TRADITIONAL ROMAN CATHOLICISM

皆様のお心にイエス様からの豊かなお恵みと聖なる愛で満たされますように……

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復活節

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教会公文書の復活節に関連する箇所
 
「典礼暦年と典礼暦に関する一般原則」より
 
7 なお、主の公現、主の昇天、およびキリストの聖体の祭日が守るべき祭日でないところでは、これらの祭日を次のとおり、固有の日とみなされる主日に移すこととする。

 イ ……
 ロ 主の昇天の祭日は、復活節第7主日に移す。
 
22 復活の主日から聖霊降臨の主日に至るまでの50日間は、一つの祝日として、また、より適切には「大いなる主日」として、歓喜に満ちて祝われる。
 「アレルヤ」がとくに歌われるのは、この季節である。
 
23 この季節の主日は復活節主日とし、復活の主日に引き続き、復活節第2、第3、第4、第5、第6、第7主日と名づける。この50日間の聖節は、聖霊降臨の主日をもって終了する。
 
24 復活節の最初の8日間は、「主の復活の8日間」と呼ばれ、主の祭日のように祝われる。
 
25 復活後40日目には、主の昇天を祝う。それが守るべき祭日でないため、復活節第7主日に移された
場合は別である。
 
26 主の昇天後から聖霊降臨の前日の土曜日までの週日は、聖霊を迎える準備にあてられる。
 
 
「教会の祈りの総則」より
 
92 (「寝る前の祈り」では)復活節にはいつも「天の元后喜びたまえ、アレルヤ」(レジナ・チェリ)を唱える。……
214 「教会の祈り」は多くの先唱句と交唱に結びとしてつけ加えられる「アレルヤ」によって復活の性格をもつものとなる。そのうえ賛歌、先唱句と交唱、特別な共同祈願、さらに各時課に固有の「神のことば」によっても復活の色彩を帯びるようになる。
 
『朗読聖書の緒言』より
 
主日

100 復活節第3主日まで、福音朗読は復活したキリストの出現を述べている。よい牧者についての朗読は復活節第4主日に定められている。復活節第5主日、第6主日、第7主日〔日本では、この主日は「主の昇天」の祭日になる〕には、最後の晩さんの後に主が行われた説教と祈りの一部が朗読される。
 第1朗読は使徒言行録からとられ、3年周期で並行して発展していくようになっている。こうして、毎年、初代教会の生活から始まって、あかしと発展の後をたどるのである。
 使徒書の朗読については、A年にはペトロの第1の手紙が、B年にはヨハネの第1の手紙が、C年には黙示録が朗読される。これらの箇所は、この季節独特の喜ばしい信仰と揺るぎない希望の精神に非常によく調和している。
 
 
週日

101 第1朗読は主日と同じくほぼ継続して使徒言行録からとられている。福音については、復活の8日間中は主の出現の記事が朗読される。その後、ヨハネ福音書の準継続朗読が行われるが、ここではどちらかというと復活の色彩の濃い箇所がとり上げられ、こうしてすでに四旬節に行われた同書の朗読が完成する。この復活の朗読においては、最後の晩さんの後の主の説教と祈りが大半を占めている。
 
 
昇天と聖霊降臨の祭日

102 昇天の祭日には、第1朗読として使徒言行録による昇天の出来事の叙述が保持されている。この箇所は、父の右に上げられたキリストについての使徒書の朗読によって補完される。福音朗読には、各周期の年のために福音記者の異なるそれぞれ固有の箇所が用意されている。
 聖霊降臨の前晩のミサには、この祭日の多様な意味を明らかにするために旧約聖書の四つの箇所が掲げられているが、そのうちの一つが任意に選ばれる。使徒書の朗読は現に教会の中で働く聖霊の役割を示している。福音朗読は、栄光を受ける前にキリストがなさった聖霊の約束を思い起こさせる。
 当日のミサにおいては、第1朗読のために聖霊降臨の偉大な出来事に関する使徒言行録による叙述が伝統的に採用されている。使徒書の箇所は、教会生活における聖霊の働きの効果を示している。福音朗読は、イエスが復活の日の夕方、弟子たちに聖霊を授けたことを思い起こさせる。任意に用いることのできる他の箇所は、弟子たちと教会に対する聖霊の働きについて扱っている。
 
