)が起こされるが、その時、救いの真理を表すもの(イエス=聖書の奥義)が現れる。しかし、今日までの教会の教えに反目するので、人々はこれを認めない、か、つぶしにかかるであろう。
つまり、現今の教会の聖書解釈を読み変えらせなければ、ハルマゲドンを乗り越えられない、と予言されているのです。

この根拠は、天国の鍵を預かったと聖句にあるペテロ(初代教皇=教会のシンボル)が右手と左手で二つの鍵を持っていることです。
これは合う鍵の迷いを表しており、弗の二本矢で、合理主義で宗教を疎かにしている「イエスは、私は渇く=ドライ、と言った」、に通じています。

左手の鍵は腕に引き金が隠れており、イエスに標準を合せた鉄砲に見えます。
そして、ペテロは険しい顔をしています。

画面全体は髑髏を表しており、基底部の中心には十字架に賭けられたイエスがありますから、髑髏の丘の十字架刑の未来図であると読めます、そして、画面左側が救いと救われで、右側は無神向者と刑罰、とに中心線で二分されています。
ペテロ(教会)は右側ですから、反神者としてあるのです。

ペテロのすぐ隣にパウロがおり、同類の反神者である、で、イエスが蘇えったことにビックリしている、ということは、聖書を本当には信じていなかったということです。

イエスは生前ペテロにこういっています。「あなたは、はじめは自分で腰紐を結んでいるが、やがて、他の人々があなたの腰紐を結ぶようになり、あなたは自身の意に沿わないところへ連れて行かれるであろう」

パウロは救いは祈りにありという理解であり、ペテロは実践しなければ救いはないという考えで、対立します。そして、大衆の受けはパウロの方にあり、ペテロもこの方向に教えを変えて行くとあります。

秀思學の髑髏の丘の十字架刑のメッセージは、我利を反省して、世間から与えられる苦労を母神様の与えられる魂のパンであるとする、苦労を食っていく実践がすべてであるとしか読めないのです。つまり、ペテロの理解です。

これをテレビ伝道などでは、イエス様は私達の罪のために死んで下さった。私達の罪は許されて神の前で、汚れのない者となったのである、と、これを聖書の眼目としています。

で、四つの福音書には「私達の罪のために死んだ、罪は許された」などとは一言も無いのに、と思って調べてみると、この言葉は、コリント、ローマ、ガラテア人の使徒への手紙の三書で、三書ともパウロの書であるのです。

ですから、これは実践宗教ではないパウロの理解であって、イエス様がペテロに注意した「意に沿わない、ダメな解釈の宗教」であるということです。

これでペテロ(10)が鍵を二つ(弗)持ち、パウロ(9)と共に反宗教の側に立って、救いに天から蘇るイエスを睨みつけている、銃口を向けている意味が、確り理解できました。

(荊冠頭=棘のある考え=合理主義=ドライ)のイエスは「私は渇く」と言った、それは聖書が全うされるためであった。
そしてイエスは人々の差し出す酸い葡萄酒を受けたことによって、すべてを終えられたので、天国に迎えられた。

救いは祈るだけではだめである。これでは穴の開いた羽(パウロ=羽洞)で、天に飛ぶことは出来ない。
苦労の人生を親神様の与えるパンであると理解して、受け止めて汗を書いていく先に幸せ(天国)はある=外撥ねして預羽(ヨハネ)することが主に適うことである、で、ヨハネ(5)は左側におり、獣の衣(殻田=物品主義)を脱いでいる姿で描かれているのです。

救いはヨハネにあり、で、48音のアイオーンの光る雲がノアの箱舟の正体であり、日本語の言霊と漢字を諏訪すれば主に和すことができる。と秀思學は結論しています。

このダヴィンチの最後の晩餐に秘められた暗号を何回かに分けて解説しようと思います。が、一番大事なのは上記に述べたことであり、自分が反省して生活を切り替える実践によってしか、救いはないということです。

