伊勢 おいないな 日記 〜サラリーマンの写真集〜

神風の 伊勢の浜荻折り伏せて 旅寝やすらむ 荒き浜辺に 「万葉集より」

伊勢本街道 :大阪〜枚岡神社

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   春過ぎて夏日にてられぬけ参り はらをほすてふくらがりの山
                 〜御蔭参り百人一首〜

 いったい いつの写真だ??と書いてる本人が 首を傾げつつ調べてみると(・・)2007年。。。
すでに伊勢本街道は、歩覇とは行かないが、人力(えこ)での旅に終止符は打っているわけだが、何せ記事が追いついていない。。。。。。。
 ま、ブログで食ってるわけでもないので、そこは大目に見て欲しい。。。

 さて、大阪 玉造を出発し1日目のゴールとなる 平岡神社である。

 枚岡神社は、大阪平野の東端、奈良盆地との境、生駒の山のほぼ中央のなだらかな山裾にある河内国一宮とされる神社で、元は、天児屋根大神・比売大神が祭神、奈良県の大神神社と同じく神が住まわれる山を祀っていたのだろうか?。その後、春日大社から武甕槌大神・斎主大神を勧請し、春日大社と同じ神(春日神)が祀られている。


 枚岡神社(ひらおかじんじゃ) 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜[ 日本大百科全書(小学館) ]〜〜

 大阪府東大阪市出雲井(いずもい)町に鎮座。
 天児屋根命(あめのこやねのみこと)、比売神(ひめのかみ)、武甕槌(たけみかづち)命、斎主(いわいぬし)命を祀(まつ)る。創建年代不詳。
 社伝では、神武(じんむ)天皇が日向(ひゅうが)より大和(やまと)へ遷幸の途次、天種子(あめのたねこ)命にその祖神天児屋根命、比売神を本社東方の神津嶽(こうづだけ)に奉斎させたことに始まり、のち孝徳(こうとく)天皇のとき現社地に奉遷したという。
 およそ天児屋根命の子孫中臣(なかとみ)氏一族の平岡連(むらじ)が当地方で勢力を占めてその祖神を祀り、奈良時代中臣氏(藤原氏)が平城京の春日(かすが)神社に武甕槌命、斎主命をあわせ祀ったのに倣い、本社も四祭神としたものとみられる。
 古くより朝廷の崇敬厚く、806年(大同1)神戸(かんべ)60戸を寄せられ、859年(貞観1)天児屋根命を正一位に、延喜(えんぎ)の制で四座とも名神大とし、祈年(としごい)・月次(つきなみ)・相嘗(あいなめ)、新嘗(にいなめ)の幣を奉られ、22社の1、河内(かわち)国(大阪府)一宮(いちのみや)とされ、明治の制で官幣大社。
 現本殿、四殿よりなる春日造(づくり)系統の枚岡造は1826年(文政9)造立。例祭2月1日。特殊神事として1月15日の御粥占(おかゆうら)神事、5月21日の平国(くにむけ)祭がある。

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 枚岡神社は、奈良へ続く旧街道のすぐ横で、近鉄枚岡駅がすぐ目の前のため、大阪(玉造)奈良道歩きの1日目ゴール点、または奈良への出発点に設定して便利な神社で、大阪の東端にあり、自然がよく保存され、神社周辺に広がる枚岡梅林は、紅白梅・桜花の季節は花見を兼ねた参拝者で賑わうそうだ。

 また、枚岡神社の秋祭りは、周辺地区から「布団太鼓」という独特のお御輿が繰り出される。
 昨年、伊勢の神嘗奉祝祭が外宮前で行われたとき、観客の爺が私の後方で警備の兄ちゃんにからみだして、私も間に入りあおった(笑)・・・・止めに入り終息したとき、横に座っていた大阪から来たおねぇさんが、自分のデジカメで撮られた「布団太鼓」を解説付きで見せてくれた。
 あまりにしつこい爺だったので、私もややエキサイト気味に体をいれたので、横にいて心配してくれたのか、良い気分転換になった。 ま、こんな世の中、くだらないトラブルなら無視するのが一番のようで注意に入ったのは私のみであった。(苦笑)
しかし、名前も知らぬこの方の 人の優しさ、祭りの観客としての繋がりには感謝である。

