伊勢 おいないな 日記 〜サラリーマンの写真集〜

神風の 伊勢の浜荻折り伏せて 旅寝やすらむ 荒き浜辺に 「万葉集より」

京〜伊勢 斎王の道

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わかれゆく 都のかたの恋しきに いざむすびみむ 忘井の水
〜 女官 斎宮甲斐 〜

・都に別れてきたけれども、やはり都のほうが恋しくてたまらない。さぁ忘れ井の水を飲んで都のことを忘れましょう。
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 この歌を詠んだ官女甲斐は、斎宮恂子(あいこ内親王(鳥羽天皇朝 斎宮期間1108〜1123)に従って壱志駅家(いちしうまや)(現 松阪市曽原⦅市場庄町⦆付近とする説と松阪市嬉野町宮古付近に当てる説とがある)の頓宮(とんぐう)に一泊し、この忘井を通った際、遠く都を離れはるばると伊勢の地に来て、望郷の念やみがたく涙とともにこの歌を詠じたと伝えられる。
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 900年ほど前の話である。 言い伝えは程よく変化し、地形も変わる。都より伊勢へ下る斎王が通った官道も変わっている。 
 目で見ていないから斎王郡行を思い浮かべながら平安朝を想像してみる。
 
 この場所は伊勢参りでにぎわった場所である。 
 伊勢音頭の 「六軒茶屋まで送りましょう♪」と旅客を迎えにまたは送りに来た御師が旅客を待つ場所の近くである。
 伊勢を惜しむ場所であったのであろう。 
 逆に都や故郷を忘れ、伊勢へ清めていく禊の場所であったのかもしれない。

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現在の井戸は‥‥流石に飲むことはできないであろう。その勇気もない。

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 旧街道に道標が建ち 地区が 忘れ井 を守っている。

 いつか 名物 「忘れ水」が販売されるのであろうか。

 目をつぶってもなかなかその当時の情景が浮かばない場所ではあるが、人の思いが受け継がれている場所。 
 間違いない 忘れられない 忘れ井 はここである。

 しかし、古代の斎王が通った初瀬街道を考えると この歌のころの忘れ井は、嬉野町宮古のほうが有力かな。

 想像の中の歴史ロマンは素晴らしく華やかである。
 華やかな都と伊勢を結ぶ旧街道の散策 
 斎王の道を訪ね 伊勢においないな☆ミ




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 京の都から伊勢神宮に派遣された天皇の名代として神に仕えた斎王。
 伊勢に向かう街道は、時代とともに発展し、都から伊勢へつなぐ街道もその都度変化した。
 今から約1200年前の平安時代初期の92年間、伊賀の国柘植郷(つげのさと)は、伊勢に向かう最王が道中宿泊休憩された頓宮(とんぐう)という仮宮が置かれた場所で9名の斎王がここを利用された。
 
 さて、てっつんの斎王シリーズである。
 私が生まれ育った伊勢と全国のつながりを見て楽しむことをライフワークにしている。 今回は、伊勢から車で約1時間半程、伊賀の国の都美恵神社で行われる斎王群行を見に行った。
 
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 地元の方が中心となり行われる祭りである。
 老若男女の芸達者の参加者が、劇あり舞踊あり斎王の歌ありの楽しい祭り。
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 別れの御髪(おぐし)。
 
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 斎王役は、地元の小学生。
 
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 本来の斎王様はちょうど、このくらいの背丈の年齢だったのかもしれませんね。
 なかなか凛々しく演じてられました。
 
 この祭りは、本来9月末日に行われる予定でしたが天候不良で、11月の今日まで延期となったそうで、ちょうどこの時期は、祭りも少なく私も見に行くことができた。
 残念ながら、斎王群行は予定されていた「斎宮芝(さいかしば:頓宮跡)」まで歩くのが変更され、町内を1週するコースになった。
 せっかくなので、ウォーキングもかねて本来の柘植の斎王群行コースを歩いてみた。
 
 都美恵神社から街道筋に出るとは、敢都美恵宮(あえとみえのみや)遺跡の石碑がある。
 敢都美恵宮(あえとみえのみや)とは、天照大御神の座する場所を求め旅に出た、倭姫命が立ち寄られ、垂仁天皇の2年から2年間天照大御神をお祀りした場所が「敢都美恵宮」と伝えられている。
 
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 そこからが遠いこと遠いこと。 
   
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 途中、小説家・俳人の横光利一が幼少期を過ごした家の跡地を見ながら、結構な距離歩いて・・・・
 
