伊勢 おいないな 日記 〜サラリーマンの写真集〜

神風の 伊勢の浜荻折り伏せて 旅寝やすらむ 荒き浜辺に 「万葉集より」

伊勢 外宮 33社

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 春秋も夏冬もただみながらに 朝日の宮の影ゆたかなり
                        〜北畠 国永
  
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 平成23年2月15日 早朝 前日の大雪で動けなくなった路上駐車の車をかわしながら伊勢神宮 外宮の別宮 「月夜見宮(つきよみのみや)」にでかけた。  内宮の別宮 月読宮と同じ天照大御神の弟神 月読尊と荒御霊が御鎮座されている。
 わかりやすく伝えるため、神宮関係者やツウは、 「つきやみさん」と呼ぶそうである。
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 家々やビルが並ぶ場所に御鎮座されており、周囲とはまた違う古木と大木が周囲とは、別の気配を感じさせる。
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 同じ社地には、外宮摂社 「高河原神社」 御祭神は、月夜見尊御魂(つきよみのみことのみたま)で、もともとこの辺りには、川が流れ海に出る河原であったようだ。
 ここから船に乗り出るには、磁石の無い時代、星を見て方向を計測していたことから、月(夜)を見て方向を定めて、祈り、出発したのであろう。
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 残念ながら、川は現在無く、流れがあるのかさえ分からない堀があるだけである。
 伊勢観光と言えば、伊勢神宮 内宮とおかげ横丁。というのが一般的で、最近となり「お伊勢参りは、外宮から」とPRすることで、参拝者が増えているようである。 もちろん景観づくりの効果もあろう。
 しかし、私が思うに、内宮にあって外宮に無いものは 『自然』であると思う。 ゆっくりした時間を過ごすには、京都のように各所で、川の流れがあり古都の雰囲気が感じられるように、この堀も小さな川として流れを持たせて、そこに近づけること、触れられることが長い目で見ての町づくり、伊勢作りだと思う。
 ま、個人の意見ですので スラッと流してください。。
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 月夜見宮から正面を見ると、豊受大御神(外宮)北御門参道がある。
 このまっすぐのびる道は 「神路通り」。 夜な夜な外宮の神が馬に乗りこの道を行きかうのだとか・・・・。
 
 関係者の方曰く、「神様は夢遊病者じゃないので夜な夜な出歩くわけがないでしょ。民間の言い伝え(うわさ)を真に受けないように。(笑)」 とのこと。
 道の真ん中、伊勢神宮の参道の真ん中を歩くのは「禁止」でもなく「だめなこと」でもない。
 そこにあるのは日本人の控えめな精神の正当化。 混雑しているの時に、そのような歩き方は危険極まりない。
 
 間違ったことを堂々と書いてるブログを見かけます。
 ブログなので個人の意見ですので、あまりにもひどいものと神がかっている人(宗教熱心な方)には、コメントは入れませんが、くれぐれも信じ込まないようにね(^^!。
 
 
 
 礼儀を正して御参拝 伊勢においないな☆ミ
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 伊勢神宮は、広い。
 豊受大神 外宮の神域は、89ヘクタールで東京ドーム約19個分。
 皇大神宮 内宮の神域は、93ヘクタールで東京ドーム約20個分。
 他に神宮林をたすと5,500ヘクタールで フランスはパリの面積 東京は世田谷区とほぼ同じ面積。
熊本県にも、樹木を育てる神宮林があるそうで合わせるとどれぐらいになるのであろうか。 
 伊勢市の約26%は、神宮の所有であるからその土地の広さがわかるであろう。 しかもあくまでも神宮(伊勢神宮)は、宗教法人なので、国家が管理しているわけではないところがまたすごいところである。
 
 そんな広大な、神宮を参拝に、良き自然を撮影にと歩き回る てっつん であるが、静かで好きな場所がある。
それは、人ごみを抜けだし、ほっと一息つける場所。 時の流れが静かに感じられる場所である。
 内宮では、風日祈宮橋周辺や、荒祭宮の石段あたりであり、自然豊かで意外と静かである所がいい。 現在、工事をしている所もあるが・・;。それもまた現代の時の流れである。
 
