聖土曜日には、主の墓のもとにとどまって、主の受難と復活をしのび、祭壇の飾りを取り除き、ミサもささげません。キリストが墓に葬られたあとの大安息日として、エルサレムでは、一日中復活徹夜祭の準備をしました。この夜は、神のために徹夜をする日とされ、キリスト者はあかりをともして主の帰りを待ち、ともに復活の宴(うたげ)にあずかって主の食卓に招かれるのです。 教会は、聖土曜日には、主の墓のもとにとどまって、主の受難と復活をしのび、祭壇の飾りを取り除き、ミサもささげません。キリストが墓に葬られたあとの大安息日として、エルサレムでは、一日中復活徹夜祭の準備をしました。この夜は、神のために徹夜をする日とされ、キリスト者はあかりをともして主の帰りを待ち、ともに復活の宴(うたげ)にあずかって主の食卓に招かれるのです。 この復活徹夜祭の中で、キリスト教入信式(洗礼、堅信、聖体)が行われていたことが2世紀ころに書かれた書から知られています。 私たちが今夜行う式は、旧約の時代から守り続けられ、死んで復活された主キリストに向けられています。このことを思うとき、私たちは、よりいっそう今夜の儀式の意味を理解できるでしょう。 復活徹夜祭の典礼は、4つの部分からなりたっています。 光の祭儀: 復活徹夜祭の一つの主役は火であり、光です。 復活されたキリストのシンボルであるローソクの祝福と、光の行列があり、復活賛歌が歌われます。 一同は、聖堂の外に準備された火のそばに集まり、司祭は火を祝福します。その後、この火で司祭は復活ローソクに火をともし、「キリストの光」と歌いながら暗闇の中を進みます。 キリストこそ、「この世を照らす真の光」であり、私たちはキリストの復活によって、闇から救いだされて「光の子」とされたことをあらわします。 光は神の存在のしるし、神の力や恵みをあらわすしるしとして聖書にたびたび登場します。ですから、復活徹夜祭に光の祭儀が行われるのは、キリストの復活のしるしです。 朗読台のそばにあるローソク台に復活ローソクをたて、「声高らかに喜び歌え」と、「復活賛歌」が歌われます。そして、ことばの祭儀へと移っていきます。 ことばの祭儀: 救いの歴史をあらわす旧約聖書から7つの朗読、使徒の手紙、福音が朗読され、神の救いのことばと約束に信頼しつつ復活を待ちます。 神がこの世のはじめから、いつも私たちの救いを望んでおられたことを語る救いの歴史を旧約聖書から朗読します。 1)創世記:世界の創造、 2)創世記:アブラハムの犠牲、 3)出エジプト記:イスラエルの民の紅海の渡り、 4)イザヤ書:新しい契約と新しいエルサレム、 5)イザヤ書:救いをもたらす水と神のご意志を果たすことば、 6)バルク書:知恵とその輝き、 7)エゼキエル書:新しい心 この朗読が終ると、新約聖書の中から、「主の復活にあずかる洗礼」の意味をのべる“ローマの信徒への手紙”が朗読されます。その後、「キリストは復活された」と述べる福音書が朗読されますが、今年は“マルコ福音書”が読まれます。そして、洗礼の部に移行していきます。 洗礼の典礼: 初代教会からこの日に洗礼が行われてきましたが、洗礼の儀で、洗礼式が行われます。洗礼を受ける人がいないときには、参加者が洗礼の約束と更新をします。 この日のためにずっと準備し、四旬節を励んできた洗礼志願者が、いよいよ教会共同体のメンバーとなる洗礼式です。洗礼は単に個人的な出来事ではなく、教会共同体へ入るわけですから、洗礼の儀では、まず洗礼志願者の紹介があります。 そして、諸聖人の取り次ぎを願う連願(れんがん)、水の祝福、信仰宣言、洗礼、堅信が行われ、信徒一同は洗礼の約束を更新します。 感謝の典礼: 新しく洗礼を受けた人たちとともに、感謝の典礼に入ります。ここで、主が死と復活をとおして私たちに準備された食卓に招かれます。この祝いをとおして、教会共同体はキリストの復活にあずかり、新たにされるのです。 祈り:主イエスの復活の光で照らしてくださる神よ、
救いを求めているすべての人々を 主キリストの復活の光で照らしてください。 今日、洗礼の恵みをうけ、 新しく教会共同体のメンバーになった人たちが、 生活を通して 主の復活を宣言していく聖霊の力をお与えください。 第1朗読 出エジプト記 14章15節〜15章1a節 はモーセに言われた。 「なぜ、わたしに向かって叫ぶのか。イスラエルの人々に命じて出発させなさい。 杖を高く上げ、手を海に向かって差し伸べて、海を二つに分けなさい。 そうすれば、イスラエルの民は海の中の乾いた所を通ることができる。 しかし、わたしはエジプト人の心をかたくなにするから、彼らはお前たちの後を追って来る。 そのとき、わたしはファラオとその全軍、戦車と騎兵を破って栄光を現す。 