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大文字焼の意味は、日本の文字、言霊が世界の聖なる智恵として大いなる働きをする、という予言であると解釈します。
エルサレム市外図には頭と胴体があり、一見ミジンコのようであるのは出発、あるいわ育つためのエサの意味が表されているのでしょう。京都は人の頭です。この証として、脳天に当たるところに同様の池(五つの回廊の池と宝ヶ池)があります。
ベテスタ(辺手主立)と呼ばれる回廊の池は近年発掘されて、イエス様が寝たきりのあしなえ者を治した記述の証の場となりました。この池には時々、主のみ使いが下りてきて水を動かすことがあるが、水が動いた時、真っ先の入るものは、どんな病気にかかっていても癒されたので多くの病人が池の淵に陣取っていた。その中に38年の間、病気に悩んでいる人がいた。イエスは「治りたいのか」とその人に言った。そしてその人は起きて歩けるようになった、とあります。(ヨハネ福音書5章)
時々、主のみ使いが地上に現れて、霊的な目覚めの波をたてられる。これは智恵の覚醒であって、新指導者の誕生などの宗教的刺激を神は度々起こされる、イエス(聖書)はこの代表的なものである、ということだと思います。新興宗教の立教もこの刺激の内であり、脳天に目覚めれば救われる。
つまり、助け手のいない男は、物主物品の動物性、個人主義の強い現代に生きる私達のことでありますが、池の近くに陣取っていることは「神真理を求め続けている者」の例えです。
で、求めるものは何時か必ず、救いの真理に出会うであろう、というメッセージに違いありません。
人は脳天につむじ(飆、飈)があります、中国では天道穴といい、神風が立つ間を意味します。ゆえに飈は人にしかないと思われます。頭をおつむというのも、この飆の神風に目覚めて飈で応えるべし=トット(魚=逆汝=飆=犬=6)芽、トット(父=破波に凸する=飈=火=9)の目、かいぐり(貝愚利=殻田本能)、かいぐり(神意繰理=信仰)おつむ転天です。
おつむ=尾汚積む=6=シックス=病手=腹の虫の蝮=オムツ=尾無積む=殻田作り=ウエスト=西洋文明の産業革命)オムツ=ダイパー=ダイバ=釈迦を迫害した王
オムツを取り去る=一人前になる=尾汚摘む=尾床(穢場=エ=肉=腹の蝮)を磨く=綺麗になる=粋でお洒落=シャレコウベ(ゴルゴダの丘)の教え=荊冠頭を反省して棘を落として、蓮華の花冠を戴く=普賢観音智に目覚める=竜の目=有明=九州=神は待つ=松観音=アブラハムはテレピン(松根油)の木の傍らに住居を構えた。
髑髏=虫の目に釣り針を付けて、心中の女をコツ骨と釣る=主に和す=諏訪=言を取り訪ねる=ゴルゴダ=午瑠は語建=粋になる=米(小目=粗氣=弗=二本矢=迷い)を卒業する=弗→円=二本を一本に統一する=二津翻=ニッポン=番=日を台にして米(月代=産業革命=殻田)を法に従って輝かす=ツガイ=津の生き甲斐=実魂を産む
五つの回廊の池とは、五は天地を結ぶ力で、吾は殻田で天地を結ばんとする者なり、これに立身することを悟る(神人の差を取る)といいます。
これに対比される宝が池は、十字あるいわ星の幼児で、希望を表しています。即ち、神の与えるつむじ(飆)風(右回転=ノ=の=あ=犬)に人がつむじ(飈)風(左回転=レ=ん=天)で応えれば、神人の夢は成る、幸せ(思矢合わせ)になれると神示されているのです。
大文字焼きの日には、脳天の位置にある松ヶ崎(神が待つ)には「妙法」の二字が浮かび上がります。
妙=女を少なくする、女=穢場=腹の蝮=仇=鬼を精神で治める、ものを云わせる=仇武(アダム)=魂を顕す=真我(精神=霊的存在=神の子)は育つ
法=シを去る、シ=三=散=酸=死体、去=ムで土を昇華する、ム=6=マ(真)をひっくりかえして裏返した魔=腹の蝮=殻田、土=神が降り立った場、去=聖と性の戦い=I愛を立てること、法=三(SON=息子)がI愛に生きて陽気に輝いてゆくこと。
松ヶ崎西山(133m=神のSONの出産=赤ん坊=ウエスト=籾殻)、松ヶ崎東山(187m=元の開智で開花せよ=大人=イースター=復活)
なぜ大文字焼きは8月16日なのか?は定説がないようです。で、数霊による神示を考えて見ます。
816は開智の元の謀と読めます。謀は生産(ムウ)する為の種であります。ですから六の字は八(開智)によって天のゝ(主神の夢)を支えて栄えさせてゆくと書きます。
8月16日は悟るべし、で、左右の大、鳥居、船、妙法の文字の意味に目覚めれば命の火の正しい燃やし方を知るであろう。そうすれば、魂を真珠に育てられるであろう、という神示であると解釈できます。
で、真珠湾(魂の湾曲の取り返し)攻撃の失敗の宣告(玉音放送)の翌日で、再出発の激励であると、取れます。8月15日は車持皇子(現代人)がかぐや姫(満月=産業革命の開花の秘め事)と結婚できなかった=物品を魂育てに利用できなかった、できないであろうという戒めの日でもあります。
この神の問い対して、現代人の私達はちゃんと応えられるでしょうか?、曰く、物品の山の幸せを実魂育ての副えとして認識し、霊主体従に生きます、と、
《秀思學》平成19年正月21日
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