 ちなみに、この爺、トラブルから帰ってくると警備の兄ちゃんを謝らせたと語気を強め奥さんに話していたが周囲は冷めた目線であった。地獄に落ちるぞと警告したいが、神道には、地獄ってないんだよね(笑)。

 話は脱線気味だが、なかなか特徴ある神社だ。

 実は、今まで使っていたPCの電源が入らなくなり(DELL4年もの)修理のためスペア機を使用しており、なんとよりによって、良い写真のバックアップがしておらず、そこそこな写真掲載になってしまったことは、あしからずご了承ください。(==;)

 伊勢神宮に慣れてしまうと、注連縄や鳥居や狛犬といった一般的に神社を表す特徴的な 物 のちがいに戸惑いを覚えるのであるが 背景(ご神体?)の山をバックに狛鹿や奈良の神社的な雰囲気を多く出し、格式の高さは参道の広さや社殿の美しさから、しっかり伝わってくる。
 ここから大阪市内を眺めると、昼間はガスっていることが多そうだが夜景は綺麗であろう。
一人歩きは、少し怖い気もするが(^^;;。

 三度ほど、枚岡神社に訪れているが、よくお見かけするのが 近鉄Liners (近鉄ラグビーチーム)の方々で、祓い清めの日が、私の行動日とブッキングするようだ(笑。
がたいの良い 外国人助っ人の方々が スーツを着て神妙な面持ちでお払いを受け、静かに参道を歩く姿は、とてもりりしく真剣な態度である。 素晴らしい!!
 http://www.kintetsu.co.jp/rugby/
 ここから、ラグビーの聖地 花園 まではすぐ近く、勝利祈願によく来られるのだろうか??。帰りはもちろん近鉄電車に乗車であった。 外国の方は、香水の匂いがなかなか良い感じだなぁ。(^^

 さて、歩き旅は ここから奈良へと続く峠道に入る。
 http://blogs.yahoo.co.jp/t20_in_ise/23029085.html

 7時間ほど歩いただろうか、お腹もちょうどいいくらいに減ってきた。 伊勢へと帰宅時間である。

 枚岡神社駅から鶴橋駅まで出て、鶴橋と言えば 焼肉!! である。
白い御飯を片手に焼肉の匂いでお腹を満たす!!と言うわけではないが(^^! そこそこの価格で食べれるのでビールを飲みつつ、疲れを癒すのにちょうど良い。
 昔の歩き旅の方々も、本日の休憩場所(旅籠)についたら 一杯やったのであろうか(^^!

 鶴橋から、缶のウイスキーとおつまみを買って、近鉄特急電車で伊勢に帰る。
アルコールを飲み干したら、一眠りである。

 私の旅は、趣味の余暇活動であり 基本 金をかけない!!が原則。近鉄特急は、特急料金が別のため、行きは朝早く出て急行(乗車券のみ)で移動。帰りは 特急でりラッククマである。 たまにはJRを利用したりして、いきあたりばったり そういうのも面白い。

