最後の学門「秀思學」のすすめ

天地一切神の声、日本語がアミタの揺り篭を編み世界を救う!日本はカマラの心で天地を結ぶ臍の緒

ブリューゲルの警告

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バベルの塔はWTCで物主の崩壊のこと

http://blogs.yahoo.co.jp/syuushigaku/43648950.html

東京都庁がバベルの塔と呼ばれてバブル景気がまだ盛んだった1993年10月、ブリューゲル展が開かれ、「天まで届く塔のある町」(暗雲のバベル)がセゾン美術館によって日本に紹介された。ほどなくバブルがはじけて、美術館自体も閉鎖された、施損(セゾン=人生の施行の間違い)の警告のタイミングの妙を知るべし。


聖書の警告を神はブリューゲル使って表された。

バベルの塔の神話は現代のバブル経済の崩壊=経済至上主義の代の終わりの予言であったことを確信しました。ブリューゲルの絵はこの予言を示唆したものであったのです。
人類は英語という一つの言葉によって、アスファルトジャングルを建設するに至る。これは、虫が羽化するために作る殻作りのことですが、繭の意味を知らずに執着して、硬く作ってしまうために、晩秋に穴を開けられず外に出られない、天に飛び立てないという失策をするであろう、ということです。
そして、神が厚い殻を取り除かれたのがWTCの崩壊の911であったのです。これによって人々は街作りを止める=米国的幸福論を見直す=言葉を分けられ、人類を散らされた=個々の新しい価値観を探すようになる=霊的に目覚め反省の神向生活に入る、と現代人に対する神の希望的予言がバベルの塔の寓話の意義であると読めます。

バベルの塔、ブリューゲル(日意建明、武竜下瑠)による三部作

一、建設中の塔(1534)=晴れ=善悪を知らぬ幼子の清らかさ
二、バベルの塔(1563)=快晴=殻と実の調和の取れた塔=純粋な信仰心
三、天まで届く塔のある町(1564)=暗雲=繭の出口に摩天楼(墓石=岩戸)=物品幸福論=狡猾無神向を建てて、天に飛び立つチャンスを自ら閉じる愚かな現代人、これは盲人に導かれる盲人で、真理信仰の不毛のことである。別名のリトルバベル=科学文明の発達は魂の育ちの前には小さい、魂を卑小化している。

●創世記11章のバベルの塔の寓話を検証します。
言葉を散らしたのは、人類創世記に日本語(一つの言葉と読める→言霊)を分散させたことと、英語(言葉は一つであったと書いてない)世界が崩壊されようとしている現代との二回のことを言っています。以下は911に通じる解釈です。

全地は同じ発音、同じ言葉(英語=物主思考)であった。時に人は東に移り、シナル(支成る=エッヂプット=殻枠作り)の地に平野を得て、そこに住んだ。彼らは互いに言った。「さあ、れんがを造ってよく焼こう」こうして彼らは石の代わりにれんがを得、しっくいの代わりにアスファルトを得た。

釈)ノアの洪水の後のことですから、東とはウエスト(廃棄物=西)が除かれて新たまった世界のことです。エジプトも枠造り(edge put)の象徴です。ちなみにユダヤは私達の肉体本能のことです。ですから聖書に表された名前は全世界のことであり、個人の身体に全て当て嵌まるのです、イスラエルは意主羅得るで、神の子=人の意味であり、エルサレムは選る差礼謀=首のことです。ですから、カマラの首の中東の問題は人の想念が物主であり、このままでは個人的にもヤバイという啓示なのです。
焼成煉瓦は新建材で、アスファルトは石油生成の余剰品ですから、油社会(アブラ食む)の現代に入ったことを暗示しているのです。

彼らはまた言った。「街と塔とを建てて、その頂を天に届かせよう。そしてわれわれは名を上げて、全地のおもてに散るのを免れよう」。時に主は下って、人(霊止=神)の子たちの建てる街と塔とを見て言われた。「民は一つでみな同じ言葉である、彼らはすでにこのことをし始めた、かれらがしようとすることは、もはや何事もとどめ得ないであろう、さあ、われわれは下って行って、そこでかれらの言葉を乱し、互いに言葉が通じないようにしよう」。

