|
不完全な近代が成熟した近代になったとき、戦後日本が抱えてきた「おいしいものを食べたい」とか「欧米的な生活がしたい」という大きな欠乏が消えてしまったため、1950年代から出現した「専業主婦=子供のために生きる母親」が、何が子供のためであるのかという自明性を失ってしまった。その結果として極めて問題の多いとっかかりを見つけ出しては、いきなり情熱を注いでしまう状況があります。それが、子供をいい塾やいい学校に入れることであったりするわけです。以前『教育論−社会的無規範な犯罪を防ぐ術』で「専業主婦を減少傾向に正すことが効果的だ」と申し上げました。専業主婦というのは子供のために生きる存在です。それは昔はよかったんですが、今は何が子供のためか自明性が失われたから精神的に迷ってしまう存在になってしまう。この精神的に迷ってしまう専業主婦が、なおかつ子供のためと称して何かをしようとすると、大いなる勘違いに陥りやすいということです。 |
家庭論
[ リスト | 詳細 ]
全1ページ
[1]
|
アキバ事件に関連する動画を掲載します。ぜひご覧ください。そして考えてください。 今の番組はどうなんだろう?ほんとにくだらない番組がウジャウジャあるような気もします。「オー○の泉」とか…。どうでもいいですが(笑) 「心の教育をもっと推進しなきゃいけない」とか言うバカがいるけど、それこそ「家族」の形骸化に陥るでしょう。そういう深度まで学校化が広まり、横の圧力と縦の圧力の交点で、子供たちは“良い子ちゃん”のふりをする。特に偏差値の高いやつほどこの傾向がある。中学校の場合はまだ、見かけは“良い子ちゃん”だけど、中身は狼ってやつもいる。酒鬼薔薇みたいに。そういった縦・横からの同調圧力の中で、中学生は 「透明化」 している。その“良い子ちゃんブリ”の状態を酒鬼薔薇は「透明の存在」と言った。僕であっても僕でなくてもいい存在。自分の価値の軽薄化。これは単に疎外される、いじめられるというよりも、もっと深いことです。
|

- >
- Yahoo!サービス
- >
- Yahoo!ブログ
- >
- 練習用
全1ページ
[1]







