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平成29年10月27日に市の職員が我が家にやって来て「感謝状を預かって持ってまいりました。」という。私は「感謝状ってんですか?」と尋ねた。すると、彼女は「赤十字社からです。」という。その感謝状には「あなたは多年にわたり赤十字事業の進展に尽くされ多大の貢献をされますた そのご協力に心から感謝の意を表します」とあった。私はそれでがてんがいった。町内会の役員を長年やっていたからだ。
毎年赤十字社の社員を町内会募り社費を徴収し、それを収めてきたからだ。だから特別に感謝される筋合いのものではないのだが、「多大の貢献」をしてきたことには変わりがない。私自身も赤十字社の社員として社費を払ってきている。
赤十字社の国際的活動から見れば私の貢献度は小さいのだが、歳をとるとなんでももらえるものはもらっておこうか、などというがめつくなる。
感謝状と言うと「民生員・児童員」としても、また青少年健全育成の関しても市長と警察署長名で、また全柔連、県柔連からももらっている。来年は町内会長としてももらえるという。
まだもらっていないものは「勲章」かもしれないが、長生きするともらえるかもしれない。けど、この勲章ばかりはもらうとすぐ死ぬ。私の周りに人は勲章をもらってすぐに死んでいるからかなわない。
「長生き」もしたいし、「名誉」も欲しい、という矛盾に今の私がいる。仕事から離れると「名誉」だけとなるから寂しいものだ。国体選手とかオリンピック選手のメダリスト、ノーベル賞は最高の「名誉」だと思われる。「このように考えると、人間は小さい時から「名誉」を求める存在なのだろうか。
自分の名前を社会的に認知してもらえることをこの上なく求めるのは、トップに就こうとすることなのだ。人間は全て「目立つこと」、周囲から「関心・感心を受けること」「褒められること」、ないよりも「高く評価されること」を情熱的に求める存在であろう。
人間は「社会的存在」であるから、「社会的に認知」されないと存在価値がないからだろう。自分自身が「社会的存在価値」あるものとして自任できるためには「社会的認知」が必要なのだ。
だから「感謝状」を素直な気持ちで受けることにする。
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