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「ラストフレンズ」

昨日の夜10時半ぐらいからフジTVでやっていた「ラストフレンズ」を観ました。このドラマは毎週観てた唯一のドラマです。何か今の社会的無規範な、モラルの低下と申しましょうか、そういったものが描かれている感がするのです。
昨日までのあらすじはざっとこんな感じです。(ネタばれ注意です)

ソウスケから度重なる暴力を受けるミチルは、幼馴染のルカに助けを求め、ルカの住む住人4人からなるシェアハウスに一緒に住むようになる。そこに住んでいた4人(特にルカ)は力を合わせミチルをソウスケから守ろうと奮起する。しかしその4人も皆訳ありで、ルカは性同一性障害を持っており、自分が女であることを嫌っている。タケルは昔のある出来事が原因で女性と関係を持つことができない体。エリとトモヒコは不倫関係にある。で、実はルカは昔からミチルに密かに恋愛感情的な好意を持っており、ミチルを守るために死ぬ覚悟でいた。
しかしソウスケもあらゆる手を使いミチルを取り戻そうとし、「仲間がどうなってもいいのか!」と脅しをかけミチルをわが手に戻すことに成功する。ミチルは仲間の安全を第一に考え、自分はソウスケの、事実上の奴隷になることを決める。が、ソウスケはミチルがルカやタケルたちに囲まれて笑顔を見せる姿が映し出されている写真を見つけ、それを孤独な自分の姿と照らし合わせ、やがて死を選ぶ…。


大体こんな感じだったと思います。
このソウスケには両親がおらず(確か)、自分は一人なんだという孤独感に襲われていた。つまり「連帯の欠如」です。この連帯の欠如が何を産んだのか?それは暴力であり、やがては死を産んだ。アキバ事件も同じ構造ではないでしょうか?自分には友達も彼女もいない。「俺は一人ぼっちだ…。」「解雇かよ…俺を必要としてくれるとこなんてないってか。」「社会に嫌気がさした。」「じゃあやってやるよ。俺だってできるんだぜ…」

原因はアノミー、つまり連帯の欠如。アノミーは精神的病気でも肉体的病気でもない。社会の病気です。良心・モラルを喪失させた今の日本の危機的状況の根本の原因は、アノミーにある。そしてこのアノミーの発生の背後には、日本の民主主義が抱える根深い問題と誤解があった。

DVとか親子の殺し合いの原因はアノミーである、ということは今までさんざん言ってきました。
DVや親子の殺し合いが世に知れたとき、アメリカでは「やっぱりな…」と人々は納得する場合が多いらしい。一方日本では「えっ!あいつが?」と感じる人が多い。外見上は“良い子”が当然親を殺す。アメリカでは非行が進行して、その行き着く果てが親子の殺し合い。日本の家庭では、殺しに到る途中に非行化はほとんど介在しない。

だから、ある人が言っていた、今のネットカフェ難民と呼ばれる人や社会的に自立していない人は自衛隊に入れ、と。
それもいいかもしれない。なにせ「連帯」ができる。暴走族に入るか、ヤクザに入る、とそこに連帯ができてアノミーには陥らない。親子殺し合いまで行きつかない。
共同体は必要!つまり公は必要なのです。みんなバラバラの個人になってしまったら…、と、これは以前書きましたね^^

あっ、「ラストフレンズ」。来週最終回だそうです(^^)

田中角栄を土井たか子や河野洋平らと同じ分類として扱っている言説をあるブログで拝見しました。戦後民主主義を見直そうとするのなら田中角栄をただの親中政治家として扱うのは甚だ如何わしい。彼ら(彼女ら)からしてみれば、親中=売国奴とでも思ってるんでしょう。戦略的互恵関係を理解してない方もおられる。嫌いならば付き合わない、人間関係では通用するかもしれませんが、それを国際関係にあてはめるなんてもっての外。国粋は愛国の体を成さず、とよく言われますが、その通りです。性愛関係のようなものです(笑)

