伊勢 おいないな 日記 〜サラリーマンの写真集〜

神風の 伊勢の浜荻折り伏せて 旅寝やすらむ 荒き浜辺に 「万葉集より」

伊勢への街道 (別街道 脇道)

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 大和街道・伊賀街道が通る伊賀国は、伊勢・近江・山城・大和の国々に囲まれた 山国で、伊賀国を通らなければ相互の連絡に不自由するという交通の要衝であり徳川家康の大阪への前進基地の意味もあった。
 そのため、藤堂高虎が、伊勢、伊賀の藩主に移封されると、 国の防衛のため伊賀の道は険しいままにしておくようにと命じ、伊賀国への入口 とも言うべき「伊賀の七口」に兵を置いて領国を守るという政策を取った
 伊賀の旧街道は、 古代は大海人皇子が壬申の乱の折に、あるいは、源義経が木曽義仲を討つ折に通った加太峠越道。大名が参勤交代の折に利用する道となり、伊勢に向かう参宮客はもちろんのこと、伊勢湾側の津方面から水産物や塩が、伊賀方面から種油や綿などが運ばれ伊賀・伊勢両国の経済・生活の大動脈としての役割も担っていた道である。
 今回は、その中心地である城下町 伊賀上野 を散策してきた。
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 伊賀上野というと 伊賀流忍者 で忍者屋敷があるので子供連れで行く観光地イメージがある。しかし、意外と面白い街である。
 あれ?上野市駅が忍者市駅になっている。 駅前のブロンズ像が・・・メーテルとてつろう! 銀河鉄道999やんか!
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 伊賀上野といえば松尾芭蕉なんだけど、当然ブロンズ像もあるが町の作りが変わってきたのかな。 これはありだと思うし・・・ 大和街道沿いの上野天神社(菅原神社)横にある商店街のアーケドなんか素晴らしい。人通りは・・・・・でしたが。
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 上野天神祭のダンジリ行事の写真が天井を飾っている!最初はそっち系のアーケード街かな??と思いましたが もったいないほどよくできたかっこいいアーケードでした。 
 さて この上野天神社の面白いところは 鳥居 ! 明神鳥居と神明鳥居が前になれいで建っている。
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 合祀のためであろうか。 
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 大和街道は上野天神社の前を通り裏に抜けていく。
 伊勢への巡礼道としてもよくできている。
 そして、神社の裏角にある店が 「 いせや 」さん。
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 ここの一押し名物は 「くさころ」餅。 
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 草を混ぜたり、粉かけたりした小さな餡餅は、旧街道の名物だったのであろう。 その安定した進化系が くさころ であろうかと思います。
 美味しくいただきました。
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 名所の名物である。

 まだまだ伊賀・大和街道の散策はできていないのでこれからの場所であり、楽しみな旧街道である。

 旧街道 巡礼道を通り 伊勢においないな☆ミ


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 旧街道の茶屋に 名物あり。
 中将餅(中将堂本舗)である。 ヨモギの香りがが体によくしみて、あんこがさわやかな風味で絶品でした。
 作りたてをいただく店内で食べるのが一番おいしいですね。

 しかしハイキング中、休憩している若い世代のおねぇ様方の多いこと。 交通の便がいいから気軽な歴史探求ハイキングにはもってこいの中間地になるのかな。 
 これぞ奈良観光という場所である。

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 伊勢へ向かう旧街道 当麻寺(たいまじ)は、古代の大道 竹内街道が通り奈良の中心部へ向かう横大路(初瀬街道)の向かう場所で、初瀬街道の奈良川の起点であろう。
 旧街道は、時代や権力者により呼称が変わったりするから、生い立ちについてはまだまだ勉強の足りないところである。
 現在の私のライフワークが、旧街道(古道)めぐりである。 これも独り歩きであるがやってみたらはまるが、なにせ今の主要道路から離れるため 下見 計画 装備 は侮るなかれである。