 外宮で てっつん が好きな場所と言うと、これから紹介する 北御門口参道に入ってすぐ、100m程西に進んだ 摂社1社 末社1社とその自然である。
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 ここは、時間を急ぐ参拝者や、観光団体の参拝コースから外れているためにめったに人は訪れない。
袋小路で約100mの参道を行く。
 足が疲れている時や気分の乗らないときは、100m以上の距離にさえ感じ、高い木と手付かずな落ち葉や枝から、心細ささえ感じ得る場所である。
 参拝者が少ない、細い参道を歩き、たどりつくのが 豊受大神宮の摂社『 度会国御神社 (わたらいくにみじんじゃ) 』である。
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 外宮の世襲神主であった度会氏の祖神、天日別命(あまのひわけのみこと)の子、彦国見賀岐建與束命(ひこくにみがきたけよつかのみこと)をお祀りしている。
 
 さらに、この場所の一つ奥には、豊受大大神宮末社で明治6年この地に再興された 葦原神(あしはらのかみ)をお祀りしている 『大津神社』がある。
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 いつもなら、ほとんど参拝者もいない場所であるが、三連休初日にせいか、パワースポットブームのせいか、ありがたいことだがガイドブックを持った参拝者がチラホラ。 女性一人で訪れる人もいる。 
 誰もいない場所で女性一人の参拝者と出くわすと、声をかけるべきか、気まずいやら、心配になる所であるが、大男のてっつんが心細く感じる深い森の参道を、一人で歩く最近の女性は強いものである。
 
 さて、大津神社の奥には、てっつんのお気に入りでもある 楠の古木 がある。
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 この周辺の古木は、おおきな洞が開いており、大人が入れそうなくらいである。
 以前は、稲荷参りの奉げ物が洞にあったが最近は見ない。
 
 内宮のおひざ元、宇治地区には「寒の稲荷参り」という、宇治地区13か所(内宮神域にも2ヶ所ある)、寒さ厳しい寒中の夜に稲荷(現在は、社地のない場所を含む)をまわる、口伝えの小さな地元行事が残るが、外宮のこのあたりでもあるのであろうか?。
 このあたり土地の真近まで、明治初期までは町が広がっていたそうであるから、そういった稲荷参りの行事は小さなレベルの行事で残っているのであろう。 さすがの私も詳しくはわからない。
 
 まぁ、由緒がわかるという、頭の中を固くしたことよりも 写真家の 「 てっつん (私)」 にとって、自然の大きさ、力強さを静かに感じる場所がこの場所である。
 静かな森の恐怖と言うより、圧倒される、何かがここにはあるような気さえする。
 「ただの世界」から「ただならぬ世界」入ること。 神が御鎮座される場所に入っていることを静けさから感じ、木々に生えるコケをもゆっくり眺めていたい場所なのである。
 
 
 ちなみにこの奥には、貯木場などがあるが立ち入り禁止。 立ち入り禁止の場所には 『 セコム 』されておりますから、入るとこっぴどく怒られます。
 防犯センサーには引っかからないように常識を持って行動してください。
 
 
 
ただならぬ世界を訪れに 伊勢においないな☆ミ
 
 
 
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 三重県鳥羽市、鳥羽湾の奥、加茂川河口にある 「  赤崎神社 ( 外宮末社) 」は、豊受大御神へ奉げる御贄採取の守り神である 荒崎姫命(あらさきひめみこと) が祀られている。
 ※写真1枚目 中央の山にあるのは赤崎神社(あかさきじんじゃ)。。
 毎年6月22日、地元の産土神(うぶすながみ:氏神)として例祭が行われる。
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 この祭りは、梅雨の真っ只中に行われるため、雨降りが多い記憶があるのが、昨年、今年とも正午過ぎから、、梅雨空にはできすぎた祭り空である。
 社殿前には毎年であるがテントが張られその下で参拝。長年の雨をしのぐ知恵であろう。
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 しかし、外宮の末社(まっしゃ)という位置づけであるが、たくさんの参拝者である。
 伊勢の神宮は、125の社、4市3郡の広い地域に後鎮座されている。 社にも格があり、御正宮→別宮→摂社→末社→所管社という一般的な順位になるであろうが、本来どこもひっそりとたたずむ末社内で、この赤碕神社は 集客率No1 であろう。
 また、神宮の決められた御神事ではなく、地元の例祭としての御神事であり、宮域で取られた杉葉を飾ると1年間無病息災になるという地元信仰がのこるのも面白いところだ。
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 そして、 この赤崎祭は、別名「 ゆかた祭り 」とも呼ばれ夏の衣装を着た華やかな浴衣姿で鳥羽近隣の人々でにぎわいをみせる。
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 また、1kmほどの市街地(赤碕、藤之郷、中之郷地区?)の旧主要道には、約百件ほどの露店が並ぶそうだ。
 
