又吉直樹『火花』

現役のコメディアンが書いた小説ということで、どこかただの流行り物のような扱いを受けていた本作だが、実際に読んでみると、想像していたよりもずっと面白かった。やはり何事も、最初から大衆の評価はこうだからこうなのだ、などと決めつけることはせず、自分の目で確かめてみることが必要だなと思った。
この作品に出てくる神谷という漫才師は、主に漫才のために、そういった自分自身の物差しや感情、考えを、誰にも左右されることなく大事にし、行動していた。ふつう人間は、大なり小なり世間体などに左右されて自分の考えを曲げることがあったりするものだが、それをしないような人のことを、良くも悪くも、非凡というのだろう。主人公の徳永は、そういった神谷の唯一無二さに惹かれていたのだなと思った。
個人的に、吉祥寺の喫茶店の店主から1本しかない借りた傘を、たとえ雨が店を出てすぐ止んでしまっても、神谷は店主の厚意を無下にしないためにずっと差し続けていたというシーンが好きだなと思った。また、徳永と神谷がメールでやりとりをするときに、必ずと言っていいほど、文末にシュールなフレーズを一言書いているのが、わけがわからないけれど、面白かった。
私は特にお笑いが好きなわけでも詳しいわけでもないが、この『火花』を読んで、なるほどと思うところや面白く感じたところがいくつもあった。つまらないと言う人もいるけれど、私はこれはコメディアンである作者にしか書くことができない、良い作品だと感じた。本職の小説家でなくとも、誰だって小説は書くことができる。自分にしか書けない作品を書こうという気持ちこそが大事なのだと思った。

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『イン・ザ・プール』というタイトルを見て、プールなんてもう久しく行っていないな、泳ぎたいな、そういえば前に最寄駅の近くにあるプールに通うかどうか検討していたな、などとぼんやり考えていたのだが、まさか本当にプールに入る話とは思わなかったので、読んでみて少し驚いた。イン・ザ・プールとは比喩だと思っていたのである。
この話の主人公は、心身症を解消するためにプールで泳ぐことを始めたが、次第にプール依存性に近い状態になってしまう中年男性である。
依存というのは、非常に怖いものである。何かに熱中するのは楽しいことではあるが、あまりにのめり込みすぎると、それがなくなってしまったとき、きっとどうしていいかわからなくなってしまうだろう。
そんな状況にならないようにするためには、自分が熱中するものを増やすことが大事なのではないかと思う。
柱が1本だけしかなかったら、その1本が崩れたとき、全体も瓦解してしまうが、柱がたくさんあれば、1本崩れても他の柱で支えることができるからだ。
私はなんとなくそんなふうにして、自分が困らないように予防線を張っている。

話自体はよくわからなかったが、とりあえず主人公が心身ともに回復し、家族とも険悪な関係のまま終わらず、仲直りして良かったなと思った。
また、良い機会なので最寄駅のプールにも足を運んでみようと思った。依存しない程度に、あくまで楽しみのひとつにできたらいいなと思う。

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武者小路実篤『友情』

どちらかというと、主人公の野島よりも、杉子や大宮に共感しながらこの本を読んだ。とはいえ、野島にも共感しないわけではなかった。ただ、哀れだなあという思いが強かった。

野島は恋心を抱いている杉子に対して、自分の理想を押しつけ、まるで、偶像崇拝のように杉子を尊いものとして、一人で舞い上がっている。恋に恋しているという表現がぴったりで、現実の杉子のことがまったくと言っていいほど見えていない。過度な好意や崇拝を向けられることは、ふつうの人間はあまり耐えられない。杉子が「野島さまのわきには、一時間以上はいたくはないのです。」と言うのも無理はないだろう。
恋や、恋に恋するというのはとても楽しいことなので、野島の気持ちもわからないでもないが、思いを寄せる相手と結ばれたいというのであれば、もっと地に足のついた気持ちを持つべきだと思った。

