伊勢 おいないな 日記 〜サラリーマンの写真集〜

神風の 伊勢の浜荻折り伏せて 旅寝やすらむ 荒き浜辺に 「万葉集より」

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さよなら♪ 皆様♪ さようなら ごきげんよう ♪
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 本日で、ヤフーブログも終了ですね。

 思い起こせば、ホームページの ヤフージオシティ が終了し、まぁ ヤフーさんらしい選択ですね。 
 確かにブログは、インスタやフェイスブックに代わり、ヤフーチャッ トから ラインに移りコミュニケーションは充分とれ、位置づけが 無駄 になっていたのは事実。  時が来た!! という感じですね。   感謝

 すでに 本名+ニックネームで インスタ、フェイスブック、アメブロもしており、 Twitterは 宝塚歌劇団(最近のはまり事) を中心にお友達と交流(情報交換)いたしております。 笑笑^^

 今後は、ホームページ作り直して、はてなブログかライブドアブログに移る予定。
 正直言うと、記事に結構金かかってるから(笑) 記事 捨てるわけにはいかないし、ブログを通して知り合い 一期一会 、そして旅立たれた方との記憶の部分でもあるし、いろんな方と出会えたし・・・。 

 匿名だと人が変わる!!SNSの怖さを知った勉強の場でもあったしね。 失笑。。

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 現在の 伊勢おいないな日記の てっつん の活動ですが・・・・ まぁ 子育て真っ最中で本業も忙しい中ではありますが、 伊勢に関係する場所を飛び回って 目で見て聞いて確かめる歴史発見活動をしています。
 伊勢の情報発信をする方も増えましたし、観光案内人も増えましたので、 自分らしく  ご先祖様方のアイデンティティ 伊勢への思い をつづるため 自分のための取材活動中です。

 上記の道標地蔵は 伊勢への峠道 青越え にある 地蔵様です。 今も静かに祀られていますがどれだけの人を見送ってきたのか。。。

 動画は、伊賀越え の峠路 に新しくできた トンネル を歩いてきました。 もちろん旧街道も歩きました。
 伊勢おいないな で you tubeは、続けております。 登録よろしく。。!
 

 毎年ですが、京都の愛宕神社 愛宕さんも登っております。 伊勢の大学を出た神主さんがご奉仕されておりますので、毎年少し伊勢のお話をして下山いたしております。 (^^ 最後なんで 私です。。 知ってますわね。笑

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 と いうことで 私は 存分に元気です。 感謝
 ぼちぼちと いいあんばいに やっていくわな。(語尾の な は、伊勢のな言葉)

 皆様もお元気で! そして これからもよろしくお付き合いください。

 伊勢は毎日が吉日 だから伊勢神宮にはおみくじがないでしょ(^^!。
 

 伊勢においないな☆ミ 感謝
 


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本日は、伊勢神宮内宮前の氏神様の会式。

これから 祭典が行われて、内宮前 五十鈴川内を氏神の御霊が巡礼されます。

感謝
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 柳本町新町五智堂 1181620分に通過する。
 太神宮常夜灯であるが、南面には「天満宮」と刻まれまさに進むべき方向を照らす常夜灯である。
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 その後方にあるのが長岳寺への参道で五智堂と呼ばれる建物、1本の太柱で上部の御堂を支え四方に柱で補っている構造で傘堂または四如来の梵字を掲げることから真面堂(まめんどう)と呼ばれている。鎌倉時代の建築で国の重要文化財に指定されている。
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由緒ある傘堂裏にも、地蔵などが祀られている。 
じっくり見たが、そろそろ先を急がないと日が陰り始めてきた。 本日の最終目的地は 纏向 である。JR纏向駅(JR桜井線)があるから電車乗って近鉄桜井駅まで行って伊勢に帰らねば。 しかし、小雨に降られながら近鉄奈良駅から小学生2人とよく歩いてきたもんだ。
 
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 柳本町あたりの上街道は、古墳が多いが宿場であり城下町でもあり、江戸時代に織田家(織田信長の弟長益の五男尚長が明治維新まで支配した)1万石柳本藩の陣屋があったという由緒ある町である。 
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 しかし日の暮れ 先を急がねば。 何か食べて休憩もしたいし・・・。
 
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 兵主神社の鳥居かな? この荒れ具合は何なのか・・・ しかし出歩いている人はいない。 夕食の準備時間であるからなのか。煮物の良い香りがする。。。

 JR纏向駅に着いたが丁度用時間の汽車もなく、行けるとこまで行こうということになる。 駅にいた近所の方に聞いたら県道に出てバスに乗ったほうが電車乗るより早いらしいので歩く。
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 纏向の町中を通る 上街道はJR線路を越える県道となりわかりにくいが、うっすら方向を示すシールが貼られている。 感謝
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 纏向一帯は、古墳時代前期の大集落遺跡がある場所である。
 
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 こんもりとして目立つ箸墓を目指し、旧街道、上街道の高架橋?を降りて5分歩くと 箸墓 である。
 
