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兵庫県明石市に行ってきました。
何をしに行ってきたかというと、オークションで落札した125ccバイクを受け取りに行きました。
手入れが必要な状態ですが、ストレス発散!!ボチボチいじりながら趣味の世界を楽しみたいと思います。
さて、私が旅に出た時は必ず、一つは地元神社さんを参拝することをライフワークにしています。
ということで
「 明石 岩屋神社 」 に参拝させていただきました。
神社に行くまでは、明石らしい漁港の雰囲気を楽しみながら、残念ながらポツポツ雨が降りだしています。
伊勢から明石市まで、朝1番電車で3時間半につきました。 ちなみに帰りは自走していきましたので、125ccは、高速に乗れないず下道を走るためか伊勢に帰るのに8時間かかりました。(ーー; しかも雨で寒かった。。
道中安全を祈願するためにも、気合入れるためにも参拝です。
祭神は、伊弉諾尊、伊弉冉尊、大日霊尊(天照皇大神)、蛭子尊、素盛鳴尊、月讀尊の6神。
家内安全、商売繁盛、昌招福の神、災厄消除、縁結びの神とされ、明石城主の氏神様である。
境内から、表参道の行き着くところは海。 港。 明石らしい神社であった。 感謝。
伊勢にもおいないな☆ミ
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全国の神社
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和歌の跡とふや出雲の八重垣霞
〜 松尾芭蕉 〜
出雲大社の参拝を終えて、宿泊地の松江市内に到着したのは20時。
出雲大社と松江市って結構離れてるんだね。ローカル電車だったので時間がかかりましたよ。
結局 たちキュー でアルコール燃料を入れることなく、車窓から徐々に暗がりに包まれる宍道湖を眺めておりました。
JRの特急電車だと「宍道湖(しんじこ)は島根県北東部に位置し、日本国内で7番目の大きさです。うんぬん・・・」という車内アナウンスが車掌の肉声で流れます。 結局4回ほど案内を聞きました(^^;。
時間がゆっくり流れる。いらいらしてもあせっても仕方が無い。 そんな時間をすごすのもたまにはいいものだ。 ゆっくり休んだ後は、早朝の散歩である。
松江市は、城下町と水路の多い 水の町 である。
川岸で釣りをするおじさんの竿がしなるが、ばらしたようでだめだといいながら、野猫がおじさんをじっと見ている姿もほほえましい。
しばらくすると湖につながる河口付近にたくさんの船が集まってきた。
名物の しじみ 漁をする船だ。
川岸近くからしじみを採る風景は、自然と人が共存し美しく感じる。
少し散歩して、朝を迎えた夜の繁華街を歩く。
この周辺の地名は 「伊勢宮」 伊勢の宮がどこかにあるはずと散策してみたが 「新天地」はあったが、残念ながら伊勢神宮の分社てきな 神明神社を見つけることができなかった。
この近辺に御鎮座されていたのは 売布神社(賣布神社:めふじんじゃ)
速秋津比売神を主祭神とし、五十猛命・大屋津姫命・抓津姫命を相殿として祀る。
元は意宇の入海(宍道湖)西岸に鎮座していたといわれ、潮流や地形変動に伴い東へ遷座を重ね、13世紀頃に現在地で祀られるようになった。白潟大明神・橋姫大明神と称した時期もある。
「出雲国風土記」に「賣布社(めふのやしろ)」、「延喜式」には「賣布神社(めふのかみやし ろ)」と記された古社であり、社名の『めふ』とは、海藻や草木の豊かに生えることを意味している。
元の鎮座地は、古代名の「意宇の入海(おうのいりうみ)」(今の宍道湖)の西部湖岸と考えられ、 潮の流れや地形の変動に伴い遷座され、岩崎鼻(袖師ガ浦)に鎮座した時代もあり、潟地が広がって 白潟(しらかた)の地が形成されて現在地に遷座されたのが十三世紀頃と考えられ、「白潟大明神」 とか、十五世紀には「橋姫(はしひめ)大明神」とも称され、水郷松江の産土神(うぶすながみ)として 鎮座した。
また、中世には港町「白潟」の宮座の権利として神田や漁業権を保有してきた歴史があり、祭儀では 摂社の「櫛八玉神」の御事蹟と関連して、古代神話の国譲りの段に因む神事が継承されてきた。