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典礼の特徴
 
50日間の祝祭
 
復活節は、復活の主日から聖霊降臨の主日までの50日間です。「ペンテコステ」というと現在の典礼暦では聖霊降臨の主日(Dominica Pentecostes)を指しますが、4世紀初めごろまでは、復活の主日後の50日間をペンテコステと呼んでいました。この期間は主の復活を喜び祝う期間として一つの祝日のように祝われ、典礼では繰り返し「アレルヤ」が歌われました。また、断食は行わず、祈るときにはキリストの復活のしるしとして立つ姿勢が用いられました。聖アウグスチヌス(354年〜430年)は次のように述べています。「(わたしたちは)復活祭前の季節を断食と嘆願のうちに過ごしますが、復活祭後の季節は断食をやめて賛美のうちに過ごします。わたしたちの歌っているアレルヤはこの賛美にほかならないのです。ご存じのように、アレルヤは『主を賛美せよ』という意味です」(『詩編講解』148, 1-2〔『毎日の読書 第3巻』カトリック中央協議会、1991年、85頁〕)。そして、5世紀ごろから、復活の主日後40日目に主の昇天を祝うようになると、主の昇天の記念まではキリストの復活を祝い、その後に続く10日間は聖霊降臨の主日の準備期間という色彩が強くなりました。
 現在の教会は古代教会の実践に立ち返り、聖霊降臨の主日までの50日間を一つの祝日、「大いなる主日」(聖アタナシオ『復活祭書簡』1)と位置づけて、キリストの過越の神秘を喜びのうちに祝っています。
 
主の復活の8日間
 
復活の主日から復活節第2主日までは「主の復活の8日間」と呼ばれ、とくに盛大にキリストの復活を祝います。古代教会では、復活の主日に洗礼を受けた人はこの8日間中、とくに秘跡に関する秘義教話(Mystagogia)を司教から聞くために集まりました。その際、彼らは白い衣を着ていたので、この週は「白衣の週」とも呼ばれました。
 主の復活の8日間は主の祭日のように祝われるため、典礼日の優先順位表でも上位に置かれています。8日間中のミサでは栄光の賛歌(Gloria)を歌い、ミサと「教会の祈り」の派遣の祝福には「アレルヤ」を加えます。また、復活の続唱(Victimae paschali laudes)は復活の主日以外の日には任意で歌われます。
 
復活節第2主日(神のいつくしみの主日)
 
上記のように、古代教会では復活の主日から復活節第2主日までの8日間、新しく信者になった人は白い衣をまとっていました。この白い衣は復活節第2主日に脱ぐこととなっていたため、この主日を「白衣の主日(Dominica in albis)」と呼ぶ習慣が生まれました。この名称は第2バチカン公会議前の『ローマ・ミサ典礼書』に残っていましたが、第2バチカン公会議後は用いられなくなりました。
 また、2000年5月5日には教皇庁典礼秘跡省から、復活節第2主日に「神のいつくしみ」という名称を加えるとする教令(Prot. n. 1002/00/L)が発表されました。この教令は次のように述べています。「現代において、キリスト信者は世界の至る所で、典礼の中で、とりわけ神の愛に満ちた寛容さがとくに輝き出る過越の神秘の祭儀において、神のいつくしみを賛美することを願っている。この願いに応えて、教皇ヨハネ・パウロ2世は、『ローマ・ミサ典礼書』の“復活節第2主日”の後に、今後、“または神のいつくしみの主日”という名称を加えることを決定された」。これを受けて、日本の教会では2003年から、復活節第2主日に「神のいつくしみの主日」という名称を加えています。
 
復活節第4主日
 
復活節第4主日のミサでは、ヨハネ福音書第10章の良い羊飼いと羊のたとえが朗読されます。そのため、典礼暦上の名称ではありませんが、この主日を「良い牧者の主日」と呼ぶこともあります。また、福音朗読だけでなく、各年共通に用いるミサの集会祈願・拝領祈願・拝領唱などからも、良い牧者キリストの姿を思い起こすことができます。
1964年以降、復活節第4主日は「世界召命祈願の日」と定められ、司祭や修道者を志す人の召命のために祈るとともに、すべてのキリスト者が自らに向けられた神からの招きについても思い起こす日となっています。
 