大宮は野島と杉子の間に挟まれながらも、最後まで友情を大切にしようとしていたところに好感が持てた。結局は恋愛を取るが、それはそれで、人間らしいな、と思った。

私が大宮と同じ立場に置かれたら、そのときの状況次第ではあるものの、たぶん、友情を取ると思う。恋愛の関係は必ずと言っていいほどいつか終わりが来てしまうが、友達は大切にしようと心がけていれば、一生その関係は続くものだと思っているからだ。
もう少し人生経験を積めば、また考え方は変わるのだろうか。あと10年くらい経ったら、またこの小説を読んでみようと思う。

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前回に引き続き今回も海外の小説を翻訳したもので、個人的にあまり翻訳物は得意ではないのと、重厚な雰囲気から読む前は若干気が重かったものの、いざ読み進めてみると思いのほか読みやすく、美しい文章に感嘆した。
冒頭の、ユーグの妻についての描写があまりに綺麗で、ユーグの目には妻は芸術品のように見えていて、それだけ妻のことを愛し、大切に思っていたのだということが伝わった。
でも、遺品である妻の髪をガラスケースにしまっているというのは、最初は面食らった。しかし、箱に入れてしまっているのでは墓に入れているのと同じ、というのと、妻のことをそれだけ美しい存在だと慈しんでいるのであれば、気持ちはわからなくはないかなと思った。
初めの美しさとは打って変わって、ジーグがジャーヌという妻に瓜二つの女性と出会ったことで、物語はどんどん破滅的な方向に向かっていく。人間は美しい感情だけではなく、醜い部分もあるというのがよくわかった。

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『レインツリーの国』を読み終えたあと、私は率直に「美しい話だったな」と思った。
この本で描かれていることは、決して綺麗事ばかりではない。伸もひとみも、人間なのでそれぞれイライラしたり無神経な発言をしたりという部分があり、喧嘩をし、気持ちのすれ違いが何度も起きている。1のエレベーターのシーンや、ひとみが会社の人間とうまくいっていない描写は、読んでいて苦々しい思いを抱いた。
それでも、読了後は心にすっと風が吹いたような清々しい気持ちになり、思わず涙までこぼれてしまった。
それは、伸もひとみも、きちんと聴覚障がいと、それからお互いと向き合い、心を通わせることができたからなのではないかな、と思った。

障がいというものは、人の心にフィルターをかけてしまう。
伸もひとみもそうで、伸は聴覚障がいがある人は音楽が聴けないと思っていたし、ひとみは聴覚障がいがあるということを伸が知ったら同情で優しくすると思っていたし、聴覚障がいがあるから、普通の女性と同じようにデートはできないと考えていた。
でも、決してそんなことはなくて、確かに聴がい障害があると行動には制限がかかるものの、聴くということに関してまったく何もできないというわけではないのだと描写されている。

――質問が重なるごとに、伸が健聴者で自分が難聴者であることが浮き彫りになったが、それは数を重ねるごとに互いを区別する単なる記号と思えるようになった。

伸とチャットでやりとりを重ねるようになったあとの、ひとみのモノローグの一文が、妙に心に残った。
健常者であっても、人には個性や得意不得意なものが必ずある。だから、例えば人混みが苦手な人とはなるべく静かなところで会ったり、魚が苦手な人とは食事をするときには寿司屋などは避けたりなどの、気遣いをする。
そういったことと同じように、障がいがあるからといって可哀想に思って特別に優しく接するなどではなく、その人個人を理解しつつ適切な配慮をすることが必要なのではないかと考えた。
障がいがあろうとなかろうと人は人である。人と交流を深めることには、相手を理解すること、気遣いが必ず要るもので、ただそれだけのことなのだと、私はこの本を読んで思った。

感想文の課題図書は大抵締切の当日に読み終える私だが、この本は珍しく締切より1週間も前に読み終えた。
読み始めてから面白くてあっという間に読み終え、ああ良い話だった、感想を書こう、書きたいことがたくさんあるなと思ったまでは良かったが、なかなか筆が進まなかった。
正直、私は文章を書くのが下手で、語彙も乏しい。だから、こんなに良い本なのに、自分の書く感想はどこか幼稚なものになってしまうというのがなんだか申し訳なかった。
でもこうして書いてみて、とにかくまずは書くことが大事なのかな、と思った。
感想文を書き始めて、ようやく1年が経った。面白い文章は私には到底書けないが、伸やひとみのように言葉を大事にして、自分なりの感想を書いていければいいな、と思う。

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