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 で・・・・・・近くに見える家の前が「斎宮芝(さいかしば)」である。
 
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 都美恵神社からの往復、道も迷ったせいか結構足にきた。
 
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 1時間ほど歩いて、都美恵神社に帰ってくると、ちょうど斎王群行が帰ってきたところでした。
 
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 心温まる斎王群行に感謝。
 
 
 最後に都美恵神社のご紹介。
 
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〜〜 都美恵神社(つみえじんじゃ) 〜〜
 
 都美恵神社の起源は古く西紀二、三世紀以前ではないかと思われる。我が国へ渡来してきた北方民族(出雲民族)がこの柘植へ移住してきたことは、伊勢風土記逸文に「伊賀の事志【あなし】の社に坐す神、出雲の神の子出雲建子命、又の名は伊勢津彦の神、又の名天櫛玉命、此の神、昔、石もて城を造り、其の地に坐しき、ここに阿倍志彦の神、来り集い勝たずして還り却りき。因りて名を為しき云々」とあることからも、霊山の中腹穴師谷にこれらの民族の祀っていた神であることは事実のようだ。
この神社のもとの名は穴石(穴師)神社又は、石上明神ともいって上柘植村の産土神として祀られていたが、寛永二十一年(一六四四)大洪水の為社地欠損甚だしく、正保三年(一六四六)今の地に移されたことは、種々の古文書から明らかであるし、その時の社殿造営の棟札(式内社 正保三戌年八月二十七日)も町文化財として今日残されている。
この神社の祭神は栲幡千々比売命【たくはたちぢひめのみこと】、布都御魂命【ふつみたまのみこと】、布津主命【ふつぬしのみこと】外三十三柱となっているが、又他の一本によるともとの祭神は木花開耶姫【このはなさくやひめ】であったとも伝えられている。
都美恵の社号については、一村一社の合祀(明治四十二年四月)後、大正十一年七月に現社号に改称されたもので倭姫世紀、伊勢御鎮座遷幸囲略、二所皇太神宮遷幸要略等にある「敢都美恵宮」から「敢」をとって撰定されたもので、即ち都美恵は柘植の古語であり神宮縁りの地でもある。
こうした由緒のある宮をわれわれの産土神として末永く祀りつぎたいものだと思う。
 
〜〜御由緒より〜〜〜〜〜〜〜〜〜
 
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 高い位置の社殿は、春日造。 周囲はすっきり見渡せ。社殿横からさらに高い位置に愛宕・秋葉の神が祭られている。
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 伊勢神宮へ遥拝する場所も立派である。
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 神社周辺には、昔を物語る地図が作られ、歴史から郷を学び、観光につながり郷を活性化しようとする気持ちと有志が伝わってくる。
 
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 これからが楽しみな祭りであった。 
 良い運動もできて、天候もよく、良い一日でした。
 
 
伊賀で学んだ後は、祈りを届けに伊勢においないな☆ミ 
 
 
 
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 『 是の神風の伊勢の国は、常世之浪重浪帰(とこよのなみしきなみよ)する国なり。傍国可怜国(かたくにのうましくに)なり。是の国らむと欲ふ 』
〜〜 天照大神から倭姫命への神託 日本書紀 〜〜
 
 伊勢からからカーブの多い道を約1時間少々、釣りの師匠とよく出かけた南伊勢町の太平洋側海岸線(国道260号線)に、神話を残す場所がある。
 
 「倭姫命 腰かけ岩」がそれである。
 
 河内集落、国道260号沿い皇大神宮別宮滝原宮へと続く峠道が海に出る河内川河口付近、目立たない道のカーブした国道沿いに、2本の老松のある所が腰かけ岩の旧跡地である。
 
 
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 日本書紀や倭姫世紀と言った数百年後に書かれた記録はあるが、日本に文字がない時代の話である。
 この地に伝わる伝承によると、垂仁天皇(すいにんてんのう)の皇女:倭姫命(やまとひめのみこと)が、大神さまの御鎮座を求め御杖代となり、近江、美濃、丹波、紀伊、伊賀、吉備、尾張と御巡業の途中、この地で疲れを癒そうと倭姫命が腰を下ろし、休息をとった岩がこの「倭姫命御由緒伝承岩」となっている。
 
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 しかし、疲れはなかなか癒せず、やがて夜が白み始めると岬と集落が見えたことから、この地を明崎(赤崎)と呼ぶようになったと伝えられるそうだ。
 
