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守(もり、かみ)屋山は女陰型(凹)でムスコ(凸)を捧げよ=神に勃起せよ、=真珠の魂を産み天国に誕生せよ=ウサマ,ビン、ラディン(螺鈿細工=平成、平和)の911テロに目覚めよ、に地理地形として加わり、日本語の智恵(邪をパンと打つジャパンの打蛇礼=諏訪→主に和す→誕生)に最後の救いがあるという重大神示であります。
耳の割けた鹿=耶教→蘇教=水(未図、米国=鰓の芸=DOG)の洗礼→火(日本=翻訳、真理矢=GOD)の洗礼=鹿、枝角=乃、薮、物主の世を考えて刀を振るう、=牛→午、頭の角を去れば出家して旨い(ディ―ル)、これが生きる目的である。
生=牛(ブル)を地で培う(バイ)、お洒落頭に成る=学問のすすめ、福沢諭吉(慶應義塾)、菅原道真(天満宮)
耶→蘇教=耳→聞=外聞(兔、生詐欺=イエスのたとえ話)→内聞内省(大国主=天照=真理の御霊、ヨハネと母マリヤは親子と成れ、のイエスの遺言の成熟)=聞け綿津見(海=腹わた、腹の虫の蝮、☉)の声=水の洗礼(米国の殻田作り)→火の洗礼(日本の実魂つくり)=番、不二夫婦の富士で不死(♂+♀=M+W、君=∞)に至る
頭、75=七十五、謎の天地の間(穴)の力を究明する、7+5=十二、天と邇、結ぶ
七=椅子仮尾手のユダの殻田作りの水の世、産業革命が開花したら殻(科学)を利用して魂の結実に向かう霊性の新しい油を塗って火を燃やす(薪能=夏の虫、蛾を殺す)、、七→廿=世、卅、三重の三位一体の猷(はかりごと)の王(猶太、ユダヤ)の完成である。
七十=椅子仮尾手の腹の蝮の謎、天地を結ぶ力(五)に覚醒し活動する=一、五米の御贄柱を供えて決意を見せる
ーーー↓wikipediaよりーーーー
車戸 凛子
諏訪大社には本殿が無く、背後の守屋山が御神体です。この“もりや”という名称に惹かれ、イスラエル(意主羅に得る=陰間縫う得る、インマヌエル=南無妙法蓮華経=阿に運して人は神に育つ)の十支族帰還運動組織、アミシャブのトップであるアビハイル氏なども訪れて祈りを捧げています。ということは、この守屋山は、旧約の創世記で主がアブラハムに息子イサク(陽根=♂)を犠牲として捧げるよう命じた“モリヤ(杜、銛に矢)の地”の象徴なのでしょうか?
この諏訪大社では、御柱祭に代表されるような、数々の奇祭が行われます。中でも、毎年4月15日に上社の前宮で行われる御頭祭は異彩を放っています。 現在の御頭祭では、約1.5メートルの御贄柱(おにえばしら)という木の柱と、剥製の鹿の頭が3頭供えられる以外は、一般的な神事と何ら変わりはありませんが、明治時代までは、かなり変わった神事が行われていました。 鹿の頭を75頭供え、その中には必ず、耳の裂けた鹿があったといいます。他の供え物としては、白鷺、白兎、雉子、山鳥、鯉、鰤、鮒などの肉、米、海老、魚など、数多くの獣類(人間の肉体の獣性本能を焼く)があります。
まずは、神官たちが供え物を下ろして食べ、酒を酌み交わします。その後、御贄柱を飾り立て、神の代わりともされる、紅の着物を着せられた御神(おんこう、おこう)という8歳ぐらいの子供がこの柱に縛り付けられます(餓鬼の開眼、天に勃起する)。神官がこの御神を小刀で刺そうとした瞬間、諏訪の国司の使者の乗った馬(ヨハネ、48音、外撥ねして世に跳ねて預羽する真理の矢、マリヤ=蘇った聖書の打邪霊力=蛇をパンと打つジャパンの霊物の二波取りのかしわ手=朝の誕生を呼ぶ)が登場してそれを止めさせ、御神は解放され、祭りは終わるのです。
日本の神道では、獣のような血に関わるものは“穢れ”とされていますから、このようなお祭りは奇怪です。ならば、“もりや”にあやかって、旧約を見てみましょう。ユダヤ教では、犠牲の仔羊の血を神殿に捧げたりしますよね?