話を元に戻します。田中角栄は吉田茂以降唯一、官僚を動かした政治家(首相)です。また角栄と吉田茂の共通点はもうひとつあります。それは、吉田茂の「親米」も角栄の「親中」も共に対米独立というスキームがあったのです。角栄を語る前に少しだけ吉田茂も触れておこうと思います。
時は1949年、ソ連の核実験成功で冷戦が深刻化し、アメリカは日本に対して防共のため占領政策を“封じ込め”から“復興支援”に180°転換し、再軍備要求をするようになりました。それに対して吉田茂は、傾斜生産方式に象徴される資金の不足もありましたが、「今後アジアの中で生きていく日本がアメリカのエゴに巻き込まれては国益を損なう」と考えサンフランシスコ講和と日米安保のカップリングを組み合わせました。
日本にとっての日米安保の目的は本来、軍備を放棄する代わりにアメリカに基地を提供し、その見返りとしてアメリカに本土防衛義務を負わせ、その間に素早く経済復興しようということでした。しかし60年安保以降、吉田茂が考えた戦略的思考が忘却され<左>も<右>も安保を単なる対米追従だと思い込み、親米愛国者なる<右>と、ソ連が楽園のように言う<左>という具合に、非常に不毛な二項対立に陥った。この不毛な二極化が私たちが戦略的思考をする上での基盤を奪った。そして現在、思考停止に陥って、今だに「親米愛国」という冷戦体制の終焉によりすでに破綻した論理を信じている輩が腐るほどいる。吉田茂がこの状況を見たら嘲笑するでしょうね(笑)

さて、角栄の話に戻りましょう。角栄は吉田茂以降の首相で官僚を操った唯一の政治家である、ということは前述の通りです。少し掘り下げてみましょう。
今の日本の議会は、立法権を官僚に簒奪されてしまっていると言っていいでしょう。戦後日本の民主主義における角栄の最大の遺産は何か?それは角栄だけが立法府たる議会を機能せしめたことにあります。実際に33の議員立法を行ったことでもわかります。現在の立法機能は官僚に奪われてしまった中、議員の本分たる「法律を作る」ことをやってのけたんです。
現在、ほとんどが政府立法で議員立法はほとんどありません。アメリカでは逆に頻繁に議員立法が行われています。必要に応じて議員がどんどん法律を作るんです。しかし既存の法律など考えずに作った法律だから当然矛盾が出てくる。そしてその矛盾を裁判所が調整する。が、、日本では省間で争ったとしても、省庁間の争いを裁判所に持ってくことはまずない。絶対ない。
とはいっても、仕事をする上で、法律間に矛盾があると困るので関係省庁の官僚が集まって徹底的に検討する。そして、矛盾がないという段階になって初めて法案になる。だから法案の作成に当たっては官僚の協力が不可欠なのです。
じゃあ何故角栄は法律を自由自在につくりえたのか?それは簡単なこと。官僚を自由自在に操れたからですね。

早坂茂三氏はこう言いました。
「法律なんて、人間が生活していくのみ役立つように作られたものです。法律が主人でなく、人間が法律を使いこなす主人であるべきだ。人間が法律に振り回されるなんて意味がない。」

まさにそのとおり!だから角栄も、官僚が「ご意見はごもっともですが、現行法があるのでできません」と言ったならば、角栄は「だったら法律を変えればいいじゃねーか。現行法をぶっ壊して新法作ったらいい。」と反論した。
法律があって始まる。法律こそ官僚の拠り所。だったら政治家はどうするのか。己の考えを法律にして、それを役人に示せばいい。だから角栄は法律を作ることから始めた。立法のための舞台もシナリオも作り、監督もやる。そこまでされたら官僚も命ぜられるままに働くしかない。
まあしかしロッキード事件でアメリカに鋭いナイフを見せつけられ、計画はオジャン。以降、現在に至るまで、官僚を動かす政治家は現れず、我々から戦略的思考する上でのベースを奪われてしまった。こうして対米独立なんてことは闇の中…。

官僚を動かせる能力を持った政治家…今の日本にいるのでしょうか?少なくとも安倍さんや福田さんにはありませんでした。今後の日本にそうした政治家が現れることを期待したいと思いますが……。

