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ごみ問題

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うれしいニュースが入ってきた。サッカーのワールドカップでの日本人サポーターたちの「ゴミ拾い」が世界のニュースになって、話題になったのだ。
 
日本人の目からは、「当たり前」の行為ではあるが、世界の目から見ると「最大級の善行」のようだ。
 
けど普段の日常生活において、「ゴミ問題」に取り組んでいる私としては、「ゴミ問題」で日々うんざりしている。
 
第1にわが町内に設置しているゴミ集積所に、「違反ゴミ」(混ぜゴミ、投げゴミ、不適切ゴミなど)が毎日出され、その処理に手間取っている。
 
第2に、町内にある空き地、公園、河川敷や堤防などにゴミがわざわざ捨てられていることだ。そのゴミ拾いに時間と労力がかかる。
 
第3に私のウオーキングコースなどの道沿いにごみが捨てられている。それを拾いながらのウオーキングも結構神経を使うものだ。帰宅時にはゴミ袋がいっぱいになり、ちぎれてくる。
 
以上のように、ゴミを「捨てるもの」がいるのだ。反対に「拾うもの」がいるから、何とかバランスが取れているのだが、やはりむやみやたらに「ゴミ捨て」はしてもらいたくない。
 
「ゴミ問題」は「人間の負」の部分である。その「無限の負」が「核のゴミ」であると思うのだが、そのゴミを「3r」で解決しようとする運動がある。
 
リユース(reuse)、リデュース(reduse)、リサイクル(recycle)であるが、そのほかに、リフューズ(refuse)、リボーン(reborn)などもある。
 
つまり、ゴミを「出さない」ことが一番なのであるが、これは不可能であるから、ゴミ問題の基本はリサイクルであろう。資源の無駄遣いをせず、有効活用するためには、ゴミを集積しなければならない。
 
その行為を象徴的に我が日本のサポーターが示してくれた。ありがたいことだ。
 
このサポーターたちの「善行」を世界の人ばかりでなく、日本国内の日本人も見習ってほしいと感じた。

「抽象」と「分別」

今朝、ごみ集積所を見回った。「違反ゴミ」(混ぜゴミ、投げゴミ、規定外ゴミなど)がゴミボックスにたまっていた。
 
いつものことである。
 
わが上越市では、ごみを細かく分類して出すことになっている。またごみの種類によって、ごみを出す曜日が決まっている。
 
ところがそれを守らない人が後を絶たない。
 
片付けながら思ったことであるが、これは仕方のないことだと思った。
 
まず人間の持っている知能にあると思った。
 
「資源ごみ」(缶、瓶、ペットボトル、プラスチック類、段ボール、新聞・雑誌、紙容器など)と「生ごみ」「燃やせないゴミ」「燃やせるゴミ」「危険物」など、これらは人間にとって「ゴミ」として一括できる。この能力は人間の知能である「抽象力」を働かせているからだ。だから、「混ぜゴミ」などの「違反ゴミ」が後を絶たない。
 
また、細かくごみを分類して「分別」するのもまた人間知能の「抽象力」を働かせる。この「分類」=「分別」の能力はちょっと高度の「抽象力」を必要とする。
 
数学でいえば「集合概念」であろうか。簡単な言葉を使えば「仲間わけ」である。
 
小学生は算数でも社会科でも、各教科でこの「仲間わけ」の勉強をする。
 
こうした「分類」するという能力を発揮できるかできないかは、人それぞれの「知能」に依存するから、だれでもできるというものではない。
 
少なくても「混ぜゴミ」であろうが、とにかく「ゴミ集積所」まで持ってきて捨てるということだけでもその人の「知能」を活動せているからだ。
 
なぜならばその「混ぜゴミ」を畑・田圃・空き地・河川敷・川・海など見境もなく捨てないからだ。それだけでも「御の字」だ。その人は「ゴミの捨て場所」=「ゴミ集積所」をしっかりと認識しているのだ。
 
つまり「バカ」(無知・無能)ではないのだ。
 
もう一つ「分類」・「分別」することは「手間暇」がかかる。
 
それは時間がかかる行為でもある。「時間の短縮」という観点からでも「混ぜゴミ」は人間らしい知能を働かせているのだ。
 
ただ問題はその行為が「はた迷惑」であるということに気が付いてほしい。誰かがその「違反ゴミ」を処理しなければならない。そうしないと環境が悪化すること目に見えてくる。
 