参拝して、清々しくなって、少々距離を伸ばして散策すると小泉八雲の何らかの人か由緒とか。
あせることなくゆっくりできることが最高の贅沢である。
湖の風はここちいい。
神話でつながる日本。 出雲の国。
伊勢にもおいないな☆ミ
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小泉八雲(ラフカディオハーン) 「神国とは日本の聖なる名称である」
出雲大社は『古事記』にも創建が記されている古社。 本来の読み方は出雲大社(いずもたいしゃ)ではなく『いずもおおやしろ」。
旧暦10月の神無月には、全国の八百万の神々が出雲に集まるとされ、出雲では神在月とよばれる。
主祭神は大国主大神(おおくにぬしのおおかみ)で、『古事記』に記される国譲り神話には、大国主大神が天照大御神(あまてらすおおみかみ)に国を譲り渡した渡した後、幽世(かくりよ)という目には見えない世界に御移りになったが、天照大御神が大国主命のために「天日隅宮(あまのひすみのみや)」を御造りになったのが出雲大社の始まりと伝えられる。 出雲大社の古名は「杵築大社(きんぎおおやしろ)」とも呼ばれている。 出雲大社の祭祀を執り行うのは、出雲国(現在の島根県東部地方)を上古に支配した出雲国造(いずもこくそう)で、天照大御神の第二子、天穂日命(あめのほひのみこと)の子孫と伝えられる。
元は出雲大社の祭祀は一子相伝であったが、南北朝時代に出雲国造千家氏(せんげし)と北島氏(きたじまし)の二氏に分かれ、それぞれが出雲国造を名乗るようになった。
明治時代となり、出雲大社は神社本庁の傘下となり、千家氏は出雲大社教(いずもおおやしろきょう)、北島氏は出雲教とそれぞれ宗教法人を主宰して分かれ、出雲大社の宮司は千家氏が担っている。
出雲大社の主祭神「大国主大神(大国主命)」は、縁結びの神、福の神、神仏習合いらい大黒様としても有名で女性の参拝者が急増しているそうだ。出雲大社の年間参拝者数は250万人。
出雲大社「平成の大遷宮」は、平成20年4月から平成28年3月までの8年間にわたり、御本殿は建て替えられず、主に大屋根の檜皮の全面葺き替えや、風雨などで腐朽した部材の修理が行われる。
平成20年4月に、御祭神である大国主大神が御本殿から御仮殿に御遷座される「仮殿遷座祭」が執り行われ、御本殿修造、大屋根檜皮(ひわだ)の撤去、野地板の修理など平成24年3月に新しい檜皮による葺き作業が完了。同年夏には、修造期間中御本殿を覆っていた大きな素屋根も取り除かれ、新しく生まれ変わった御本殿が姿を現わした。 平成25年5月10日には、大国主大神が修造の終わった御本殿にお還りになる「本殿遷座祭」が執り行われた。
平成28年度まで出雲大社各所で修繕が行われ奉祝行事が続く。
出雲大社の大遷宮は、伊勢神宮式年遷宮のように「定められた年(20年に1度)にありとあらゆるものは新しく作り変え神に御遷りしていただく。」と言うものではなく、いわゆる修理で、使えるもの(命あるもの)は、使えるまで使うというのが原則。
大社造の高さ24メートルの大きな社は、その色合いからか重厚感があり男神が坐する雰囲気を漂わせている。 「天下無双之大廈(てんかむそうのたいか)、国中第一之霊神(くにじゅうだいいちのれいしん)」と称されたそうだ。
社殿は南面に面しているが、御神体は西向きだそうで、御神体正面には参拝所が設けられている。
出雲大社境内には、いくつかの摂社末社があり、出雲大社の特徴的なところで神在月に神々が泊まるお宿の「十九社(じゅうくしゃ)」。
「素鵞社(そがのやしろ)」は、出雲大社裏の八雲山の岩が露出した前にあり、社殿裏手に回り、岩に触ったり、御賽銭となえたり、なにやらぶつぶつ拝む姿も・・・・・ 最近のパワースポットであろう。 参拝に向かうとなにやら裏から出てくる方がいたので覗いて見たのだが、民間信仰だからそのうち通行規制がひかれるのではなかろうか。
日本最大の注連縄が飾られる神楽殿。
この注連縄にコインを投げ、注連縄にコインが刺さると願いがかなうと言われており、5年前訪れたときは、投げて修学旅行生が投げあう姿を撮影しました(良い写真でしたがPCが壊れそのときの写真は無い ーー;)。
訪れてみると金網が巻かれ、コインが刺さらないようになっている!!。 まぁ 噂の流布 で広がった遊びだろうから致し方ないですがやや寂しいところでもある。
