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不完全な近代が成熟した近代になったとき、戦後日本が抱えてきた「おいしいものを食べたい」とか「欧米的な生活がしたい」という大きな欠乏が消えてしまったため、1950年代から出現した「専業主婦=子供のために生きる母親」が、何が子供のためであるのかという自明性を失ってしまった。その結果として極めて問題の多いとっかかりを見つけ出しては、いきなり情熱を注いでしまう状況があります。それが、子供をいい塾やいい学校に入れることであったりするわけです。以前『教育論−社会的無規範な犯罪を防ぐ術』で「専業主婦を減少傾向に正すことが効果的だ」と申し上げました。専業主婦というのは子供のために生きる存在です。それは昔はよかったんですが、今は何が子供のためか自明性が失われたから精神的に迷ってしまう存在になってしまう。この精神的に迷ってしまう専業主婦が、なおかつ子供のためと称して何かをしようとすると、大いなる勘違いに陥りやすいということです。

よく言われる話ですが、次男は長男よりも要領がいい。これは何故かというと、長男が叱られ褒められるのを次男が見て「そうか!こうすればいいんだ」と思うからですよね。それは別に長男が次男に「こうすればいいんだよ」と教えるわけでなく、長男の行状を見ているわけです。これは結構重要で、子供の自己決定能力へと結びつくんですが、「社会が、世間がこうだからこうしなさい」というのは、社会的無規範な犯罪が多発する現代においては危険どころか無責任です。むしろ「社会や世間がどうなのか自分にはよくわからない」という状況で悪戦苦闘している親の姿から、子供は学ぶと考える必要がある。子供に対して何らかのメッセージを発するのであれば「俺たちは古い世代だから社会や世界がどうなってるのか、どうなるのかわからないから、どういう生き方が幸いになるかは君の責任で判断してもらうしかないんだよ。そのために君には頑張ってほしいし、そのための支援も惜しまないよ。失敗したっていいんだよ、もし失敗したってここへ帰ってくればいいんだから。」と、その程度のことしか責任ある態度としては言えないんですよ。

バブルが崩壊した時代に、「勉強して、いい大学に入って、いい会社に入れば幸せになれるんだよ」といって育てられた子供は完全に割を食ってしまった。成熟した社会では母親が子供のために生きることは問題を引き起こしやすい。もう自明ではなくなった「良きこと」を子供に押し付けてしまいがちである。アキバ事件の犯人を見よ、酒鬼薔薇聖斗を見よ、正にピンポイントではないか!
だからその対策として、子供のために生きることの優先順位を下げ、場合によってはそれをやめ、母親が自分のために生きるようにする。母親が自分のために生きようとして、何が自分のためになるのかが分らず苦闘したリ、これが幸せだろうと思っていてもなかなか手段がわからずに悪戦苦闘している姿を、人生の先輩としての存在として子供に見せ、その中で子供が試行錯誤するときのモデルになるにせよ、反面教師にせよ、何らかの学びをしてもらうということに尽きると思うんです。

日米政府が日米安保共同声明にかかわる協議を行った1996年、その成果として日米安保共同声明が出されます。そこで周辺事態法を改正し自衛隊にアメリカ軍の兵站を担当させ、補給部隊という国際法上の戦闘行為の役割を負わせました。冷戦体制が終焉を迎えたのにも関わらず、アメリカの部下として日本は生き残るという図式です。要は役人どもが「アメリカと一蓮托生でなければ生き残れない」という妄想を自ら描き、その図式が求める土俵の中で一番いいポジションを取ろうと争ってるだけで、そこに企業も群がっているだけ。そこには国家百年の戦略的思考なんてものはなく、官と民よる「国家を草刈り場とする利権争奪戦」があるだけです。