 目的を持つ旅は有意義であるが、なんとなくはじめた 伊勢の街道歩き。
 気が向いたとき、記事は更新する予定である。
 今後とも まったりとお付き合いください。。


   お伊勢さんへは ご利益の旅 感謝の旅
    さまざまな神々に触れながら 伊勢に おいないな ☆ミ
 

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 大型スーパーで適当な食事を終えたのが14:00をまわった頃、暗闇を歩くのは避けたいので先を急ぐ。この辺りで通称:産業道路は県道15号線から702号線へと名を変える。   
 大阪玉造から歩き、本日の目的地である枚岡神社のある山が間近に見える。
やや早足に歩を進め、交通量の多い直線道路をしばらく歩くと道路を挟み右手に花園ラグビー場、左手が松原宿に続く旧街道の分岐点である。
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 旧道に入ると松原地区、丁度この辺りが宿場町の『松原宿』である。
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 松原宿は、明治中頃まで、交通の要所であり明暦年間(1655〜1658年頃)に幕府による街道支配のため、これから奈良方面に向かう急な峠に備える、街道唯一の宿場街がこの地におかれていた。 
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 江戸時代の宿は、旅籠や宿屋という機能だけでなく「継立人馬」と呼ばれる、幕府役人の通行のために交通機関である馬や、人足を常備することが定められ、大阪奉行により松原村とこれより先の水走村の2ヶ所が命じられた。 
 しかし、幕府の命ではあるが、運送距離や宿入れようの費用が増大し2ヶ村の村では対応できず、「駅所加村」と呼ばれる幕府命令がさらに出され街道周辺の9ヶ村が宿場として指定される方法が取られたが、明治4年に廃止されるまでの間、村々の負担は大きく、たびたび幕府に歎願(たんがん)が出されたそうだ。
 幕府による宿場支配が廃止された、明治4年以降は、松原宿に陸運会社が設立され、交通の要として、いち早く郵便局、警察署、キリスト教講義所などがおかれたが、明治25年大阪鉄道(JR関西線)、大正3年大阪電気鉄道(近鉄奈良線)の開通とともに宿場としての立地条件も成り立たなくなり、現在は住宅街としてひっそりとした環境である。
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 松原地区を通る旧街道には、ほぼ直角に曲がる辻があり、そこには「右 なら いせ道」と書かれた幕末の頃、嘉永二年(1849)道標が立っている。
 旧街道に立つ道標は、通行の妨げや高所に現代文字で書かれた道標板にとってかわり、道標としての役目は終え、モニュメントとして無意味な方向を示すものが多いが、この道標は、位置を変えずに旧街道であることを太く力強い文字で示している。
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 車の通行には少々邪魔なように感じるが、衝突での破損や、痛んだ形跡が無い処を見ると皆が運転に気をつける目印としているのであろう。交通量は確かに少ないが(^^;!。

 松原を過ぎると水走地区。
 古代末から中世にかけて東大阪北部一帯に勢力を持っていた「水走氏」が開発した土地だ。しかし、旧街道の面影はすでになく、ただみちが伸びるのみで恩地川を流れる水走橋をこえる。
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 この恩地川は、護岸工事で昔を思うこともできない現代的に管理された川であるが、昔は川を走る剣先船が往来し、水運と陸運交わるの起点としての役割を担っていたそうだ。
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 もうここら辺の街道は古道というより、町道である。(^^;
 特に水走橋を渡り、旧街道を少々進むと大阪外環状線(県道170号線)が旧街道に覆いかぶさり、たくさんの車が往来する車道を避けるよう、旧街道が新町歩道橋に変わっている。
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 昔の人々は想像出来ない風景だろうなぁ。。陸に橋がかかるなんて、誰が想像しようか(^^; いや、そういえば伊勢の遊郭外の大楼には、館と館の間をつなぐ橋がかかっていたそうである。 この歩道橋も神聖な道なのであろうか。歩道橋上より遠くを見ると旧街道が延びている。そして橋の下には、激しく流れる車。やはり重要な橋だ。(^^
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 歩道橋をこえると工場の間を旧街道が延びる目的地、枚岡神社に向かって左手が宝町、右手が新町、旧名、宝蔵新家地区と呼ばれるあたりである。
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 途中「宝箱」という地名(字名)があるが、まぁ・・・・静かな旧街道である。トレジャーハンターとは行かない。
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 そんな馬鹿なことを考えながら歩くと箱殿交差点から、旧街道は、住宅地に変わったため産業道路を歩き大きな辻に出る。
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 伊勢、奈良へ向かう奈良街道と東高野街道(京道、紀伊路とも呼ばれる京都から高野山へ向かう街道)の巡礼者が交差する四辻である。
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 この四辻には、情緒ある道標にたどり着く。
「南江すぐ かうや おうミ袮道」
「西江すぐ 大阪 金ひら道」
「是より北江すぐ 柳谷観世音菩薩道 京八はた淀ふしミ」
「東江すぐ なら いせ道」
 なんとも可愛い観世音菩薩の彫刻である。思わず笑みが出ざるを得ない。
 道標の裏のお堂は弘法大師像を祀っている。
 道標が建てられていた位置は、変えられたそうであるが、複雑な四辻を案内した力強く美しい文字である。
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 是より先は、大阪の産業道路は終点、国道308号線となる。この308号線は道幅が狭く、急な勾配があるなど天下の酷道として、その道のファンが多い国道である(^^。

