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毎日のように「天才」たちの芸術やスポーツにおけるパーフォーマンスを見て感動しているのであるが、彼ら「天才」たちはすでに10代で世界のトップに躍り出ている。つまりまだ子ど子どもした年齢で一人前の大人に混じって世界大会や国際大会で彼らを負かしてしまうから驚きだ。
世界大会や国際大会に出場する一人前の大人たち(20代〜30代)も子供時代は「神童」と呼ばれた人たちで、いわば「天才」の範疇に含まれる人たちであるのだが、10代で世界のトップに立つ天才はまさに天才の中の天才なのかもしれない。このような天才を指をくわえて見ている凡人の自分を振り返って、いったい自分にはどのような才能があるのだろうかと悩んでしまう。
特別の才能は「ない」自分が憧れの天才たちに少しでも近づける方法はないものだろうかと考えててしまう。そこで考えた。
とにかくしつこくあきらめずにとことん時間をかけても追究する努力しかない、と言うことなのだろう。「天才」は「凡才」の100倍、1000倍以上のスピードで「理解」し、物事を身に付けてしまうのだから追いつけるわけがない。
先日、私に出された数学の「高校入試問題」は恐らく天才はわずかの時間で解いてしまうかもしれないが私は4時間〜6時間もかかったのである。そしてその問題の考え方と解法をPCに整理しコピーしたものを21日の日曜日に受験生の女子中学生に渡した。
そして昨日(23日火)の「学習支援教室」で、その女子中学生が私に礼を言った、「ありがとうございました。よくわかりました。」と。つまり私にできることはこの程度のことなのだ、と言うことである。天才はすぐにできて即答できるであろうけれども、私には多くの時間がかかる。
つまり、私は時間をかけて、とことん理解(納得)できるまでやり遂げること以外に「天才」たちに近づけない、と言うことである。時間をかけていると仕舞には老人になってしまうが、これだけは仕方がない。老化した頭を働かせる以外に方法はない。「天才」は若くして世界にはばたいていくが、「凡才」は老化して朽ちていくほかないのだ。それでも少しは「天才」に近づけたと、満足するほかない。
毎日「天才」たちのパーフォーマンスを眺めていると以上のような物思いにふけってしまう。
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学習支援
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昨日の「学習支援教室」で中3の女子(高校受験を控えている)が高校受験用の数学問題集を抱えて来て「この問題がわかりません。」と言って聞きに来た。私は「どれどれ」と言って引き受けたものの、即答できない。
考え込んでしまった。夜の9時をだいぶ過ぎたので、「この問題は、私の宿題にして今日は終わりましょう。」と言って、彼女を帰した。彼女の父親が車で待機していた。
私は家に帰って、普段はそれから一杯飲むのだが、私の宿題とした「数学の問題」に取り組んだ。計算用紙を数枚使用しながら、考え方の順序をPCに入力しながらまとめ上げたら、午前1時半になっていた。つまり丸4時間ほどかかってまとめていた、と言うことである。それから床に入ったが、あの数学問題が頭の中を駆け巡って眠れない。
*「速さ、距離、時間」の複雑な組み合わせの問題であった。2元一次方程式(未知数をxとy)で解いたのだが、正解は見ていない。
朝いつものように6時半に起きて、また「問題」の整理を始めた。とことん納得のいくまでPCに入力して整理するのにまた2時間ほどかかった。
ようやく出来上がって、彼女の家(同じ町内)にその「考え方と解答」のコピーを封筒に入れて持って行った。お母さんが出て来て恐縮していたが、私は「質問があったら、遠慮なく質問してください。」などと強気なことを言って帰ってきた。
私は妻に「頭の回転が鈍くなってしまったよ。どうしよう。」と言ったら、妻は「仕方ないでしょう。それでも続けているのだからいいことではないの。」と言って慰めてくれた。今の私のとりえは「あきらめない、しつこく、とことん追究すること。」と言うことにあるようだ。それにしても「高校受験問題」は難しい。
一つの問題に数時間かかること自体信じ難い問題だ。それは私の硬直した頭なのだからかもしれない。とにかく呑み込みが遅いのだ。「ひらめきが無い」のかもしれない。情けなくなってくるが、とにかく頑張ってやるしかない。
難しい問題を夜遅くまでやっていると、睡眠それ自体の妨げになるが、それなりに充実感がある。
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私が10年前に始めた町内会館での「学習支援教室」をそろそろ閉めようと考えるようになった。その理由は地元町内の子供たちが来なくなったことである。たまに来ても少ない(5〜6人程度)。
昨年から始まった地元中学校での「放課後学習支援」もまた学習に来る子どもたちが少ない(2〜3人程度)。私は特別に教えているわけでなく、子供たちが自学自習するのを「見守っている」だけなのだ。
地元中学校の先生が言うには「一人で学習する習慣が身についてきたので来なくなったのではないか。」と言っているが、私はその様には考えていない。
「自学自習」の「持続力」「継続力」の不足にあると感じている。静かにおしゃべりせずに学習に長時間費やすことが非常に困難なのだと感じている。
それは子どもばかりでなく、保護者である大人自身が学習の「持続力」「継続力」がないのだと感じている。子どもを「継続的に学習に連れて来る」と言うことが困難なのだ。いろいろと事情があるにしてもである。
