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Il fait trop chaud !

まだフランスは暑い。本日気温33度あり、あまりに暑すぎるので駅前のカフェで書いている。明日には秋の陽気になるらしいが。
ヴェルサイユの街はいつもと何も変わらない。ヴァカンス中の、のんびりした空気が流れている。そういえば駅の横のずっと工事をしていた廃屋がケンタッキーチキンになっていた。市内の市場の近くの店も少し替わっていた。

先週末、KLM便でフランスに約3ヶ月ぶりに戻った。
アムステルダム・スキポール空港で乗り継ぎで、到着が少々遅れたのと入管の混雑でEU入国に時間がかかり、やっとの思いで乗り継ぎ機に乗り込むと一旦降機しろ、と。
何が起きたのかと思ったら前の便の乗客が機内に携帯電話を忘れた為の措置とのこと。このご時世だけに少し心配になったがとにかく離陸し、パリ・ド・ゴール空港に一時間遅れで到着。

今日、懸念事項だった正式なフランスでの滞在カードをやっと受け取った。仮滞在カードで半年、フランスの住民だったことになる。

今年は仕事で日本に滞在する期間が長くなった。来月中旬には再び日本に戻り、その後11月から一か月半フランスに、12月中旬から年明けまで再々日本で過ごす予定。

7〜8月の日本での仕事はまず静岡へ室内オケの公演と彼地で旧友に会って、
そして毎年恒例の、青島広志先生指揮のコンサート、福田一雄先生指揮による全国合同バレエの公演、井田勝大氏指揮のK-balletユースによる「眠りの森の美女」いずれもシアターオーケストラトーキョーでの演奏。
そして久々の大学の同窓会も。毎回有意義で楽しい時間だ。
8月中旬には指揮の荒谷俊治先生喜寿(!)記念の公演があった。
10月はK-balletの新作バレエ「クレオパトラ」ツアーを控えている。

学校の新学期が9月からなのだが、今年は始まりが中旬以降と少々遅く、フォンタナローザ師へは、日仏往復の関係上、出席出来ず、11月再びフランスに戻ってからの出席になる、と連絡、シャルリエ師にも今回滞在が短いので何とか都合をつけて欲しいと、両師に「ヴァカンスも終わりに近づきましたが」と前置きして連絡を入れた。
日本での演奏の仕事中の気づきをレッスンに生かして師に会いたいと思っている。




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*5月より更新が滞ってしまっている。時系列でスケジュールを記録しようと思う。5〜6月はこれまでになく怒涛の移動の日々だった。

*5月中旬、エールフランス機で羽田着。
  数日後よりリハーサル。
 
・5月24〜28日K-BALLET「海賊」東京公演。

・5月30日、カメラータ・ジオン主催「若い芽のコンサート」於:高崎(アンコールにてモーツァルト:ロンドハ長調のソロを演奏)。

・6月3〜8日、東京プライムオーケストラ韓国ツアー「南道国際クラシック音楽祭2017」 於:全羅南道・光州市と麗州市。

・6月10日K-BALLET「海賊」大阪公演。

・数日のみフランスへビザやレッスンの為、エティハド機で日仏往復。

・帰国後、6月17日K-BALLET「海賊」香川公演。

・6月22〜25日、K-BALLET「ジゼル」東京公演。

・6月30日、シアターオーケストラトーキョー公演(三枝成彰氏プロデュース、曽我大介氏指揮、ソリストにヴァイオリンの服部百音女史)。

*たった数日のフランス一時帰国で、県庁に滞在カードを受け取りに行ったのだが、

 出て来たカードに、なんと他人の顔写真が入っている、、、!?

 役所の担当も顔を真っ赤にして慌てているので「神の悪戯ですかねー」というと、ホッとした顔で笑顔になった。どうなってるんだ、フランス、わかってはいるけれど!