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 フレッシュなヨモギに嘘はない。
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 寺は有料の部分も多く撮影も限られるので、正直 撮ってもよくわからない(伝わりにくい) ので掲載は御門までにして、伊勢へ向かう街道は 名物餅(甘未)街道でもあるので、撮りためたものや面白いものも紹介するとします。
 よろしくお付き合いください。

 伊勢にもおいないな☆彡

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 本日は、 「宮川流域ルネッサンス協議会」さんの企画に参加させていただきました。
(内容)
 江戸時代、裏参宮と言われた昔ながらの峠道。古くは、南伊勢町、熊野、四国の人々が、切原峠 −   一宇郷(矢持) − 竜ヶ峠(開運峠) − 宇治橋までの道でした。
今回は菖蒲の久昌寺前から 宇治橋まで2里(8km)を歩きます。峠伝説、平家伝説を交えての初詣です。開運を祈ってください。
 
 伊勢市にある矢持町は、平家の落人伝説が残る地。
 今は、オープンしているかどうかわかりませんが、矢持地区には 平家の里キャンプ場 がありまして 私が幼少のころの子供会や小学生の林間学校で思い出を作り宿泊した場所でもあります。
 落人伝説の地であるくらいですから、隠れ里の趣があり、伊勢市内でも不便な場所でありますが、その分、山に囲まれた自然豊かで、蛍を見たり、晩秋の山里の風景は情緒豊かな地です。 
 矢持地区にある、名所の案内板には 蝶の紋 がついています。 これは、伊勢の地に残る平家の紋とのこと。 歴史を考えよく整備されていますね。かっこいいです。。!!
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 案内板にあるように、戦後間もなくまでは、この地は、海路を使い行商や伊勢神宮参拝をするための海に通じる近い陸路として発達していた道をかかえる栄えた地であったそうだ。
 余談ではあるが、今は、観光PRで 「 伊勢参りは外宮から 」と常識のようになっているが、順路として便利であるから外宮から行っただけで 「 どうしても外宮から 」を守る必要はない。 外宮だけ、内宮だけでも良いわけであり、 「 大事なのは心を向けること。 」 各々事情もありますから、参拝の大渋滞してますし、どちらか行けなければ 遥拝 でいいんじゃないでしょうか(^^!。
 最近は、伊勢もパワースポットで注目度がまし、「こうでなければいけない。」記事もよく目にするところ。 大切なのは 感激や喜び 心を豊かにお参りすることであると考える私です。(^^!
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 話を戻して、(^^! 
 今日は、交通網の変化で、今は、ひっそりとしている矢持町を起点に、伊勢神宮までの古道(裏参宮道)を散策させていただきました。(^^  チビたちは、てっつんの子ですから 強制参加 です。(笑
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 集合時間午前8時30分、私、到着2分前! まにあった〜〜 でご挨拶。 公共交通機関は、片方の指の数で収まる数本のバス・・・・今でもあるのか不明・・・・・。
 当然、誰かに現地まで送ってもらわないと行けません(−−;。 
伊勢神宮内宮付近から ここまで約40分。(^^! 滑り込みセーフです。
 
 出発前に、黄色いジャンパーの 宮川流域案内人「 中瀬 誠一 」さん から後ろの久昌寺の説明を含めご挨拶。
 
 横のスーツ姿で歩く気のない男性は 民主党衆議院議員の 「 藤田 大輔 」さん。
 実は、共通の友人を介して選挙前にお会いしたことがあるんですよ。  若手のなかなか面白い良い方。  国政報告会があるのでここでお別れ、少しお話しをして、出発を見送っていただきました。(^^!
 ちなみに、私は、私の観点で良い政治を行ってくれるなら、どなたでも応援します。政党大事と思わない今の世代です。。
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 出発後しばらく山登りです。  最初に石神神社。  竜ヶ峠の安全を祈る山の神です。
 大八車が行き来した古道を歩いていきますが、ところどころで道は崩れたり変化したりで、大八車はすでに通れないですね。 
 人が使わないと道は荒れる。 人生みたいなものかな(^^!。
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 兵士の釜 や 旧街道跡を紹介していただきます。
 
