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毎日子供たちと接し「学習だ。」「柔道だ。」と叱咤しているわが身である。そのわが身において、子供たちに説き伏せていることを自分自身がしっかりと実践しているかを検証していることがある。

学習でも柔道でも練習には「飽き」が来るものだ。また「疲れ」も来る。「疲れ」はたまって来て、体が言うことを利かないこともある。この肉体的疲労は仕方がないが、「飽き」が来るのだけはどうにかしたいものだ。

例えば「学習」で漢字練習にしろ計算練習にしろ、「柔道」では立ち技と寝技の打ち込みと投げ込みの反復練習など、疲れもするが飽きも来る。

そこで私はまず子どもたちに「飽き」については「覚えるまでしつこく練習する。」ことを言い続け、「疲れ」については「倒れるまで練習する」「立てなくなるまで反復練習すること」を言い続けている。

「飽き」っぽくて、すぐ休んでしまう子は「ダメ」と叱咤してしまうのだ。

そんな自分はどうなのか、と問い詰める。今高校数学・英語などを自学自習しているのだが、老齢の身から来ているのかよく「計算間違い」をする。また辞書などの字が小さくて読めない、特に辞書などを引いていると頭が痛くなる。眼鏡を付けたりとったりを繰り返す。

そこで自分が子どもたちに言っている「叱咤」を自分に向ける。「計算間違い」は注意力をもって間違いが無くなるまで繰り返す。高校英語も目が疲れるが、目標とする範囲までしつこく我慢してやり遂げる。

こうして子どたちと接している自分自身を「叱咤」して反復練習をする。

「教えること」は、まさに「学ぶこと」でもある。つまり普段子供たちに言っていることを自分自身に言い聞かせるのだ。そうすると自分自身の「弱さ」が自覚できて、子どもたちに「無理難題」を押し付けなくなる。

けど、自分と子どもとは根本的に違うことも理解しなければならない。「未来」を担う子どもたちと「終末」を迎えようとしている自分とでは雲泥の差である。

子どもたちには「限界」への挑戦が大切なのだということを知ってもらいたいと思っている。

「ボケ」の始まり

毎日少しずつではあるが、高校数学に挑戦している。最近気が付いたことであるが、簡単な計算を間違える。特にプラスとマイナスの間違いである。
 
ある脳医学の学者さんが言っていたことであるが、ボケ防止に算数計算がいいと言っていた。当初その意味が分からなかったが、最近その意味が分かってきた。
 
つまり簡単な計算ではあるが、「注意力」が足りなくなると、計算間違いを起こすのだ。
 
「注意力」と言ってもいいし、「集中力」ともいっていいと思うのであるが、脳細胞が老化してくると「注意力」または「集中力」が不足し、「適当」にまたはいい加減に事を済ませたりする。辛抱強くないのだ。
 
「辛抱強さ」も老化とともになくなって、いい加減に事を済ませようとする。
 
老化現象というものを肌で感じ、その特徴を意識することで少しでも「ボケ」防止に努めないといけないと感じている今日この頃である。
 
老人の思考力減退の根本は以下の点にあると思われる。
1.集中力減退:体力の減退とともに、集中力も衰える。
2.注意力減退:さまざまなことを考えすぎて注意が散漫となる.。
3.辛抱強さ減退:わかったつもりで適当に(いい加減に)済ませようとする。
4.執着心減退:とことん突き詰めて考えなくなり、興味関心事も少なくなっ  て、無関心さが精神を襲ってくる。
5.無恥を隠し分かったふりをしたがる。ますます無知蒙昧となっていく。
 