 倭姫命は、実に不思議である。
 伊勢にある、皇大神宮別宮 倭姫宮(やまとひめのみや)は、大正12年11月5日に御鎮座祭が行われた新しい宮である。 
 倭姫命は、皇大神宮を現在地に御創建され、伊勢の草分け的な姫神であり祭主であり斎王であったにもかかわらず、伊勢には、御陵墓の伝承地を残すだけでお祀りする宮社がなかったため、神宮ならびに地元、篤志者の熱望が実を結んで建てられたのが倭姫宮である。
 
 単純に考えると、第11代垂仁天皇の娘であるから、御巡業に際しては警護する屈強な家来(兵士)がお供したことであろうが、それにしても一人の姫が、人一人が通るほどの幅の古代の道を、岡山、京都の日本海側、和歌山、愛知、岐阜、滋賀、三重などに馬に乗ったか歩いたかして、神に仕えながら旅をしたわけである。
 危険であろうし、さまざまな障害もあったことであろうから、倭姫命はふく数人存在したとか世襲制であったなど考える研究者もいる。 それゆえ なぞの多い 神である。
 
 神が休息したいわゆる「腰掛け岩」の伝承は、倭姫命、猿田彦命と数箇所あるが、探せばもう少し全国的にあるかもしれない。
 
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 それゆえに、日本の神 われわれの中に自然な信仰心が何千年と伝承され続いていることが理解できる。
 「せめて一生に一度はお伊勢さんへいきたい。」との思いで伊勢を訪れる参拝者と面識もなくお会いし会話することもしばしばである。
 
 伊勢へと続く道につながる伝承地であるが、いかんせんよくわからない伝承地ともいえる。
 
 鳥居は、明神鳥居で 伊勢神宮の神明鳥居で無く、腰掛け岩がどれかわからない。 この碑の後ろにも岩がある。何らかの磐座(いわくら)なのかもしれない。案内板も解説少ない。
 古い松の幹と地盤に差があるのは、津波の影響か道路工事の影響か、何せ疑問が残る。 しかも交通量は少ないが、カーブにあるため結構なスピードで車が曲がってくるので、多くの方が訪れると事故が心配な場所である。前に消防署はあるが、救急の拠点病院までは遠い場所である。
 
 もう少し、町をあげて観光資源として何とかしていただけるとありがたく感じるし、今のブームに乗ってこの地を訪れる人も増えるのではなかろうか。  広報とか意見が必要ならいつでも協力はしますので、から口にかかせていただきました。  感謝。
 訪れるときは、交通の便も調べて、付近の観光地も調べていくことをお勧めする。
 
 
 
 
素朴な海の香り心地良い南伊勢町
神々素朴に伝わる 伊勢志摩においないな☆ミ
 

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 さて3/9の京都マラソンも終わり、そそくさと愛車に乗り込み帰途についた。 名古屋国際女子マラソンも見たかったので車内にて鑑賞です。

 平安神宮前の駐車場をでて、京都市内を走る国道1号線にでる。
 ご存知かと思うが、国道1号線は東京と京都を結ぶ東海道に沿って造られている。京都、滋賀を通り三重に入り、伊勢に向かう道、伊勢別街道のある関町を抜け、愛知、静岡、神奈川、東京に続く動脈である。
 東海道新幹線や名神高速といった、現在の大動脈は、中山道に沿って造られている。雪の少ないとおりやすい東海道を避けて、雪の多い中山道を利用した大動脈がなぜできたかというと、一説には当時の運輸大臣がそちらの方の選挙区であったからなどと言われている。真実かどうかはわからないが、便利と言えばこちらの地区を通した方がよかったのでは?と不思議に思う。

 もちろん、昔の大名や旅人、文人の多くが東海道を利用した。
 私の好きな、伊勢本街道は、距離は近いが峠や山道が多く、それだけに風情があるが、安全な旅を考えると貸し馬などがある「 東海道 」の方が便利だったのであろう。