 旧街道は、国道を通らずまっすぐ伸びる道で豊浦地区に入る。生駒山を越える暗峠(くらがりとうげ)への入り口である。 所々で山すそに流れ込む水の流れと音を聞くことができる。
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 さて、ここまで来たら本日の大阪旧街道(伊勢本街道、暗越奈良道)歩きのゴール地点『枚岡神社』 近鉄枚岡駅 である。
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 ここから見ると、歩いて来た大阪市内がとても美しく見える。
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 昔は、田畑森が広がっていたであろが、現在はコンクリートの大きな森が広がっている。




 
  旧街道 歩き旅    巡礼、神々の道をめぐり 伊勢においないな☆彡





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 このシリーズの記事は、書くのに時間かかりすぎるわ〜〜〜〜(^^苦戦しております。去年のことだから(苦笑。

 さて

 新御厨大橋渡り、新家地区に入る。丁度昼休憩であろう、工場前の日向で職員さんたちがくつろいでいる工場の前を抜ける。 歩を進め少し広い楠木並木道に出る。
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 この道は、楠根川(現:第2寝屋川)という川の、元用水路に造成された道である。ところどころに小さな地蔵尊の祠があるが由緒はわからない。

 さらに歩を進めると、産業道路(県道15号線)にでる。ここからしばらく旧街道は、産業道路と重なる。大阪中央環状線、近畿自動車道の高架を渡ると、荒本地区。
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 そろそろお腹が空いて来た頃である。なかなか調度良い店は見当たらない。
 車ならサササ!!と飲食店を発見できるのだろうがそうは行かない。現在の時刻12:20分ここは、我慢我慢である。
 大きな工場を見ながらしばらく歩くと菱屋地区の旧街道へ入る。
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ここには河内街道との交差点があり、そこには明治時代以降建てられた比較的新しい道標がある。
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 この交差点を少し行くと八劔神社(やつるぎじんじゃ)。
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 この神社には、伊勢へ道標が移設されている。
 面白いのは「瓢箪山(瓢箪山稲荷神社)」の道標、瓢箪の絵が描かれ、さすが太閤 豊臣秀吉が治めた大阪である。(^^
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 写真を撮り、小休止していると、大体こういうところにいるのが、鳩に餌をあげるおじさん。 ちびも餌をもらい鳩にあげている。 心休まる風景であるがお腹が減った(笑。 先を急ぐ。
八劔神社を出るとすぐ左手に道開(みちびらき)地蔵がある。
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 祠の中で前掛けをしており確認はできないが、お像の両脇に「右ハならミち」と彫られているらしく、道標の役割をした地蔵なのであろう。
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 それで道開地蔵なのがわかりやすく理解できる(^^!。
旧街道は、また産業道路を横断、菱江交差点を越え曲がる旧街道。
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 その先には古民家が残っていた。
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 残念ながら町の景色とはやや不釣合いであるのは致し方ないが、またくるときに残ってれば嬉しいだろうなぁ・・・・と家主には申し訳ないが思うところである。

