アキバ事件

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八王子殺傷事件、「社会的背景の調査を」=福田首相
              時事通信社(2008/07/23-20:22)

 福田康夫首相は23日夜、東京都八王子市で女性2人が死傷された事件について、首相官邸で記者団に「社会的な背景が何かあるのか、よく調べなければいけない」と述べ、原因などを調査する必要があるとの考えを示した。
 首相は「安心できない世の中になりつつあるのかなと心配している。深刻な問題であり、対応をしっかりしていかなければいけない」と語った。



この事件を受け、私がまず思ったのは「やっぱりな」というものでした。アキバ事件など社会的無規範な犯罪を防止する処方箋をタガーナイフ規制という、何とも末期患者に延命措置をするような処置をとっただけでは、模倣犯は必ず出る。もちろんタガーナイフ規制は良いと思いますが、問題はもっと深い。それは過去にアキバ事件について書いた記事を参考にしていただければお分かりかと思います。
今回の事件とアキバ事件の関連性は非常に多いと思います。これらの事件の背景には「派遣労働者」の問題や家族幻想の崩壊の問題、ストレス状況の問題、があります。しかし私はこれらの問題についてはすでに書きましたので、今回の事件について他に語るべきことはないと判断しました。従ってここに過去の記事を抜粋しておくことにしました。

一番の問題は「誰でもよかった」ということ


過去の記事ですがとりあえず読んでください。そして一緒に考えましょう、アキバ事件の第三の模倣犯が出ないようにどうすればいいのか、を。

『教育論−社会的無規範な犯罪を防ぐ術』 http://blogs.yahoo.co.jp/szksig262007/11801927.html
『日本中に発信したいメッセージがある』 http://blogs.yahoo.co.jp/szksig262007/11460042.html

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ただ中国や北を非難しナショナリズムを高めようとするこのネット言論界の空気に疑念を抱く今日この頃、僕は違うやり方で、社会という土台を媒体として「愛国とは何ぞや」を語ってきたつもりです。そのツールとしてアキバ事件と酒鬼薔薇事件を採用したというわけです。僕は国であれブログであれ何であれ、それらが装う権威・権力が全く無意味なものであったり、形骸化したものだったりしたら容赦なく「お前は着る衣なき国王だ」と言うつもりです。

さて、アキバ事件に対する国の対策として総務省がネット予告の厳罰化をするそうです。まるで末期患者に延命措置をするような話ではありませんか。
それにネットでの犯行予告が多発しているこの現状、まるで酒鬼薔薇事件後の社会現象にそっくりではありませんか。ネットの世界では加藤容疑者がダーティーヒーローのように扱われています。この対策を考えることが国のやるべきことでしょう。

酒鬼薔薇事件を振り返りましょう。この事件に対する世論を調べると、酒鬼薔薇聖斗がやったことに共感できるかというと、「行動には共感(許すことが)できないが、気持ちはわかる」という回答が1/3以上ないし半分という結果が出たらしい。このシンクロ現象はどうやら偏差値が高い人ほどシンクロ率が高くなり、女子の方が男子より1.5倍ぐらいシンクロ率が高くなる。興味深いと思いませんか?
実は女の子の方が男の子よりも言葉の能力が優れていて、自分と世界の関係について言語化し、かつそれを絶えず反芻する傾向があります。それと同時に偏差値の高い子であれば、上の酒鬼薔薇の言葉のボキャブラリーが自分の中に存在するからピーンとくるようで、ものすごい共感の心情になって噴出するのでしょう。だから酒鬼薔薇聖斗の犯行声明文に記されている「義務教育が作り出した透明な存在であるボク」に同調する。そして、「今までも、そしてこれからも透明な存在であり続けるボクを、せめてあなた達の空想の中でだけでも実在の人間として認めて頂きたい」という言葉にピーンとくる。

酒鬼薔薇事件、同じくアキバ事件を単に個人的な問題として扱うヤツらこそ平和大好き鳩ポッポー(笑)国賊です。やがて事件は風化される。しかし一部のやつらは、「昔 酒鬼薔薇聖斗・加藤 ってのがいてこんなことをやったんだ」ってことを忘れない。それは一度繋がった神経回路みたいなもんで、また電流が流れだす。この事件で彼らからストレスが多少とれたとしても、今はネット予告とかで済んでいるからいいが、今後確実にある種の模倣行動が出てくる。実行に移すやつがでてくる。テレビを観ると、アキバ事件に対して「これはネットが世界を支配したから悪い」とか「彼の人格に問題があるんじゃないか」とか「脳に損傷をもっていて…」とか、全く本質を見えていない愚かな連中がいるではないか。中には「こういう事件は何年かのスパンで起きますからね〜」という能天気なバカがいるくらいだ。