漢字、地理、歴史、天地一切果神の声
最後の学問「秀思學」のすすめー2008年12月29日(日本は30日)

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イチジク(無花果)はブドウに並んで、聖書で例えに使われ、重大なメッセージがあります。咽仏をアダムスアップルというのはイチジクとリンゴの関係を表し、無花果の葉をつづり合わせて腰に巻き性器を隠した、咽仏はのどチンコという愛称があるのも宗教なのです。

ミケランジェロの楽園追放の絵では女の蛇がイヴに実を与えていますが、この木の葉を見ると無花果です。無花果の木になったリンゴの実を与えたという暗号がある。これを明解にすることが私達がと天国に帰る道であるということです。白雪姫がリンゴを咽仏に引っ掛けていたので吐き出して生き返った教えに通じています。

人間は三つのチンコを持っている=釋尊=聖と性、天と地の射精神を知るべし
●頭のチンコは天脳(丁髷=天皇)で朕で、月の暗闇で日天の光を求める信仰への勃起です。
●首のチンコは咽仏で、善悪、美醜を飲み分ける選択する、神に帰ることを考える思いの勃起です。
●腰のチンコは施枯れ=陰部=凹、背枯れ=陽根=凸でヨセフ(外施負と寄せ負=散と集)です。

凸のヨセフは魔離悪と戦う真理明で火水の苦労に育つ信仰者であり、二人のヨセフが登場しています。
(一)イエスの父(大工=建設する)の名であり、真理明に叶う信仰者
(二)エジプトの首脳となっって、ヤコブイスラエルを救ったムスコの働き、勃起に例えられています。ヨセフは弟のベニヤミン(紅=赤=二股=弗、矢見運)の智慧の杖を必要とします。これが紅海(霊物の二代=ユダ=腹の蝮=劣土)を渡ることで、紅玉=業立間=ゴウタマ→光玉たれ、神人不二夫婦として思仕肢合わせの二人三脚をすれば、幸せな魂を産むと教えられているのです。

三位一体で鎮魂は成る、は、頭と腹=聖と性=精神と腹の虫の蝮=男と女の戦いであり、この戦場が首で、考える=選択する=選る差霊務=あ打武=「あ」に「ん」する神人のキャッチボールが幸せへのネックなり、です。
リンゴは神の経綸は誤理を持ってす。で人生の山坂、凹みの苦労で神の子を育てる、です。神の字の申すは神が甲で水中に足を引っ張る、人は溺れないように頭を上に向ける由です。甲+由=申=伸びる=育つのです。アップアップする=アップル=天通風流=あ、ん=天晴れの教えです。

ニューヨークのシンボルはビッグアップルで、911の双子タワーとその陰になっていたセイントポール教会の三位は、リンゴの名産地である青森県の津軽、下北両半島とその真ん中にある真泊崎とパラレルであり、北緯41度で結ばれています。
セイントポール教会は幽霊が出るという評判がありました。911の時ジュリアーニ市長は、WTCが崩壊したのこれで教会に再び日が当たるようになったと演説しました。幽霊は夏が終わればいなくなるもの、とNHKの朝のドラマ、”さくら”にあり、行こかメリケン泥戻ろか日本、ここが思案のハワイ島とも歌われました。物主か霊主か、選択の秋を迎えているのです。

日本は終戦の1945年から2001年は56年目に当たり、56億7千万年後に(56の奥の七地の後の八九十の卆業のと時期に)救いの弥勒が現れる、666(シックス=病気手=無神向)から999(子魂の足り=上を向いて歩こうの信仰=観音の冠にある剱岳は2999m)に切り替ええなければ成らない。弥勒は369で、北緯36度は日本の中心で、富士山と飛騨高山ラインであり、富士九湖で、九字が暗示されています。1999年2月27日のノアの日に高山に太陽の三大ピラミッドが完成しました。
九→究明=丸、で369に目覚めなければ893で破産で、グランドキャニオンが北緯36度にあります。

