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この記事は前の記事「根拠なき自明性」を参考に、それと交互に読んでいただきたい(笑)そこで酒鬼薔薇聖斗が書いた犯行声明の気になる箇所をピックアップし、私の推測を含め、絡め社会の構造を斬っていこうと思っております。
この事件が発覚した後、メディアでは心理学者や精神科医が彼の人格について言及したり、TVではプロファイリングゲームをさんざんしていた記憶があります。彼のゲームにのってしまったと言えます。第一犯行声明で「さあゲームの始まりです」とありました。酒鬼薔薇聖斗の始めたゲームにまんまと乗っかってしまって、彼によって完全にコントロールされてしまった。実際彼は「自分の思う方向にマスコミが働いているのを見て嬉しかった」と言ってる。簡単に言えば、彼の言うゲームとは、自分の人格について世間で騒いで、メディアでプロファイリングゲームをしている、この状態をゲームと言えるのでしょう。つまり推測した時点でこの少年の勝ちだったわけです。これは第二犯行声明でも見て取れます。
まず一番のポイントは、酒鬼薔薇聖斗が14歳の少年だということでしょう。14歳(中二)という年ごろは不安定な時期にあります。思春期前期とも言えるのでしょうか。要するに、子供のパラダイスから出て、大人の共同体に参入する 過 渡 期 です。過渡期だからまだ段階でしかなく、これから参入するための方向づけが必要とされる時期なんです。
彼の第二犯行声明で「透明な存在であるボクを造り出した義務教育と、義務教育を生み出した社会への復讐も忘れてはいない」とあります。「透明な存在」というキーワードもありますが、まずは「義務教育を生み出した社会への復讐」についてです。
保守的な共同体では、通過儀式というものを行います。子供の時やってよかったことが、大人になったらダメになるという、新しい大人の規範の体系を総体として受け入れさせられる。そんなふうに、一旦引き離して新しいところに放り込むという機能を果たす短期間の共同体的な処方が、その通過儀礼です。そしてその通過儀礼を学校教育に当てはめたものが“義務教育”と考えます。世間にはいろんな人がいます。ホワイトカラーもいるしブルーカラーもいるし。そしてこうした高度に分化している大人社会に子供を送り込むには、ただ子供を教育するだけでなく、子供に知識をつけさせるプロセスで、大人社会の複雑さに応じて、「おまえはここ」「君はあそこ」というように選別と動機付けを行わなければいけない。しかしその要請に短期の儀式儀礼ではダメ。だから義務教育は6年から9年に引き伸ばしたんです。ちょっと難しくなってしまいました(^^;)
ここで質問!!
皆さんは“学校”は楽しかったですか?ここで楽しかったと答える人は昔の人が多いと思います。逆に現代っ子は楽しくなかったと答える子が時代に比例して多くなったという現状があります。皆さんの中には“早く大人になりたい”と思っていた方が多数だと思います。大人になって人のためにたちたいとか、社会のためになることをしたいとか、いい家庭を築きたいとか、そういう思いがあったはずです。大人になるのはいいことだった。夢があった。だからたとえ義務教育がつらいと感じても耐えられた。
だけどそれは過渡期での話。社会が成熟すれば“大人になる”なんていう思いは消えるでしょう。輝かしい未来がなくなるから。“輝かしい未来”という思いがなくなったら「立派な大人になるんだ!」っていう思いも行き止まりです。つまり、“立派な大人”という思いは、輝かしい未来をもたらす存在、輝かしい未来に向けて社会を築いていく人々なんです。だから輝かしい未来がなくなったら、大人は「おまえは何でここにいるんだ?」ということになるでしょ(笑)だから過渡期では、9年という長い間の義務教育は意味的な充実が与えられていた。
14歳前後の思春期前期の子たちは、大人社会に参入するための方向づけを体得すべき重要な時期であるため、社会が成熟段階に達し、大人になる意味を失ったことで、その不安定な時期に充当されている義務教育が、ますますの問題を孕み易いものに変質しているわけです。
書ききれなかった。問題のテーマが大きすぎる。
次は「透明の存在」というワードについて書こうかな^^
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