だから僕はこの事件を忘れない。こういう信号を世間に送っていかなければいけないと思ったから。

この事件を乗り越えるには、この国をかえなければいけない。この国の教育体制をかえなければいけない。愛国教育云々よりももっと大切なこと。それはアキバ事件みたいな社会的無規範な事件が起こらないように、僕たち皆が考える必要があるだろう。

今の日本に倫理は消えつつある。官僚機構は腐朽し果てて汚職なんて当然のことになってしまった。酒鬼薔薇事件も今回のアキバ事件もその延長線上にあります。
動機について聞かれると無目的殺人者は決まってこう言う、「わからない。ただムシャクシャしたから」「誰でもよかった」
学校は嫌い、勉強も嫌い、親なんか大っ嫌いと言う。似たような少年は津々浦々に蔓延している。だから途方もなく恐ろしいんです。
その問題の根本原因こそ戦後民主主義にある。と、前回は申し上げました。そこで今回は、アキバ事件を含むこうした一連の日本の危機的状況の分析を切り口にして日本の民主主義の実態と本来あるべき民主主義の姿について言及していきたいと思います。

戦後、あまりにも当然すぎることになってしまったので「民主主義」について誰も本気になって考えてみようとしなくなった。丸山真男も吉本隆明もそうです。
「民主主義?そんなのわかってるぜ」という空気が充満している。だけどどうだろうか?現在の日本においては民主主義の歴史が教えられることは非常に稀です。「民主主義はアメリカ独立戦争で勝ち得たものなんだ〜」、これくらいしか教わっていない、少なくとも私は。これでは民主主義の発展を身をもって体得した欧米諸国とは違って、民主主義を理解し体得することは絶望的です。

戦後民主主義は日本に何をもたらしたのか?それを分析するためのツールとして少年犯罪をもう少し掘り下げてみようと思います。
酒鬼薔薇事件も、池田小事件も、今回のアキバ事件もそうですが、こうした事件は従来の事件(古典的諸事件)とは大きく異なることがあります。それは動機の有無です。古典的事件の特徴は、警察にもはっきりとわかる動機があった。この古典的殺人とは「貧困」「怨念」「いじめ」「不幸」などが理由で起こった殺人です。しかし最近の凶悪少年(大人も含む)犯罪は動機がない。立場や条件・状況などではなく、、「殺したいから殺した」んです。もしかしたら「殺したい」と思ったことがある人もいるかもしれない。否、そう思ったことがある人が大多数かもしれません。だけど何故殺さなかったのか?それはストッパーが働くからです。
ここで言うストッパーとは「外面的な権力による処罪」と「内面的な良心」でしょう。
「内面的な良心」は説明するまでもありません。
「外面的な権力による処罪」、つまり少年法です。「14歳未満には刑事責任はない」「16歳未満には刑事罰が科せられない」。このことが酒鬼薔薇事件にあたっての連日のメディアの報道で少年たちに知れてしまった。
「そうか、子供は人を殺しても死刑にもならないし、牢屋にも入れられないんだ〜」と考えるようになってしまった。少年Aもそうでした。こんな空気が日本中に蔓延したら…これは手のつけようがない。ところがその空気を利用しようとするやつらがいる。旧左翼です。
旧左翼はこういう事件を受け二言目には「少年の人権」とわめきたてる。民主主義に全く無知と言っていいでしょう。その「人権」とは何か?それすら知らない。
人権とは“人が生まれながらにして持っている権利”である。これは誰もが知っていることです。だれでも平等に持っている権利であって、コイツは持っていて、アイツは持ってないということはないんです。そういう権利は「特権」という。だからちょっと考えればわかりますが、子供の人権って一体なんなのか?子供の特権っていうのならわかるが子供の人権って一体なんだ?っていう話になります。つまり、「子供だけが持っている権利」というのであれば、それは「子供の特権」と言っているに等しいということになります。民主主義の無理解です。
人権は神が与えた、とされていますが、特権は人が与えたものです。主権国家の法律によって決まる。国家の機能的要請によって決まるんです。先天的に決まっていて不動なもの
でない。つまり社会の必要に応じて、適宜変えていくものです。しかし旧左翼が「特権」を「人権」と言いたてて、金科玉条として人に押し付けた。反対でもしようものなら「おまえは人権を認めないのか!子どもにも人権があるだろ」って悪のレッテルを貼る。