 京をでて、逢坂山(滋賀県大津市)に出て国道をはずれ大津市の「東海道」を確認するが、綺麗に伸びた街道ではあったが、どちらかというと近代的かな・・。一方通行の道も多く、、天気のよい日曜日と言うこともあり道が混雑している・・;。しばらくの散策の後、そそくさと国道1号線にもどり三重にむけ車を走らせる。
 国道一号線に戻ると、かなり車は混雑。ドライブの人も多いのだろう・・・。有名箇所を通り過ぎながら、滋賀県栗東(りっとう)市あたりで、名神高速や北へ向かう車が分かれるため交通量は激減する。
 ここまで来ると、のんびりに、ちょうど良いドライブであるが、昼食で時間をとりすぎ、少し帰路の距離を縮めたいので「 斎王群行(斎王祭り) 」が行われる「 滋賀県甲賀市土山町 」に急ぐ。
 
 土山町には、斎王の頓宮(とんぐう:斎王群行の仮宿泊所を頓宮と言う。垂水斎王頓宮跡には、土手や井戸跡が残っている)があるが、その横手には旧東海道が、整備された姿で残されており、そちらを通ることにしたので、寄るのを忘れてしまった。 また 行こうと思う。。。。(TT;

 写真 1枚目 東海道 松並木道
    2枚目 斎王頓宮 御殿跡

 斎王は、天皇の交代などで任期が変わっていたから、そのお宿(頓宮)も場所を変えていたのであろう。
 ここら辺の、街道の町並みは「平入(ひらいり)造り」であり、信仰の道よりも「商売の道」と言ったところであろうか。この辺りの街道沿いは、神社の数が多く感じる。


 そして土山町を代表する神社と言えば「 田村神社 」である。
 
 ホームページより。
 田村神社は、東海道の難所である鈴鹿峠の近傍に位置し、京都からの伊勢参宮の要衝にもあたっています。 弘仁元年 (810)、ご祭神である田村麻呂公は、嵯峨天皇の勅を奉じて、当時旅人を苦しめていた鈴鹿の悪鬼を討伐され、その害を除いて、道中の平安を保たれました。
 しかし、その後悪鬼のたたりで農作物が不作となり、更に疫病が流行したため、弘仁3年 (812)再び
嵯峨天皇の詔あって厄除大祭が斎行され、その霊験あらたかなるによって、以来、厄除の大神として、また交通安全の守護神として、広く崇敬されております。

 田村神社の、金属製の鳥居前を東海道が通っており、横の小さな橋には、高札場[ こうさつば:幕府や領主が決めた法度(はっと)や掟書(おきてがき)などを木の板札に書き、人目のひくように高く掲げておく場所 ]があったそうだ。
 田村神社は、美しく整備され、近代的な神社であった。 写真3、4枚目



 
 滋賀県の土山町を抜け、三重県との県境の鈴鹿峠を越えると三重県亀山市「 関町(関宿:せきじゅく) 」に出る。

 関町は、東海道の往時の面影を唯一残す歴史的町並みとして、昭和59年、国の「重要伝統的建造物群保存地区」に選定されている。
 東追分、西追分の間、約1.8キロメートル、その中央には国の重要文化財にも指定されている関地蔵院がある。
 徳川家康の宿駅制度化により、関宿も東海道の正式な宿駅として整備され、 伊勢別街道及び大和街道との分岐点という立地条件により繁栄してきた宿場町ある。
 関宿は西の追分で大和街道が、東の追分で伊勢別街道がそれぞれ分岐する、分かれ道で街道の要でもあった。
      詳しくはここ ↓
 http://www.city.kameyama.mie.jp/machinami/index.html

 写真 5枚目。



 さて、西の追分には、伊勢神宮から運ばれた鳥居が建っている。
 伊勢へ向かう「 伊勢別街道 」の入り口を示す鳥居であるが、現在は、歩く人より車が鳥居の下を通り、国道へでる道として役目を果たしているそうだ。

 関宿、西の追分にある鳥居であるが、元は、内宮御正宮の棟持柱 [ むなもちばしら:神明造(しんめいづく)りで、両妻の側柱外にあって棟を支える柱 ] であった。 

 御遷宮  → http://blogs.yahoo.co.jp/t20_in_ise/6360902.html
の際、両宮(伊勢神宮 外宮 内宮)の棟持柱は、伊勢神宮内宮へ続く橋 「 宇治橋 」の両側の鳥居へと姿を変える。 