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 箸墓古墳は、日本最古の前方後円墳で、日本書記に「昼は人が作り夜は神が作り手越しで大坂山(二上山)から運んで築いた」と記されている古墳で倭迹迹日百襲姫命(やまとととひももそひめのみこと)の墓と伝えられる。倭迹迹日百襲姫命は、第7代孝霊天皇の娘で 箸で陰部をついて亡くなり 埋葬された墓だから 箸墓・・・・。 
 もうよくわからない神代の世界だ。
 ちなみに、卑弥呼の墓ではないか?という説もある。神代の世界は文字の無い口頭により伝わってきた史実の世界。ミステリーである。
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 しかし、結構大きく風格ある古墳である。 
 そして一気に暗くなってきた。盆地だから暗くなるのが早いのだろうか?。

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 ここは、何かを口に入れて! 名物のみたらし団子屋がある!・・・・時間は510分 ハイ残念  閉店である。。。
 
 子供たちのがっかり具合ときたら・・・近くのバス停に向かうが、何にもない。
 
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 トイレにも行きたいし・・仕方がないので一つ先の芝バス停に向かい近くのコンビニで安らぎを得る。 
 時間は1720分 結構寒くなってきた。
 そして18時前のバスに乗り近鉄桜井駅までぐっすり熟睡でした。
 
 伊勢に向かう街道は、この上街道と山の辺の道の2種類ある。
 JR三輪駅の周りにも街道を示す道標があり見どころもある。また別の日、一人歩き旅に行くとする。
 平坦な道なので、子供達でもしっかり歩ける上街道でした。難点は、飲食やお菓子などを買う店が少ないし、空いてるか閉まっているかわからないおおらかさがあるところかな。
 
 私には面白い歩き旅でした。 
 伊勢に向かう旧街道散策 伊勢においないな☆ミ  
 
 

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伊勢という地名は、五十瀬(いつせ)からの地名という説がある。
いつせとは、いくつもの瀬があるということ。
 伊勢は、いくつもの川が流れる地であったようだ。 それゆえに山から川へそして海へ栄養分が流れ、天照太御神がご鎮座される豊かな地であったのであろう。
 
さて、今年ももう台風の時期だ。 自然と人間の戦いというか、共存の時期である。 それは過去も現代も形を変えて向き合い続けているものである。
 
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今回、尊くも民のために自然と向き合い 柱 となった 伊勢地方の4人を紹介する。
 
現代的にはナンセンスなことなので、影響されないようにしてください。生きて貢献することが私たちのできることですから。
 
 
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①松井神社(伊勢市中島町)〜 松井孫右衛門人柱 伝説
 
孫右衛門は、毎年の洪水から町を守るため宮川堤に自ら人柱となり宮川堤の難工事の成就を願 って自ら人柱となり、堤防に埋められたという。。
 
    孫右衛門西向き花のここ浄土 〜 山口誓子 
 
度会郡田丸在、曽禰村里中勘吉と言うの四男で、山田中島町字中野の風呂世古に住した伯父の養子となった。古来宮川の堤は洪水の為に数々破損し、 その度に家屋の流失、田畑の荒蕪を来して住民の嘆きであったのを、この孫 右衛門は座視するに忍びず、人々が、この上は人柱でも入るるので無くば堤防も完全に出来まいと言うを聞き、心ひそかに决する所あり、自ら申出でて その人柱に立つ事となった(これについて、袴に継当てをした人を人柱にす べしと申出して自分の袴に継ぎ当てをしていたということ、その娘がこれを嘆いた事などの話は、恐らく長柄橋の人柱の伝説の改作らしい)。然して人柱 に立った模様の伝説には涙ぐましい物語を残している。
 
 さていよいよ孫右衛門人柱となることに定まりしかば、清身淨衣して堤防 の破損せざる様に神仏に祈り、仏具を携え皆々に生別して入棺せしかば、血族朋輩等涙ながらに告別せしも、なるべく息の長く保たんことを欲し、 棺内より堤上まで竹筒を通し、食物等を入れて埋棺し、代わる代わる通夜 せしが、初めの程は竹の筒より鐘の音聞えしも、その音時を経るに隨いて弱くなり。三日目には遂に聞えずなりしかば、最早往生せられたるならん とて、泣く泣くその筒を抜き取りしという。
 
人々これを憐んでその所に供養の石像を安置したが、年を経て荒廃に帰して いたのを、大正四年九月、付近の青年会の人達によって再び修理せられ、そ の墓石に由来が刻せられた。その文によれば、彼の人柱に立ったのを寛永十年八月二十五日としてあるが、年代月日に関してはなお疑問が挿まれている。 〔神都模範人物集〕
 
【出典】宇治山田市役所『宇治山田市史』(昭和4/1929 年)
 