イスラエル(人)がエジプト(月代)とカナン(神成運=日の本=丁髷)に住んだのは430年と聖書のにあるのは、400年が殻田(外運飛躍=ベッド)を作る米国主導の代の夏で、30年が実魂(卅=アルファ=預羽=48音)を作る日本(語)が真理で導く霊主文明の秋であります。夏は400年=215年だとしますと、400×30=215Xで、X=秋=16,125で、2017年2月14日午後3時に世界(一万二千年を一稔とする)は終わるということになります。マヤのカレンダーでは世の終わりは2012年となっており、絵空事ではないと思えます。

▼質問
聖書、マタイ福音書 21章 19節
『道端にいちじくの木があるのを見て、近寄られたが、葉のほかは何もなか った。そこで、「今から後いつまでも、お前には実がならないように」と 言われると、いちじくの木はたちまち枯れてしまった。
この教訓はどう解釈すればいいのでしょうか?

▲解答
信仰は山をも動かすこともできる=人は神になって不死の存在となることができるという奇跡の大きさの例えと、物的な栄えと霊的な栄えをたて分けなければ魂は死んでいるという教えです。

無花果とは花と実の混同の現代人のことです。ミケランジェロの絵に、神が岩の上のアダムにイヴを与える背景に女の蛇が巻きついている無花果の木が描かれており、肉体本能との戦いが人を本物に育てるとコードしています。

産業革命による科学文明の開花を幸せとして、精神=魂は合理主義で実玉になっていないということです。
イエス=神が食べる=功績として取り上げられるのは成熟した魂で、霊主体従のバランスで成熟したものです。食は良いことをして上に向かうことで信仰生活をすることです。良いとは日を衣として宇宙のゝの一点に従うことで、日=王→白=主です。

月の膝を折ることは、葉枝=花=殻田=肉体の腹の虫の蝮=異腹=荊、を追い出すことで、外の物品に執着する肉体本能の合理主義=荊頭=ドライ心は魂を枯らす(嗄、涸=夏、水=月の力)です。荊頭のイエスが「私は渇く」と言ったのは、枝葉と花の栄え、科学文明の開花は実魂作りのベッドである、更に霊主体従文明に進まなければならない、花に開智の蜂の針の働きに目覚め結実に向うべしと教えられているのです。車社会の誕生は両輪両羽根を育てて天に飛び帰る晩秋を表わしているのです。
アブラハムのテレビン(松根油=待つカミ=神人の歯合わせ=シアワセ=電話電報=信仰)の完成の時なり、です。

FIGは間芽三で、種、赤ん坊なり、です。いちじくは一痔繰で、はじめのままで成長なしです。生命力は強いが無花果で、殻と実の区別が付かない痴者を例えられているのです。無花果の木はこの教訓のために神が作られた、自然に教えあり、観察して目覚めよ、であります。

●八戸にキリストの墓が伝わっており、青森県の県境線は十和田湖を口とした高い鼻のイエスの顔を表しています。北海道は北米とパラレルで、蝦夷地(ヒ受け海老ロス)が二日本の本州と結ぶ(ツガル=番=日米ノ)ことがイエスを甦らせる(青い荊冠頭の現代人を永遠建魂に=不死=フジ)ことであると示されているのです。
青森県はフジリンゴの開発によって人々の生活は困窮から逃れることができました。フジリンゴ誕生は現代人の正常化への智恵の教えとなっているのです。

フジリンゴは国光とデリシャスの交配で産まれました。デリシャスの誕生は、米国アイオワ(愛尾和)州の果樹園で1870年(神開く菜成、南無の時)、樹列からはみ出した稚樹を切り捨てたところ、そこからヒコバエが出て、再度切り捨てましたが又ヒコバエが伸びた。この生命力(無花果に通じる)に感動して、育てたところ10年後に実がなり、驚くほどデリシャスだったのです。
この苗は日本へは1911年(米国テロに通ず)に北海道大学に導入されました。