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 開けた場所の茶屋跡で説明、多くの茶屋があったことやこの周辺で、石灰やマンガン、赤レンガになる石の鉱石が採れ抗跡が残っていること、初めて聞くことに驚きです!!。
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 峠道は、さほど険しくないので楽に歩けます。 80代で参加される方も見えました。 健脚!!ですね。
 
 てっつんジュニア 達は、旧街道の伊勢本街道(大阪玉造〜伊勢神宮)をチャリや歩きで散策しましたので こういうのはへっちゃら。  ただ集団行動ですから ガイドさんが見える距離で心配をかけないように先を歩くように伝えます。
 親として 協調性 を持つことの意味を学ばせることも大事。 しかし子供は足早い。 身軽!!なのは素敵。。うらやましいぃぃ oTL。。。。。
 
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  途中、大岩(隠れ岩)や 六ヶ谷 という 平家の落人が源氏の追手と戦った伝説の地の説明がある。
 時代劇でも使われそうな地形から考えても現実だったような。。。。 
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 緑の中は気持ちいいです。 整備された古道だから快適。 出発して約2時間で頂上に到着。
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 峠の小屋は、新しく整備されているから快適。 
 頂上部の標高は、333m。 伊勢神宮の鬼門を守る山 朝熊岳は、555m。 伊勢はぞろ目が好きなのか偶然か(笑。(^^!
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 ここを越えると 神域。 伊勢神宮の山に入ります。
 もちろん 火気厳禁 ゴミ捨てはご法度。 大切な式年遷宮に使われる木を育てている神地山です。
 ちなみにスタートしてからのこの道に トイレ ありませんから、花摘み以外は 3時間 用をたせませんのでそのつもりで(^^!。  
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 頂上を、下るとすぐに 馬落とし という狭路の難所。
 平家の落人が源氏の追手から逃れるため、馬を落とす罠を張ったという伝説が残ります。 
 昔はもう少し広かったのだろうけど樹木の伐採で荒れた道になったんでしょうね。
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 さらに下ると片側の斜面にだけ、変わった木が並んで植林されている・・・・。
 明治27年に鉄砲を作るための材料にする コルク の木が植えられた場所。 結局、物騒なものに使われなかったそうです。 こんな場所、歴史、全く知らなかった・・・・。勉強になります。。;
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 さらに下ると 夫婦滝や石灰釜などがあり 途中の大岩は、生命力強い木が岩を押して天に伸びていました。
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 神というものが目に見えていたなら こういうところで出会いたい気がします。。
 
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 午前11事半頃に、竜ヶ峠から県道(剣峠道)に出て 、伊勢神宮前を目指します。
 峠道に入る場所には 栄助茶屋があり昔は、かなりにぎわったそうだ。
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 そして午後12時30分。 伊勢神宮前に集合し解散。
 ガイドの中瀬誠一さん。 わかりやすく自ら体験してきたことを伝える 現実的な案内 で素晴らしかったです。一緒に歩くわけですから体力も必要ですし。。 感謝感謝で 握手をして楽しい時間を終了しました。。 
  関係者の皆様に感謝。。
 
 さて てっつんは、チビどもの参加条件でもあった おかげ横丁で腹ごなし。 表の参宮道はすごい賑わい。背負うリュックが他人様にぶつかるほどです。
 賑わいを書き分け進み、ここまで歩いて屋跡ばかり見てきたので・・・・・・  茶屋といえば・・・・・  団子です。
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 歩いた後の 団子 美味し!!!(^^!(^^!(^^!
 
 
 
 神々の山 人が残した古道  歴史を歩きに 伊勢においないな☆ミ
 
 
 
 
 
※尚、神宮林に入るのは、神宮司廰(伊勢神宮)の許可が必要です。 山は、急勾配で深いため迷うと危険を伴いますので古道を外れることはやめましょう。。
 峠の山付近は、携帯の電波が入りました。峠下りて伊勢神宮近くにつくまで携帯は圏外になりました。(^^!