3時間ほど、出雲大社境内で過ごしました。
良いかと言われると正直、何が良いのかわからなかったところ。
と言うのも 西行法師が伊勢神宮で読まれたのではないかと言われる歌
「 なにごとの かたじけなさかしらねども かたじけなさに なみだこぼるる 」
そんな心境で 良い 悪い の2局面ではないんですよね。
言ってみて心で感じてください。
そして 自分の心で 判断してください。 そんな場所でした。
神々坐する出雲の国 伊勢の国にもおいないな☆ミ
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出雲大社東神苑特設ステージで行われた「平成の大遷宮」を記念した奉祝行事。
大原(おおはら)神主神楽は、大原郡内の神職達で構成する「出雲國大原神主神楽保存会」によって伝承されています。それぞれの神職達が仕える郡内の神社祭礼時に奉納される他、出雲大社や近郷諸社の祭礼にも招かれて神楽奉納が行われています。
この神楽が保持する稀少なものとして「託宣(たくせん)」が挙げられます。本来神楽とは、場を清め、神を招き、神の出現を経てお告げを受ける、という意味を持った神事です。他ではほとんど見られなくなったこの「お告げを受ける」を現出する演目が「託宣」です。神職が伝え抜いた神楽だからこそ、今にまで保たれ続けているとも言える、稀少な演目です。
平成25年5月10日、大国主大神様が元のご本殿に御還りになる「本殿遷座祭」が行われた。
広い参道にたくさんの方。 良縁の神として女性の参拝者が多いと聞いていましたがそうでもなかった。
二の鳥居をくぐり、下りになる参道の右手には祓社(はらえのやしろ)が御鎮座される。
参拝の身を清める祓いの社だそうだが、祓川の前、手水舎の前にあるこの社。 神域の祓い清め、元の社殿の位置とも関係あるのだろうか。 その小ささからなんとも意味ありげな趣がある。
出雲大社のお参り作法は 「 2礼、4拍手、1礼 」 独特の作法である。
まずはここまで来れた事への感謝と清め。
直線的な長い参道を御本殿に向けて歩きます。
かすんだ空気が幻想的。
さて いよいよ ご参拝です。
神坐する国においないな☆ミ
私のオススメブックのご紹介。
出雲大社ゆるり旅
伊勢の写真家 中野春生氏の写真で出雲の国が紹介されています。
伊勢生まれの先生 感謝の中からやさしい何かの存在を感じる写真を撮られております。
写真 撮影は自由な表現だよね。
笑顔でぽそっと語られる姿と自然の中をすばやく動かれる健脚はすごいものです。
おすすめ
今度、お会いしたら てっつんへ とサインを書いてもらおうと思います。
感謝。
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出雲大社では平成の大遷宮を奉祝して平成25年5月12日〜6月9日の間、神楽、コンサート、劇などの奉祝行事が行われる。
「白鷺の舞」
鷺舞は津和野の弥栄神社に400年以上前から伝わる古典芸能神事。 鷺舞は天文11年(1542)に時の津和野城主吉見正頼(11代)が山口の祇園会から移し入れた芸能神事ですが、本元は京都の八坂神社祇園会に伝えられたもので、京都から山口へ、山口から津和野へと伝えられました。坂崎出羽守の時代に一時中絶しましたが、亀井氏の時代になって茲政(2代藩主)は、寛永20年(1643年)坂田兵左衛門、柴屋彦両人を京都に派して京都祇園会の鷺舞を直接習得させ、今日まで受継がれています。
当屋制の事、鷺舞屋敷の事、諸々の儀式、ならわし等は時代の変遷に伴い省略されて記録に残るのみですが、鷺舞そのものは正しくうけ継がれ大事に保存されて「日本に只1つ残る鷺舞」と云われています。貴重な無形文化の遺産として学術的にも高く評価されています。 昭和43年4月、神戸生田神社の明治百年記念特別祭典に招聘され、祭典儀式に組み込まれて奉納しました。万国博覧会の会場では鷺舞の映画が3ヶ所で上映されています。 出雲大社境内の勢溜で上演された鷺舞。
一度は、見てみたい舞である。
まさに日本的な表現。
動きも衣装も美しく、自然と神々 人の祈りが現れ奉げられる 舞。
奉祝。
感謝の祈りがありました。
神々坐する国においないな☆ミ |


