伊勢 おいないな 日記 〜サラリーマンの写真集〜

神風の 伊勢の浜荻折り伏せて 旅寝やすらむ 荒き浜辺に 「万葉集より」

三重の神社(伊勢の国)

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皆人の心もみがけ 千はやぶる かみのかがみの くもる時なく 〜第96代後醍醐天皇

昨夜に、地元 氏神様と 足神様 にご参拝&お願い。
ちびてっつん 全国中学校陸上競技 岡山大会 に今日から出陣。

全力で頑張れるよう お願い。 足神様 よろしくお願いしますとお願い事。。 感謝

宇治神社 足神様は、伊勢神宮内宮宇治橋の反対側山よりにあります。


伊勢においないな☆ミ
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担がれる神輿の中で、三重県で1番 可愛い であろうのが 桑名の 金魚祭り である。


毎年5月2日、3日の両日、九華公園内鎮国守国神社にて金魚まつりが開催されました。

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 境内には金魚の露店らが並び、家族連れで賑います。
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 両日とも氏子各町からいろいろな形の金魚の御神輿が出され、子供らにひかれていきます。
2日(試楽)は各町練り、3日(本楽)は正午から神社に御神輿練り込み参拝をし、その後帰路につきます。
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 金魚の販売は、お隣の愛知県弥富市が有名であるのに、なぜ桑名で金魚祭りなのか?

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 江戸時代に大和郡山藩の金魚屋が弥富で育てた金魚を江戸城に献上する途中、桑名藩主・松平定信(1758〜1829)が金魚を愛好していたので、その際に献上されたのがいわれで、この地区を盛り上げようと始まったまつりである。
また、金魚屋が5月の2〜3日の大祭日に鎮国守国神社の境内で市を立てたことが、金魚まつりの始まりともなったそうだ。

今の金魚まつりは、少子化もあり、その賑わいは以前に比べると少し寂しいらしく、今のお父さんお母さん方が子供のころは、すごかったらしい。

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鎮国守国神社(ちんこくしゅこくじんじゃ)

 天明4年(1784)白河(現福島県白河市)城内に松平定綱(鎮国公)を祀ったのが始まり。文政6年(1823)白河から桑名へ移封にともない当社も桑名城本丸に移りました。
 のち松平定信(守国公=楽翁)をも祀り、明治維新後しばらくは本丸の外に移っていましたが、明治40年(1907)本丸跡の現在地に移りました。
 大正8年(1919)に現拝殿が完成、昭和9年(1934)に楽翁公百年祭記念宝物館が完成しました。戦災を免れたので、拝殿・社務所など戦前の姿を残しています。境内には楽翁歌碑があります。
 
 
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 近代に入ってから新しい祭りではあるが、丸が基本で可愛くないかい?  
 

 ポケモンにでも出てきそうな かわいい金魚みこし に元気な子供たち。

 この国が栄えて繋ぐ文化がある国であることに感謝しながら  

 元気な大人たちもアルコール燃料が入り まさに金魚となり
 
 大人達の金魚の香りで見るものも酒が呑みたくなる 祭り であった。私的な感想です。m(__)m

 伊勢から3時間くらい(GWなので幹線道路混んでいました) 帰宅後は、私もちろん吞みましたわ。 


伊勢にもおいないな☆彡

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 伊勢市で、宅地開発が進む前山町。 
 決して養命酒の作られる場所ではありません。笑 
地元 氏神 山神様。   奥に進むと養命の滝に行き着きますが途中、高速道路のうえを歩く事になります。 
小さな頃は、山道を遠足で滝まで行ったかな。  
そんな、場所。   



伊勢市においないな☆ミ
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 花の窟神社(はなのいわやじんじゃ)
 御祭神は、 伊弉冉尊(イザナミノミコト)  軻遇突智尊(カグツチミコト)
 
 
 日本書記には「 一書曰伊弉冉尊火神(いざなみのみこと)を生み給う時に灼(や)かれて神退去(さり) ましぬ 故(か)れ紀伊国 熊野の有馬村に葬(かく)しまつる 土俗(くにびと)此神の魂(みたま)を祭るには 花の時に花を以って祭る 又鼓 吹幡旗(つづみふえはた)を用て歌い舞いて祭る」とある。
 また、日本書紀の一書では三重県熊野市有馬の花窟神社に葬られたと記されている。
 