正しいカードは8月末までお預けになってしまった。

*学校の9月からの新学期まで、レッスンは無いので、日々の仕事が実践の場になる。師の教えを思い出しながら臨んでいる。オーケストラの現場で、音色の変化、強弱、オーケストレーションの声部の役割分担など、当たり前の事が本当に実現できているか、、、。

*韓国公演では現地で韓国・光州市の若いオーケストラメンバーと共に、他国からも演奏家が集まり、自分はアシスタントコンマスのポジションを温めた。コンマスにはスロヴェニアの室内オケのコンマス氏が、後ろの席はロシア・マリンスキイ劇場のメンバーが座った。管楽器も日本をはじめ、チェコやウィーン、アメリカから有名オケのメンバーが入っていた。

*ヴァイオリンのソリストに迎えた、現在アメリカで活動している韓国系カザフスタン国籍のヴラディミール・デョー氏が大変興味深い演奏家であったことを付け加えたい。珍しくガット弦(オリーヴ)を操り、往年の名手がもっていたエッセンスを真摯に追っている演奏だった。
 曲目はサンサーンス:序奏とロンド・カプリチーソ、サラサーテ:チゴイネルワイゼン。改めて、世界は広い、、、、。

*韓国の若い演奏家たちの少々荒削りで危なかしいけれど、情熱的に表現しようとする真摯さに大変共感できた。他方、ヨーロッパからのメンバーの、まずは楽譜の記されたものに、少々頑なに感じられるが、忠実であろうとする姿勢にもはっとさせられる瞬間が多々あった。

*さて、日本国籍を持つ我々日本メンバーはというと丁々発止の役目でまとめていく立場となっていた気がする。

*韓国は大陸的な気質を持つと言われている。ヨーロッパのそれとは違うけれど。一方、日本は島嶼なので、以前に訪れた、同じくヨーロッパの島嶼であるイギリス・ロンドンのことに思い当たる。ある意味冷静で中庸な気質は日本のそれと似通っているように思うのだ。

*音楽事情も演奏会のあり方もロンドンと東京が共通項があるというのは少々乱暴だけど、いろんな意味で客観的に評価する立場(コンサバティヴともいえる)でモノを見ているような気がする。

*フランスで求められる「自分が何を考え、したいのか、そして表現したいのか」という事が自分はやはり少々足りないのかと。ロンドンに滞在してフランスとの違いにふれた時に考えさせられた事柄がこの自発性の強弱だった。

*隣国の、親戚のような関係の韓国の人々にふれて、いろんな事を考えさせられ、気づきがあった。とても有意義な滞在だった。市井の人々が大変親切で、人懐っこい気質であったことも書き加えたい。
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*今年はキリスト暦の関係で、ヴァカンスが前倒しになっている為、4月は早々に休みになる。家内の友人宅にお邪魔して日本食を頂いたり等々。

*ヴァカンスが開けて早速、学校のレッスン。学生時代以来勉強していなかったドビュッシーのソナタをフォンタナローザ師にみせる。師云く「ラヴェルのフレーズはとても長いが、対してドビュッシーはとても短い。びっくりさせるようにしょっちゅう強弱が変わる」。

*翌々日シャルリエ師のレッスン。家内が図らずも自分の楽譜を忘れたおかげで、師の幼年時代の楽譜を見る機会に恵まれた。「これはパパの字。この指使いはあまり良くない」などと言いながらレッスンしていた。カラフルな色鉛筆で注意書きだらけの楽譜に自分の幼い頃の楽譜と同じようだ、と思った。子供時代の楽譜を見ると、こんなレッスンなんて日本だけだ、と思っていたけれど、どこでも同じように苦労して勉強するのだと。

*週末、恒例のシャルリエ師のコンセルヴァトワールの生徒たちの春の試演会を見に行く。4時間余り、10人余りの若者たちが名曲を演奏、20代の頃ひいていたレパートリーを改めて聴いて、自分が昔どのようにひいていたのだろう、と自分に首を傾げてしまった。曲に対する見え方は年齢でこうも違うものか!
 旧知のピアニスト、S.I.氏が伴奏で奇しくも現れて偶然再会、パリ地方音楽院の先生になったという。

*23日大統領予備選、中道と右派に軍杯が上がった。我々外国人にとってはあまり過激な愛国主義は困る。フランスの三色旗に因むと、左派は平等(白)、右派は自由(青)、(どちらも友愛(赤)はあるのだろうか。。)。

*再び学校のレッスン。Kanae Endo女史のピアノでドビュッシーのソナタ。彼女の演奏は毎度教わるものが多い。フォンタナローザ師のお気に入りの伴奏者でもある。

*週末、学校の指揮科のオケの授業。サンサーンスの「オルガン付き」交響曲。当校の偉大なる先人、フランクやダンディ、ギルマンが演奏した講堂のオルガンでの演奏に一抹の感慨を覚える。指揮の生徒も少々テンション上がり気味だった。

