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このところ超低金利が続いている。「ゼロ金利」などと言われてから久しいが、最近は「マイナス金利」だという。
通常金利がマイナスになるということは、お金を借りると、利子を付けて返すのではなく逆である。お金を借りると利子がもらえて、お金を貸したり、預けたりすると元本が減ることとなる。そうすれば、お金を預けたり、貸し付けたりはしないと考えられる。
銀行はどのようにして「稼ぐ」のだろうか。不思議でならないが、けど銀行の「貸付金利」はマイナスではなく、プラスである。プラスと言っても低金利で、ゼロでもなく、マイナスでもない。
と言うことを考えてみると、世の中の経済活動が著しく低迷状態にあるということであろう。企業はその超低金利で銀行からお金を借りて事業(販売活動の積極化や設備投資の拡大など)を展開するだろうから。それでも超低金利が続くということは企業は経済活動の将来に希望を持っていない、と言うことに他ならない。
だから株価が超低金利で、吊り上がったとしても、企業の利益(配当)に期待が持てなくては株取引は低迷して下落すること必然であろう。
であるから超低金利政策、あるいはマイナス金利政策とは企業の経済活動が不活発である証拠だと考えて間違いない。
企業の販売活動も生産活動も不活発なところで日銀が低金利政策や政府が財政政策などであれこれしてもどうにもならないように思えて仕方がない。
問題の本質は供給の過剰(資本過剰)とその反対の需要不足にあるのだろうから、まずは供給過剰の状態解消と需要喚起にあるのではないかと思うのである。
供給過剰と需要不足を解消するということは、企業の技術革新以外に方法はないように思える。
同じものをマンネリズムで供給(生産)し続けても、仕舞には過剰に陥る。したがってそれは同時にその品物の需要は充足し、誰も求めなくなる。そのいい例が家電製品(テレビなど)であり、ケータイ等であろう。最近では家屋が過剰になっているという。(空き家が増えて、新築家屋の販売が低迷しているらしいのだ。)
顧客が求めているものが何であるかを探らなくてはいけない。それが市場調査であるが、政府や日銀は未来に向けた「市場調査」などしない。企業自ら未来に向けた「市場調査」をしなくてはいけない。
我々一般人が胸を躍らせるものは、スポーツであり、芸術であり、最先端の科学技術(航空宇宙産業・医療産業等)であろう。その方面での切り口を企業は考えて技術革新を積極的に推し進めていかないと、短絡的に「戦争経済」を求めていくことになるから金融資本主義は恐ろしい。
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経済の理論
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今日の午後、とある料亭で市内の町内会長の研修会があった。研修が終わった後はそれぞれの地区のテーブルに分かれての飲み会であった。
その飲み会の席での話だが「株取引の話があった。隣の席の人が私に「株をやってますか。」と聞いてきた。私は「やってません。」と答えた。さらに私は続けて言った、私の仲間で「株で損した人、離婚した人、夜逃げして行くえ不明になった人」の話をした。
中でも悲惨なのは「離婚」と「夜逃げ」の話である。
「離婚」は退職金を全部株に投資してすべて失ったのだ。奥さんに愛想をつかれて離縁された男性である。今はみじめそのものだ。借金まみれでどうしようもない生活だ。
「夜逃げ」はかつて5000万円も株で儲けて、堅実な職業(仕事)をやめて、独立してしまった。その彼が私のところにやってきて、「スタッフになってくれないか。」と頼んできた。当然私は断った。「株取引に手を出すなんて、博打に手を出すのと同じだよ。」といって断ったのだ。案の上、彼は破産して、どこかへ雲隠れしてしてしまった。
その話を聞いた隣席の人は、「損をする人がいないと儲ける人がいないから、そういう人もいていいね。」と言った。
株価の上がり下がりの理屈は分かっていても、その「時点」は掴みようがないから、損をしたり、反対に儲けたりして、結局は全体的に言えば、チャラなのだ。そんなものに命を削れない。
*素人はいつまでも「儲け」の夢を見て、「紙切れを買わされるだけで、売りができないでいる。」
隣接に座った人はそれが面白いという。人には人の趣味がある。何に対して「ドキドキワクワク」するかは人それぞれである。
私が「ドキドキワクワク・ドキドキハラハラ」するのは柔道大会である。サッカーの人もいれば、野球の人もいる。けれども「悲劇」を伴うような「ドキドキワクワク・ハラハラ」はしたくない。
今NHKの朝ドラの「マッサン」が「太平洋戦争」という「ドキドキハラハラ」の場面である。若者が出征を強制される。またその時代は「学徒動員」の時代(昭和18年)だ。
現在の国会論戦も「ハラハラドキドキ」感がある。政治家は「好戦的」らしい。
「国民の生命財産を守る」と言っても、結局は国民を戦争に駆り立てて「海ゆかば 水漬く屍(みづくかばね) 山行ば草生す屍(くさむすかばね)、大君(おおきみ)の辺(へ)にこそ死なめ かへりみはせじ」なのだと思うのだ。
この歌「海ゆかば」は「準国歌」だという。つまり国歌に相当する内容が国民の「死」を美化しているのだ。
国民の生命は「国家」に捧げるものとして存在しているという見方である。
私は今の国会論戦の行くへを「ハラハラドキドキ」してみている。
私は「自衛隊員よ、頑張ってくれ、一般国民を動員するようなことがないように踏ん張ってくれ。」としか言いようがない。けど結局一般国民は「自衛隊員」の「後方支援」に回らざるを得ないのだろう。また屈強な国民は兵士に動員されるかもしれない。
町内会長や全国の自治会長は「率先垂範」して「戦争遂行」のために地域住民を駆り立てるべく尽力せざるを得ないのだろう。
