カシミロは、ポーランド王カシミロ4世の息子として生まれた。母親の影響で信仰深く育てられ、幼いときから宗教教育を受けた。 1471年、父の命令によってハンガリー王になることを強いられたカシミロは、同国に向かう途中に敵と戦うことなく引き返してきたために、父王の怒りをかい、一時城に軟禁された。その間も、たゆまず祈り、イエス・キリストの受難に心を合わせていた。 カシミロは、父王が不在のときには国内を統治し、国民に心を配った。生涯独身を誓い、神にささげて生き、26歳の若さで結核で亡くなった。 彼の徳は国民から慕われ、死後も彼の墓地では多くの奇跡が起こったといわれる。 ポーランドの保護の聖人として親しまれている。 |
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毎年四旬節第2主日の第1朗読は、アブラハムの生涯に起こったエピソードが創世記から読まれます。また、福音では「主の変容」の出来事が朗読されます。今年はC年なので、ルカ福音書からです。 アブラハムが、神の契約のことばをうけたのは夜。きらめく星を見上げながら、神と対話するアブラハムの姿が、第1朗読で語られています。第2朗読は、使徒パウロの「フィリピの信徒への手紙」からです。パウロが愛する信徒、自分の喜びと冠でもある信徒に送るこの手紙は、四旬節の核心ともいえるものを心から送る言葉です。 今こそ神の選ばれた子、イエス・キリストに聞き従う時なのです。私たちはこの神のみ声を四旬節、回心の時、立ち返りの時に聞くのです。 あなたはどこに向かって立ち返るのでしょうか。 「これはわたしの子、選ばれた者。これに聞け。」 祈り:救いの源である神よ、
あなたはひとり子イエスを、 受難をとおして栄光に導かれました。 十字架の道を歩まれたキリストに従うことができるよう わたしたちの希望と勇気を強めてください。 第1朗読 創世記 15章5〜12、17〜18節 主は彼を外に連れ出して言われた。「天を仰いで、星を数えることができるなら、数えてみるがよい。」そして言われた。「あなたの子孫はこのようになる。」 アブラムは主を信じた。主はそれを彼の義と認められた。 主は言われた。 「わたしはあなたをカルデアのウルから導き出した主である。 わたしはあなたにこの土地を与え、それを継がせる。」 アブラムは尋ねた。 「わが神、主よ。この土地をわたしが継ぐことを、 何によって知ることができましょうか。」 主は言われた。 「三歳の雌牛と、三歳の雌山羊と、三歳の雄羊と、山鳩と、鳩の雛とを わたしのもとに持って来なさい。」 アブラムはそれらのものをみな持って来て、真っ二つに切り裂き、 それぞれを互いに向かい合わせて置いた。 ただ、鳥は切り裂かなかった。 禿鷹がこれらの死体をねらって降りて来ると、アブラムは追い払った。 日が沈みかけたころ、アブラムは深い眠りに襲われた。 すると、恐ろしい大いなる暗黒が彼に臨んだ。 日が沈み、暗闇に覆われたころ、 突然、煙を吐く炉と燃える松明が二つに裂かれた動物の間を通り過ぎた。 その日、主はアブラムと契約を結んで言われた。 「あなたの子孫にこの土地を与える。 エジプトの川から大河ユーフラテスに至るまで。」 第2朗読 フィリピの信徒への手紙一 3章17〜4章1節 兄弟たち、皆一緒にわたしに倣う者となりなさい。 また、あなたがたと同じように、 わたしたちを模範として歩んでいる人々に目を向けなさい。 何度も言ってきたし、今また涙ながらに言いますが、 キリストの十字架に敵対して歩んでいる者が多いのです。 彼らの行き着くところは滅びです。 彼らは腹を神とし、恥ずべきものを誇りとし、 この世のことしか考えていません。 しかし、わたしたちの本国は天にあります。 そこから主イエス・キリストが救い主として来られるのを、 わたしたちは待っています。 キリストは、万物を支配下に置くことさえできる力によって、 わたしたちの卑しい体を、 御自分の栄光ある体と同じ形に変えてくださるのです。 だから、わたしが愛し、慕っている兄弟たち、 わたしの喜びであり、冠である愛する人たち、 このように主によってしっかりと立ちなさい。 福音朗読 ルカによる福音書 9章28b〜36節 イエスは、ペトロ、ヨハネ、およびヤコブを連れて、祈るために山に登られた。 