 この辺りが旧菱江村。住宅街を伸びる旧街道途中にもちの木地蔵尊とおかげ燈籠があった。
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 もちの木地蔵は、後方にあるもちの木にちなんで名づけられた地蔵であろう。
その地蔵堂の横に立つ「おかげ燈籠」は、菱江の村の歴史を今に受け継ぐものである。
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 菱江の太神宮(伊勢神宮の事)と彫られた、『 おかげ燈篭(とうろう)』は、江戸時代後期、天保2年(1831)2月吉日に建てられている。
この年の前年(1830)が、伊勢神宮の遷宮が行われた年(おかげ年)で、この年に参宮すると、平年より一層のご利益があるといわれ、「伊勢神宮参詣」が集団で行われた。 この燈籠は、伊勢講〔参宮する団体:台座に躍子中(おどりこなか)の銘)の人たちによって参拝の感謝に建てられたものである。

 面白いところでは、菱江の村では、この年の11月下旬に「伊勢の御札」が降り、村内で12月6日までの間「ええじゃないか踊り」が続いたそうだ。
江戸時代の後期は、幕府政治への不満から百姓一揆、打ちこわしなどが起きたが、暴力ではなく、「 ええじゃないか ええじゃないか 」と声を上げ、お伊勢さんのお札が降った事で大衆が踊った 神の名目(大衆の伊勢大神への期待)を持った社会運動がおこなわれたのだ。
 しかも伊勢の御札が降る家は、大体お金持ちの屋敷が多く、御札が降ったことで屋敷の中で「ええじゃないか ええじゃないか」と踊りたてられると衣服や金品がなくなったそうだ(^^;;。

 『阿波ええじゃないか』の文中には
「 銭は一切持たず、裸に近い格好でお参りし、伊勢神宮の札が降った家を見つけたら、押しかけ、門の前から ええじゃないかええじゃないか と踊りながら泥足でも草履でも関係なく座敷に飛び上がって踊り騒ぐ、家主はあわてて、酒や食事でおもてなしする。 」 (原文現代語にアレンジ)。とある。
 関東のほうでは、伊勢の札だけではなく、仏像なども投げ込まれ、投げた犯人が捕まったそうだ。 江戸時代の平和的な社会運動であろうか。
 家まで上がり踊り狂う行為は、現代では大変な事件であるが、昔は獅子舞が家々を回り氏神の寄付を集めたりしたもので・・・・今は伊勢では少ないかな・・・・。
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 お祭りの団体が、おかげ横丁の店先の前で奉祝行動(パフォーマンス)をするとお酒が奥から出てくる(――;みたいなものか(苦笑。

 菱江の旧道を進むとまた、産業道路に出る。人通りもそこそこにある(^^;。時間は13時50分。歩を進めると目の前には、スーパーマーケット業界の大手企業 イトーヨーカドーが!!!ここのフードコートで昼食である。
 腰を下ろして一服すると、なかなかこれが根を張りそうになる。喫煙場所で一服、たこ焼きを食べるチビてっつんの元へ戻るとは、横の席の奥様方に「 ずっと歩いてきたんだよ!!。 」となにやら話している。。。。半分以上肩の上にいたくせに・・・・と思いながら、乱れた髪を手櫛で直す、てっつんなのでした。(爆笑^^!


  旧街道を歩き旅
  今も昔も人々の思いが募る 伊勢においないな☆彡



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 西堤本通から産業道路を横断した暗越奈良道(旧街道)は、Cの字を書くように、また産業道路を横断し御厨の地に入る。
 下町風情のある町並みに、派手な関西らしいスーパーがある。(^^ こういうの好きです。
伊勢にはないなぁ。(*゚▽゚)
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古来の土地を占有していたものの都合であろうか、湿地や河川といった今にない環境の影響だろうか、どうしてこのような曲線を描く街道整備したのか知る由もないが、効率の悪い道作りに何か理由は有ったのであろうであう。
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 さて、御厨というと「 古代・中世、朝廷(皇室)や伊勢神宮・賀茂神社などへ神饌の料を献納するために設けられた所領」を指しており、伊勢と関係があるのではと期待しながら訪れた。