前述のように、“もりや”という名称はアブラハムとイサクに関わっている可能性があります。旧約では、主はアブラハムの信仰心を試すため、息子のイサクを生贄として奉げるよう命じましたが、アブラハムが命じられる通りに行動したので、主の御使いが止めさせました。どうですか?この場面にそっくりではありませんか!
また、この時、木の茂みに1匹の雄羊が角を捉えられており(ブッシュ、物主の七の世にあって神に帰ることを考える者=観音者)、それを生贄として奉げました。これは、75頭供えられる鹿の中には必ず耳の割けた(内省する)ものがあった、ということで象徴されているのではないでしょうか? しかし、これだけでは“75頭”の意味が説明できません。一説には、北イスラエル王国のサマリア(割→咲く真理矢)にあるゲリジム(下利耳牟=阿里=凹=守屋)山で子羊の生贄を行う際、75頭を屠っていたと伝えられています。申命記に依れば、ゲリジム山はシメオン、レビ、ユダ、イサカル、ヨセフ、ベニヤミンが民を祝福するために立った山で、サマリア人がこのゲリジム山に神殿(大社)を建てていたことが歴史家ヨセフスによって記録されており、エルサレムの神殿よりはるかに古いものです。サマリア人は今でも生贄をゲリジム山で屠ったりしており、ユダヤ教徒の祭儀よりも、より聖書に忠実と言えます。キノコ
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岩窟の聖母子、偉大なる勃起
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更に細部の神示に気が付きましたので紹介します。改めて神様は水も漏らさない、ことに信頼を覚えます。みんなで一緒に感激したいものです。
イエス(たとえの耶教=右手=クチナ=蛇蝮=真無視の邪教)の背後(奥義)に右手を当てて、真理矢に直して左手(火日足り)をヨハネ(48音を諏訪すれば主に和す、預羽して神人のキャッチボール、あうん、あめんのアブラハムをする)の頭に真理の光として注ぐ手かざしをする母神。
イエスは兀(羽意)の逆の姿、この右手の働きを指摘してヨハネにガブリエル(偽の無利に得る、外撥ね)を教える。
ヨハネは左足を上(霊主体従)にして、たとえの翻訳、真理化、左手(日満り)で己を支える。編 ーーー編集中ーーー
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シワス月7日(米時間)はシガツ7日のイエスの十字架刑に通ず、天国の扉は真珠でできている。魂を真珠に育てざれば、天国に入ることを得ず、車持皇子(現代人)よ、英虞湾(物主の囚われ)に目覚めよ、の大警告を再確認しましょう。頭を切り替えなければハルマゲドンの十字架刑をもろに受けてしまう時に入っているのです。 |
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タイトルの四つを結ぶのは菊(マム=母)です。菊は米を育てる苦労が凡てなり、で物主文明の開花の今を如何生きるか、が勝負であるということです。合理主義のほこり(おごり)を払って、実魂作りの精神革命に入る、ミカエル(見返る)大天使を自分の中に蘇らせなければ成らない。これは志村喬(驕りの馬を払う=外撥ね=ヨハネ)、諏訪飈一郎(言、48音の日の光の旋風)の働きに入ることです。 |
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加賀美屋の真髄はおもてなしで、表無し=殻を取り払った内面の愛の真心あるのみ=玉手箱の教えと見ます。 |


