教会は伝統的に、「キリストの聖体」の祭日後の金曜日に“イエスのみ心”の祭日を祝います。 “イエスの御心”に対する信心の歴史は、中世紀にさかのぼります。聖マルガリタ・マリア・アラコクが“み心”の信心についての啓示を受けた17世紀に、フランスで広まりました。そして1856年には、教皇ピオ9世によって、ローマ教会全体で祝うことが定められました。 この祭日の目的は、“イエスのみ心”に表される神の愛を思い起こすと共に、イエスの無限の愛のしるしである“み心”をたたえることです。 祈り:聖なる父よ、
あなたは、人類罪のために刺し貫かれた御子のみ心のうちに、 限りないいつくしみの泉を開いてくださいました。 わたしたちが、心からの奉献によってキリストの愛にこたえることができますように。 第1朗読 エゼキエル書 34章11〜16節 まことに、主なる神はこう言われる。 見よ、わたしは自ら自分の群れを探し出し、彼らの世話をする。 牧者が、自分の羊がちりぢりになっているときに、 その群れを探すように、わたしは自分の羊を探す。 わたしは雲と密雲の日に散らされた群れを、 すべての場所から救い出す。 わたしは彼らを諸国の民の中から連れ出し、諸国から集めて彼らの土地に導く。 わたしはイスラエルの山々、谷間、また居住地で彼らを養う。 わたしは良い牧草地で彼らを養う。イスラエルの高い山々は彼らの牧場となる。 彼らはイスラエルの山々で憩い、良い牧場と肥沃な牧草地で養われる。 わたしがわたしの群れを養い、憩わせる、と主なる神は言われる。 わたしは失われたものを尋ね求め、追われたものを連れ戻し、 傷ついたものを包み、弱ったものを強くする。 しかし、肥えたものと強いものを滅ぼす。 わたしは公平をもって彼らを養う。 第2朗読 ローマの信徒への手紙 5章5b〜11節 わたしたちに与えられた聖霊によって、 神の愛がわたしたちの心に注がれているからです。 実にキリストは、わたしたちがまだ弱かったころ、定められた時に、 不信心な者のために死んでくださった。 正しい人のために死ぬ者はほとんどいません。 善い人のために命を惜しまない者ならいるかもしれません。 しかし、わたしたちがまだ罪人であったとき、 キリストがわたしたちのために死んでくださったことにより、 神はわたしたちに対する愛を示されました。 それで今や、わたしたちはキリストの血によって義とされたのですから、 キリストによって神の怒りから救われるのは、なおさらのことです。 敵であったときでさえ、御子の死によって神と和解させていただいたのであれば、 和解させていただいた今は、御子の命によって救われるのはなおさらです。 それだけでなく、わたしたちの主イエス・キリストによって、 わたしたちは神を誇りとしています。 今やこのキリストを通して和解させていただいたからです。 福音朗読 ルカによる福音書 15章3〜7節 そこで、イエスは次のたとえを話された。 「あなたがたの中に、百匹の羊を持っている人がいて、 その一匹を見失ったとすれば、 九十九匹を野原に残して、見失った一匹を見つけ出すまで捜し回らないだろうか。 そして、見つけたら、喜んでその羊を担いで、 家に帰り、友達や近所の人々を呼び集めて、 『見失った羊を見つけたので、一緒に喜んでください』と言うであろう。 言っておくが、このように、悔い改める一人の罪人については、 悔い改める必要のない九十九人の正しい人についてよりも大きな喜びが天にある。」 |

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リリーさん、おはようございます(*'‐'*)
祈りのうちにポチ(*'‐'*)/十❤十 凹凸
ヽ( ´∇`)ノ 十❤十 ヽ(´∇` )ノ
2010/6/12(土) 午前 7:03 [ - ]
マリアさん こんにちは♪
コメント&お祈りぽちをありがとうございます❤
2010/6/12(土) 午後 5:37