 しかし、書物を調べると聖徳太子にまつわる伝説があるものの、御厨の意味と地名については 「 関係がよくわからない 」 らしい・・・・。

 というのも 大阪夏の陣 ( 元和元年(1615)、徳川方が冬の陣の和議の条件に反して大坂城内堀を埋めたため豊臣方が兵を挙げ、徳川家康らに攻め落とされた戦い。淀君(よどぎみ)と秀頼の母子は自害し、豊臣氏は滅亡 )でこの付近が戦場となり、川に架かった橋が焼かれたそうで、戦で焼かれたせいか、古い記録もあまり残っていないそうだ。
 だが、大きな川が流れ、東(奈良 都)へ抜ける道、陸路があり 激戦地になりうる、交通の要的な場所であったのは間違いないであろう。

 この地で会いたかった(??;;)のが 「 御厨の道標仏 」 旅人が向かう方向の 道しるべ であり道中を安全に見守る 一石二鳥 ともいえる 風情のある 石道標仏である。
※ 写真上から1〜3枚

 とは言え、主要道でなくなった現在、道標の目的は、すでに役目を終えている。そのためかここに限ったことではないが、しっかり道標より地蔵と言う信仰の対象物としての意味を深め、そのためか、他の地蔵尊と同じく前掛けをしている。
 この御姿だとなると何のためにここにあったのか分からない 〜(――)〜。 申し訳ないが一時前掛けを外し、道標であることを確認させていただいた。<(_ _*)>

 そうすると 今も立派な美しい 道標 ではないか。!!!!!!!!!!!
周囲の景色も変わり、土もアスファルトやコンクリートに変わっているが、小さいながらも品格がある。
こういうのを見ると 歩いてきた価値 をとても感じることができる。
何枚か写真を撮り、外させていただいた前掛け元に戻し、手を合せ、そろそろ疲れを感じてきた足だったが、無言の道標に後押しされるように元気を取り戻すことができ、行く先に急ぐことができだ。(^〜^!

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 御厨周辺は、由緒ある歴史物が残っており、中でも、推古天皇21年(613年)に先祖が住みはじめ、街道を行きかう大名の本陣を務め、「山田湯(やまだとう)」という婦人病の漢方薬を作り、月に2日は、街道を行きかう人に振る舞いをしたという 植田家(現在もお住まいになられております) の建物や、川を埋め立てた菱屋の土地(新田)を管理した三井会所などが残っている。
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 三井会所とは、江戸の三井家(越後屋:三井高利、伊勢国松坂から江戸に出て呉服屋を始め事業展開、三井家は十一の家が共同で事業を所有・運営しており詳しくは省く・・;。)がこの土地(菱屋新田)を広く所有したことで、土地管理の必要があり、そのための事務所が三井会所である。


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 三井会所が機能していた頃の菱屋(新田)は広い土地であったが、人手に渡り、名前も変わり、今では三井会所周辺だけ 「 菱屋中 」という町名が残り東大阪市の中で一番小さい町となっている。

 御厨の古い街並みを後ろに見ながら旧街道を行くと人工的な河川 第2寝屋川 の太鼓橋を越える。どうしてこういう形なのかは分からないが、中世以前までこの辺りまでが沿岸部だったとか。
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 昔と今とでは、川の位置も街並みもすべてが変わっているのであろう。目の前にある目的地の山だけが、古来の形を残しているのであろうか。
 橋の上から見る町は、小さな工場が多い。農耕から工業へ、そして人が集まって下町として発展したのがわかる。
 http://proxy.f2.ymdb.yahoofs.jp/users/9bf3d453/bc/e60f/__sr_/8bd4.jpg?BCpnXbKBH5_ysxib

橋の上から街道を見るとまっすぐ伸びる道と曲がった道に分かれている。街道と言うとまっすぐした道を考えるが、曲がったほうが旧街道である。道と言うのはおくが深い('∇^d)。