 宇治橋の両側に建つ鳥居は、高さ7.5mで、入り口側(西)の鳥居には、遷宮時、解体される伊勢神宮外宮正殿の棟持柱が使われる。
 奥側(東)の鳥居は、伊勢神宮内宮御正殿の棟持柱が使われる。
 宇治橋に建つ鳥居は、鳥居になった時点で20年建った木を使い建てられているわけだが、宇治橋の鳥居として役目を終えた、さらに20年後には、西の鳥居は、三重県桑名市にある七里の渡しの鳥居へ使われ、東側の鳥居がここ「関宿の西の追分」に使われている。合計60年で鳥居として役目は終えるが、その後が解体され、各地方の神社建て替えの木材として利用される。
 いわゆる リサイクルされるのが、神宮の鳥居である。

 写真 6、7枚目。

 なぜ、神宮の鳥居がここにあるのかと言う理由ははっきりしないが、神宮への目印として役割があったのだろう。 境界ではないか?というのは、古来、神宮は松坂市南側を流れる櫛田川を境にしていたのでそうとはいえないであろう。
 江戸の頃には、内宮領と外宮領の境にも鳥居があったことから、何らかの請願で建てられたのではなかろうか?  →  http://blogs.yahoo.co.jp/t20_in_ise/28192851.html


 さーて、ここまで来ると 伊勢まであと少し。 日もかげってきたので そそくさと撮影を終え帰った私である。

 かの 斎王の群行もここまで来て、あと少しと思ったのであろうか(^^。








      往古の道をたどりながら 伊勢においないな ☆

 

 時間はかかりますが たまにはいいかも(^^;

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 京都は、朝廷のあった都である。当然、伊勢との関わりも深い。 

 京都といえば 桜!! でもあるが、伊勢との繋がり、歴史を感じに斎王となるための皇女が身を清め、日々斎戒沐浴した「野宮(ののみや)」の跡と考えられる「野宮神社」を訪れた。




※ 斎王とは、古代から中世にかけて存在した制度で伊勢神宮をおまつりするために、天皇にかわり伊勢に御鎮座された太神宮の最高責任者である「斎王」=「清浄なる皇族の女性」が、神領(伊勢)に赴任するということは「国家の一大イベント」でした。
 京から伊勢へと向かう隊列(群行という)の人数は、千人を超えるものだったといわれています。

 斎王が伊勢に到着し、政治を行う役所が斎宮寮(三重県度会郡明和町)で、斎王の住まいと斎王寮を一つにしたのを斎王宮(斎宮)といいます。

 斎王は、天皇が次の天皇に位をゆずったときには、天皇の子供(未婚の皇族女性)で、占い(卜定:ぼくてい 亀卜:きぼくとも言う)によって決められた。

 斎王になった姫は、皇居(御所)や野宮(京都)で斎王としての厳しい修行をつんで、天皇から「別れの御髪(おぐし)」をうけ、行列(斎王郡行)をしたてて近江(滋賀)から鈴鹿を越え斎王宮に入ります(斎王宮までの間、五ヶ所で宿泊する)。
 天皇が位についている間、斎王として伊勢神宮の祭りごとを行い、その後、天皇が位を退くと斎王は京に帰り、次の天皇の子供(未婚の皇族女性)である姫が斎王になります。
 しかし武家政権となり、斎王制度は衰退し廃絶した。「伊勢物語」や「源氏物語」の歴史資料・物語にも斎王は登場し、未婚の女性が旅立つという神秘的な姿を垣間見ることができる。
 三重県にある斎王宮の遺跡(跡地)は、昭和45年より発掘調査が行われ、現在は、遺跡のど真ん中を近鉄線路が横断している。各駅停車の電車しか止まらない遺跡前の斎宮駅近くには、歴史体験館、ミニチュア模型、三重県立斎宮歴史博物館が建てられ、斎王制度が栄え、皇族・貴族がこの地で栄えた当時の様子を学ぶことができる。
 ちなみに京都で有名な祭り「葵祭り」は、斎宮で使える斎王を見送るお祭りです。

前記事 → http://blogs.yahoo.co.jp/t20_in_ise/6992814.html
      
      http://blogs.yahoo.co.jp/t20_in_ise/8338676.html



 さて、斎王が伊勢に下向するにあたり潔斎を過ごした野宮ですが、清浄な地も占い(ト定)で決められ、斎王が都を立てば取り壊されたたので、はっきりとした場所の特定ができない。
 しかし、奈良から京都へ都が移り、平安時代中期以降は、御所(初斎院)から野宮入りの時には鴨川(賀茂川)、群行の時には葛野川(桂川)で禊を行うのが恒例であったという位置関係と、竹薮に囲まれた中に樹皮のついたままの黒木の鳥居、ささやかな小柴垣に囲まれて建つ簡素な建物など、野宮の雰囲気を良く伝えている「 野宮神社 (京都市右京区嵯峨野宮町)」が斎王が過ごした野宮だと考えられている。