社会の要請を受けて、国の責任によって法律で決まる。奪えない特権なんてない。あるわけない。これが民主主義というものだから。
「基本的人権以外の権利は、社会的要請を受けて決定すべきものなのだ」と気づくことが、民主主義を理解する入口です。

本当はロックや予定説から語るべきかもしれませんが、今回は浅く広く(笑)語るにとどめました。

甘えが犯罪を呼ぶ?

「今回のような野暮な犯罪は甘えが原因でくるものだ!」という言説があります。本当にそうでしょうか?違いますね?これを論証するのは酒鬼薔薇事件を例に出せば簡単にできます。

前回の記事で
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酒鬼薔薇聖斗(以降少年A)は精神鑑定の結果、精神病でもなく心神喪失でもないことがわかりました。つまり完全に責任能力がある状態だったと判定されたのです。見ず知らずの小学生の頭部を切断して学校の校門に置くような異常な犯行をした少年の精神に異常はない。となると異常なのは日本の教育であり、こんな教育を行っている日本そのもの、つまり戦後民主主義である。
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と結論付けました。
実は精神分析学者の土居健郎氏は「少年Aは、どう考えても絶対に甘えている子ではない」と言いました。ここで「甘える」というのは同一化のことを言います。少年Aの母は、彼を甘やかすことなく叱りつけ気味に育てた。少年Aが母との同一化を求めて泣いた時放任して、早くから深い痛みが疼いた。それが苦しんでいる対象と同一化する要求へと倒錯し動物虐待から殺人にまで至った。
これで「今回のような野暮な犯罪は甘えが原因でくるものだ!」という説は崩れました。

こうした同一化の喪失は少年Aだけのことではありません。同一化の喪失による連帯の欠如は日本中に溢れているのが現状です。
人は連帯なしでは生きていけないんです。前回も言ったように人間は社会的存在なんです。連帯を失えば孤独感に襲われ、世界での居場所を失い、自分の存在意義すら信じられなくなってしまう。精神的に大丈夫なやつが重症な精神疾患を患っている人よりも狂暴になる。少年Aのように。つまりアノミーに陥る。アノミーは身体・精神の病気ではなく、「連帯の欠如」からくる社会的病気です。
戦後の教育は、つまり戦後民主主義は、連帯を粉砕し、つまり(前回の記事で言ったように)個人を公から完全に分離させ、アノミーを日本中に蔓延させた。
「日本史は犯罪の歴史だ」と学校で教える。それによって日本人は国家との同一化を失った。「やっぱり自分は自分、個人主義だ」と言うようになった。受験戦争が友人間の連帯に止めをさした。多くの生徒は「勉強なんか大っ嫌いだ〜!」「学校つまんねー!」「自分を理解してくれる人なんかいないんだ…」と呻く。

日本の教育をこんな構造にしたのは何か?それは戦後民主主義であり、日本人の民主主義の誤った理解です。

あと「体罰すべし!」との声があるようですが 【半分】 はそのとおりです。
まず教育には原則体罰は必要。戸塚ヨットスクールというのがあります。どの精神科医も心理カウンセラーもがどうしようもなかった子供がここに入るとピシっと直る。教育に体罰が必要だということはここが証明した結果となりました。ただここに入って少数ではあるが死ぬ子も出る。この違いは何か?答え、、体罰は権力・権威を作る。だから精神の病気ではなくアノミー、つまり酒鬼薔薇事件みたいな社会的無規範で犯罪を犯した少年(大人も)たちはすぐ直る。だけど病気の子は体罰では治らず、体罰が酷過ぎて死ぬ子もいる。
だからその 【半分】 とは、体罰を加える前に病気か否かを調べなければ解決しないということ。平等に。ただ平等ってのは個性を無視しろってことでは当然ない。これを誤解したところに先ほど申し上げた民主主義の無理解がある。つまり、民主主義教育では<平等>とは「みんな同じでなければならない」というとんでもない誤解が生まれ、この誤解が教育における諸悪の根の部分です。
当たり前です。「みんな同じでなければいけない」故に教師は「どの生徒とも同じように接しよ」ということになる。これは個性の否定で教育の死に体です。これも考えなければいけませんね。