その時、私は「死んだふり」をするか、「ボケた振り」をする。実際に「ボケ」ているかもしれないが。その時は幸せだろうなあ。
けど、またそんなのんびりもしていられない。孫たちがいる。少年柔道家たちがいる。
だから私がいつも主張している「貧困層」(貧民)だけはなくしたい。国力の基本となる「中間層」の大幅な拡大であろう。
その意味でも、富裕層の「富の独占」をまずなくさないといけない。贈賄企業、ブラック企業、収賄官僚、金権収賄政治家の一掃である。
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先日ある友人と「ものづくり」について話した。
彼の主張は、「ものづくり」の大切さを強調し、日本の再生は「ものづくり」からだ、と主張する。
私は基本的には彼の考えに沿っているのであるが、私はその「もの」を「使う人」の資質や能力と言ったものも考えないといけない、と主張した。
私の考えの具体的な内容は次のようなことを考えての発言なのだ。
例えばスポーツ製品で、優れた製品を開発したとしても、それを使いこなし、世界のトップレベルの人に使ってもらわないと、「優れた製品」といえどもお蔵入りするか、生きてこないのだ。
また車にしろ、スマホにしろ、何にしろ、「製品」は「使う」ためにある。だからその「製品」をしっかり生かしきって使ってもらわなければ価値がない。
科学技術が発達し、優れものが生み出されてくるが、それらを使いこなされなければ意味がない。
その意味でも科学技術教育における国民の「底辺の底上げ」が必要なのだ。
最高技術でもって作り上げたものは、最高技術を持った人間に使ってもらわなければ普及しない。
その象徴的のものが宇宙科学技術の製品である。その最高技術で作り上げた宇宙科学製品は、最高の科学技術を有した宇宙飛行士たちによらなければ使えない。
日本人宇宙飛行士たちが活躍しているということは、日本の宇宙科学技術において未来が明るい、と言うことを意味している、と私は思っている。
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米国の財政破綻がいま声高に叫ばれている。デフォルト(default)などという言葉がニュースになっている。
辞書を引くと「債務不履行」だという。つまり「借金の返済不能」だという。アメリカは世界1の債務国家なのだが、そのアメリカが借金を返すことが出来ない、というところまで来たとニュースで報じている。期限は8月2日がそのタイムリミット。1週間後に迫っている。
どうなることやら。米国の支払いを予定している国々、諸金融機関はそのあてが崩れると、その国々や諸金融機関も返済不能に陥る可能性がある。
つまり、入金を予定して、借金しているものにとってはその金融機関自身が返済不能に陥り、これが連鎖反応となって、世界中を駆け巡ることとなる。
日本はどうなんだろうか。米国からの入金予定している機関で、同時に返済不能に陥ると予想される金融機関はどれほどなのだろうか。
国際的に見れば、日本ばかりでなく、中国もアメリカに対して世界1の多額の債権を保持しているという。
そうすると、中国の経済は日本経済以上に破綻が厳しく襲ってくることとなる。
そうなると、日本経済はアメリカ市場、中国市場が最大級の依存市場である。米国経済と中国経済が破綻すると、必然的に日本経済も破綻するであろう。
今日本は危機的状況にあるのだが、それに追い討ちをかけるような危機の到来にあるという。
日本経済に破綻と財政破綻が同時に襲ってくると、当然政治的混乱は避けられない。そうすると「独裁政治」待望論が台頭する。
今日の午後、我が上越市長が市民との対話集会で市の「財政危機」について訴えた。
事業の見直しをして「精選」すると言う。優先度を決めて、優先順位から事業を進めていくというから、限られた財政状況下で、独裁的に決定されることとなる。
財政危機は独裁政治を生んでいくようだ。くわばら、くわばら!
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昨日、友人と温泉に向かって行った先は中山間地の奥深い山奥であった。
曲がりくねった山道をくねくねとたどって、温泉場へたどり着いた。
その道中で、とんでもない公共事業(道路建設)を見た。
谷間に巨大な橋を作って山道を切り開いていたのである。温泉場へ行く近道である。
ところがその巨大な橋と道路はほとんど近道にはなっていないのだ。
今のままでの曲がりくねった山道で十分なのだ。それをわざわざ谷間に巨大な橋を組んでまっすぐな道路を建設している。その起点と終点を結んでも、現在の曲がりくねった道の距離とは時間にして30秒も差がない。
また今の曲がりくねった道路も危険性はほとんどないくらいに緩やかなのだ。
私は、「まったく無駄のことをしている。」と吐き捨てるように言ったら、「友人は、笑いながら『雇用対策』だな。」と言った。
この公共事業によって巨額の投資が行われ、建設業者にお金が流れていくことは間違いない。
しかし、ほとんど人通りのない山道に巨大な橋と道路は生かされることなく眠ったままであろうことは想像に難くない。
私はこうした作り上げたものが活用されることなく「無価値」の状態にさらされるような投資は「浪費的消費」だと思っている。
投資の原則は「新たな価値を生み出す」ものでなければならない。それが「生産的消費」というものなのだ。
「公共事業」による社会的投資は、その公共物において社会的価値を生み出さなければならない。無価値な社会的投資は「浪費的消費」であって、税金の無駄使い以外の何ものでもない。
日本の財政が窮状にあえぐ根本原因はこうした「浪費的消費」にあるのだ。
その最たるものは「無能な国会議員の歳費」であろう。
「泥棒」に「追い銭」をやったら「浪費的消費」であり、「有能者」に「奨励金」をやったら、それは「生産的消費」となる。
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