釈)街=圭を行う=神土と人土を結ぶ=神人和合すること。塔=土の苦労に合わせる=天に勃起=神の試練を受け入れることです。世界が一神に集うことが人類の誉れであると人間は話し合いました。しかし、神がその結果をみて見ると、何事もとどめない殻造り(空念仏)ばかりで、実がないものでした。即ち、物品=殻田=ウエストに執着して、合理主義で実魂造りがなされてない=神の子として成長していない=リトルバブルです。
そこで、その元凶で魔語である英語(アルファのベッド=台=淫愚立思)崇拝を追い払うことにされたのです。バベルの塔を造った二ムロデ王は狩人で、力で押す王ですから、=ブツシュ大統領=物主主義で、今このやり方が強い批判を受けていることと通じています。「雪中の狩人」は、長い猟に出て冬を迎え、獲物を獲られず(冬に入っても天に飛び立てない渡り鳥=人間)に帰ってきた猟師が描かれているのです。

寅さん映画の「心の旅路」で、ブリューゲルのバベルの塔と雪中の狩人の二点だけが放映紹介介されたのも神の計画であったのです。そして今年は寅さんが西郷さんの銅像と比較して笑わせたモーツアルトの生誕250周年でもあります。
英語(米国的自由主義=αのベッド)を離れて、吾に立ち返って自分の言葉で真の価値観を考え直さなければならない、ということなのです。

こうして主が彼らをそこから全地のおもてに散らされたので、彼らは町を建てるのをやめた。これによって、その町の名はバベルと呼ばれた。主がそこで全地の言葉を乱されたからである。主はそこから彼らを全地のおもてに散らされた。

釈)今、米国的政治が上手く行かないことに世界は気づき始めています。ここを確り考えることが、神の意向どうりに町を建てるのをやめること=霊主体従=精神革命に向かうことなのです。バベルはバブルに通じ、場にはべる=物品主義=弗=佛=物=ニホン矢の迷いは身を滅ぼすのです。全地のおもてに散らされた=霊的、物的=色即是空、空即是色の世界観を打ちたてよということです。

ノアの子にセム、ハム、ヤベテがおり、ハムは酔っ払って裸で寝ている父を見て、二人の兄弟に告げた。二人は後ろ向きに父に歩み寄って着物をかけて、父の裸を見なかった。ノアは法開けで神の仕組みのことで、人への問いかけ(酔っ払って裸)のことです。これを処理しなかったのがハムの罪です。で、二ムロデはハムの孫(罪の血統)ですから二謀露手=二兎を追う=弗者となります。

10章−7;クシの子は二ムロデであって、この二ムロデは世の権力者となった最初の人である。彼は主の前に力のある狩猟者であった。中略、彼の国は最初、シナルの地にあるバベル、エレク、アカデ、カルネ、であった。

釈)エレク=選礼曲の勃起、アカデ=赤手=幼い手、カルネ=軽音=肉(西語)、ですから、バベル=場にはべる=這う=腹の虫の蝮=ユダヤ=シナル=支成る=現実主義の高慢=神は鼻をへし折られる=バベルの崩壊。台殻造りを知って、実魂を守るべしというメッセージであることが判ります。

●蚕=天と人(蛾=腹の虫の蝮)の関係の教訓が示されています。

桑の葉を食べる=殻田を育てる→繭を作る=出家する→天に向かう羽(精神=魂)を育てる→酸性酵素を吐いて出口を溶かして開ける→殻門を抜ける=出蛾=悟って我利を捨てる→結晶、
卵の教え;冬の寒さに遭わないと孵化しない、卵を塩酸溶液につけることによって、一年に何回も人工的に孵化できる

イエスは「私は渇く=ドライであった」と反省して、人々の差し出す酸い葡萄酒(人生の苦労=塩酸=厳冬)を受けたので、パラダイスに上がることができた。この聖書の要点にしっかり通じています。