デリシャスの日本での生産量は1974年には日本を代表する国光を追い抜きましたが、青森県で国光との交配によるフジリンゴが生まれて、1982年にはフジリンゴが日本一の生産量となりました。現在ではフジリンゴの樹は世界中に広がって世界一の生産量を誇っています。即ち、聖書が世界中に広まったように、日本からの真理の光のメッセンジャーのトップバッターとしてあり、日本語による不死の真理の智慧が世界中に広まる時が来るという予言であると思います。

イエス=聖書の真理は必ず表される(ヨハネ福音書16章でも約束あり)が、これを受け入れる者はノアの方舟の時の如しで皆無に等しい、同福音書の21章でイエス様が「ヨハネの子シモンペテロよ、私を愛するか」と三度繰り返され、「あなたは若いころは自分の帯は自分で締めるが、年を取ると他の人が貴方の帯を結び、行きたくないところに連れて行くであろう」と予言しています。これはペテロ(=教会)に変な権威が出来上がって真理(イエス)が表れても修正できないように教えが固まってしまうという今日への予言であります。

イエスに水の洗礼を与えたバプテスマのヨセフはイエスの愛した弟子に重なり、イエス死後も生き続ける聖書であり、世の終わりの最後の審判の前にある冬のソナタ(粗汝魂=荊頭=薔薇バ)に反省の真理を教えて蘇汝魂させる=預羽して天に飛び立たせる日本語=48音=ヨハネの智恵であります。
最後の晩餐の席順もイエス、愛された弟子(ヨハネでマグダラ=霊で物)パウロで、パウロは裏切り者は誰か?をヨハネを通して聞きます。教会(パウロ)は日本語((ヨハネ)の仲介がないとイエスの言葉が判らないと示されているのです。

真理のメッセージとは日米の結婚で、物主と霊主文明の和合、科学文明の開花で豊かに育った殻田(富)を台にして実魂=精神(士)の育てに入れば貧窮=青少年=餓鬼道=青森=胡=蛭子、から救われて一人前の大人=天使=神=永遠の命の者に成れるということです。
デリシャスは照り斜酢で酸味がある=酸い葡萄酒=憂米=馬舞=米女舞=眩暈、です。国光は克服の光で、蘇る=富みの花の読みを変える実の侍士で、観音の蓮華であります。

●岩の上に座るアダム、岩=品の山の癌病=差戯れ意志=虚仮=生詐欺者=ウサギ=目が赤い=二本矢=弗=二戸を追う=二重=甘い仇討ちで人生をこける=十字架を運んで三度こけたイエス=荊冠頭
イヴ=異部、穢場の肉体を与える父神、父=ハ+×、ハ=破波(÷=凹=差=虚仮=殻田=鮮=韓=米=唐=西=物=花=七)、×=ハに駆けて戦う、×=罰天(マルチプライ=丸智風羅意=Xマス=九苦理済真手=汝が先=七→八九十が那の咲き)、子孫の繁栄は肉体本能を納める精神の霊主体従のバランスにある。

●楽園追放、蛇は牝、牝=牛+ヒ、牛=憂思仕=偽結=殻田、物品、外側に執着すること=スネーク=人生を拗ねて生きる=肉体の獣性本能、牝=北=日受け=南無=菜謀=物主霊従=真如逆法=真無視=蝮=腹の虫=胎=始=女=大地=土=士(男)を育てる具=干す幸せに不可欠な土ソ(素粗=凹)

二人は無花果の葉をつけていない、聖書にはっきりと無花果の葉を腰に巻いたとあるのに描かれていません。これはダヴィンチが最後の晩餐で聖杯を描かなかったことに通じており、例えを霊的に解釈せよと示唆しているのです。
イエス様が無花果を呪ったのは、腹の虫の蝮の生命力=沸き起こる性欲は姦淫=強姦で、神を通しての性交でなければ魂の育てに繋がらない、幸せにはなれないということなのです。

