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アンソニー・マン監督、ゲーリー・クーパー主演の西部劇です。 <物語>リンク・ジョーンズ(ゲーリー・クーパー)は、町の代表として学校教師を捜しに行く途上の汽車の中で、サム(アーサー・オコンネル)とビリー(ジュリー・ロンドン)の2人と知り合う。しかし燃料を積むための停車中、強盗に襲われた列車は急発進、リンクとサムとビリーの3人だけが山間に取り残されてしまう。途方に暮れたサムとビリーを、リンクはとある廃屋に連れていく。そこには先ほどの列車強盗たちが陣どっていた。彼らの首領はドック・トービン(リー・J・コッブ)。実はリンクはドックの甥で、20年前まで悪党としてこの一味で鳴らしていたのだった・・・ 感想は・・・ちょっと好き嫌いは分かれそうですが、間違いなく非凡な作品だと思います。西部神話の終わりを描いた、終末観の漂う映画です。 「ゲーリー・クーパーというハリウッド最盛期の傑出した俳優の老齢も手伝って、西部劇というジャンルそのものの終わりを告げているよう」な作品で、実際にクーパーは出演当時、馬に乗るのもやっとだったと伝えられます(しかし、その割には力の入った熱演でした)。 ヒロインのビリーには、あの「cry me a river」などで有名な歌手ジュリー・ロンドンが扮しており、こちらもなかなかの好演です。 強盗団の首領で、リンク(クーパー)の養父でもあった男を演じるのはリー・J・コッブ。クーパーより10歳ほど若いコッブですが、本作では何とそのクーパーに「old man」呼ばわりされる老人役に挑戦しています。 特異なのは、このコッブが気がふれてしまっていること。クーパーは(連れの2人に危害を加えられないために)コッブの仲間に戻ったふりをするわけですが、それをあっさりと信じて受け入れてしまいますし、長年狙っていた銀行に皆で強盗にいくと既にそこはゴーストタウンになっている、といった按配です。要するに、コッブ(とその一味)はあくまでも西部神話のパロディのような存在なのでしょう。 終盤、一味はクーパーと対決し次々と斃れていきますが、そこにも心なしか物悲しさのようなものが漂っていて、「西部劇の終焉」、「西部神話への挽歌」などといった言葉が思い浮かんできます(しかもマン監督はこの後、西部開拓時代の終わりそのものを描いた『シマロン』を最後に、西部劇を撮らなくなってしまいます)。 序盤はのどか、中盤以降はややヘビーになる異色な脚本を書いたのは、『十二人の怒れる男』で知られるレジナルド・ローズ。素晴らしい撮影は『風と共に去りぬ』、『最前線』などのアーネスト・ハラーです。もちろんマンによる演出も、相変わらずケチのつけようがないレベルのものでした。 「私はグリフィス以降(こう言っていけないわけがあろうか?)これほど斬新ななにかを見たことは一度もない」(ジャン=リュック・ゴダール) 「シェイクスピア悲劇を、西部劇にマンはもちこんだ」(山本哲士) |

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見られましたか!見たいと思っている作品のひとつです。これでマンの映画はほとんど制覇ですね。tさんの中では、『胸に輝く星』が一番のなんですね。
2009/6/17(水) 午前 8:27 [ Jack ]
こんばんは。
「西部の男」「西部の人」…どっちがどっちだか分からなくなる時があります。
クーパー最晩年の作品で、確かに老いが感じられますね。(でもまだ50代ですよね。年令以上に老けて見えます。)
かつての悪人で、その仲間と行動を共にする事になるという設定は「ゴーストタウンの決斗」のロバート・テイラーと重なります。
リー・J・コッブは好きな俳優ですが、この作品ではちょっとオーヴァーアクト気味かなという印象がありますが…。
この作品のジュリー・ロンドンはセクシーでしたね。服をもぎ取られ、肌を露出する、あの時代としてはちょっとエロティックなシーンもあった様に記憶していますが、この作品も随分観ていないので、当てにはなりません。どうでしたか?
ロンドンは確か女優がスタートですね。エドワード・G・ロビンソンの「赤い家」でも色っぽい女の子の役を演じていました。
御存知かもしれませんが、この作品はuser tさんお気に入りのデルマー・デイヴィスが監督しています。380円のDVDになっていますが、このメーカー、今も活動しているか分かりません。
2009/6/17(水) 午後 6:56 [ - ]
Jackさん
これも「1001」に掲載されていましたね。個人的には『胸に輝く星』の方が好きですが、本作も非凡な映画ではありました。
本作の場合、マン的な要素に加え、脚本家レジナルド・ローズ(『十二人の怒れる男』)の個性も色濃く反映されているような気がします。
2009/6/18(木) 午後 6:04 [ user t ]
bigflyさん
おっしゃるように、同年(1958年)の『ゴーストタウンの決斗』に近い設定ですね。テイストはかなり違いますが・・・。
リー・J・コッブのオーバーアクトは僕もやや微妙でした。しかし、彼とその一味はかつて(西部開拓時代)のアウトロー達の戯画のような存在なので、おそらくわざとデフォルメ的に演じているのだと思います。
例外はジョン・デナー演じる主人公の従兄弟でしょうか。『怒りの河』におけるアーサー・ケネディ同様、彼は主人公の分身(アウトロー時代の自分)であり、その分身を倒すことによって主人公は過去の自分を克服できる、というのが本作に対する一般的な解釈のようです。
ジュリー・ロンドンの例のシーンは有名ですよね。確かに当時としてはちょっとエロティックだったかもしれません。
『赤い家』はどうやら廃盤のようです。アマゾンで検索しても見つかりませんでした(^^;
2009/6/18(木) 午後 6:05 [ user t ]