復活のろうそく
 
復活徹夜祭の光の祭儀で用いた復活のろうそくは、死と罪の闇に打ち勝って復活したキリストがともにおられることを表します。かつて、復活のろうそくは、主の昇天の祭日のミサの福音朗読後に消すことになっていました。これは、復活したキリストが天に昇られたことを表現しようとした習慣だと思われます。しかし現在では、復活節の最終日である聖霊降臨の主日まで、ミサや朝・晩の祈りなど盛大に執り行われる典礼で復活のろうそくをともします。復活節以外の時期には、とくに洗礼式と葬儀のときに用いることができます。
 
典礼色
 
復活節には神の栄光やいのちの輝きを表す白を用います。
 
アレルヤ
 
復活節は伝統的に「アレルヤ」を歌う季節とされてきました。上述のように、復活の8日間中のミサと「教会の祈り」の派遣の祝福には「アレルヤ」が加えられます。また、復活節中のミサの入祭唱と拝領唱にも「アレルヤ」を付けて唱えます。さらに、聖霊降臨の主日のミサでもミサの派遣の祝福に「アレルヤ」を加えます。
 
続唱
 
復活の主日と聖霊降臨の主日のミサでは、アレルヤ唱の前に続唱が歌われます。続唱とはラテン語の「セクエンツィア(Sequentia)」の訳で、「連続」、「続き」という意味です。中世のころ、アレルヤ唱の「アレルヤ(Alleluia)」の最後の「ヤ(ia)」の母音aに、装飾的な旋律が付けられるようになりました。9世紀以降、装飾的に音符が続く部分に後から歌詞を当てはめ、後にこの部分のみがアレルヤ唱から独立して「続唱」として歌われるようになったといわれます。かつてはアレルヤ唱に続けて歌われましたが、現在はアレルヤ唱と福音朗読の結びつきを重視して、アレルヤ唱の前に歌うことになっています。
復活の主日のミサでは、復活の続唱(Victimae paschali laudes)を歌います。この続唱は、ブルグンドのヴィポ(Wipo Bulgundus、10世紀末〜1050年ごろ)によって11世紀初めに作られたといわれます。復活の続唱は、復活の月曜日から復活節第2主日までのミサでも任意で歌うことができます。
聖霊降臨の主日のミサでは、聖霊の続唱(Veni, Sancte Spiritus)を歌います。この続唱は「黄金の続唱」とも呼ばれる代表的な続唱です。作者に関しては諸説がありますが、イギリスのカンタベリー大司教であったステファヌス・ラングトン(Stephanus Langton、1155年頃〜1228年)とする説が有力です。
 
 
 