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 花窟神社は古来社殿なく、石巌壁立高さ45米。 自然崇拝的な日本の元祖的な進行の形であろう。
 当初は、社ではなく 御陵墓 としての存在であったそうだ。
 
 
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 しかし、すごい迫力ある。 大岩、奇岩である。 
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 太平洋からの波風の神職(^^;でできた蜂の巣状の洞がまたいっそう、神々がご鎮座しそうな雰囲気を醸し出す。  穴があったら何かを入れたくなるのも古来人としての信仰 生活の中の敬意の表れであろうか。
 
 
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 向かいにある軻遇突智尊(カグツチミコト)祀る岩は、太陽の反射でもう 自然の力満載 。
 
 山道にある大きな玉石は、子孫繁栄の玉石であろうか。 はたまた黄泉の国への蓋であろうか。
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 この石を触ると 玉が大きくなり立派な男になれるぞ!! というと こんなに大きいのは困らないか。 という答えの 次男てっつん 。  返答が成長してきたなぁ。  西郷隆盛はおっきかったらしいぞ!(ーー;
 
 日々 感謝。
 
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 花の窟神社前で食べた 古代米うどんとおにぎり。  美味かったです。 まじで。。!
 
 しかし、高速道路(対面通行 片側1車線)ができたおかげで 1時間半で伊勢から熊野までこれました。 昔は、国道42号線を3時間ぐらい走っただろうか・・。  便利になったとの驚きが強かった 熊野への旅 参拝 でした。
 
 伊勢詣で 熊野詣で 神々へともに感謝   伊勢においないな☆
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 大村神社は、延喜式神名帳(927年)所載の古社。
 祭神・大村神は、第十一代垂仁天皇の皇子(息速別命)で伊勢神宮を奉鎮せられた倭姫命の弟君にあたる。
 社域は宮室の築かれたところで、命及び御子孫が代々居住し、大和文化の移入、土地・産業の開発に尽くされ、伊賀南部一帯の総社として広く崇敬をあつめている。
 相殿奉祀の武甕槌神・経津主神は神護景雲元年に常陸下総国より三笠山御遷幸の途次に奉斉。共に奉斉された要石は土地の鎮め、地震除災の信仰をあつめている。

 
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 つい先日、9月13日、午前9時38分マグニチュード4.1 観測地最大震度マグニチュード2 の地震が伊勢志摩、三重県南部で発生した。
 私はこの時間ちょうど会議で木製の棟で着席中。 まずは小さな余震、震度1ぐらいであろうか、少し揺れて久しぶりの地震このあと本揺れだぞ・・・。と警戒するとドン!建物がバリッと揺れました。僅かな地震の揺れ時間でしたが、災害マニュアルに従い集合し放送システムで安全確認を行い、情報収集をして津波の心配なしとの放送を入れ対応終結しました。 どうしても海に近い伊勢志摩で暮らす以上、職員の心配するところは津波到達までの迅速な行動、すべての安全の確保、家族の安全であるからして情報の伝達は迅速的確を心がけているところだ。
 関東での研修の時、偶然にも横に座られた岩手県の漁村部で震災にあわれたかたに話をききました。彼は、東北地方太平洋沖地震にて職場で津波被害に合われ、職員の数名が亡くなり、自身も津波にのまれ「もうダメなのかな。」と思った瞬間に異常にも冷静になって明るい方向に浮かんで助かったそうで 「不思議と見たこともないそんな瞬間にも、人ってものすごく冷静になれるものなんですよ。ただ、そのあとがものすごく怖いことに気づきます。所々にいた人が人がね・・・いないんですよ。風景も変わって、会社がなくなっています。。。。。」 生々しい体験を語ってくれた私よりはるかに若い彼の言葉は、同じような複雑に海岸線が入り組む地域に住む私の考え方に大きく影響を与えてくれたことに感謝したい。 出会いにも感謝だ。 また、会社も再建築、再営業されたそうで心から先に祝うところである。
 実は、過去、三重県も地震の被害は発生しており、伊勢神宮の被害だけでなく三重県全域で内陸部の被害も記録されている。三重県は、内陸と沿岸部で地形に差があるため、局所的な地震発生もある。
 