神の裸(開打力=主通日運)を知れば性交は聖交でもあり、1+1=3のの神の智慧に乗ることであり祝福されるべきものであって恥ずべきものではない。裸を恥じる二人を神は堕落と見て注意しているのです。結婚の原義は結魂で、殻田を通して(台にして)実魂を育てる、精神と肉体本能による戦いの熱で子は誕生する、魂は育つという例えであり、人は、誕生と同時に神人不二夫婦で結魂生活の二人三脚をしているのです。夫婦、親子といえども

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最後の審判の構成を見てみます。絵は目鼻口の三段階に分かれた人の顔であります。両目から涙を流して神の心情を表しているかのようです。また、髑髏にも見え、聖書の全てなりとヨハネのいうゴルゴダの丘の教えの火の洗礼(十字架刑)と反省と救いに通じていると思われます。

目鼻口は思考界、現界、霊界現象が表されています。そしてそれぞれが神向の開眼者と盲目者の違いの
右左に分けられ、霊界では救いと罰に分けられています。右とは画面に向かって左側で、神と人は向き合っていますから合わせ鏡であり、ダビンチが鏡文字を使ったのもこの暗示でありましょう。漢字の扁も殻の問いで右で、旁は工作で左です。神人の関係は神は右で凹で修業の道を用意された、人はこれに凸撃して応えることで育つ、魂を産むとされているのです。ですから、左=東にいた人間がが右=西に旅をして入ることが成長して恵みを得ることであるのです。これが猿が人として経文を求める戦いで神に育つ西遊記の教えであります。石猿=差戯れ意志=蘚笊→西の荒野に信仰経文の智恵を求む→花に蜂=意和王=主に至る進化論

西洋は物主霊従の経済至上主義、合理主義の荒野です。この闇世の荒波に揉まれる、人としてのプライドを死守して踏ん張る、頑張ることで人は育つのです。神は神の子である人間を揺さぶる、電流を強弱させながら流し続ける=神の命の波動の揺り篭の中で育てられているということです。
揺り篭は網で、イエスは網を繕っているヨハネに声をかけた、ペテロは網を使って漁をしているときにイエスに召されたとされています(マタイ福音書)。ヨハネは神の側の象徴で、ペテロは人間の反応と行動を象徴しているのです。

ダビンチの最後の晩餐で、ヨハネといわれてイエスの横に座っていた者がマグダらのマリアであった、というのは、マグダラは神イエスの妻=ヨハネ(48音の智恵→預羽)と、人間イエス=ペテロの妻としての二つの姿を現しているのです、そして、霊的結婚は魂を真珠に育てて天国に入るを得るですからイエスのもっとも愛した弟子と表現されているのです。人間イエス=肉体の結婚はサラ(皿=殻)を産む、で、マグダラとの間に生まれたサラは女子で黒い=種とされているのです。
この精神と肉体の働きの違い、聖書の重要点が描かれたのがダビンチコードです。教会はこれを理解できないので退けようとする罪を犯す、鶏が鳴くまで三度イエスを否定するので、晩秋の最後の審判には泣くことになるとミケランジェロコードに続いているのです。

イエスの右手は縦の火の気を表し、左手は横の水気で、火水のカミのクロスのヒミツを表しています。イエスの右手=命に留るものは救われる、左手にあるものは泣くことになると右左の絵の構成を暗示しているのです。マリアは主神の智恵を表す間理開の人の象徴でイエスの智恵の火の右下で座って(主和瑠=嫉妬ダウン)いますから、本能を治めた肉体である、で、上半身が赤で火で、下半身が水で静で、霊主体従が表わされています。