今の日本に倫理は消えつつある。官僚機構は腐朽し果てて汚職なんて当然のことになってしまった。酒鬼薔薇事件も今回のアキバ事件もその延長線上にあります。
動機について聞かれると無目的殺人者は決まってこう言う、「わからない。ただムシャクシャしたから」「誰でもよかった」
学校は嫌い、勉強も嫌い、親なんか大っ嫌いと言う。似たような少年は津々浦々に蔓延している。だから途方もなく恐ろしいんです。
その問題の根本原因こそ戦後民主主義にある。と、前回は申し上げました。そこで今回は、アキバ事件を含むこうした一連の日本の危機的状況の分析を切り口にして日本の民主主義の実態と本来あるべき民主主義の姿について言及していきたいと思います。

戦後、あまりにも当然すぎることになってしまったので「民主主義」について誰も本気になって考えてみようとしなくなった。丸山真男も吉本隆明もそうです。
「民主主義?そんなのわかってるぜ」という空気が充満している。だけどどうだろうか?現在の日本においては民主主義の歴史が教えられることは非常に稀です。「民主主義はアメリカ独立戦争で勝ち得たものなんだ〜」、これくらいしか教わっていない、少なくとも私は。これでは民主主義の発展を身をもって体得した欧米諸国とは違って、民主主義を理解し体得することは絶望的です。

戦後民主主義は日本に何をもたらしたのか?それを分析するためのツールとして少年犯罪をもう少し掘り下げてみようと思います。
酒鬼薔薇事件も、池田小事件も、今回のアキバ事件もそうですが、こうした事件は従来の事件(古典的諸事件)とは大きく異なることがあります。それは動機の有無です。古典的事件の特徴は、警察にもはっきりとわかる動機があった。この古典的殺人とは「貧困」「怨念」「いじめ」「不幸」などが理由で起こった殺人です。しかし最近の凶悪少年(大人も含む)犯罪は動機がない。立場や条件・状況などではなく、、「殺したいから殺した」んです。もしかしたら「殺したい」と思ったことがある人もいるかもしれない。否、そう思ったことがある人が大多数かもしれません。だけど何故殺さなかったのか?それはストッパーが働くからです。
ここで言うストッパーとは「外面的な権力による処罪」と「内面的な良心」でしょう。
「内面的な良心」は説明するまでもありません。
「外面的な権力による処罪」、つまり少年法です。「14歳未満には刑事責任はない」「16歳未満には刑事罰が科せられない」。このことが酒鬼薔薇事件にあたっての連日のメディアの報道で少年たちに知れてしまった。
「そうか、子供は人を殺しても死刑にもならないし、牢屋にも入れられないんだ〜」と考えるようになってしまった。少年Aもそうでした。こんな空気が日本中に蔓延したら…これは手のつけようがない。ところがその空気を利用しようとするやつらがいる。旧左翼です。
旧左翼はこういう事件を受け二言目には「少年の人権」とわめきたてる。民主主義に全く無知と言っていいでしょう。その「人権」とは何か?それすら知らない。
人権とは“人が生まれながらにして持っている権利”である。これは誰もが知っていることです。だれでも平等に持っている権利であって、コイツは持っていて、アイツは持ってないということはないんです。そういう権利は「特権」という。だからちょっと考えればわかりますが、子供の人権って一体なんなのか?子供の特権っていうのならわかるが子供の人権って一体なんだ?っていう話になります。つまり、「子供だけが持っている権利」というのであれば、それは「子供の特権」と言っているに等しいということになります。民主主義の無理解です。
人権は神が与えた、とされていますが、特権は人が与えたものです。主権国家の法律によって決まる。国家の機能的要請によって決まるんです。先天的に決まっていて不動なもの
でない。つまり社会の必要に応じて、適宜変えていくものです。しかし旧左翼が「特権」を「人権」と言いたてて、金科玉条として人に押し付けた。反対でもしようものなら「おまえは人権を認めないのか!子どもにも人権があるだろ」って悪のレッテルを貼る。

社会の要請を受けて、国の責任によって法律で決まる。奪えない特権なんてない。あるわけない。これが民主主義というものだから。
「基本的人権以外の権利は、社会的要請を受けて決定すべきものなのだ」と気づくことが、民主主義を理解する入口です。

本当はロックや予定説から語るべきかもしれませんが、今回は浅く広く(笑)語るにとどめました。

甘えが犯罪を呼ぶ?

