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内宮参道を進み、御正殿敷地の石垣(西の御敷地)が見えるようになると、調度角の部分に、巨岩が敷地を守るように立っている。 これが 籾種石といわれる石である。
籾種石は、江戸時代、天明年間の神宮御造営(1781年-1789年)の時に、楠部郷(現在の伊勢市楠部町)の人々が、この大岩を神宮に奉献しようと、五十鈴川上から苦難をかさねて運び奉納した石と伝えられる 遷宮に奉仕する地元の人々の思いを象徴した石である。
奉納した時代は、江戸四大飢饉といわれる天明の大飢饉の頃。
米の物価が上がり、幕府の税を受けない神領といえど、奉仕する人々の食料は欠乏し、来年、田に植えるための籾種まで食べつくしてしまったと言う話から「籾種石」と呼ばれるようになったそうである。
※ 伊勢でも天明の飢饉で、米と油を買い占めた家を襲う、米騒動(こめそうどう:米価格急騰にともなう暴動事件)が起きている。
さて、籾種石と呼ばれる巨石であるが、姫路、大阪、名古屋、江戸城等の石垣と比べると正直小さいく、1797年に発刊された「 伊勢参宮名所図会 」の中には、籾種石が描かれていないところからすると、その当時、石垣を村人が作るのは、労役という税として当たり前のことだったのかもしれない。姫路城の石垣には、石臼まで村人が提供しており今も残っていたように覚えている。
しかし天然石を村の人たちが、飢饉の年に奉献したのは大変な事業といえよう。五十鈴川上流部には巨岩、奇石が現在もごろごろとあるが、楠部村は内宮より五十鈴川を下ったところにあるから地元の岩を運んだのではなかろうか?なども考えられる。
さて、ここでなぜ「 石 」なのかと言うと 一昨年、木曽から伊勢に入る御用材が人々の手、また神領民の手によって運び込まれ、昨年、2年間にわたる「 お木曳き 」が終わり今年は、鎮地祭(ちんちさい)、来年は、俗と聖をわける五十鈴川にかかる宇治橋渡り納め、渡り始め式が行われ、平成25年には
「お白石持行事(おしらいしもちぎょうじ)※」が行われる。
※ 完成した正殿 ( しょうでん ) が建つ御敷地(みしきち)に敷く白石を奉献する行事。 御木曳行事 ( おきひきぎょうじ ) と同様に、旧神領の住民が揃いの法被 ( はっぴ ) 姿で「 浜参宮 ( はまさんぐう ) 」の後、内宮は 川曳 ( かわび ) き、外宮は陸曳 ( おかび ) きでお白石を運び、白い新しい布にくるみ御敷地に奉献します。「 御木曳行事 ( おきひきぎょうじ ) 」と同様、地元の旧神領民に加え、全国の「一日神領民」も参加します。前回 ( 平成五年 ) は二十一万人が参加。一般の方が正殿の中へ入れるのはこの20年に一度だけです。
まだ5年も先で「鬼も大爆笑」しているであろうが、お白石持ちで奉納する「白石」は神領民自ら、近くの宮川、あるいは県内、県外の川へ集めに行き、一つ一つ石を手洗いし奉献することになる。 そう前述の石とは使用が違うが 石 の奉納も20年に一度、引き継がれていく大切な文化なのである。
そう思って 単なる「 石 」ではあるが、伊勢神宮にある石を見るとまた考えも違ってくるのではなかろうか?
石へ頭を下げる(感謝する) 石へ願う 気持ち。 自然との調和の中で生きてきた日本 人々 歴史。
伊勢に来て いろんなものに触れて見て 人々がここで感謝した想いを感じに 伊勢においないな ☆
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てっつん、おはよ。昔の人たちは、自分達が大変な時でも、伊勢の神事には何があっても参加したかったんでしょうね。本当に、石ひとつにしても逸話があって・・・のんびりとそんな話を聞いてみたいですね。やっぱり、伊勢って神話・逸話の宝庫だね〜♪
2008/1/11(金) 午前 5:57
凄い大きな岩だね〜〜〜いろんな時を経てここにある、凄い存在感です( ̄▽ ̄)ノ_彡☆バンバン!
2008/1/11(金) 午前 9:39
天明の飢饉は、東国の大飢饉で、なぜ西国や伊勢まで影響したのか・・・結局は、飢饉である事で商人が物を買いだめして、江戸周辺で高利で販売したりしたからかな? 神事に参加することは、今でも伊勢の国でに生まれた誇りでありますから。
お木曳きで歌う、木遣り唄に ♪ 伊勢の都に生まれたおかげ お木を曳く身のありがたや ♪というのがあります 苦労してもなんとしてでも神宮様に奉献したい 伊勢人ですから。 むかさん
2008/1/11(金) 午後 2:48
言われてみないと気付かないもの それがあるのが 伊勢です。 れいさん
2008/1/11(金) 午後 2:49