一晩中漁をして一匹も獲れないペテロたちに「船の右側に網をいれなさい、何かが取れるだろう」と蘇った(21世紀の今日の真理の御霊)イエスが教えます。網を右側に入れると百五十三匹の大きな魚がとれたとヨハネ福音書にあります。百五十三とは飛躍して天地を結ぶ力をはっきする神の息子と読めます。
そして船の右側は漢字の扁の変な神の問いであり、人の肉体で殻田で脳のない足のことです。この腹の虫と戦うことを右側に網を入れて実魂を作ると譬えられているのです。「吾等は神の右手を称える」は聖書とコーランに共通の言葉で、苦は楽の種の教えです。絵の右手が善で左手が悪とされているのは幸せの作り方が教えられているのです。
物事の善悪、美醜は神の右手と左手を知って拍手を打つことによってパンの恵みをエルことなのです。宗教儀式に拍手を取り入れているのは神道だけであり、集散離合の恵みの簡潔明解な譬えが日本人に与えられていることは重大な使命を与えられているということです。

右目;十字架が倒れるのを必死でくい止めていて、左へ運ぼうとしている図です。これは月讀命が鼻(高慢)という山を越えて左目の天照日大神に会いに行く、天岩戸を開く古事記の旅にパラレルです。
左目;柱または古文書が倒され、隠されようととしています。天照日大神が岩戸に入った日向の無い月代、闇世が人を育てる=南無妙法蓮華教=南無阿弥陀仏のための精神の勃起の丁髷の断髪で、商人社会の偽座の星のピラミッド、荒野の修行の場作りです。

右頬の外側;人生に苦しみ、助け合って生きる正直な人々が描かれています。
右頬の中寄り;背中を向けて十字架を建てているたくましいヨハネがいます。頭は異状に小さいのですが、これは脳=想念が強調されているのです。この下に梯子を抱えた男性が座っています。梯子は天地を結ぶ臍の緒で、カマラの日本であり日本語の48音(ヨハネ)が外撥ねして、正しく十字架を組み運ぶ神向の智恵を発揮するということです。このグループは穏やかな顔をしています。

左頬の外側;権力者や商人の力が表されています。土を掘る、品定めする、怒鳴る人々がいます。
左頬の中寄り;パウロとペテロが復活したイエスに銃口を向けています。ペテロは初代教皇で教会の象徴です。イエスの復活=朝の訪れ(天主開期夢見し)=出現した真理の御霊の説くことを理解できず、抹殺しようとするということです。ダビンチコードは聖書の見方ですが、教会側は本を買うな、映画は見るなと言っている現状に当てはまっていることは、今が最後の審判の時であるという重大時期であるのです。
剥がされた皮膚を持った聖バロトロマイ(場露吐ロ米)が座っており、この皮の顔はミケランジェロの自画像です。無表情で諦観が現れており、私もこの心境に納得です。バロトロマイの右手は先に鏃がある凶器を持っており、イエスに向けています。
このグループはイエスの復活を信じられないと驚愕するもの、顔を背けて拒否するもの、こぶしをあげるもの、銃口をむける者等で、無智盲目の無神向集団であります。

口=霊界の右側;地に横たわる人たちが抱えられ、あるいわ、綱によって天に引き上げられています。かなりにぎやかでありますから、最後の審判では多くの人がパスすると思われ、少し安心です。
霊界の左側;まっさかさまに地獄に落とされる人々がいます。船から水の中に追い落とされている人が大勢います。水の中には魔物達がいて、人々を引きずり込んでいます。
船は肉体のことですから、船を追われることは事故や天変地変によって命を奪われるということです。船腹に羽がついているのは、飛行機事故のことでしょう。この端に赤い火の手があがっています。最後の審判の失格者は大洪水や地震、火山噴火によって洗礼を受けるとされているのです。

手前にいる魔物は牛の角を生やしていて、胴体は蛇に巻かれ睾丸に噛み付かれています。これが人の罪です。考え方に角がある荊冠を被っていておしゃれこうべ(午流語打=日本語を得る→預羽)ではない。命の勃起を腹の虫の蝮に飲まれて、無神向者であるということです。