●蝉=腹の蝮が座禅業によって天の飛び帰る教え

地中の虫=鉄、石油を食って殻田を育てる=エッヂプット(枠造り=繭)の産業革命→地表に出て(西表島)木に登る=上(神=9)に目覚める→殻を固める=肉体主義を止める=羽(実魂)を育てる=背中を割る=背信(神)を反省する=レイバック、イナ、バウアー(霊に帰り意成す下座)を見せる=反省=見カエル大天使→殻(物主幸福論)を抜ける=天に飛ぶことができる。

●共通の教え)ワーム=和を編む目的を持つ、殻(体)は真の姿(魂=人→神)に変身するために不可欠であるが、台で副えで補助(スケ)で、やがて無用(ウエスト=西)となるものである。
蚕は体が重いために飛ぶことができない。これは出蛾して一時間もしたら交尾する獣本能の肉体重視では飛べないという戒めです。
蝉は夕刻に木に登り始めて、朝方、旭を迎える前に脱出を完了します。人間も本来は日の出る前に出産誕生するものであるといわれています。これは火(日、陽、霊)の洗礼が始まる前に、自らが反省浄化を果たしておかなければならないということだと思います。日中に出蛾したら小鳥に襲われる危険がある=ハルマゲドンと戦えないのです。

●農民の婚礼=映画「屋根の上のバイオリン弾き」でパンを焼く人達の光景を見たとき、感動がこみ上げて涙を流したことがあります。「美しいこと、命のいとしさ」への感動でしたが、まさにこのブリュ−ゲルの風景でした。人は働くことが自然で、神の願いに叶っているからかもしれません。

雪中の狩人=狩猟生活の終わる冬に入っても獲物は獲られなかったという風景です。これは、ノア(法開=神の問い)を無視したハム(破謀)=クシ(九死)=二ムロデ(二謀露手=ニホン矢=弗=右羽だけ)では、初冬に春の国に飛び立てないということです。

盲人の寓話=盲人が盲達を先導する。先導者が転んでいるのを二番手の盲人は気がつき、オカシイイナという表情をしています。つまり、教会=信仰をしっかり探っている人は真理に目覚めて教会を乗り越えることができる。ペテロからヨハネになれる。盲人の列から離れることが出来る、夫々が目を開くことが大切なのです。
神は人を選ばないが人は神を選ぶ(宗教を考える=神真理を究める)必要があります。人の一生は学びである。どんどん目を開いてゆくことが魂の芽を育てて行くことなのです。この為には、念じては行じ、行じては念ずる、信じては疑うという探求の努力が信仰の進行なのです。

烏は鳥に目のないこと、鴉は鳥に牙ありで、ブラック(ぶらつく)の黒い種のままでは魂を嗄らす(ドライ、私は渇く)のです。ノアの洪水ではカラスは水面に消えた(水没=我利に飲まれた=カトリーナ=課鳥に否)とされています。これが開眼した(ジャズ=蛇図を活かす)のが八咫烏で、三本足とは、二本=弗=西に一位の神を迎えて酉(鳥=鳩)になった、で、神武天皇の案内役を務めて勝利に導いたということです。
日本サッカーのシンボルが八咫烏とされ、国際試合で中々勝てないが話題性があるのも、世界の祭司(先達者)として目覚めよ、神に勃起せよという神の叱咤と激励の声なのです。

クフ王のピラミッドの失われたキャップストーンの高さは9,4米と試算され、奇しくもクシ(駆使)で、九死を取り戻せ、と読めます。そしてこれは、富士山に911を足した米国の間違いと、119を足す日本(語)による造りなおしを暗示していることを発見しました。ここから真珠湾攻撃の神の声が見えてきます。神はキャップストーンをはじき落とされ、作り変えよと言われた=バブルの塔の崩壊、であるとも云えるようです。バベルの塔=クフ王のピラミッド=玉山(ニイタカヤマ)=Mt,エベレスト=富士山の関係を近日中に発表するつもりです。

最後の学問「秀思學」のすすめーアーメン=あ雨ん=あ〜んの48音(ヨハネ=預羽)は、雨(天芽)空逃げずに利用することであるー、2666年11月4日

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