橋を越えると、街の雑踏(工場からの音)も多くなる。 歩みをどんどん早める私であった。<(_ _*)>


 東へ西へ 伊勢に向かう旧街道  昔の思いを踏みしめながら 伊勢においないな ☆ミ


※写真の掲載期間切れの場合はここへ
 http://photos.yahoo.co.jp/ph/tetsukujira/lst?.dir=/e60f

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大阪から伊勢に向かう古い街道、暗越奈良道(伊勢本街道)。
歩いたり、馬に乗ったり、牛に乗ったり、輿に乗ったり、西から伊勢を目指した旅人、東から大和、大阪を目指した旅人が古くから主要道とした道である。
暇を見つけては、チョコリ チョコリ と歩いてきたが、いかんせん・・・記事が間に合っていない(――;;;。 記事をまとめてあげようにもいろんな行事があるわけで・・仕事もね。当然、気力の減退も(失笑^^;;。 で、今頃、記事をまとめ上げております。よろしくお付き合いください m(__)m。
 ↓現在ここまで完歩しております。。!
http://blogs.yahoo.co.jp/t20_in_ise/46096591.html

さて、深江稲荷神社で少し寄り道したあと、旧街道(暗越奈良道)に戻り、少し早足で歩いて行く。
旧街道の横を通るのは東大阪の物資輸送動脈ともいえる産業道路。
その横を通る旧街道は、かつて人馬の往来が激しかったのであろうが、今は自転車や住民が自転車や徒歩で通るのに調度良い静けさである。
 旧街道(暗越奈良道)をはずさない様に、道標(モニュメント)があるのがうれしい。
 ※写真1枚目

旧街道は、深江から高井田地区へと入る。

高井田地区には、昔、旅人を癒す二店の茶屋があったそうだが、それも今は無く、街道沿いに目新しいものは特にない。
ただ旧街道に架かる城東貨物線のガードには、ここが旧街道であったことをしめすプレートがあった。
 http://proxy.f2.ymdb.yahoofs.jp/users/9bf3d453/bc/e60f/__sr_/2a8b.jpg?BCDM4aKBMztawyWP

 http://proxy.f2.ymdb.yahoofs.jp/users/9bf3d453/bc/e60f/__sr_/b00a.jpg?BCDM4aKBnMn.64Vd

 ガードを越え少し行くとおでん屋(食堂)があるが、ここで酒をあおっておでんを食べてしまうと、本日の行程が パァ!××!! となるのでぐっと我慢である。関西系のおでんは非常に興味をそそるところである。ちなみに、伊勢では おでん につけるものは、からしもつくが、基本!! だしと砂糖で味をつけた 味噌 である。 これは中部圏の文化であろう。
伊勢に持ち込まれる味噌や原料の大豆は、伊勢湾を越え、愛知県三河地方から多く運ばれた。
 
  http://blogs.yahoo.co.jp/t20_in_ise/27144633.html
   ↑伊勢の台所といわれた 河崎町

 伊勢湾を越えて伊勢に運ばれ付く港が 伊勢の台所といわれた伊勢市河崎町であり、今でも周辺には、二軒茶屋 角屋(味噌、醤油製造)、肥料屋、古い蔵が残っている。

さて、話をもどし、高井田地区を過ぎると新喜多地区に入る。
 http://proxy.f2.ymdb.yahoofs.jp/users/9bf3d453/bc/e60f/__sr_/1c1f.jpg?BCze4aKBTwDMyUo2

街道途中には、清水地蔵、西岸地蔵が立派なお堂にまつられている。
 http://proxy.f2.ymdb.yahoofs.jp/users/9bf3d453/bc/e60f/__sr_/ab8f.jpg?BCze4aKBJlqB.WCJ

西岸地蔵を少し行くと、長瀬川という小さな川が流れている。

 http://proxy.f2.ymdb.yahoofs.jp/users/9bf3d453/bc/e60f/__sr_/286d.jpg?BCze4aKBJQOSGgmd
長瀬川の川岸は、整備され憩いの道となっている。

