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かつての職場はすでに定年後、数年たっているが、昨日はその時の後輩が退職するということで「退任祝賀会」に行ってきた。かつての同僚たちが入れ替わりやって来て酒を酌み交わした。懐かしさでいっぱいであった。
かつての後輩たちの同僚が「いまでも柔道をしているのですか?」と聞いてきたので「柔道着を着て小中学生たちを指導しているよ。これからの楽しみは全国級の柔道少年たちを育てること。いまだにできていないことは大学生を全日本に出していないことだが、これは難しいです。」と答えた。すると「いつまでもお元気で頑張ってください。」と言われた。
考えてみれば、今では警察官として活躍している青年を「講道館杯」に出場させた思い出だけだが、「全日本」はまずは「北信越大会」で優勝しないといけない。先日インターハイに教え子が講道館で戦ったが、東京代表に秒殺されてしまった。しかしわが高校生で県一になり、新潟県代表になること自体、夢のような話であったのだ。それにしても、全国級となると大変なものだ。
小・中・高で全国に出ても皆一回戦で敗退してしまうので、一回戦突破を目指さないといけないかもしれない。少しずつ先に進むほかない。その分長生きして頑張らないと目標を達成できない。
かつての職場に顔を出せるためにも元気でいないといけない。それにしても定年後数年たっているが、その間に定年退職した同僚には会えなかった。少し残念ではあったが、年齢も年齢なので無理ができなかったのかもしれない。
子どもも大人もやはり、「元気が一番」なのだ。
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旅
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昨日10月15日(土)、早朝より福島県会津若松市の旧会津藩校日新館へ上越武道連盟に所属する子供たち(剣道、空手、相撲、柔道、太極拳)24名を指導者及び保護者の大人9名が引率して勉強してきた。(午前7時出発〜午後6時帰着)
*第2回「上越っ子 会津遠征」と銘打っての旅であった。第1回は平成26年10月中旬であったので、今回は2回目(平成28年)でこの計画は2年ごとに行う計画である。次回(第3回:平成30年)は」剣道と柔道の数人の子供たちによる「親善試合」をやりたいと理事長が言っていた。他の子供たちは応援団になるかもしれない。
日新館の前で会津氏の市会議員都と教育長が我々訪問者に会津の歴史及び日新館について説明してくれた。その後、我々は日新館に入って会津の歴史を学んだ。とにかく会津はたくさんの偉人たちの写真で飾られていた。2年前のNHKの大河ドラマ「八重のさくら」も飾られていた。
校内を見学して最後に案内人が子どもたちに「什の掟」を詳しく説明した。私は柔道教室で子どもたちに次のように「柔道教室の約束事」としてわかりやすくして復唱させている。一つ一つの「掟」に子供たちは大きな声で「ハイ!」と言って座礼することとなっている。私はこれこそが「武道精神」であり、「子どもの未来像」を描くものだと感じている。
1.弱い者いじめをしてはなりません。
2.卑怯な振る舞いをしてはなりません。
3.うそをついてはなりません。
4.目上の人に挨拶をしなければなりません。
5.目上の人の言うことを聞かなくてはなりません。
6.外で買い食いをしてはなりません。
7.ならぬことはならぬものです。
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10月1〜2日と岐阜県へ旅をしてきた。地区の町内会長会の仲間6人での一泊二日の忙しい旅であった
第1日目は飛騨高山、郡上八幡、岐阜市へと新潟県→富山県→岐阜県へと高速道を使って片道4時間の旅であった。
飛騨高山では「高山祭屋台会館」を訪れた。数台の屋台が豪華であった。高山市の歴史に深さを感じた。
郡上八幡では「郡上八幡城」)(別名 「積翠城」ともいう)に上ってきた。その町の酒蔵で「積翠」という「大吟醸酒」を買ってきた。