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 徒然に温泉の記事を2回書いたら、ふと・・・ある温泉が脳裏に浮び、代休の 1/26(火) 朝からそそくさとカメラとチビてっつんと共に調査に出かけた(^^!。
 チビてっつんは、温泉好きなので嬉しがっていた・・が・・・この温泉が彼の想像を超えた(下回る?)温泉であることはこの時点で知るはずはない・・・(^^;!。

 出かけた先は、三重県津市白山町南家城(JR東海名松線 家城駅から徒歩10分)雲出川の右岸、家城神社(旧名:諏訪神社)の裏手にある岩石の中から湧き出る霊泉「こぶ湯(諏訪の湯)」である。
この湯を汲み取り諏訪神社で祈念して塗れば瘤(こぶ)が落ちると言われ、病に効くと知れ渡り、飲料や入浴用に地元の方のみならず、遠方からこの霊泉を汲みに訪れる人が絶えることない名泉である。

 伊勢から高速道路(伊勢道)に乗り、嬉野インターチェンジで降り、そこから30分ほど走ると目的地に到着する。 自動車以外の交通機関としては、JR名松線(めいしょうせん)があるが、昨年の台風被害で一部廃線となっているが、目的の家城駅(いえきえき)までは開通している。乗客も少なくディーゼルの1車両であるが、なにぶん本数や周囲で時間をつぶすことを考えると自動車が便利である。

 家城神社に到着したら、まずは参拝である。
 家城神社は、元諏訪神社で地元神々が合祀され名が地区名に変更された地元氏神様である。 一般参拝する場所が室内であるところが珍しい。 拝殿の中に地元議員さんのポスターが貼ってあり、現在津市では、市議員選挙期間でこの近辺でも選挙カーが拡声しながら「よろしくお願いします。」と走っており地元信仰心厚く祀られる神であるのがよくわかる。

 参拝を済ませた後は、こぶ湯に向かう参道を少々歩く。「こぶ湯」は、家城神社境内にある。
 家城は、都から伊勢へ仕える斎王が通ったのであろう旧街道沿いの村で、「万葉集」では「波多横山」と言う地名で登場するが 『波多横山』 の正確な地はあくまでこのあたりのことであろうと言う説の域である。

「波多横山」であるが、万葉集でこう読まれている。

 『 河上乃 湯津盤村二 草武左受 常丹毛冀名 常處女煮手 』
 〜 十市皇女参赴於伊勢神宮時見波多横山巌吹除]刀自作歌 〜

 現代語では
「河上の 湯都磐むらに 草むさず 常にもがもな とこおとめにて」
(かはのへの ゆついはむらに くさむさず つねにもがもな とこをとめにて)

 〜 川のほとりの 神々しい岩の群に 草が生えず清らかなように 何時までも変わることなくあって頂きたいものです 永遠の若い乙女のままで 〜
 と、十市皇女(とおちのひめみこ)を励ますために付き添いの官女が詠んだ歌である。

 十市皇女は、古代日本を二分した争い「壬申の乱」の渦中に巻き込まれた皇女で、父は天武天皇(大海人皇子)、母は額田王で、大友皇子の妃(妻)にあたる。
 壬申の乱は、十市皇女にとって父方と夫方の争いで父である天武天皇の勝利で終わる。夫が亡なくった後、十市皇女は伊勢へ参詣する(675年)。
 伊勢参詣の理由は定かではないが、日本書紀には、大来皇女(おおくのひめみこ)が伊勢斎宮(斎王)となり伊勢へ群行した時期であり、従者として行かれたとも戦勝報告や戦利品の奉納等、参詣理由は多く推測されるが、真実は定かではない。

 万葉集に残るこの歌は、悲しみに浸る皇女に、いつまでも若く美しい永遠の乙女でいてほしいという女官の気持ちを詠んだものだと伝えられる。
「波多横山」は、三重県津市のこの周辺と考えられ八太、井関、大仰、波瀬、熊本県や10を上る候補地があるが、どこも確証はなく謎(神話)とされている。