幅5mもない川だが、かつて(300年以上前)は川幅が200メートル近くもあり、旧大和川が流れていたそうだ(かつての川岸は、西岸、清水地蔵尊辺りと考えられる)。

この長瀬川のある地区は「新喜多」と呼ばれ、旧大和川の流れを人工的に変えた時、干上がった河原を開墾した3人の大阪商人の名前から一字をとった地区名だと言われている。
300年以上前のことで、広い幅の川である。人々を運ぶのは、橋ではなく渡し船であった。その名残か旧街道を少し離れた所には、 「 渡し地蔵石仏 (写真2枚目)」が残っている。

多くの旅人を見守り、また川にまつわる霊を慰めたものであろう。私も旧街道を歩く私も拝んでおくべきであろう。
しかし、いかんせん、手に持つ資料がネットから印刷した地図に自分で線を引いたものである。古書の昔の地図は、手書きであり、現在と合致しておらず、あまり正確とはいえない(^^;;。
こうなると、頼るは スマイル いわゆる 「 人に聞け 」である。
しかし、何人かに声をかけるも 「しらないなぁ。」 のオンパレード(――; マンションなども多く、もともとこの地の住民でない人も多いようだ。 迷いに迷い 八百屋の店主にきくが 「 渡し地蔵 ってどこにありますか? 」と聞くと 「 私、地蔵ですか????」・・・・・・(・・; いゃ・・ここでそんなボケはいらない。・・・・・
「 私、地蔵なんてしらないなぁ。。。。。。。」 以外にしつこい・・・・ ここで話をあきらめるのもなんなので 「渡し場にあった有名な地蔵しらん?」と聞くと「あー!地蔵ならこの裏や!」・・・っとまぁ こんな調子で案内していただいたところに行くと 「愛宕神」とある・・・ちがうやん。。。(==; 旅というのは、少しのハプニングがあって面白いもの、気長に歩くとしようと心を入れ替え・・・・・、意気消沈に来た道を旧街道に戻ろうとすると、家に囲まれた空き地に立派な地蔵堂が!! 「 渡し地蔵 」である。(写真2枚目)

 http://proxy.f2.ymdb.yahoofs.jp/users/9bf3d453/bc/e60f/__sr_/8da8.jpg?BCze4aKBzAKi9mHk

ここまで無事来られたことに感謝し拝ませていただく。
しかし立派な地蔵尊である。 高さ1.7m、ここまで見て来た地蔵とおなじ砂石のような花崗岩で作られているようだが、残念ながら地蔵堂の戸は閉じられていたーー;;。

人の多い大阪である、今までの地蔵堂は、狭い土地いっぱいにお堂が建てられていたが、しっかり土地が整備されているのは、ここぐらいでなかろうか(^^。
休むスペースもある、地蔵堂の段になった場所に背負った荷物を置き、お茶で一服である。
昔の旅人も、渡し船を待つのに同じよう荷物を置き一服したのであろうか。(^^!

のんびりしていると、前を通り過ぎる自転車に乗ったご婦人方の視線に冷たさを感じる。。まぁ、平日、働き盛りのおっさんがカメラ片手にお茶を飲んでくつろいでいるのだから、不審者であろう(笑。
天気も良くお堂の空き地から空を見上げる。そうすると地蔵堂を囲む民家の壁には洗濯物がぶらさげてある・・・・。
 アッ! この状況は不審者に間違われても仕方がないかもしれない・・・・。つまらないトラブルにならないように、そそくさと休憩を終え、旧街道に戻る(^^笑。
新喜多から次の地区の名前は 「 西堤本通 」。 高井田、西堤、「高い堤」である。それぞれに、川の名を残した、旧街道である。今では想像もつかないくらいの川が流れていたことであろう。

さて、次に入る地区は、歴史的背景のありそうな、東大阪市御厨(みくりや)である。
 大きな道(産業道路)に出る前に、大阪らしい、ここが東大阪とわかる(^^;風景があった(写真3枚目)。



西へ東へ 伊勢に向かう旧街道  昔の思いを踏みしめながら 伊勢においないな 

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