岐阜市のホテルに泊まり、そこで、「長良川の鵜飼」を館船に乗って見た。なかなか風情があった。「鵜飼い」についての解説があったり、別の飾りのついた館船を舞台に数人の美女たちが踊りを披露した。なかなかよかった。「ブラボー!」を連発したら、その館船が私たちの館船に近づいてきてくれた。にこやかな美女たちを目の前で見ることができた。
第2日目は、「岐阜城」に上ってきた。斎藤道三、織田信長の城だ。身近に歴史を感じた。
我が上越市も上杉謙信で名高のだが、そのお城である「春日山城」は今はない。
帰り道、「御母衣(みぼろ)ダム」を見てきた。このダムの建設は大変な騒動があったと碑に書かれていた。
帰りのP.A.でお土産を買って無事帰宅した。往復で8時間に及ぶ車での移動は疲れるものだ。
岐阜県への旅の感想を一言で述べれば、「深い歴史」を感じさせるものであった。岐阜県を中心に「お城めぐり」(4月27日〜11月17日)があるのだが、それはできなかった。16ものお城を巡るのだ。
「自然」も豊かであった。
* 岐阜県の お城に上り 感激す
武士の世界と 歴史の深さ
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昨日、小中学校卒業生の同期会があった。
すでに3か月前からの連絡で出欠をとっていた。私は出席することに決めていたの出席してきた。
私の田舎の学校は小学校の卒業生が中学校へそっくりそのまま進学し、中学校は我々小学校の卒業生で成り立っていたので、「小中学校卒業生同期会」となったのである。
われわれ中学校の卒業生は小学校の卒業生と同じだから、思い出話が小学校時代と中学校時代がごちゃ混ぜになってしまって、こんがらがってしまう。
また驚いたことであったが、出席を申し込んでいた人が、この2〜3か月の間に亡くなってしまって、それが二人もいたという。
我々の年代(60代末=70歳)ともなると、バタバタと逝ってしまうものだ。
彼も彼女も逝ってしまった、という話でもちきりであった。
危なっかしい人も数人いたが、それなりに元気で出席していた。
私はおかげさまで元気だ。どこも悪くない。これも柔道のおかげだと感謝している。
また私は、この上越の地では「先生」呼ばわりされてきたが、同期会となると、幼馴染の名前の呼び捨てである。懐かしいものがこみあげてきた。
お互いに同等で自然体での名前の呼び合いはいいものだ。
泊まった温泉旅館で将棋を指したが、全敗してしまった。次回のチャレンジを約束して別れた。
* 若かりし 思い出話 花咲かせ
忘れたことの 多かりしこと
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先日の「武道と教育」の講演会の際、若者の「サル化」について述べた。
この「サル化」が聴衆たちにとって面白かったらしい。つまり「人間のサル化」とは「公私」の区別もなく、すべての場を私的空間としてふるまうということである。
それを具体的にいうとバスの中、電車の中、劇場などの公共の場でケータイやスマホで大声を出して私的な個人的話に夢中になっているということである。「公共空間」という概念が頭からすっぽりと抜け落ちている人間を「サル」と言っているわけである。
ところが、出張日の今日、私はいつものように電車に乗った。朝の電車は静かであったが、帰りの電車はうるさかった。
ご高齢のご婦人たち(50代後半〜60代後半〜70代前半)が数人途中から乗り込んできて、座席を桝席に作り変え、大声でしゃべり出したのだ。周囲の乗客たちの迷惑も考えずに大声で笑ったり、しゃっべっていた。
1時間以上もこうした騒音を聞かされると眠りも落ち着かない。
今日の電車は大雨のため、速度規制がかかってノロノロ運転で遅れが出ていた。そうしたイライラに加えて「おばさん」たちのうるさい笑い声とおしゃべりに悩まされた。
「サル化」はなにも若者たちだけの「特権」ではなさそうだ。
その意味でも我々「武道」を志している者たちは「公徳心」において「率先垂範」し、「節度」あるふるまいをしなければならないと改めて思った次第である。
* 武道家は 振る舞いこそが 求められ
礼節心を 身に着けるべし
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