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2010年 世界広報の日のメッセージ


親愛なる兄弟姉妹の皆様

 司祭年を祝うにあたり、今年の世界広報の日のテーマを、「司祭とデジタル世界における司牧、みことばに仕える新しいメディア」とし、デジタル・コミュニケーションの中の重要で繊細な司牧的領域に焦点を当てたいと思います。司祭はそこに、神のみことばに向けた、みことばのための奉仕を行う新たな可能性を見いだすことができます。教会共同体は、コミュニケーションを促し、社会とのかかわりを深めるために最新のメディアをつねに用いてきましたし、さらに広く対話を促進するために、ますます利用しようとしています。しかも、これらのメディアは最近、その爆発的な成長と社会的影響力の増大によって、司祭職を実り豊かなものとするために、その重要性がさらに増しているのです。
 すべての司祭の中心的な務めは、神のみことばの受肉であるイエス・キリストを告げ知らせ、秘跡においてキリストの救いの恵みを伝えることです。みことばに呼び集められた教会は、神がすべての人と交わるためのしるしであり道具です。そして、すべての司祭は、キリストのうちに、キリストとともにこの交わりを築くために召し出されています。このことのうちに、司祭の使命の崇高な尊厳と美しさがあります。司祭はその使命として、使徒パウロが提起した課題に特別な方法でこたえます。「聖書にも、『主を信じる者は、だれも失望することがない』と書いてあります。……『主の名を呼び求める者はだれでも救われる』のです。ところで、信じたことのない方を、どうして呼び求められよう。聞いたことのない方を、どうして信じられよう。また、のべ伝える人がなければ、どうして聞くことができよう。遣わされないで、どうしてのべ伝えることができよう」(ローマ10・11、13-15)。
 若者がとくに敏感に受け止めている今日の文化的推移の中で、この課題に適切にこたえるには、最新のコミュニケーション技術を用いる必要があります。限りないほどの表現力を持つデジタル・コミュニケーションの世界において、「福音を告げ知らせないなら、わたしは不幸なのです」(一コリント9・16)という使徒パウロの宣言には、いっそう深い意味があります。最新技術がさらに利用しやすくなったため、みことばを告げ知らせるために召し出された人々は、より多くの責任を要求されるだけでなく、その働きにおいて意欲と能率と説得性を高めるよう求められます。司祭は新しい時代の出発点に立っています。最新技術によってより遠くの人とより深い関係が築かれる中で、司祭はみことばへの奉仕にあたって、メディアをさらに効率的に用いて司牧的に対応するように求められているのです。
 マルチメディアを用いたコミュニケーションが普及し、「選択肢」が豊富になったために、わたしたちは単にウェブ上に何かを開設すればよいとか、ただ何かを書き込んでおけばよいなどと思いがちです。しかし、司祭はまさに福音の忠実なあかしびととしてデジタル・コミュニケーションの世界で働くよう期待されています。司祭は、デジタル市場が提供するさまざまな「声」を使って、ますます自らを表現する共同体のリーダーとしての役割を適切に果たすのです。したがって、最新の視聴覚素材(画像、ビデオ、アニメーション、ブログ、ウェブサイト)を駆使して福音を告げ知らせることが司祭に要求されます。伝統的手段に加えてこれらの方法を用いることにより、対話、福音化、カテケージスのための新たな幅広い展望を開くことができるのです。
 司祭は、新しいコミュニケーション技術を用いながら、教会生活に人々を導き入れ、現代人がキリストのみ顔を見いだすのを助けることができます。彼らが養成期間からこれらの技術を適切に駆使する方法を学んでいれば、その目標を最善な形で達成できるでしょう。その際には、正統な神学的洞察を取り入れ、主との絶え間ない対話に基づく強い司祭の霊性を思い起こす必要があります。しかし、デジタル・コミュニケーションの世界で働く司祭は、メディアに関する知識よりも、司祭の心、キリストとの親しさに目を向けるべきです。キリストとの親しさは、司牧活動を活性化させるだけでなく、「ウェブ」を構成するコミュニケーションの構造に「魂」を与えるのです。
 デジタル世界において、キリストにおけるすべての人に対する神の愛情あふれる思いやりは、単なる過去の人為的産物や学術的論理としてではなく、具体的、実際的で人を引き付けるものとして表現されなければなりません。したがって、そのような世界に司牧者として存在するわたしたちは、現代人、とくに不安と混乱を経験している多くの人に、「神はわたしたちの近くにいます。つまりキリストにおいてわたしたちは皆、互いに結ばれているのです」(教皇ベネディクト十六世、教皇庁へのあいさつ、2009年12月21日)ということを示すよう努めなければなりません。
 最新のデジタル技術を駆使しながら、現代社会に神を具現化する司牧活動を、神に仕える人である司祭よりもよりよく展開し、実行できる人がいるでしょうか。また、よりよい未来を築きながら尊厳をもって今を生きるための努力を促す宝として、過去の宗教的知恵を伝えるのに、司祭よりもふさわしい人がいるでしょうか。メディアの分野で働いている奉献生活者には、新しい出会いの形への扉を開くという特別な責任があります。それと同時に、彼らは人間の交流の質を保ち、個人とその真の霊的必要に配慮しなければなりません。ですから、彼らはこのデジタル時代の人々が主の存在に気づき、期待と希望のうちに成長する助けとなることができます。また、救いをもたらし全人的発展を促す神のみことばに人々が近づく助けにもなりえるのです。このように、みことばは「サイバースペース」を作り出すありとあらゆる「ハイウェイ」が交差する多くの十字路を行き交い、今もどんな時代にも神がおられる正当な場所があることを示すことができるのです。最新のコミュニケーション・メディアのおかげで、主はわたしたちの街の通りを歩き、わたしたちの家と心の戸口の前に立ち止まり、もう一度言います。「見よ、わたしは戸口に立って、たたいている。だれかわたしの声を聞いて戸を開ける者があれば、わたしは中に入ってその者とともに食事をし、彼もまた、わたしとともに食事をするであろう」(黙示録3・20)。 
 昨年のメッセージの中で、わたしはコミュニケーション界の指導者が人間の尊厳と価値を尊重する文化を促進するように促しました。これは、教会が現代の「デジタル大陸」において実践しなければならない「文化への奉仕」の一環です。福音を手と心に携えつつ、わたしたちは神のみことばに導く道を整え続ける必要性を再確認しなければなりません。それと同時に、わたしたちは道を探し続ける人につねに心を向ける必要があります。実際、福音化の第一歩として、わたしたちは彼らの探し求める努力を励ますべきです。司牧者は、これらのメディアを通してほかの宗教の信奉者や宗教を信じない人、そしてさまざまな文化に属している人とかかわることができます。ですから、デジタル世界において司牧者は、宗教を信じない人、失望した人、そして永遠の真実と絶対者を心の奥底でおぼろげながらも求めている人に目を向ける必要があるのです。預言者イザヤがすべての民のための祈りの家(イザヤ56・7参照)を思い描いたように、まだ神を知らずにいる人に、エルサレム神殿の「異邦人の庭」のような場を提供するものとして、ウェブを思い描くことはできないでしょうか。 
 発展する最新技術と拡大するデジタル世界は、人類全体、そして人間一人ひとりの貴重な資源です。それは、出会いと対話を促すものとしての役割を果たすことができます。また、こうした発展は信者にも同様に重要な機会を与えます。復活したキリストの名のもとに他者に近づこうとする人の前では、いかなる扉も閉めることはできませんし、また閉められるべきでもありません。新しいメディアはとりわけ司祭に対して、さらに新しく広範囲にわたる司牧の可能性を提供し、教会の使命の普遍性を具体化するように促します。それは、広大な真の交わりを築くためであり、また、わたしたちを救うために来られた永遠の御子であるイエスの福音に耳を傾けることから生まれる新しいいのちを現代社会であかしするためです。それと同時に、司祭はその奉仕職の究極の実りはキリストご自身によってもたらされることを心にとどめなければなりません。司祭は、祈りのうちにキリストに出会い、耳を傾けます。そして、宣教のうちにキリストを告げ知らせ、あかしを生き、秘跡、とりわけ聖体の秘跡とゆるしの秘跡のうちにキリストを知り、愛し、祝うのです。 
 親愛なる兄弟である司祭の皆様。最新の通信手段がもたらす独自の可能性を活用するよう、ここでもう一度お願いします。主が皆様すべてを、現代メディアが開放しつつある新しい「アゴラ(広場)」で熱意をもって福音を告げ知らせる者としてくださいますように。 
 こうした思いとともに、わたしは皆様の上に聖母と「アルスの聖なる司祭」のご保護が与えられることを願い、皆様一人ひとりに心から使徒的祝福を送ります。 