 そのほかにも、京都市内には、野宮神社(右京区西院日照町)、斎宮神社(右京区嵯峨野宮ノ元町)、斎明神社(嵯峨柳田町)などがあるが、時間も地の利もわからないので、有名所の嵐山にある 「 野宮神社 」を訪れたわけだ。

 はっきりとした場所は、低性能のカーナビをたよりに向かったためよく場所がわからない・・・・。なんとかつくこともできたが、途中、古道(街中)を走ってしまい対向車を交わすのに大変であった(苦笑。
 第一の用事は野宮神社への参拝であり1時間で済むであろうから、駐車場を探す。値段もまちまちであったのでそれなりの近い場所に駐車した。

 ここについてまず、思ったのが有名寺院の「天竜寺」が ど〜〜〜ん  とあるため、神社の場所がよくわからない・・・。
 とにかくそれなりに歩いていくと、さすが京都!! 道の両端は、びっちりと甘味処や御土産屋が賑わいを見せている。
 私も土産物屋を覗いていると 「赤福ないのかな〜〜??」と言っている観光客が見えました(−−;。 伊勢名物ですが大阪 京都 名古屋 のお土産と思っている方、本当に多いんだなと、しみじみ 伊勢とのつながりを庶民レベルで感じることができました。(爆笑

 しかし、伊勢は神社が多いですが、京都は仏閣が多いなぁ。その違いにはびっくりです。
 京都を神社中心に見たことがなく、大人の遊び場、旅行先、伊勢っ子から見ると小学生の修学旅行先だったので、自分の違う目線と京ならではの雰囲気に、なんとも言えない旅情を感じます。

 おいしそうな「サツマイモのきんつば」を売る店から路地に行くと、これぞ京都!!! と言わんばかりの竹林の道に続きます。
 しかし、人が多い・・・・・。人の波が切れるのを待っていると、なんとこれも京都ならでは、「舞妓」さんが人力車に乗って現れました。 シャッターチャンスとばかりに写真を撮ると、なにやらよそよそしい・・・。あとで人力車引きのおにいさんに聞くと、舞妓さんの着物を着る体験をした人が、歩くの大変だから、人力車を利用して、近くの観光地をまわるんだとか・・・。 それでも、可愛い舞妓さんを見れた私は「ちょっと得した気分♡」でした (笑。
 
 ぼんやりと竹薮を眺めながら数分歩くと 野宮神社到着です。


「(−−;)」 斎王の潔斎場所としてイメージしていた私は、(・・)でした。


 野宮神社の主祭神は、伊勢神宮内宮と同じ「 天照大御神 」ですが・・・。
 まぁ 一般的な神社というか、 派手!! じゃないですか!!  神社横には、人力車が並び客引きをしているし、カップルも多い!! 写真を撮ろうにも どうも京都旅行のカップルは、わけあり??? ぽくて男一人旅のカメラマンは、写りこむ人にも注意をはらいます。少ないチャンスに構図もゆがんでます(苦笑。
 人の波が切れないわ! 狙ってもないのに人力車は通るわ! な撮影を繰り返してそそくさと参拝を済ませ横の庭園を見ると!!! 別世界が広がっていました。
 コケが生えた質素な庭園は、源氏物語にも出てきそうなくらい時の流れを止めたように思います。。。しばらく 眺め ここでシャッターを切っていると、横を電車がけたたましく通り過ぎていきました。。現実に戻る。


 そんな感じで、雅な野宮神社の参拝を楽しんできました。

 また時間をとって 京都の斎王にまつわる 神社には伺いたいと思います。





 京都から伊勢に向かった斎王  終着点であった伊勢神宮 つながりに感謝し 参拝しに伊勢においないな☆
 
 






 ※ 以下 斎王に関係する祭り

   ○伊勢の斎王祭り 斎王と日程決定   第26回斎王まつり 6月7・8日(土・日)
                     http://saioh.sub.jp/

   ○滋賀の斎王祭り 第11回あいの土山斎王群行 『女人列』 3月30日(日)  11:00〜16:00
                  http://www.gaido.jp/machikado/machikado.php?ID=2968

   ○京都の斎王祭り 斎王代女人列御禊神事 5. 4 (祝)
            葵祭         5. 15 (木)   http://www.kyoto-kankou.or.jp/

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