祈っておられるうちに、イエスの顔の様子が変わり、服は真っ白に輝いた。 見ると、二人の人がイエスと語り合っていた。 モーセとエリヤである。 二人は栄光に包まれて現れ、 イエスがエルサレムで遂げようとしておられる最期について話していた。 ペトロと仲間は、ひどく眠かったが、じっとこらえていると、 栄光に輝くイエスと、そばに立っている二人の人が見えた。 その二人がイエスから離れようとしたとき、ペトロがイエスに言った。 「先生、わたしたちがここにいるのは、すばらしいことです。 仮小屋を三つ建てましょう。 一つはあなたのため、一つはモーセのため、もう一つはエリヤのためです。」 ペトロは、自分でも何を言っているのか、分からなかったのである。 ペトロがこう言っていると、雲が現れて彼らを覆った。 彼らが雲の中に包まれていくので、弟子たちは恐れた。 すると、「これはわたしの子、選ばれた者。これに聞け」 と言う声が雲の中から聞こえた。 その声がしたとき、そこにはイエスだけがおられた。 弟子たちは沈黙を守り、見たことを当時だれにも話さなかった。 |
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聖コルベ神父が私達になさったお話を更新したので、よかったら見てくださいね^^
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コルベ神父は1894年ポーランドに生まれ、16歳のときコンベンツアル・聖フランシスコ修道会に入り、18才のときローマのグレゴリアン大学に派遣され、1918年に24才の若さで司祭に叙階されました。その翌年ポーランドに帰り、「聖母の騎士信心会」の活動を開始しています。 1930年ゼノ修道士ら5人とともに来日して、長崎で上記の信心会と印刷所を開きました。 月刊誌『聖母の騎士』を発行するなど宣教活動に励み、多くの人びとに感化を与えたのです。『聖母の騎士』は現代でも多くの購読者を得ています。 1937年、コルベ神父はポーランドのニエポカラノフの修道院長に選任されて、日本を去ることになりました。 1939年ナチスドイツ軍のポーランド侵攻が始まり、コルベ神父はゲシュタポに捕えられて、アウシュヴィッツ強制収容所に送られます。 そこで、死刑を言い渡された妻子ある人の身代わりを申し出て、餓死監房で注射を受けて亡くなったのです。1941年は折しも聖母被昇天の大祝日の前日のことでした。「友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない」(ヨハネによる福音書15-13)というキリストの愛を実践した現代の殉教者であります。 1971年には教皇パウロ六世により、「福者」に挙げられ、1982年教皇ヨハネ・パウロ二世は列聖「福者マキシミリアノ・マリア・コルベを聖人と宣言し、殉教者として崇めるよう定める」と宣言されました。 多摩教会では、1994年8月14日聖母被昇天の日に信徒館(仮聖堂)が落成して、新しい教会は折から聖コルベ神父の生誕百年を迎える時期にあたり、この最も新しい現代の聖人を守護の聖人として戴くことになったのです。 教会には、「聖コルベ神父の遺物」が安置され、崇敬の念を高めています。遺物は長崎でそられたアゴヒゲで、ポーランドの修道院に保管されていた一部をいただいたものです |
ポルトガルのリスボンに生まれた。15歳のときにアウグスチノ会に入り、司祭となったが、アフリカ宣教の望みを抱き、長上の許可を得てフランシスコ会に入る。殉教の覚悟でアフリカのモロッコに渡ったが、まもなく病気になり、帰国した。その後、フォル市郊外のモンテ・パオロで、修道司祭として生活した。あるとき、市の新司祭の祝賀会の席上、アントニオは長上から即座に演説を命じられ、よい話をした。これを機に説教家として彼の才能が認められた。イタリアやフランスを巡って福音を伝え、多くの人々を回心に導いた。 36歳の若さで亡くなり、その遺骸はパドバの聖堂に安置された。その墓で多くの奇跡が起こったといわれている。 アントニオは、紛失物を捜すときの助け手、婚姻・花嫁の守護の聖人として知られている。 |