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②藤八頌徳碑(松阪市六根町) 〜 人柱伝説
 
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櫛田川魚見上流(通称中山)付近は湾曲が甚だしく、水勢をまともに受けることで、決壊が多発したため人柱を設置すると堤防決壊を防げるという伝説を基に、藤八翁は1822年、人柱として生き埋めになられた。
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人柱となってからは、水害も無くなり、藤八翁を郷土魚見の守護神として崇めた。 1933年の櫛田川大改修において、中山堤防から人骨と鉦が発掘され、人柱は事実として実証される。
 生き埋めの準備として、棺桶に食料と鉦、撞木を用意し、3日後に鉦の音が停止したと伝えられている。
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人柱の言い出しは藤八翁自身であり、くじ引きを行ったところ、本人が人柱くじを引き当てたと伝えられている。
 
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浄保法師五輪塔(度会郡大台町相鹿瀬)〜熊野街道 鬼女峠付近〜

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 貞亨元年(1684)伝染病の流行から村を守るため、自ら生き埋めとなり仏に救いを求めた浄保法師のために建てられた五輪塔。
 
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④正念塚(度会郡玉城町茶屋)〜 伊勢本街道 〜
 
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この地で重い病にかかり、街道を往来する旅人の安全を祈って人柱に立ったといわれる僧・正念の供養のために建てられたと伝えられる。
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「玉城町 昔話より」※初瀬街道とありますが伊勢本街道とおもわれます。
 むかしむかし、正念さんという六部(ろくぶ)がいました。六部というのは、法華経を書き写し66ヵ所のお寺に奉納する修業僧のことで紺木綿(こんもめん)で包んだ鉢形の笠をかぶり、厨子(ずし)入りの仏像を背負い鉦(かね)を鳴らして各地を歩いていました。
その正念さんが初瀬街道(はせかいどう)の上田辺(かみたぬい)の茶屋(ちゃや:地名)にさしかかった時、長旅の疲れが出てきたのか、顔は青く今にも倒れそうな歩き方をしていました。通りかかった村人が、
「だいじょうぶですか?」
と声をかけると、そこでばったり倒れてしまいました。
「おーい、みんな手をかしてくれー」村人の呼び声で、たちまち人だかりができて皆で家まで運びました。
ぐっすり休ませてもらった正念さんは、目がさめたときは顔色もよくなり、食欲もでて元気になってきました。
村の人の手厚い看護に正念さんは涙がでてきました。修業とはいえ、苦しいことばかりです。
こんなに親切にしていただいて、お礼をしなければ正念さんの気がおさまりません。しかし、正念さんは、お金も、親兄弟もなく一人ぼっちで巡礼している僧です。
そこで正念さんは、初瀬街道を往き来する旅人たちの安全を祈って、人柱に立とうと決心しました。人柱とは、人を生きながら水の神や、地の神へささげることです。
自分を犠牲にしてまで、世のなかの人の役にたちたいという正念さんの言葉に、村人たちは驚きました。
「そこまでしなくても」「いや私の気持ちです」
という押しもんどうが、何度も繰り返されましたが、正念さんの決心はかたく止めることが出来ませんでした。
正念さんは、自ら穴を掘って、節を抜いた青竹をさし込み、人柱に立ちました。
竹筒の中から、念仏の声がかすかに洩れ聞こえていましたが、だんだん途絶えがちになりとうとう何も聞こえなくなってしまいました。
それからの初瀬街道は、正念さんの信念が通じたかのように、軽い足取りで旅をしている風景がみられるようになりました。
村人たちは、正念さんの死を憐れんで塚を築き供養しました。

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誰がために 他がために 自らできることは身を投じる
 今では悲しい時代の出来事である。 時代を生き抜く 過去を敬うこと 讃えること そこから学ぶことが大事である。
 これからの季節気象の変化に十分お気を付けください。
 伊勢においないな☆ミ


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わしが国さは お伊勢が遠い お伊勢恋しや 参りたや
〜伊勢音頭〜

築榊講常夜燈(つきさかこうじょうやとう)

 寺戸町初田にあり、天保13年(1842)に伊勢参りの講の一つ、築榊講の人々によって建てられました。
 以前は、阪急東向日駅前の西国街道と府道向日町停車場線の合流地点に所在していましたが、平成28年(2016年)7月21日に西国街道の入口に移転した 総高においては市内最大の常夜燈です
 現在は、家並みの谷間になっていますが、かつては一際高く明かりが灯され、西国街道を往来する人々の安全を祈っていました。。この築榊講は、現在も活動しており、その象徴として民俗文化財に指定されました。
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 都の中心部から離れた(長岡京時代は都)場所にまさか、太神宮常夜灯(だいじんぐうじょうやとう)があるとは! しかも 大神宮の大の字が 太 にちゃんとなっているし、御影石作りで流体系の美しい品のある常夜灯で、ただ大きいものではない。 都らしい常夜灯の作りだ。

 江戸時代、この地から伊勢へ向かうものも多かったのであろう。 
 ええじゃないかええじゃないか と 伊勢へ向かうものも多かったに違いない。
 迎える 送る 感謝 想いの形が 伊勢への道のりを照らす 太神宮常夜灯 である。
 こんなに離れた場所で、なかなか見ない綺麗な形に見とれてしまった 私 なのでした。

伊勢においないな☆ミ

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