「違反ごみ」を処理しながら考えた。「違反ゴミ」は人間的知能を働かせていることはわかったが、もう一つ「公徳心」を持ってもらいたいとも思った。「義」の心である。
 
 
*    違反ゴミ 自分勝手は 困ります
      公徳心を 持てば解決
我が町内にはごみ集積所が5つある。
 
そのひとつは「資源ごみ」を集める集積所であるが、その資源ごみ集積所に「違反ごみ」が山と積まれる。
 
今日は妻と二人でその「違反ごみ」を大袋に入れなおして、市の生活環境課へ電話し、処分してもらった。
 
大袋で20個弱あった。「危険物」、「燃やせないごみ」、「燃やせるごみ」、「プラスチック」、「ガラス」、「空き缶」、その他「生ごみ」をごちゃ混ぜにして出すから、業者はそのような「違反ごみ」を回収せず、「回収できません。」という「赤紙」を貼り付けていく。
 
また市の指定のごみ袋にごみを入れずに、買い物袋などに入れてごみを出しても、業者は「回収できません。」という「赤紙」を貼り付けて、ごみボックスに残していくから、どんどんたまっていく。
 
ついにこの1ヶ月で、小型のごみボックスが「違反ごみ」だけで一杯になったので、妻と処理することとした。
 
違反ごみを分別し、整理していくと本当に腹が立ってくる。
 
「生ごみ」の中に「犬の糞」を入れてあったり、「犬の糞」をそのまま、ごみボックスに投げ入れていく「愛犬家」がいるのだ。
 
*私の靴も手袋も「犬の糞だらけ」だ。
 
また今回は、大量の「ビデオテープ」が投げ捨てられていた。
 
我が町内は違反者にとって「天国」なのかもしれないが、度が過ぎると考えざるを得ない。
 
どうしたら円満に行くかを考えているが、恐らく「良い知恵」は無いかもしれない。
 
*「違反ごみ」1個につき3000円の罰金制を採用したが、誰が出したか証拠を出さなくなった。かつては「領収書」とか「手紙類」が混ざっていてすぐに分かったのだが。
 
福島県の「放射能汚染処理」でも恐ろしいほどの違反が横行しているのだから、「ごみ処理」は人類永遠の課題であり、危機的課題なのかもしれない。
 
 
*「エントロピーの法則」という法則があるそうだ。エネルギーを出せば出すだけ、それに比例するように、負の産物が生まれてくるという。(かなり難しい計算式があるが、計算は専門家に任せて、私にとっては簡単な概念だけで足りる。)
 
*公害も地球環境汚染も「エントロピーの法則」のなせる業、ということだ。
 
 
「法則」なのだから、人間の力に潜む「矛盾」を解決しない限り、「解決不能」ということになる。
 
つまりエネルギーを「発明しない」「使わない」「出さない」ということになるが、それは「人間は地球にとって生きていく資格無し」ということになってしまいそうだ。
 
けど、生まれてきた以上は「生きていく」しかない。しかも「強く生きていく。」
 
歌の歌詞にもある。「強く生きるよ 生きてることが いつかは君に 幸せ運ぶ」と。
(なかにし礼作詞『君は心の妻だから』の3番、 鶴岡雅義作曲 東京ロマンチカ歌)
 
ごみ問題で滅びたくないものだ。低開発国ではごみの山が「生活の場」になっているところもあるという。
 
やっぱり「世も末」かな。 
 
 
 
 
*       ごみ捨てが でたらめすぎて 危機を呼ぶ
         大地を汚し 自ら滅ぶ
 
 
 
*『君は心の妻だから』の歌詞は以下のとおり
1番 愛しながらも さだめに負けて
   別れたけれど 心はひとつ
   ぼくの小指を 口にくわえて 涙ぐんでた 君を
   ああ、今でも 愛している
   君は心の 妻だから
 
2番 めぐりあえたら 離しはしない
   二人といない やさしいひとよ
   君のうなじの あのぬくもりが 忘れられない 今日も
   ああ、思えば 涙が出る
   君は心の 妻だから
 