*再々、学校のレッスン。ジャン・マルティノンの無伴奏ソナチネ第5番を勉強して見せた。マルティノンは偉大な指揮者で、昔からディスクで彼の演奏に触れていたが、師の話ではヴァイオリニストでもあったとのこと。シャルリエ師の演奏や昔習った日本の師の演奏で存在を知っていたので、一度ひいてみたかった。フォンタナローザ師が自分の楽譜のコピーをくれた。

*フランス暮らしも3年目に入り少し家具が欲しくなり買った。高いものではないがあると生活に彩りが出る。しかしこれら配達物の回収は楽じゃない。荷物は自分で4階まで上げて来なくてはならない。日本は当然のように玄関まで運んでくれるが。一つはあまりに重いので配達員に手伝ってもらったが「これじゃ引越しじゃあないか」と愚痴られ、帰り際に小銭を握らせると、「良い午後を、ムッシュー!」となる。

*明日は大統領決選、大方は中道の勝利と言っている。我々の周りの人たちは右派は絶対にない、と言っている。

*来週、日本に仕事で戻る。今回の日本滞在は予定では夏まで!今年は日本での日数が多くなりそうだ。

*それまでに学校のレッスン、シャルリエ師のレッスンなどを控えている。出発当日は学校のレッスンがある。今年度のレッスンはこれが最終。また9月から新年度になる。
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*今年の初めから更新が滞ってしまった。時系列で手短に記録する。

*年明け早々に学校のレッスンが始まった。1月中旬、シカゴ響のパリ公演があり旧友のKF女史と会食。いつも話しの中に気づきがありありがたい。

*後半、2泊3日で初のロンドンに滞在した。先ずケンブリッジへ家内の新婚友人夫妻を訪ねる。フィッツウイリアム美術館を見学し、夫妻と会食。ご主人はケンブリッジ大在学中に石油の処理技術の論文で石油会社の顧問になっているという賢人。末長くお幸せに。

*ロンドンではミュージカル「オペラ座の怪人」を観賞、アビーロードスタジオ(ロックにもクラシックにとっても聖地)に訪れる。あと勿論、我がディレクターのかつての本拠地、ロイヤルオペラハウスを訪ねた。感慨深かった。そしてフランスの文化を少し離れて見ることが出来、有意義な滞在だった。

*2月初旬、ナントのラ・フォル・ジュルネーでシャルリエ師が演奏するので足を伸ばす。2月後半、自分が日本で演奏する曲目を師が演奏するので何としても聴きたかったのだ。バルトーク、ストラヴィンスキーを連続で2ステージ、2時間あまりひきつづけた。超人を通りこして最早仙人だ。贅肉を極限まで削ぎ落とした哲学的な演奏に翌日、観光する気にもならなかった。

*中旬より日本に滞在。韓国の若い演奏家を伴奏するオケの仕事があり、交流が出来た。6月初旬、韓国南部、光州に行くことになった。

*クラリネットの西尾郁子女史、作曲の新垣隆氏とトリオで三原、東京の2ヶ所で演奏会をした。三原は以前、大変お世話になった作田氏の尽力で実現した。当地に、3日ほど滞在し、リハーサルと美味しい瀬戸内の海の幸を食べに街に繰り出した。楽しい演奏旅行となった。曲目はバルトークのコントラスツ、ラヴェルのツィガーヌ、プーランクの城への招待ほか。

*3月はk-ballet のツアー。レ・パティヌール、ピーターラビット、そしてパッションフルーツのトリプルビルだった。ディレクター熊川氏のコンテンポラリーでの新境地に観客は酔いしれていた。またレ・パティヌールを作曲したマイアベーアの作曲の技術の高さに苦労した。
マイアベーアについてはこちら。
https://en.m.wikipedia.org/wiki/Giacomo_Meyerbeer

*滞在中の旧友との飲み会はいつもながら楽しい。そしてレッスンに通ってくる弟子達との時間もフランスで学ぶ自分を整理する大事な時間になっている。

*後半、フランスに戻り、直ぐ学生生活。指揮科の練習オケの授業が帰仏3日目にあり、数日後、自分のレッスン。なかなか日本滞在中に自分の練習が難しく(言い訳)、超特急で練習することになる。自業自得、、、