わたしがファラオとその戦車、騎兵を破って栄光を現すとき、エジプト人は、わたしが主であることを知るようになる。」 イスラエルの部隊に先立って進んでいた神の御使いは、移動して彼らの後ろを行き、彼らの前にあった雲の柱も移動して後ろに立ち、 エジプトの陣とイスラエルの陣との間に入った。 真っ黒な雲が立ちこめ、光が闇夜を貫いた。 両軍は、一晩中、互いに近づくことはなかった。 モーセが手を海に向かって差し伸べると、主は夜もすがら激しい東風をもって海を押し返されたので、海は乾いた地に変わり、水は分かれた。 イスラエルの人々は海の中の乾いた所を進んで行き、水は彼らの右と左に壁のようになった。 エジプト軍は彼らを追い、ファラオの馬、戦車、騎兵がことごとく彼らに従って海の中に入って来た。 朝の見張りのころ、主は火と雲の柱からエジプト軍を見下ろし、エジプト軍をかき乱された。 戦車の車輪をはずし、進みにくくされた。 エジプト人は言った。 「イスラエルの前から退却しよう。主が彼らのためにエジプトと戦っておられる。」 主はモーセに言われた。 「海に向かって手を差し伸べなさい。水がエジプト軍の上に、戦車、騎兵の上に流れ返るであろう。」 モーセが手を海に向かって差し伸べると、夜が明ける前に海は元の場所へ流れ返った。 エジプト軍は水の流れに逆らって逃げたが、主は彼らを海の中に投げ込まれた。 水は元に戻り、戦車と騎兵、彼らの後を追って海に入ったファラオの全軍を覆い、一人も残らなかった。 イスラエルの人々は海の中の乾いた所を進んだが、そのとき、水は彼らの右と左に壁となった。 主はこうして、その日、イスラエルをエジプト人の手から救われた。 イスラエルはエジプト人が海辺で死んでいるのを見た。 イスラエルは、主がエジプト人に行われた大いなる御業を見た。 民は主を畏れ、主とその僕モーセを信じた。 モーセとイスラエルの民は主を賛美してこの歌をうたった。 第2朗読 ローマの信徒への手紙 6章3〜11節 それともあなたがたは知らないのですか。 キリスト・イエスに結ばれるために洗礼を受けたわたしたちが皆、またその死にあずかるために洗礼を受けたことを。 わたしたちは洗礼によってキリストと共に葬られ、その死にあずかるものとなりました。 それは、キリストが御父の栄光によって死者の中から復活させられたように、わたしたちも新しい命に生きるためなのです。 もし、わたしたちがキリストと一体になってその死の姿にあやかるならば、 その復活の姿にもあやかれるでしょう。 わたしたちの古い自分がキリストと共に十字架につけられたのは、罪に支配された体が滅ぼされ、もはや罪の奴隷にならないためであると知っています。 死んだ者は、罪から解放されています。 わたしたちは、キリストと共に死んだのなら、キリストと共に生きることにもなると信じます。 そして、死者の中から復活させられたキリストはもはや死ぬことがない、と知っています。 死は、もはやキリストを支配しません。 キリストが死なれたのは、ただ一度罪に対して死なれたのであり、生きておられるのは、神に対して生きておられるのです。 このように、あなたがたも自分は罪に対して死んでいるが、キリスト・イエスに結ばれて、神に対して生きているのだと考えなさい。 福音朗読 ルカによる福音書 24章1〜12節 週の初めの日の明け方早く、女たちは、準備しておいた香料を持って墓に着いた。 見ると、石が墓からわきにころがしてあった。 はいって見ると、主イエスのからだはなかった。 そのため女たちが途方にくれていると、見よ、まばゆいばかりの衣を着たふたりの人が、女たちの近くに来た。 恐ろしくなって、地面に顔を伏せていると、その人たちはこう言った。 「あなたがたは、なぜ生きている方を死人の中で捜すのですか。 ここにはおられません。 よみがえられたのです。 まだガリラヤにおられたころ、お話しになったことを思い出しなさい。 人の子は必ず罪人らの手に引き渡され、十字架につけられ、三日目によみがえらなければならない、と言われたでしょう。」 女たちはイエスのみことばを思い出した。 そして、墓から戻って、十一弟子とそのほかの人たち全部に、一部始終を報告した。 この女たちは、マグダラのマリヤとヨハンナとヤコブの母マリヤとであった。 彼女たちといっしょにいたほかの女たちも、このことを使徒たちに話した。 ところが使徒たちにはこの話はたわごとと思われたので、彼らは女たちを信用しなかった。 〔しかしペテロは、立ち上がると走って墓へ行き、かがんでのぞき込んだところ、亜麻布だけがあった。それで、この出来事に驚いて家に帰った。〕 |

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