 今回の9月13日、午前9時38分マグニチュード4.1 観測地最大震度マグニチュード2 の地震は伊勢志摩より南側の沿岸部でまさに局所的なのか地震速報も流れず、報道の地震情報も素早くはなく感じた。行政無線も流れたのかな?規模は小さくコンクリート造りの建物にいた職員は気づかない者もいたようであった。
 
 いずれにせよ、まったりと安心になれないことが 心がけ である。
 
 
 さて、話を戻して。
 
 大村神社は、三重県でも有名どころの日本酒 「 義左衛門 」が作られる酒蔵に近い場所にある・・・・・ので、酒蔵見学、味見して向かうのもよろしいところであるが、なんといっても 地震抑えのご利益 があるところが面白い。
 
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 県道に近い参道は、まさに神社の参道らしい道で、灯篭には鹿が彫られ、伊勢というより 奈良 の神社様式である。
 
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 参拝に訪れた日も、おかしな天気で参道では大粒の雨に見舞われ、登り切り社殿前では太陽が顔を出すという不順な天気ではあったが、こうしてカメラに影響せず撮影できたことは 神の恵みに感謝である。  「うまく撮れよ。」という天の声でありましょうか。(^^;
 
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 由緒を確認し、参拝を済ませる。 最近のチビはおみくじにはまっています。 伊勢神宮にはおみくじがありませんから帰ってお伊勢さん(伊勢神宮)のお膝元で育った子供には新鮮なのかもしれません。
 
 本殿には、ユニークなナマズたちが並んでいる。 熊野の方に行くとこれが鯨になっていたりする。  自然との共栄を願った 日本人の心の形(表現)でしょう。
 
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 本殿の横にある祠。ここに「要石」と呼ばれる、地震を防いでいるという言い伝えがある石が祀られている。 この石の下に、地震を呼ぶと言う巨大なナマズがいるとかで、このナマズが暴れないように要石が抑えているそうだ。
 それが由来で、大村神社は『地震の神さま』として、全国からの参拝客が多い神社となっている。
 
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 要石前の祠横には2体のナマズの石像がある。 これに、水をかけると願いが叶うといわれ、多くの人々が水をかけて願をかけていく。 神社の神さまのお使いもナマズと伝えられるから願いを神様に伝えてくれるかも・・・・・しかも左右に1体だから2つはお願いを伝えられる。。。。。。  あかんね。普段お願いすることはない自分が1つではなく2つOkとなると雑念的な願いが浮かぶ・・・・。(苦笑。  それでも結局は 「日々あることの感謝を伝えてください。」になってしまう自分が当たり前である。
 
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 心なしか水をかけたナマズが嬉しそうに見える・・・・・・・  気がする(笑。
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 もう一つ、この神社の面白いところは 釣鐘 があるところだ。 廃仏毀釈で、この神社と同一地にあった寺がなくなり金だけ残ったのであろう。
 その由緒が面白く、大村神社にある釣鐘は、江戸時代に造られ虫が食べたような姿から『虫喰鐘』と呼ばれ、日本三大奇鐘の一つに数えられている。 
 また、この鐘にまつわる二つの悲しい伝説が残り、一つは、この鐘を造るときにある娘が大切にしていた鏡を溶かしてしまい、そのことを悲しんだ娘が虫となりつり鐘をはって食い尽くすという説。
もう一つは、この神社の宮坊がつり鐘造りの材料を探すのに全国を旅していたら、ある夫婦が亡くなった娘の形見である鏡を奉納して鐘を造ったら、この宮坊の枕もとに娘の亡霊が現れ、その晩からつり鐘が虫が喰ったようにボロボロと腐食を始めたという説。
どちらも鏡にまつわり、神社の御神体が鏡(依代)とされているところにも話が関連するようで民話と説法として面白い。  こちらは鐘をつくことができるので、この体験も面白いところだ。
 
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 御神徳 願い事 感謝を伝え 日本人の形古来の形を思い慎む
 
 伊勢の国 三重 には  そんな場所が点在している。
 
 ココロツタエに 伊勢においないな☆彡

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