3番 強く生きるよ 生きてることが 
   いつかは君に 幸せ運ぶ
   ぼくにすがって 胸をたたいて きっと泣くだろ 君は
   ああ、その日を 夢見ている 
   君は心の 妻だから
 


 
小さな話ではあるが、我が町内に5つのごみ集積所があり、そのひとつが個人の住宅の近くにある。
 
そのごみ集積所を新設するに当たって、ゴミ出しの申し合わせ事項(決まり)を住民自身が作った。いくつかの申し合わせ事項の一つに「車でのゴミ出し禁止」がある。
 
つまり騒音防止(ごみボックスの扉の開閉音ばかりでなく、車の扉やトランクの開閉音)のためだ。
 
また「違反ごみを出さない」ということも当然の決まりとして作ったのだが、守られていないと近所の方から苦情が来た。
 
早速、この件について回覧を出した。決まりを守ってくれることを望みながら。
 
 
違反ごみが相変わらず絶えないので、我が町内会では「違反ごみ1点につき三千円の罰金」制を導入した。
 
*私が「毎日違反ごみの始末に追われているのでどうしたらいいか。」と役員会で相談したら、「罰金制」が提案されたのだ。
 
私はすぐさま、全世帯にこの「罰金制」について案内を出した。
 
ところがそれでも直らない。大量の違反ごみが出されるのである。
 
「違反ごみ」とは出してはいけない「ごみ」である。回収業者がその違反ごみを回収しない。結局町内で片付けたり、処分しなければならない。
 
違反ごみの中身を調べても「足」のつくようなものは何も無いから「罰金」が請求できない。
 
違反者はそれなりに気を配って違反しているのだ。いい方向に気を配ってくれればいいのだが、他人迷惑の方向に気を配っている。
 
お粗末だ。
 
翻って、東日本大震災と東電の原発災害のごみ問題は大変だ。
 
人類は結局「ごみ問題」で自らの命を絶つのだろうか。悲しくなってくる。
 
 
*       人類が 生まれて以来 悩みつつ
         解決できず 埋もれ行くゴミ
 
*       少しでも 周囲の美化に 努めたい
         醜悪ゴミに 挑む毎日
我が町内にはかつて5つのごみ集積所があった。
 
そのうちのひとつはやたらと外部者が違反ごみを出すので、「撤去してほしい。」と、町内の利用世帯者からの要望があり、撤去した。結局4つの集積所にまとめられたのであるが、その分ひとつの集積所に利用世帯が集中することとなった。
 
すると、集中したごみ集積所のそばの家の人がまた文句を言い出してきた。
 
この集中したごみ集積所は「違反ごみばかりではなく、このごみ集積所の利用世帯がのべつまくなしごみ捨てに来て、ごみ捨ての時間帯を守らない。その上、ごみボックスの扉をガチャガチャとうるさく開閉するので睡眠妨害だ。」と訴えてきた。
 
また「車で捨てに来るから、車のドアの開閉もバタンバタンとうるさい。我慢できないからこのごみ集積所を撤去してくれ。」と言ってきた。
 
私は、町内に回覧で注意を促したがまったく効き目がないようであった。
 
ついにそのごみ集積所のそばの家の奥さんはノイローゼになって寝込んでしまい、病院通いとなってしまった。
 
ごみ集積所を移設したり、新設するためには市当局に申請を出し、許可願いを出さなければならない。その申請書で一番難しいのは、「市道」をごみボックスが占有してしまうことである。
 
適当な敷地がないから、市道の使用とならざるを得ない。市道の使用に当たっても市の許可が必要だ。簡単ではない。道路は道路であって、ごみ置き場ではないからである。またごみボックスは冬季の除雪排雪の邪魔になる。
 
どの世帯も自分の所にごみ集積所を持ってきては困る。
 
ごみは生活していくうえで必要悪のように出てくる問題であるから、頭が痛い。各世帯はそれなりにごみ減量の努力をしているのだが、ごみは年々増加傾向にある。また違反ごみも増加している。
 
毎日町内のごみ問題で頭を抱えている。
 
 
*       ごみの処理 ほっておけない 問題だ
          ごみを出さない サルになりたい
 
*       深刻だ 震災ガレキ どうするの
         小さなごみの 比ではないです  

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