*3月末日、母校の大先輩のTK氏夫妻がパリに来たので食事会に預かる。氏夫妻もヨーロッパでの生活体験が豊富なので何かと理解してくたさり、励ましを頂き我々夫婦にとってありがたい時間だった。同行していたH夫妻とも沢山楽しい時間を頂いた。フランスで会う知人達との時間はなんとも貴重な時間に思う。

*昨日、既にバカンスに入っているにもかかわらず我がフォンタナローザ師のクラスはレッスンがあり、やっとの思いで師の下で勉強し直したチャイコフスキーの協奏曲全曲のレッスンで、バカンスを迎えることが出来た。帰り道、家内の知人とレバノン料理に癒やされる。

*改めて過ごした3ヶ月を見直して、いつもながら呆れ半分、よくやるなあ、と40半ばの自分に感心、、、



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*皆々様、謹賀新年!しばらく更新が滞っていたので今キーボードに向かっている。

*毎年年末ひどい風邪に悩まされてきたが今年は健やかに迎えることができた。この行き来の生活で無事に年明けを迎えただけでも自分を褒めなくてはならない、、、、

*今年は3日より学校のフォンタナローザ師のレッスンがあり!課題になっていた演目がひどく難しかったので正月気分になれなかった。レッスンが終わって師に「やっと正月を迎えられる」と申し上げた。師がいうには「難しいは興味深いということだよ」と諭された。

*今年はキリスト暦の関係でヴァカンスの日程が繰り上がっているので3日には街が動き出している。気温が全く上がらず曇天の日も多い。晴れになれば氷点下の気温だし、ダウンコートを重ね着している始末。

*とはいえ元旦は家内の友人と共にシャンゼリゼ界隈に繰り出した。ノエルのマーケットが元旦まで営業しており、氷点下で曇天にもかかわらず人が繰り出していた。昨年のイルミネーションはなんとも色とりどりでケバケバしくいただけなかったが今回は金銀の明かりでイメージ通りのノエルの風景だった。

*シャンゼリゼ通りを外れてセーヌ河に向かう道のりは高級ブティックやホテルが立ち並ぶ贅沢通りだったがその喧騒が止むとそこにシャンゼリゼ劇場がある。かつてハイフェッツが最晩年TV収録の為にパリを訪れて演奏した劇場である。札束が舞うこの一角に佇む劇場はいつになくひっそりと、申し訳程度の小さなノエルのサパン(クリスマスツリー)が窓辺に飾られていた。家内と芸術と経済活動を一緒にするな、といわんばかりと、のたまう。

*12月のことを記録として記す。いつも通り学校のレッスン、シャルリエ師のレッスンを終えて12月18日よりノエルのヴァカンスに入った。

*今年度より約月1回、指揮科のレッスンのためのオケに参加している。指揮のマクドネル氏門下の老若男性達が30分ごとに入れ替わり立ち替わり我々の小さなオケ(弦1.5型の編成、ほんの少しの木管などにあわせてピアノが入るという、これで学校の歴史ある講堂のステージは一杯)に稽古をつける。この人数でフランク、ドヴォルザークの交響曲をひいている。メンバーにはほんの数日前に楽譜がメールで送られて来、ひくものだから正直演奏にならない。自分は門下のイタリア人女性と共に第2ヴァイオリン席を温めている。

*マクドネル先生は普段より真面目そのもので堅物と思っていたが生徒へのレッスンは厳しくも的確な指摘をして非常に生徒に対して愛情を感じる指導ぶりで感心している。学長のデニス氏も指揮者だが、彼にクラスを一任しているのもうなずける。


*年末、レオナルド・ダ・ヴィンチが晩年の数年を過ごしたというロワールにあるアンボワーズ城にパリ近郊に住む義理の父の友人ご夫妻に連れていって頂いた。城の一角にダ・ヴィンチが眠る小聖堂があり、すぐ近くに彼が仕事をしていた住処がある。
工房や書斎、食堂(彼はヴェジタリアンだったとのこと)があり、最後に彼の考案した機械や道具が再現されていた。

*大半が兵器の考案だったのは意外だった。もちろん名画「モナリザ」を描いたけれど基本、技術者としての研究生活であったろうと思った。パトロンを求めて(請われて?)最後は彼地で生涯を終えたのだろうが「神の与えた自分の天賦を生かせなかった」と言っていたという。戦争はいつの時代も経済効果を生むのだろうか、、、、。

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