 伊勢と都(奈良)を結び斎王群行が通った旧街道が、この地であると推測するもう一つの理由として日本書紀にある雄略天皇3年(459年:古墳時代以前)の出来事も興味深い。この点は、以前に書いた記事を参照してもらいたい。

『 皇女森(皇女の森:こうにょのもり;こうじょのもり)  宇治乃奴鬼神社跡 』
    http://blogs.yahoo.co.jp/t20_in_ise/trackback/1715954/50653310

 雄略天皇の第二皇女、稚足姫皇女【かたらしひめのひめみこ:栲幡姫皇女 たくはたひめのひめみこ とも書かれる】が神宮の斎王として仕えていた雄略天皇3年4月、阿閇臣国見(あへのおみ)に湯人(※ゆえ:斎王の禊ぎ係)の廬城部連武彦(いほきべのむらじたけひこ)と密通して妊娠したと讒言(ざんげん:目上の人に事実をまげて伝えること)された。
 雄略天皇は、使者を伊勢に遣わして皇女を訊問したが、皇女は密通の事実を否定し帝の逆鱗に触れることを恐れ、神鏡を持ち出し五十鈴川のほとりに鏡を埋め、自ら命を絶った。
 天皇の使者は、五十鈴川のほとりで蛇のように虹の立つところがあり、その場所(下中村)の近くで皇女の亡骸を見つけ、虹の下を掘ると神鏡があった。
 皇女の亡骸を調べると腹の中には水のようなものがあり、その中に氷(白石)があったので密通の濡れ衣が晴れたと言われる。讒言した阿閇臣国見は、廬城部連武彦の父(廬城部連枳筥喩:いほきべのむらじきこゆ)に討たれている。

※湯人:皇子や皇女などの養育を担当し、もく浴させる婦人たちを束ねる頭といわれる。

 ここまで読んでいただけると(^^!気づかれると思うが訪れた霊泉の名前は「こぶ湯」!! 神に仕える斎王の湯人の名は「いほきべのむらじきこゆ」!!!。
 廬城(いほき)は、今の家城、こぶ湯とは、筥喩(こゆ)の名前から来ていると容易に推測されるであろう。
 前述の万葉集 歌にでてくる「湯都磐むらに」という言葉の湯にも興味がわくところである(^^!。

 難所を通る神の道、伊勢本街道は、その過酷さと都の返還という、時代の流れとともに開けた道を主街道としていった。大きな川で伊勢湾に注ぐ雲出川のあるこの地は古くから利用されていたと考えられ、ましてや100人もの隊列(群行)を組み伊勢に向かう斎王の列を癒すに充分な広さ、豊かさがあったのであろう。
 近世には初瀬(はせ)街道として整備され同じ地域である白山町川口には、聖武天皇(740年)が伊勢国に行幸された際、河口頓宮(かわぐちとんぐう)に10日間滞在された記録があり、河口頓宮は、別名 関の宮 と称されこの地に関所が置かれたのを物語っている。それだけこの周辺は、重要な街道拠点だったのであろう。 (JR名松線に関の宮という駅名有り)

 都を出た斎王が、不思議と沸く霊泉の元、禊を行っても不思議はないが、あくまでも神話の世界。想像と推測である。(^^;それが歴史の面白い所である。(^^!!

 訪れた「こぶ湯」であるが、岩の間から自然にチョロチョロと湧き出る水温16℃のアルカリを多く含むメタホウ酸イオン水との説明書きがあり、御老輩の方々が、お湯を汲む順番を待たれ、慣れた地元の方は、空の入れ物だけ置いて順番を待たれている。。

 湯は2ヶ所から湧き出ており飲料用として使われるのは、川原から高い場所の岩の間で、川原に湯が溜まった場所にも湧き出ているが、これは川の水が混ざっているため飲用には適さないようだ(写真6枚目うっすら湯の花が見える)。
また、湯が溜まるように掘られた人一人分の場所は、石器時代に石で削られたと言われている。

