TRADITIONAL ROMAN CATHOLICISM

皆様のお心にイエス様からの豊かなお恵みと聖なる愛で満たされますように……

★☆聖人☆★

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聖グレゴリオ1世教皇教会博士 記念日:9月3日

在位590年-604年

グレゴリオは、ローマの裕福な貴族の家に生まれ、哲学、法学などを学び、キリスト教の書物にも親しんでいた。

 ローマ市長官であった父が、公職を退いて修道士になったことから、彼も家を改築してベネディクトの会則を基礎に、祈りの生活に励んだ。数年後、教皇ペラギウス2世のもとで助祭となり、コンスタンティノープルに教皇特使として派遣された。そこで6年間の任務を果たしつつ、ベネディクト会の修道士として生活した。

 その後教皇に選出されたグレゴリオは、教会内外の教化に励み、教皇とは「神のしもべのしもべ」であると称して、教会のために力を尽くした。596年には、ベネディクト会のカンタベリーのアウグスチヌスと40名の宣教師をイギリスに派遣し、このため多くのアングロ・サクソン人がキリスト教徒となった。また彼は、典礼と教会音楽の刷新にも取り組んだ。このときに作った聖歌の基礎が、「グレゴリオ聖歌」と呼ばれる。多くの著作を残したが、中でも「ヨブ記註解」などが有名である。彼の働きは、教皇権の強化と教皇領の拡大をもたらし、中世社会の実現に大きな影響を与えたので、「大教皇」の名を持っている。



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聖マルガリタ・マリア・アラコク 祝日:10月16日

1647年-1690年

マルガリタは、フランスのブルゴーニュのロトクールに裁判官の娘として生まれた。8歳のときに父を亡くし、修道院で教育され、彼女も修道女となることを望んだが、11歳のときに重い病にかかり、家に戻って4年間の闘病生活を送った。22歳のころに、いくつかの縁談が持ち上がったが、マルガリタは修道者となることを選び、1671年にパレーの訪問修道会に入った。彼女はどちらかというと、動きが人よりも鈍く、いろいろな面で苦しんだが、忍耐深く修行した。

 1673年に、彼女が祈っているとキリストが現われ、「ごらんなさい。人びとを愛するために多くの苦痛を忍んだわたしの心を。それなのに多くの人びとは、この愛に対して冷淡で、受けた恵みを忘れています」と言われ、「み心の信心」を広めるように命じられた。初めは、多くの反対にあったが、次第に「み心の信心」は広まり、マルガリタの死後、この信心は全世界に広がった。1856年、教皇ピオ9 世によって「み心の祝日」が定められた。



カシアの聖リタ

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カシアの聖リタ 祝日:5月22日

1381年-1457年

リタは、イタリアのウンブリアの小さな村に生まれた。両親が高齢になってから生まれたので、神からいただいた賜物として、両親は大切に育てた。リタは、カシアにあったアウグスチノ会の修道院に入ることを夢見ていたが、両親が決めた青年に嫁いだ。2人の間に双子が生まれたが、夫の激しい性格に苦しみ、リタは祈りによって家庭生活を支えた。ある日、町を二分する政党の争いに巻き込まれた夫が、暴力を受けて亡くなった。リタは、息子たちが復讐をするのではないかと恐れたが、2人はまもなく病気で亡くなった。

 一人になったリタは、若いときに希望していたアウグスチノ会に入会しようとしたが、夫の事件の関係で拒否された。しかし、神からの招きを確信して祈り続けたリタは、政党間に和平が実現したことにより入会を許された。リタは妻として、母として、未亡人として、修道者として、愛に根ざした平和を人々にもたらした。

夫との長く苦かった生活は、リタに不和をおさめる方法を学ばせた。家庭内に問題のあるところでは彼女の忠告が喜ばれ、そのとおりにすると必ず幸福が帰ってきた。60歳のある日、リタが十字架像の前で祈っているときに、キリストの茨の冠から額に一本のとげを受けた。またリタは、「望みのないときの助け手」と言われている。

生涯の最後の4年間は寝たきりとなったが、忍耐と明るい性格によって、姉妹たちと訪れる人々を支え、1457年5月22日、76年の生涯を閉じた。



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3月9日 ローマの聖フランシスカ修道女 1384年-1440年

フランシスカは、ローマの貴族の家に生まれ、信仰深く育てられた。幼いころから、修道院に入って神に生涯をささげたいという望みを抱いたが、13歳のときに両親の望みに従ってロレンツォ・ポンチオニという裕福な貴族の青年と結婚した。6人の子どもに恵まれ、妻として母として理想的な家庭を築いた。

 ローマが1400年からの内戦によって荒廃していたときには、義理の姉とともに貧しい人々の救済や、病人の看護に献身的に当たった。フランシスカのもとに、志をともにしたいとする婦人たちが集まり、1425年に、貧しい人々を救済するための会「トル・デ・スペキ女子修道会」を創立した。フランシスカは修道会を会外から指導していたが、1436年夫の死を機に自らも共同体で生活を始め、修道院長として亡くなるまで会員を導いた。

 彼女はしばしば神秘体験をし、守護の天使と親しく語らったといわれる。息を引き取る前にも、「天使が後についてきなさい、と手招きしています」と言ったと伝えられている。

聖カシミロ

3月4日 聖カシミロ 1458年-1484年

 カシミロは、ポーランド王カシミロ4世の息子として生まれた。母親の影響で信仰深く育てられ、幼いときから宗教教育を受けた。

1471年、父の命令によってハンガリー王になることを強いられたカシミロは、同国に向かう途中に敵と戦うことなく引き返してきたために、父王の怒りをかい、一時城に軟禁された。その間も、たゆまず祈り、イエス・キリストの受難に心を合わせていた。

カシミロは、父王が不在のときには国内を統治し、国民に心を配った。生涯独身を誓い、神にささげて生き、26歳の若さで結核で亡くなった。

彼の徳は国民から慕われ、死後も彼の墓地では多くの奇跡が起こったといわれる。

ポーランドの保護の聖人として親しまれている。

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