何度も言うようですが、今回の事件も、親子の殺し合いも、キレる少年(大人)も、少年Aも、戦後民主主義がもたらしたものであり、その原則に沿った現教育に問題があると思ったので、書かせていただきました。長々となりましたが、最後まで読んでいただいた方、ありがとうございます^^

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■<秋葉原通り魔>死亡7人に、11人負傷…25歳男を逮捕

犠牲になられた方へ哀悼の意を表し、ご遺族に心よりお悔やみ申し上げると共に、今の日本のこうした社会的無規範の事件が多発する現状に危機感を感じています。非常に心苦しい事件です。

宅間守が児童8人を無差別に殺害した池田小事件から7年たち、また今日こういう社会的無規範な事件が起こってしまったことに憤りを感じています。

今後こうした事件が減少させていくためにはどうすればいいのか、を国民皆が考えていく必要がある時代になりました。「俺には関係ねー」なんて言ってられない。電車のホームで立ってたら突然後ろから押されるかもしれない。歩道を歩いていたら対向する少年に突然刺されるかもしれない。明日は我が身かもしれない。他人事じゃ済まないようになってしまったんです。

動機なき殺人は何故起こるのか。親子間の殺人・虐待は何故起こるのか。キレる少年(大人)は何故増えたのか。社会がおかしくなった?どういう風に?今こそ考える時です。敵は外にあるのではないか?

「マスゴミが〜」とか叫ぶやつがいる。もっとラディカルに考えるべきです。「戦争」を例に出します。
戦争の一番根本の原因を考えた時に、日本の軍部だけを追求するという言説がありますが、これは本質が見えていないと言っていと思います。日本国民を分断させ、絶対に日本人の敵意がアメリカに向かず、日本の国内にだけ向くように思考をセットしてしまったGHQの戦略に絡めとられたままの言説をし、思考停止に陥った。これはまさに「マスゴミが〜」とか叫ぶやつがそれに当たります。敵を見失ってしまって、敵の存在が外にあると思えない、内側しか責めないという日本人の体質、それこそ自虐史観なのではないでしょうか。

それはさておき、、今回の社会的無規範な犯罪の蔓延は「酒鬼薔薇事件」に始まります。この事件は少年犯罪の 異常化 が最も表れていて衝撃的でもありました。この事件の功績は注意を教育に集中させたことにあります。「いじめ」や「親子殺し合いの家庭内暴力」によって、日本の教育には大きな病巣があるだろうとは皆思っていたが、それが自分の問題であると思いつめていた者は多くはなかった。それがこの事件で、誰もが否応なしに我が事と考えないわけにはいかなくなった。今回の事件もこの延長線上にある感が否めません。

「酒鬼薔薇事件」を少し振り返ってまとめると…当時15歳の少年A(自称:酒鬼薔薇聖斗−さかきばら せいと)の精神鑑定の結果、精神病でもなく心神喪失でもないことがわかりました。つまり完全に責任能力がある状態だったと判定されたのです。見ず知らずの小学生の頭部を切断して学校の校門に置くような異常な犯行をした少年の精神に異常はない。となると異常なのは日本の教育であり、こんな教育を行っている日本そのもの、つまり戦後民主主義である、と結論付けることになるのではないでしょうか?

同じように「自分が一番」「個人が一番」と言う。つかり国家解体主義者です。 でも結局個人が公から完全に分離してしまったら、今回の事件の犯人や酒鬼薔薇聖斗みたいに、「他人何かどうでもいい。社会にムシャクシャしたからやっちまおう」って社会的無規範で犯罪を犯すやつが出てくる。人間は社会的存在です。ルールなしに「私」を作れない。やっぱりこれもGHQの洗脳にスッポリハマって個人だけが大切、公共心はいらないって思う。それこそまさに戦後民主主義です。

結論を言うと戦後民主主義を見直そう、ということ。
で、今のネット言論界にも如実に表れているように、アメリカにはあまり目を向けず、中国や北朝鮮等を叩く。こんなのアメリカの思う壺じゃん(笑)

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