 冬のこの時期、湯温16℃でも暖かく感じる(外気は5℃)。湧き出る湯は、温泉特有の硫黄の臭いがする。
 チビてっつんは 「玉子の臭いがする(^^)」と手をつけては「くさい・・;」と正直な意見を言い。「この湯に入るの??恥ずかしいやん。。」と率直な意見を述べていた(笑。
 私は「この湯に入ったら凍えるし神様のもんやで入ったらいかんわなぁ。不思議やろ^^。」とほのぼのとした、時間を過ごせた。

 汲み上げもせず、古来のまま湧き出、薄めることのない源泉「こぶ湯」。
 さすがにいつまでたっても硫黄の臭いが手に残り、水を汲む老人が「あんたらも汲んできない。」と言ってくれましたが、汲める順番はいつになることやら(笑。 「写真撮らせてくださいね。」と数枚撮影し「こぶ湯」を後にしました。
 で、チビは当然この手の温泉には満足できず「あたたかな温泉につれてけ!!」ということで伊勢本街道沿いにある姫石の湯(奈良県)へ・・・・行ったのですが休館日でした 苦笑(−−; と言うことで昼飯をかっぱ寿司(105円回転寿司 鉄道のおもちゃが寿司を運ぶ)にすることでニコニコ顔を取り戻したのでした。。(苦笑

 伊勢に仕える斎王とゆかりある地「こぶ湯」。伊勢へ向かう旧街道には沢山の歴史と物語が残っている。

 そして現在、毎年訪れる三重県多気郡明和町斎宮で行われる斎王祭りでは出演者が募集されている。
           http://saioh.sub.jp/izen/28/boshu/saioh.pdf

 めったに着られない衣装だろうし、沢山のカメラマンにレンズを向けられるからいい経験できるかも(^^!。 応募採用されたら連絡くださいね。専属カメラマンしますので(笑。



              歴史と物語が残る 伊勢の地へおいないな ☆ミ


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 選挙に奉祝行事にと、なにかと騒がしい11月15日の伊勢。

 この日の午後、伊勢を抜け出して車で1時間少々、奈良県宇陀市室生区にある室生寺にでかけた。
 伊勢本街道は、歩き+自転車で歩・走破した(記事追いつかずーー;)わけだが、伊勢と大和を結ぶ場所に現在こだわりを持っている私である。
 伊勢へ向かう街道筋にある室生寺は、外せない所だ。(^^!
 したがって今回は、酷な伊勢本街道を少しはずれ、伊勢表街道(初瀬街道、青越え伊勢街道とも呼ばれ、酷所が少なく伊勢参りの旅人が多く行き来した街道 現在国道165号)よりの山間にあるに女人高野『 室生寺(むろうじ) 』の紅葉が目当てである。

 この辺りは伊勢とは違い、かなり涼しい(寒い)。この日14時の外気は8℃。伊勢より5度くらい寒いというところであろう。
 記憶にあるのが、中学生の頃学校の遠足で行った以来の詣でであろうか?若かりし頃ここでデートしたようなしないような。。。。。。曖昧な記憶である(――;。

この辺りで有名な紅葉スポットと言えば長谷寺か室生寺であろう。
http://blogs.yahoo.co.jp/t20_in_ise/55797219.html
http://blogs.yahoo.co.jp/t20_in_ise/56529780.html

 室生寺(むろうじ)は、奈良時代の末期、皇太子の山部親王(後の桓武天皇)の病気平癒の祈願に、僧がこの山中で祈祷をして優れた効果が得られたため、国家の為に建立した現在は真言宗室生寺派大本山の山岳寺院である。 奈良〜平安時代、興福寺の法相宗を始め以後、天台・真言・律宗などの高僧を迎え、山林で修行するかたわら各宗を勉学する道場として、仏教界に大きな役割を果たすとともに、その自然環境と奈良、京都、大阪への水源であることから龍神の信仰がうまれ、平安前期以来、度々朝廷から勅使が派遣されて、雨乞いが行われた今で言うパワースポットである。
 また室生寺の環境が、密教道場にふさわしいことなどから、鎌倉期には真言密教の最も重要な儀式を行う灌頂堂(かんじょうどう)と、弘法大師を祀る御影堂を奥の院に建立された。
 弘法大師と言えば高野山であるが、ここ長谷寺は、真言密教の根本道場である高野山と大きく違い、高野山が厳しく女人を禁制したのに対し、室生寺は女人にも開かれた道場で『女人高野(にょにんこうや)』として広く親しまれるようになり、男女を問わず多くの参詣者が訪れるようになった。
 伊勢詣りの旅人を集客した伊勢街道沿いの聖地である。

