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空港にて

*本日、シャルル・ドゴール空港より日系航路にて飛ぶところ。
今日はスコラ・カントルムでのフォンタナローザ師のレッスンを正午から受けてパリは労働法改正の反対デモの影響で郊外電車にて空港に入った。

*昨日はキリスト教の休日(ペンタコステ)の振替休日にもかかわらず、シャルリエ師のパリ・コンセルヴァトワールのクラスの試験前の試演会を師に誘われたので夫婦共々聴きに行った。

*16時から始まって終わったのは21時前!途中10分弱の休憩を挟むのみで総8人の生徒たちの演奏を聴く。1年目?の生徒は音階(単音、3度、6度、オクターヴの和音)、ガヴニエスの練習曲、ベートーヴェンのト長調のロマンスが課題、複数年目の生徒は現代曲(聴きなれない珍しい作品も)、バッハの無伴奏から、そしてロマン〜近代の協奏曲より複数の楽章など、室内楽の生徒がフランクのソナタ、ラヴェルのデュオをチェリストを伴って演奏、聞き応えたっぷりの5時間であった。

*前回の試演会も聴いているので彼らの成長の成果を見ることができた。
音楽的なまとまりやテクニックの向上、1年弱にして大きく成長している姿をみて師のアシスタントのマトコフスカ女史の指導の賜物なのだろう。なにしろシャルリエ師は世界(日本など)を飛び回っているので毎週はレッスンをしているのかどうかわからないし、、。しかし師の音楽、テクニックはしっかりと刻印されていた。

*さて、、。彼らの演奏をきいて自分と照らしあわせる。家内は彼女自身で思うところがあろうと思うが、自分にとっては完璧無比、美しい音色だけではどの音楽を演奏しようと一演奏家たることは出来ない、音色の変化、音楽の機微、そして情熱とそれを支える十分なテクニック(いや操作性)を持って演奏することでやっと、一演奏家としての話の台に乗せることができるということを痛切に感じずにはいられなかった。もう一度聴きたいと思う魅力はそこにあるのだと思う、当たり前のことかもしれないが、演奏するものにとって、忘れがちな事柄である。

*前回でのシャルリエ師のレッスンで「一音一音彫り込んで、作り込んで」という言葉が思い出される。右手の呼吸を生み出すテクニック、いや操作性を持つこと、音楽を表現するということに自身の縛られている何かを解き放つこと、40歳半ばにしてこの事柄と向き合うというのはかなりこたえていることを認めなくてはならない。

*自身の思考を見つめ直して縛られている事柄と向き合う、内観といっても良いのかもしれない。

*ともあれ明日から2週間、日本の仲間と演奏活動をしに行くわけでなんとか気持ちを整えて臨まなくては、、、。

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