「今回のような野暮な犯罪は甘えが原因でくるものだ!」という言説があります。本当にそうでしょうか?違いますね?これを論証するのは酒鬼薔薇事件を例に出せば簡単にできます。

前回の記事で
↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓
酒鬼薔薇聖斗(以降少年A)は精神鑑定の結果、精神病でもなく心神喪失でもないことがわかりました。つまり完全に責任能力がある状態だったと判定されたのです。見ず知らずの小学生の頭部を切断して学校の校門に置くような異常な犯行をした少年の精神に異常はない。となると異常なのは日本の教育であり、こんな教育を行っている日本そのもの、つまり戦後民主主義である。
↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑

と結論付けました。
実は精神分析学者の土居健郎氏は「少年Aは、どう考えても絶対に甘えている子ではない」と言いました。ここで「甘える」というのは同一化のことを言います。少年Aの母は、彼を甘やかすことなく叱りつけ気味に育てた。少年Aが母との同一化を求めて泣いた時放任して、早くから深い痛みが疼いた。それが苦しんでいる対象と同一化する要求へと倒錯し動物虐待から殺人にまで至った。
これで「今回のような野暮な犯罪は甘えが原因でくるものだ!」という説は崩れました。

こうした同一化の喪失は少年Aだけのことではありません。同一化の喪失による連帯の欠如は日本中に溢れているのが現状です。
人は連帯なしでは生きていけないんです。前回も言ったように人間は社会的存在なんです。連帯を失えば孤独感に襲われ、世界での居場所を失い、自分の存在意義すら信じられなくなってしまう。精神的に大丈夫なやつが重症な精神疾患を患っている人よりも狂暴になる。少年Aのように。つまりアノミーに陥る。アノミーは身体・精神の病気ではなく、「連帯の欠如」からくる社会的病気です。
戦後の教育は、つまり戦後民主主義は、連帯を粉砕し、つまり(前回の記事で言ったように)個人を公から完全に分離させ、アノミーを日本中に蔓延させた。
「日本史は犯罪の歴史だ」と学校で教える。それによって日本人は国家との同一化を失った。「やっぱり自分は自分、個人主義だ」と言うようになった。受験戦争が友人間の連帯に止めをさした。多くの生徒は「勉強なんか大っ嫌いだ〜!」「学校つまんねー!」「自分を理解してくれる人なんかいないんだ…」と呻く。

日本の教育をこんな構造にしたのは何か?それは戦後民主主義であり、日本人の民主主義の誤った理解です。

あと「体罰すべし!」との声があるようですが 【半分】 はそのとおりです。
まず教育には原則体罰は必要。戸塚ヨットスクールというのがあります。どの精神科医も心理カウンセラーもがどうしようもなかった子供がここに入るとピシっと直る。教育に体罰が必要だということはここが証明した結果となりました。ただここに入って少数ではあるが死ぬ子も出る。この違いは何か?答え、、体罰は権力・権威を作る。だから精神の病気ではなくアノミー、つまり酒鬼薔薇事件みたいな社会的無規範で犯罪を犯した少年(大人も)たちはすぐ直る。だけど病気の子は体罰では治らず、体罰が酷過ぎて死ぬ子もいる。
だからその 【半分】 とは、体罰を加える前に病気か否かを調べなければ解決しないということ。平等に。ただ平等ってのは個性を無視しろってことでは当然ない。これを誤解したところに先ほど申し上げた民主主義の無理解がある。つまり、民主主義教育では<平等>とは「みんな同じでなければならない」というとんでもない誤解が生まれ、この誤解が教育における諸悪の根の部分です。
当たり前です。「みんな同じでなければいけない」故に教師は「どの生徒とも同じように接しよ」ということになる。これは個性の否定で教育の死に体です。これも考えなければいけませんね。