以上のことから「老人性痴呆」は「短気」であるということである。まさに辛抱強くないのだ。
 
そこで以上の分析を通して自分自身の生活態度を改めるとすれば、辛抱強く事に当たるために、体力向上に努めることであろう。
 
そして注意が散漫にならず、集中力をもって「高校数学」に取り組み、計算間違いをしないように注意を払う、ということである。
 
そしてまた何よりも「分かった振り」をせず、常に「学ぶ心」を持ち続けることであろう。世の中は「分からないことだらけ」なのだから。
 
最近「計算間違い」ばかりを繰り返すので、反省の弁を述べ、記述した次第である。

ウオーキング効果

トレーニングというほどのものではないが、今日は2時間ほどウオーキングしてきた。
 
高校英語に取り組んでいると眠たくなる。最近は朝5時、明るくなるので目が覚める。身支度を整えて、日課の学習に入るのだが、早々に眠たくなる。
 
目覚ましに外出して遠出のウオーキングを試みた。昼前から外気は夏日で暑い。のどが渇くが我慢して2時間歩き続けて帰宅した。
 
何も考えずに歩くと「歩幅」が小さくなるので、数を数えてリズムを取ると、歩幅もしっかりと取れて大股で歩ける。姿勢もいい感じで歩けるようだ。だから歩くときはいつも数えてリズムをとることにしている。
 
またウオーキングは周辺の景色や人の行き来を眺められて地域の雰囲気を感じ取ることができる。爺さん、ばあさん方がおしゃべりしながら畑仕事をしている。川は雪解け水で豊富に流れている。周辺の山々はまだ雪をかぶっているが、これも7月頃には融けてなくなる。そのころ川の水も少なくなるが、問題は「梅雨」だ。昨年は上流で堤防が決壊し、田畑が水浸しになった。
 
またウオーキングしながら「あれこれ」と考えることができる。
 
「何をしようかな。」とか、「やり残していることはないかな。」とか、「これからどんな生き方をしようか。」とか、さまざまなことが脳裏をかすめる。
 
また覚えたての英文を口ずさみながらウオーキングを楽しめる。
 
2時間のウオーキングをして帰宅した。
 
無事帰宅したので、妻は言った、「あんたはまだ大丈夫だね。行方不明にならずに無事帰って来たね。」と。
 
そうです。「無事帰還」しました。
 
 
*        五月晴れ 春の日差しを 浴びながら
          心身ともに トレーニングだ
ここ数日、わが北陸地方は晴れが続いてアウトドアを楽しめる季節がやってきた。
 
桜も満開で100万人もの人出でわが市の桜公園がにぎわった。
 
私はジョギングやウオーキングで汗を流した。
 
雪もすっかりと融けて、日差しも強く、冬から春を飛び越した感がするほどだ。
 
冬の間は家の中で「足踏み」を繰り返してきたが、あまり効果的なトレーニングではない。
 
やはり外でジョギングしたり、長時間のウオーキングで汗を流さないと体は締まらない。
 
しっかりとジョギングして体をスリムにしたのちに、柔道教室で中学生たちと乱取りをする。
 
冬季の乱取りはすぐに息が切れるが、今はジョギングの効果もあって簡単に息が上がらなくなった。
 
やはり「走り込み」はトレーニングの基礎であり、スタミナづくりには欠かせないトレーニングなのだ。
 
やりすぎると「膝」に来るから、少しずつ「走り込み」をしようと考えている。

「裸」の効用

今日の日曜日、真夏日になって日差しが痛いほど暑い。
 
公園でのトレーニングで、汗でシャツがグショグショに濡れた。公園(工業団地内の小さな公園)には誰もいなかったので、シャツを脱いで上半身裸になってトレーニングをした。
 
そこで思い出したことがある。
 
古代ギリシャのオリンピアでは男性の競技者は全裸で競技したという。
 
古代ギリシャの男性彫刻を見るとその肉体は「均整美」と「筋肉美」に溢れている。
 
私が思うに男性がその裸体を公衆に晒すということは、日々鍛錬し肉体の「均整」と「筋力」を維持していなければならないということだろうと思った。
 
だから、時々自分の裸体をじっと見つめる必要があるのではないだろうか。(我がブロ友さんのように。)
 
また自分の裸体を公衆に晒す機会もあってもいいのではないだろうか。
 
そうすれば常に肉体を鍛錬し、筋骨たくましい体を維持するように努めるのではないか。
 
私は幸いに、我が地区の「神社奉納子ども相撲大会」を指導しているので、「回し」を締めて裸体を公衆に晒す機会を持っている。
 
たった年に1度の機会ではあるが、その日に備えて肉体を鍛えている。
 
 

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