バチカンにて 

2010年1月24日
聖フランシスコ・サレジオの祝日 
教皇ベネディクト十六世 

教会の掟

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神の十戒
第一 われは汝の主なる神なり、われのほか何者をも神となすべからず。
第二 汝、神の名をみだりに呼べぶなかれ。
第三 汝、安息日を聖とすべきことを覚ゆべし。
第四 汝、父母を敬うべし。
第五 汝、殺すなかれ。
第六 汝、かんいんするなかれ。
第七 汝、盗むなかれ。
第八 汝、偽証するなかれ。
第九 汝、人の妻を望むなかれ。
第十 汝、人の持ち物をみだりに望むなかれ。

教会の掟
第一 日曜日と守るべき祝日にミサ聖祭にあずかり、労働を休むこと。
第二 少なくとも年に一度大罪を告白すること。
第三 少なくとも年に一度復活祭のころに聖体を受けること。
第四 定められた日に償いの務めを果たすこと。
第五 おのおのの分に応じて教会の維持費を負担すること。
 
 
 
 
 
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一週の曜日ごとの信心

 
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日曜日 至聖三位一体へ
月曜日 聖霊へ
火曜日 諸天使へ
水曜日 聖ヨゼフ様へ
木曜日 御聖体へ
金曜日 イエズス様の聖なる御受難へ
土曜日 祝せられたる童貞マリア様へ
 
 
 
 
 
 
 
 
 

年間の月ごとの信心

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 1月 イエズス様の聖名へ
 2月 聖家族へ
 3月 聖ヨゼフ様へ
 4月 御聖体へ
 5月 祝せられた童貞マリア様へ
 6月 イエズス様の聖心へ
 7月 イエズス様のいと尊き御血へ
 8月 聖母の汚れなき御心へ
 9月 御悲しみの聖母へ
10月 聖なるロザリオの元后へ
11月 煉獄の全ての聖なる霊魂へ
12月 無原罪の童貞へ

 
 
 
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