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今まで「社会」という視点で日本を語ってきたんですが、ある方から日本の精神とか、そういう内面的な問題について意見を求められたので、今日は脱線して「近代化」を中心にそれを語りたいと思います。
まずは日本って一体何なんだ?外国から見る日本って一体何なんだ?ってことについてです。
日本を外国からどのように見えているのかを語るにおもしろい話があります。外国人ジャーナリストに広まっているジョークなんですが、沈没しかけた船では最後に男性が救命ボートに乗船するけど、最後に乗ることをクルーが説得するときの言葉です。アメリカ人には「女性が見てらっしゃいます」、ドイツ人には「上からの命令です」、イギリス人には「サーの称号が待ってます」、そして日本人には「みなさんそうしてらっしゃるようです」(笑)。
つまり「みんながやっている」に逆らってしまうと、コミュニケーション自体から外され、公共的正義を主張しようにもできなくなる。公共性を実現するためにすら、一旦「みんながやっている」流れに内在する必要が出てくる。そこで近代化のためにこそ日本に内在せよっ、ってなる。
近代化…。今は亡き三島由紀夫さんが「日本が単に近代化を遂げるなら、日本は入れ替え可能な場所になってしまうから、入れ替え不可能なものを防衛するべきだ」とおっしゃってました。つまり僕の言葉で言うならば「透明な場所」になるのを防ぐために不透明なものを立ち上げそれを守る、ということになるのでしょう。そして三島さんがその「入れ替え不可能なもの」として採用したのが天皇であると思うんですが、それは抜きにしてもロジックとしては納得できます。無機質で、中身空っぽな経済大国に成り果てると嘆いたからこその言葉だと思います。でも今や人材流出が深刻化しつつあるから、現実味のある言葉となってしまいました。地域も国も入れ替え可能な場所でしかないのなら、自分を高く買ってくれる利便性のある場所にどんどん移ってしまう。以前はお金があったからよかったけど、今や入れ替え可能な場所の中でお金もないという話になる。そういう利便性という観点からのみ開発された町がまさに今まで問題点を論じてきたニュータウンです。そのニュータウンという透明な場所が透明な存在を産み、自分は一体何者なんだってことがわからなくなる。
近代っていうとどうしても浮かび上がるのが「アメリカ化」「グローバル化」。グローバライゼーションっていうのは、支配する側だけでなく支配される側も、「さもないと生き残れないから」と、進んでその図式に乗っかる。第三世界や後発工業国の従属経済化と同様、「アメリカの庇護なくして生き残れないから」と、米国一極集中図式に進んで乗り、結局いいようにされる。まさに今の日本のようですな(冷笑)他方、アメリカ側から見てみると、経済のグローバル化が生き残りのために不可避なのと同様に、国外に「敵」を作らないと民族・理念に依拠する多民族国家が生き残れない。まあアメリカの話はいいですね(笑)。
つまり、「近代化」は不可欠としつつも、やり方次第では「対米従属」してしまいます。それは回避せねばならない。エネルギー安全保障、食糧安全保障、技術的安全保障、文化的安全保障とか、いろんな観点からある種の「近代化」を回避し、別種の「近代化」を遂げねばならないとの発想が、長く抱かれてきています。 ともあれ、冷戦体制以降親米という論理は冷戦終焉とともに破綻しているのに、今だにそれを疑おうとしない者はバカでしょう(笑)。愛国者はアメリカを語らざるを得ない。9.11以降親米ブームが沸きあがり、それがアメリカが北朝鮮をテロ支援国家から解除すると決まった今、反米論調のブログなり何なりもっとあっていいはずです。
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