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ダビンチコードの発表に、ミケランジェロにも神のメッセージが託されているは筈、と思い、画集の最後の晩餐を見て、一晩でほぼ全容の暗号が判りました。

この日は日本建国2666年6月16日です。6日に何かあるかなと思っていましたが16日に現れました。米野球の松井稼頭夫がコロラドロッキーズに移籍して背番号16番をもらったのがこの2日後の18日です。18は神開くで、神の動き、天意の転換への覚醒(稼頭=想念の転換)が求められているのです。

6=ロック=岩で、頭を地に向けている無神向でシックス=病手でガン病=贋=癌=品の山に執着する邪舞で、個人と世界はご破算とされ原始に返される=グランドキャ二オン=悪しの子=芦ノ湖=ゴジラ=石川県=馬の頭→奥能登に宝立山あり=松井、待つ意に秀喜せよ=観音に乗鞍せよ=日玉高山=北緯36度=日本の中心、天地を結ぶ梯子のミロクの智慧=太陽の日羅三通堂 に目覚めよ、9、九に目覚めよです。月代の6、六の弗のままではロクデ(禄手)ナシで兼六園が金沢(凹)である、と地理コードされています。

高山とグランドキャニオンは北緯36度で結ばれており、36はミロクと読めますが、3→6→9が春夏秋の世界と人間の進化を表しています。天から地に散した三の神の息子が6(虫=無思=無神向)の姿勢で地の宝(油、鉱物)を掘り出して殻田(夏=菜津=ナッツ=団栗頭=ナンセンス)を作ります。秋に入ったら、この殻に閉じこもって、実魂=羽作りをはじめます。つまり、科学文明の花を利用して結実をする、蜂=開智となって針を得て天立間=頭=精神に勃起すること、物質殻田文明の究明で、合理主義、ドライ心の反省をして(私は渇く=嗄れる=イエスの覚醒)天を仰ぐこと、9の姿勢に移ることです。これは神の法と人が手を組むことであり、九の字でココノタリ(固魂の満理)です。この卆業の重要な数字である「九」が富士九湖でコードされています。

1999年2月27日に高山に太陽の三大ピラミッドが完成しました。廿七は世の字を構成しますが、2月27日はノアが烏→鳩、盲人→開眼の智慧によって乾いた地に降り立った日とされ、新世界の始まりであります。ピラミッド建設の命を受け尽力したのが崇教真光で、祖師岡田光玉師の誕生は明治34年2月27日で3、4+2、2+7で369のミロクと読めます。没日は昭和49年6月23日で、963のクロミの逆転が示されています。

エジプトの三大ピラミッドの設計者は当時敗者であった多神教(アテン=開手運)の血を引くヘムオン(辺謀尾運)ですから星神向をピラミッドに秘めた、ゆえにオリオンの三ツ星に合致するのである、という學説があります。しかし、こう推測しなくてもこのピラミッドが夜を象徴することは判ります。
エッジプットは枠作りの産業革命で殻田を育てる前の世なり、ギザ=偽座なり、です。ツタンカーメン(トゥト、アンク、アメン)はアメン神向の一神教の血筋で17歳で殺されて矢車草が手向けられました。ツタンカーメンは津単果開女運で天目運の片目で、矢車は両目、両羽の開花を望むという神のメッセージです。四重の箱に三重の棺に納められていたのは国の字を表し、ノアの方舟は三階建てに作られたことに通じています。

