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今の日本に倫理は消えつつある。官僚機構は腐朽し果てて汚職なんて当然のことになってしまった。酒鬼薔薇事件も今回のアキバ事件もその延長線上にあります。
動機について聞かれると無目的殺人者は決まってこう言う、「わからない。ただムシャクシャしたから」「誰でもよかった」
学校は嫌い、勉強も嫌い、親なんか大っ嫌いと言う。似たような少年は津々浦々に蔓延している。だから途方もなく恐ろしいんです。
その問題の根本原因こそ戦後民主主義にある。と、前回は申し上げました。そこで今回は、アキバ事件を含むこうした一連の日本の危機的状況の分析を切り口にして日本の民主主義の実態と本来あるべき民主主義の姿について言及していきたいと思います。
戦後、あまりにも当然すぎることになってしまったので「民主主義」について誰も本気になって考えてみようとしなくなった。丸山真男も吉本隆明もそうです。
「民主主義?そんなのわかってるぜ」という空気が充満している。だけどどうだろうか?現在の日本においては民主主義の歴史が教えられることは非常に稀です。「民主主義はアメリカ独立戦争で勝ち得たものなんだ〜」、これくらいしか教わっていない、少なくとも私は。これでは民主主義の発展を身をもって体得した欧米諸国とは違って、民主主義を理解し体得することは絶望的です。
戦後民主主義は日本に何をもたらしたのか?それを分析するためのツールとして少年犯罪をもう少し掘り下げてみようと思います。
酒鬼薔薇事件も、池田小事件も、今回のアキバ事件もそうですが、こうした事件は従来の事件(古典的諸事件)とは大きく異なることがあります。それは動機の有無です。古典的事件の特徴は、警察にもはっきりとわかる動機があった。この古典的殺人とは「貧困」「怨念」「いじめ」「不幸」などが理由で起こった殺人です。しかし最近の凶悪少年(大人も含む)犯罪は動機がない。立場や条件・状況などではなく、、「殺したいから殺した」んです。もしかしたら「殺したい」と思ったことがある人もいるかもしれない。否、そう思ったことがある人が大多数かもしれません。だけど何故殺さなかったのか?それはストッパーが働くからです。
ここで言うストッパーとは「外面的な権力による処罪」と「内面的な良心」でしょう。
「内面的な良心」は説明するまでもありません。
「外面的な権力による処罪」、つまり少年法です。「14歳未満には刑事責任はない」「16歳未満には刑事罰が科せられない」。このことが酒鬼薔薇事件にあたっての連日のメディアの報道で少年たちに知れてしまった。
「そうか、子供は人を殺しても死刑にもならないし、牢屋にも入れられないんだ〜」と考えるようになってしまった。少年Aもそうでした。こんな空気が日本中に蔓延したら…これは手のつけようがない。ところがその空気を利用しようとするやつらがいる。旧左翼です。
旧左翼はこういう事件を受け二言目には「少年の人権」とわめきたてる。民主主義に全く無知と言っていいでしょう。その「人権」とは何か?それすら知らない。
人権とは“人が生まれながらにして持っている権利”である。これは誰もが知っていることです。だれでも平等に持っている権利であって、コイツは持っていて、アイツは持ってないということはないんです。そういう権利は「特権」という。だからちょっと考えればわかりますが、子供の人権って一体なんなのか?子供の特権っていうのならわかるが子供の人権って一体なんだ?っていう話になります。つまり、「子供だけが持っている権利」というのであれば、それは「子供の特権」と言っているに等しいということになります。民主主義の無理解です。
人権は神が与えた、とされていますが、特権は人が与えたものです。主権国家の法律によって決まる。国家の機能的要請によって決まるんです。先天的に決まっていて不動なもの
でない。つまり社会の必要に応じて、適宜変えていくものです。しかし旧左翼が「特権」を「人権」と言いたてて、金科玉条として人に押し付けた。反対でもしようものなら「おまえは人権を認めないのか!子どもにも人権があるだろ」って悪のレッテルを貼る。
社会の要請を受けて、国の責任によって法律で決まる。奪えない特権なんてない。あるわけない。これが民主主義というものだから。
「基本的人権以外の権利は、社会的要請を受けて決定すべきものなのだ」と気づくことが、民主主義を理解する入口です。
本当はロックや予定説から語るべきかもしれませんが、今回は浅く広く(笑)語るにとどめました。
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