この大人の「継続力」「持続力」の不足が子どもたちの「継続力」「持続力」不足に伝播しているものと思われる。
遠方よりこまめに休まずに子供を車に乗せて「学習支援教室」へ連れて来る保護者がいる。子どもも静かに「自学自習」に取り組む。この親子が示すように、親である保護者の姿勢が子どもに伝わる。
柔道教室もまた同様である。親である保護者が熱心で「継続」して休まずに教室に通ってきさえすれば、子供は自然と成長し、「持続力」「継続力」が身に着く。
これは子供が中学校を卒業するまで続けないといけない。そうすることで子供は高校生になって自立化できる。
小学生や中学生はまだまだ自立化は難しい。言うまでもなく「当然」のことではあるが小・中学生は親や周囲の人たちの指導と庇護が必要なのだ。高校生や大学生ですら指導が必要なのだから。
「継続は力」とはまさにその通りなのだが、ある人が言った。「力のあるものが継続できる」と。そうすると「実力者」はますます「力」がつくことになる。
つまり人間の資質能力の根源は「意志」「意欲」にあるようだ。それがどれほどあるかが将来への「道」を切り開いていくようだ。
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私は地元中学校の「放課後学習支援ボランティア」をやっている。当校では8月28日(金)から2学期が始まった。いつから「放課後学習」が始まるのか連絡がない。そこで私の方から学校に連絡したら「9月7日(月)から始めるので、お願いします。」と言うことであった。
今日の15時過ぎに、当校へ行ったら生徒も先生もいない。事務室に行って事情を聞いたら今日は「早退で誰もいない。」ということであった。私は「9月の予定はどうなっているのですか。」と聞いたら、事務の人が先生と電話連絡を取りながら「9月の放課後学習は28日(月)の一回だけです。」と言う話であった。
学校の先生方は授業だけでなく、様々な仕事に追われているのだな、と感じた。月刊計画が目まぐるしく変更を余儀なくされるらしい。9月28日(月)の予定ですらわからない。直前になったら問いただしてみないといけない。
私も、町内会関係をはじめ、柔道教室やら学習支援教室やら武道連盟(理事会)、その他神社関係(役員会)、小学校関係(C.S,後援会理事会、青少協)、病院関係(倫理委員会)など目まぐるしく動いているのであまり、時間的余裕がない。
今日の午前中は違反ゴミの整理、クリーン活動の成果である「ゴミの山」の整理と町内会館倉庫の整理整頓で半日をつぶした。
人間は「生きている間」は何かと忙しいものだ。まずは「衣食住」を満たさないといけない。そのためには稼がなくてはいけない。また人間は一人では暮らせないから各種の組織や地域社会と関係を持つ。今の私は「地域社会」とのかかわりの中で生きている。それが結構忙しい。第一線を退いても「ゆっくり」はできない。聞くところによると「ゆっくり」すると「早死に」するそうだ。
まず、昼間から「飲んで」、飲んで、飲んで「ハイ、お陀仏」になるそうだから、「積極的多忙」がいいのだそうである。
今この世では「積極的」と言う言葉が「嫌味」に聞こえるからあまり使えない。どんな言葉が適切なのだろうか。
「積極的多忙」と言う言葉の代わりに「社会貢献的多忙」が老人の生き方としてわかりやすいかもしれない。
それにしても、「連絡」は密にしてほしいものだ。私も「報告・連絡・相談」(ホウレンソウ)をしっかりと頭に入れて、活動しないといけないと肝に銘じている。
今日はこれから夜の仕事(柔道教室)だ。まずは「健康」であること。そして「元気が一番」だ。
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わが町内会館で毎日のようにやっている「学習支援教室」であるが、私は週4日(火・水・金・土)とやっており、もう一人のの協力者(退職した女性校長)はこれまで週1回(月)を担当していた。
特に協力者の先生のところには「問題児」(発達障害児)を見てもらっている。ところがその親御さんが「週2回、見てもらえないか。」と頼んできたという。さらに「親戚の子供も見てほしい。」と言ってきたという。その子も「学習遅滞児」で個別的に面倒を見てほしいというのだ。
私は構わないが、協力者の先生が「問題児」を二人抱えて、「個別指導」するわけだから大変だ。
私は協力者の先生に言った、「私は構いませんが、先生が大変でしょう、この学習支援活動はボランティアなので、先生が会議などでお忙しい時はいつでもお休みください。町内会館は常時開放しております。」と返事をした。先生は早速9月からは月曜日と木曜日の週2回、「問題児」の個別指導をすることとなった。
それに比べて、私は週4回ではあるが「問題児」(発達障害児)の面倒を見ているわけではないから、その女性の先生よりずーっと楽である。私は「問題児」の面倒を見ることはできない。
9月からは、日曜日以外、月〜土まで町内会館は「学習支援教室」として活用され、日曜日が町内会関係及びその他の会の寄合所となることとなった。
町内会館を建設するとき(10年前)、町内の人たちはかなりの金額を負担して土地を購入し、建物を建てたのであるが、その時私は町内会館の活用における原則を明確にしたのである。
つまり「町内会館の活用に際し、その利用料金の徴収については老人と子どもの達のために利用する場合は『無料』とする。」というものであった。
おかげで、わが町内会館は周辺のスポーツクラブ(幼少年の野球チーム、バレーボールチームなど)の懇親会の場所となって賑わっている。
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