何度も言うようですが、今回の事件も、親子の殺し合いも、キレる少年(大人)も、少年Aも、戦後民主主義がもたらしたものであり、その原則に沿った現教育に問題があると思ったので、書かせていただきました。長々となりましたが、最後まで読んでいただいた方、ありがとうございます^^

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■<秋葉原通り魔>死亡7人に、11人負傷…25歳男を逮捕

犠牲になられた方へ哀悼の意を表し、ご遺族に心よりお悔やみ申し上げると共に、今の日本のこうした社会的無規範の事件が多発する現状に危機感を感じています。非常に心苦しい事件です。

宅間守が児童8人を無差別に殺害した池田小事件から7年たち、また今日こういう社会的無規範な事件が起こってしまったことに憤りを感じています。

今後こうした事件が減少させていくためにはどうすればいいのか、を国民皆が考えていく必要がある時代になりました。「俺には関係ねー」なんて言ってられない。電車のホームで立ってたら突然後ろから押されるかもしれない。歩道を歩いていたら対向する少年に突然刺されるかもしれない。明日は我が身かもしれない。他人事じゃ済まないようになってしまったんです。

動機なき殺人は何故起こるのか。親子間の殺人・虐待は何故起こるのか。キレる少年(大人)は何故増えたのか。社会がおかしくなった?どういう風に?今こそ考える時です。敵は外にあるのではないか?

「マスゴミが〜」とか叫ぶやつがいる。もっとラディカルに考えるべきです。「戦争」を例に出します。
戦争の一番根本の原因を考えた時に、日本の軍部だけを追求するという言説がありますが、これは本質が見えていないと言っていと思います。日本国民を分断させ、絶対に日本人の敵意がアメリカに向かず、日本の国内にだけ向くように思考をセットしてしまったGHQの戦略に絡めとられたままの言説をし、思考停止に陥った。これはまさに「マスゴミが〜」とか叫ぶやつがそれに当たります。敵を見失ってしまって、敵の存在が外にあると思えない、内側しか責めないという日本人の体質、それこそ自虐史観なのではないでしょうか。

それはさておき、、今回の社会的無規範な犯罪の蔓延は「酒鬼薔薇事件」に始まります。この事件は少年犯罪の 異常化 が最も表れていて衝撃的でもありました。この事件の功績は注意を教育に集中させたことにあります。「いじめ」や「親子殺し合いの家庭内暴力」によって、日本の教育には大きな病巣があるだろうとは皆思っていたが、それが自分の問題であると思いつめていた者は多くはなかった。それがこの事件で、誰もが否応なしに我が事と考えないわけにはいかなくなった。今回の事件もこの延長線上にある感が否めません。

「酒鬼薔薇事件」を少し振り返ってまとめると…当時15歳の少年A(自称:酒鬼薔薇聖斗−さかきばら せいと)の精神鑑定の結果、精神病でもなく心神喪失でもないことがわかりました。つまり完全に責任能力がある状態だったと判定されたのです。見ず知らずの小学生の頭部を切断して学校の校門に置くような異常な犯行をした少年の精神に異常はない。となると異常なのは日本の教育であり、こんな教育を行っている日本そのもの、つまり戦後民主主義である、と結論付けることになるのではないでしょうか?

同じように「自分が一番」「個人が一番」と言う。つかり国家解体主義者です。 でも結局個人が公から完全に分離してしまったら、今回の事件の犯人や酒鬼薔薇聖斗みたいに、「他人何かどうでもいい。社会にムシャクシャしたからやっちまおう」って社会的無規範で犯罪を犯すやつが出てくる。人間は社会的存在です。ルールなしに「私」を作れない。やっぱりこれもGHQの洗脳にスッポリハマって個人だけが大切、公共心はいらないって思う。それこそまさに戦後民主主義です。

結論を言うと戦後民主主義を見直そう、ということ。
で、今のネット言論界にも如実に表れているように、アメリカにはあまり目を向けず、中国や北朝鮮等を叩く。こんなのアメリカの思う壺じゃん(笑)

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