 伊勢から1時間半ほどで室生寺駐車場に到着。駐車料金600円を支払い、清流沿いの道を歩くと土産物屋が立ち並び、長谷寺同様、名物『草もち(よもぎ餅)』が売られている。  
 食の誘惑は帰りまで置いて、寺を目指す。 長谷寺に入るには朱塗りの太鼓橋を渡らなければならず、聖域と俗界を分ける伊勢神宮同様な清めの地(川)を越える昔ながらの信仰形態が伺える。
 寺院前に到着すると拝観料600円。今日は家族での訪れであるから・・・・結構な額である(――;。正月以外、駐車場無料、参拝無料の伊勢神宮とついつい比較してしまう自分は伊勢っ子である(^^;;。不況と上がる税金に耐える普通のサラリーマンな私。ワンコインを超えると躊躇するところが自慢でもある。(苦笑。。 この人間臭さがアリガタミを倍増させてくれるわけだ(微笑。そんなことは 置いといて(――;/□。

 所々に色付く紅葉は、なかなかの美しさである。
 若い頃の記憶どおり、奥の院までの三百数十段の階段は長く、昔の日本人の歩幅にあわせたような階段幅で狭い登り辛い。しかも急勾配で危険な感じがする程、登り応えがある参道であるが、息が荒くなり登り終えると由緒ある伽藍と絶景が楽しめる。

 奥の院を降り、所々で撮影を終え、ふと桜の古木を見ると幹に開いた洞から若い紅葉が宿っていた。
 『宿り木紅葉』、不思議に赤く染まる葉が生命の強さを感じさせる。(^^!
 ちなみにうちの家族は、珍百景とかいう番組に出すと賞金がもらえる!!と盛り上がっている。。 この風情のなさは覚悟のうえだ。(苦笑

 そう言えば、伊勢神宮の山にも杉の大木に宿る「桜」が存在している。
 これは神宮林の奥にある「樹高27m、幹囲5mの杉の木の空洞から2本の根を垂れ寄生する桜」で『宿り木桜』と呼ばれ、国学者「本居宣長(1730から1801)」が見物に訪れ「 来てもみよ杉にさくらの花咲きて 神代もきかぬ神垣の春 」という句を詠んでいる。
明治、大正期の神宮林の保護や、危険を伴う急で方向を見失いそうな山道を進まなくてはならず、現在ではガイドブックにも載っていない。当然のごとく学術研究以外一般には入れない。どうしても見たければ、市の天然記念物に関する本に掲載されていると思う。伊勢市の住民のほとんどがその存在すら知らない(忘れている)のではないか?

 神宮の「宿り木桜」とは違う、室生寺の「宿り木紅葉」。数十年後、ここを訪れたらこの木はどうなっているのか楽しみなところである。
 帰り道で、名物 草(よもぎいり)大判焼きを食べる。
チビてっつんも食べたが半分で断念。味は予想通りで体に良さそうである(^^笑。

 小さな発見。のんびりした小さな旅。思いつき 突然 行き当たりばったり(^^ バックパックにテントに寝袋。綿密な計画がないため 自分ペースでリラックスできるのが私の旅の基本である(^^;微笑。
 帰りは、奈良市で食事、入浴して帰りました。(^^;;。閉めは温泉、はずせないな(^^!。





      小さな秋を見つけに伊勢街道散策
          秋深まる 伊勢においないな☆彡

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