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 夏の入り口、梅雨真っ只中の伊勢志摩地方。  梅雨が上がれば海開きが待ち遠しい時期。
 感謝と良い夏への願いを赤崎さんにお願いし帰路に着いた。
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    夏を捕まえに 伊勢志摩においないな☆ミ

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 伊勢の神宮とは、正宮含め 125社をまとめた総称である。
              ↓
 http://blogs.yahoo.co.jp/t20_in_ise/31872892.html


 外宮の末社で、外宮神域のあり、面白い位置取りをしているのが大山津姫命を祀る山末神社(やまずえじんじゃ)である。


 大山津姫は、山末の堰谷に坐する泉の神として、外宮神域の山、高倉山の末にある。外宮正面(観光案内所)から、歩いて10分ほどであろうか。

 さて、なぜに泉の神が現:住宅地、木材置き場にのそばに位置しているかというと、戦前までであろうか、元々は外宮横の、豊宮崎(現。岡本町に一部)、伊勢市立郷土資料館辺り( http://blogs.yahoo.co.jp/t20_in_ise/30895390.html )から後ろの地域は、「抜穂の御田」「精進田」「御常供田」「二所の大神の御饌所(みけどころ)の御田」とも呼ばれる広い「 豊受大神宮の御田(おんた)」があったところであるからだ。    (御田=神田)

 現在の、伊勢神宮御田( http://blogs.yahoo.co.jp/t20_in_ise/8434873.html )は、楠部町の御田と伊雑宮の2箇所である。 
 古い記録では、志摩市磯部町にある皇大神宮別宮「伊雑宮(いざわのみや)」が、伊雑の地から稲を千税(ちくら)として神宮に納めた事が鎌倉時代成立といわれる『倭姫命世記』に書かれている。

 豊受大御神(とようけのおおみかみ)は食物・穀物を司る神であり、この外宮側の地で五月吉日行われる「御田植神事(おんたうえのしんじ)」は、明治時代の神宮大改革が行われる前まではかくも盛大で、神事の見物者も多い風情溢れる賑やかなものであったらしい。
 案内には、今も外宮御料田があるとあるが、現在は休耕田になっており、言われてみると田がある。


 山末神社は、田に水の恵みを与えるために、祀られた重要な意味を持つ摂社であったのであろう。




 では、どこが変わっているのかというと、画像を見ていただけると分かるが、鳥居の位置である。

 「どうしても、鳥居の下を通らなくてはダメですか?」と実態の見えないものに問いただしてみたくなる位置である。


 この答えのヒントは、寛文(1661年〜1672年)に再興されたとき正しい位置であるのか不明とあることにある。


 水害や、大きな地震で伊勢の地形は、たびたび変わっている。摂社、末社、別宮の位置も過去の記録と変わったいる場合が多い。
 山肌を削っているのだから、山末神社は新しく整備されたものであろう。

 また、社の向きも大きく関係している、日の昇る南向きに建っていたり、大きな山を背景に社が建つなど、祀る神々によって社の向きも大きく関係しているようである。
 安全な場所を確保し土地を整理し、建てたはいいが、そのために不自然な位置に鳥居ができたのであろうか?

 おそらく山肌にあったものが、自然災害により、山末神社宮域が荒れたことで、新たに整備しなおし、山肌を整地したことで、不思議な鳥居の位置になったであろう。 

 しかし、 参拝者 無視 な鳥居である。




   

     不思議と不便な位置にある 神宮の鳥居をくぐりに 伊勢においないな☆


 

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