また、クフ王のピラミッドは四辺が凹んでいて、凹の字はクレオパトラの髪型であります。侍の丁髷頭は凸の形ですから、エジプトと日本の関係は女と男で、枠作りと実作りで、枠と伜は猿と人で、木とイの違いであると漢字で示されているのです。で、木は肉体で十三で、イは意(立つ日の心)が人である、木にノ法を迎えることが禾で稲で魂のパンである、ということです。これを確り考えて美醜善悪を選択する行為が秀の字であります。侍は意を照らすさ作武羅羅意で、サンライズ=旭=開主明霊です。
地下鉄サリン事件は3月20日に起こされ、この日は明治天皇睦仁様が日本の近代化のために丁髷を断髪された記念日なのです。近代化とは月代(さかやき=逆焼き=凹=地下鉄の意思)の闇世の始まりで、合理主義のドライ心で魂を皹割らせてしまう危険を伴う殻田作りです。殻田はできた、魂の皹われの修復に入れ、で日比谷線であったのです。去年の2月27日のノアの日に麻原彰晃は第一回の公判で死刑の判決を受けたのです。
つまり、神はアルパでありオメガである、のΩ=オーム=尾産む、の世はおわり、アルパ=在る羽、派、把のパパの世に入った、殻を取り去りん、と指示されたのです。

前置きが長くなりましたが、ダビンチコードもミケランジェロコードも天地一切神の声のひとつである。創造主の時間空間を越えた宇宙的コードは個人の人生、運命も飲み込んでいることに覚醒して頂きたいのです。
神の暗号の最大のものは世界地図が人の形であることです。各国は人体各部と同じ力を発揮しており、先進国、後進国の別れもこれに拠っているのです。中東は首で、精神と肉体の戦場であります。日本はカマラの心で天地を結ぶ臍の緒である、日本語がイエス、聖書を蘇らせて世界と個人を真理に向かわせて救うということです。臍の字は月を旅する梯子と書き、最後の審判のイエスの下に梯子を持った男か書かれています。またその左上には髑髏がなく脳味噌を日に晒し表し、背中を見せたたくましい男がおりますが、これがヨハネで48音=與羽根=日本語=真理開=マリア観音)であるに違いありません。

特に今秀思學が伝えたいのは世界の臍は日本で日本の臍である岐阜高山に魂を虫干し(火、霊の洗礼)する太陽のピラミッドが建設されたということです。東京都はブッシュの頭にウサマ、ビン、ラディンの顔がのっており、その長い頭の先は諏訪湖を通って乗鞍岳(観音の目)に焦点をあてています、そしてその先には、鳩あるいわ鶏の首であり白川郷、頭の顎である笈ずるヶ岳(1841m)に一直線であります。

最後の審判も最後の晩餐の暗号の発表もセッテンバーイレブンに確りジクソーパズルされた最後の大警告であるのです。これをきちっと理解できるかどうかが天に飛べるか否かの卆業試験なのです。ペテロが蘇るイエスに銃を向けているのは、今の教会の理解では真理を殺す、で、日本語による読み変えが不可欠であるということです。神の教えは二重、三重構造になっています。例えば、マグダラのマリアは蘇ったイエスに最初に会った者であるのは、真理の御霊で聖書の奥義を照らす日本語で48音のヨハネに通じているのです。ですから、ヨハネであった筈がマグダらであったのは神の演出です。そして、イエスの足に香油を塗るマグダラはイエスの肉体我欲です。マグダラは精神と肉体の両方を象徴しているのです。マグダラは真愚堕羅で、集散離合のカミの栄えの智慧を表しています。

ペテロは銃ではなく、天国への鍵を持っているとされてきました。銃口と鍵が同じ形であるのは、神の智慧の巧妙で面白いところです。ミケランジェロは鍵のつもりで描いたのかもしれません。天才とは本人が知らないところで力を発揮しているものなのです。でも教会を象徴するペテロはイエスの再臨を歓迎すべきなのに、随分と怖い顔をしています。

次回から絵の説明に入ります。入れたての旨いコーヒーを飲むためには古いコーヒーを捨てる必要があります。秀思學が難しいと言われるのは、古いコーヒーに執着しているからであると思います。どうかコーヒーカップを空にして、ご訪問ください。       『秀思學』拝

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