以前論じたように、対米中立(自立)には「軽武装−依存」から「重武装−自立」へのシフトが必要ですが、重武装化とは対地攻撃能力を軸とした反撃能力を意味するから憲法改正は必然的です。重武装化には憲法改正が必要で、それにはアジア周辺諸国の信頼を得て、周辺国の怨恨感情に対する手当てが必要です。そのためには従来の対米従属から離脱する必要があり、同時にそれには重武装化が必要ってなわけです。まあ「核は持ったもん勝ち」等と叫ぶなんてことは論外として(笑)、これを克服するには、リベラリストが対米中立(自立)=アジア重視の重武装化を推進しなければいけません。これは憲法改正が一般意志であるように、安倍晋三のような国粋でなく、リベラリストが主導する営みでなければならないのと同じです。

『日本はアメリカの女だったの?』でも触れましたが、戦後、吉田茂が描いた対米従属的経済復興の図式の上で、平和主義や護憲平和を唱えていました。むろん吉田の図式自体は「あえて」のものですが、自民党も左も右もそれを忘れていくわけです。
ここではっきりしておくべきことは、共産党を含む左翼もともと必ずしも護憲ではなかったことに注目すべきです。憲法を受け入れることはアメリカの言いなりになることだと受け取る時期もありました。吉田茂のように護憲をアメリカの言いなりにならないために使うという「護憲ナショナリズム」は元来戦略的なものだったわけで、左翼も団結のために護憲を利用したのです。護憲を真に受け取った右は、改憲がナショナリズムだと思い込み、護憲を真に受け取った左は、護憲が平和主義だと思い込むようになる。こうして右は、下手に改憲したらアメリカの要求通りに兵隊を出して命を失わせる選択を拒否するのが難しくなることを忘れ、左は核の傘というゲバルトによる均衡が「平和主義」を支えるのを忘れた。

平和と武力の問題に関するシミュレーションは社会学的にも重要です。前にも家庭内暴力やいじめや社会的無規範な犯罪について書きました。いじめについて調べると統計的に興味深いのは、まず日本やイギリスやアメリカの小中学校では一貫していじめが多く、それはいずれも学校中心主義的な色彩が強いからです。ところが、日本がイギリスやアメリカで決定的に違う点があります。イギリスやアメリカではいじめが一番多いのは小5,6で、中学校では激減します。これに対して日本の場合、いじめが一番多いのが中2、つまり今まで論じてきた思春期前期。中3になると受験に気がとられるのか少し下がります。なぜこういう差があるのかを考えた場合、最も重要な要素は、一つはアングロサクソンには「自立」を以て「一人前」とする観念があるということです。つまり「おまえ中学生にもなってまだガキみてーにイジメてんの?」という社会的な目差しを内面化しています。だから「共同体的同調圧力に負ける奴はかっこ悪い」という発想になり、加えて、第二に、「自分の隣にいる奴が友人であろうが知らない奴であろうが、暴力を振るわれていたら体を張ってでも止めに入るのがカッコイイ」という教育がなされています。
日本のように「何があっても僕は無抵抗です。話し合いでなんとかなる」的な平和主義教育が成す果ては地獄。イジメが中学時代にピークがあるということは「他人が暴力を受けているときどうするか」というシミュレーション教育が欠けるからでしょう。

このような暴力を見過ごすような左翼も論外ではありますが、例えば安全保障という概念をもってしても『産経新聞』『正論』『諸君!』のような「親米国粋右翼」のお座敷芸から解き放ち、僕たち愛国者の概念として成熟させる必要があります。そうなって初めて本来の亜細亜主義的同盟関係があり得るというものです。しかしこう言うと「中国はあくまでも敵国であり、半永久的に仲良くはできない。国交を断絶すべし!」と仰る方が出てくると思いますが、じゃあその方に聞きたい。中国と断絶した場合日本の外交手段はどうするのか?アメリカにオンブに抱っこ状態を継続するのか?日本独自の外交を、というが今の日本にそれが可能な外交能力があるとお思いか?それにアメリカが中国と安保ないし同盟を結ぶことは十分にあり得る。果たして中国と国交を断絶させることが国益に沿うのか今一度考える必要はありますね。

参照:http://blogs.yahoo.co.jp/szksig262007/11979233.html

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