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わかれゆく 都のかたの恋しきに いざむすびみむ 忘井の水 〜 女官 斎宮甲斐 〜
・都に別れてきたけれども、やはり都のほうが恋しくてたまらない。さぁ忘れ井の水を飲んで都のことを忘れましょう。
この歌を詠んだ官女甲斐は、斎宮恂子(あいこ)内親王(鳥羽天皇朝 斎宮期間1108〜1123)に従って壱志駅家(いちしうまや)(現 松阪市曽原⦅市場庄町⦆付近とする説と松阪市嬉野町宮古付近に当てる説とがある)の頓宮(とんぐう)に一泊し、この忘井を通った際、遠く都を離れはるばると伊勢の地に来て、望郷の念やみがたく涙とともにこの歌を詠じたと伝えられる。
900年ほど前の話である。 言い伝えは程よく変化し、地形も変わる。都より伊勢へ下る斎王が通った官道も変わっている。
目で見ていないから斎王郡行を思い浮かべながら平安朝を想像してみる。
この場所は伊勢参りでにぎわった場所である。
伊勢音頭の 「六軒茶屋まで送りましょう♪」と旅客を迎えにまたは送りに来た御師が旅客を待つ場所の近くである。
伊勢を惜しむ場所であったのであろう。
逆に都や故郷を忘れ、伊勢へ清めていく禊の場所であったのかもしれない。
現在の井戸は‥‥流石に飲むことはできないであろう。その勇気もない。 旧街道に道標が建ち 地区が 忘れ井 を守っている。
いつか 名物 「忘れ水」が販売されるのであろうか。
目をつぶってもなかなかその当時の情景が浮かばない場所ではあるが、人の思いが受け継がれている場所。
間違いない 忘れられない 忘れ井 はここである。
しかし、古代の斎王が通った初瀬街道を考えると この歌のころの忘れ井は、嬉野町宮古のほうが有力かな。
想像の中の歴史ロマンは素晴らしく華やかである。
華やかな都と伊勢を結ぶ旧街道の散策
斎王の道を訪ね 伊勢においないな☆ミ
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京〜伊勢 斎王の道
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京の都から伊勢神宮に派遣された天皇の名代として神に仕えた斎王。
伊勢に向かう街道は、時代とともに発展し、都から伊勢へつなぐ街道もその都度変化した。
今から約1200年前の平安時代初期の92年間、伊賀の国柘植郷(つげのさと)は、伊勢に向かう最王が道中宿泊休憩された頓宮(とんぐう)という仮宮が置かれた場所で9名の斎王がここを利用された。
さて、てっつんの斎王シリーズである。
私が生まれ育った伊勢と全国のつながりを見て楽しむことをライフワークにしている。 今回は、伊勢から車で約1時間半程、伊賀の国の都美恵神社で行われる斎王群行を見に行った。
地元の方が中心となり行われる祭りである。
老若男女の芸達者の参加者が、劇あり舞踊あり斎王の歌ありの楽しい祭り。
別れの御髪(おぐし)。
斎王役は、地元の小学生。
本来の斎王様はちょうど、このくらいの背丈の年齢だったのかもしれませんね。
なかなか凛々しく演じてられました。
この祭りは、本来9月末日に行われる予定でしたが天候不良で、11月の今日まで延期となったそうで、ちょうどこの時期は、祭りも少なく私も見に行くことができた。
残念ながら、斎王群行は予定されていた「斎宮芝(さいかしば:頓宮跡)」まで歩くのが変更され、町内を1週するコースになった。
せっかくなので、ウォーキングもかねて本来の柘植の斎王群行コースを歩いてみた。
都美恵神社から街道筋に出るとは、敢都美恵宮(あえとみえのみや)遺跡の石碑がある。
敢都美恵宮(あえとみえのみや)とは、天照大御神の座する場所を求め旅に出た、倭姫命が立ち寄られ、垂仁天皇の2年から2年間天照大御神をお祀りした場所が「敢都美恵宮」と伝えられている。
そこからが遠いこと遠いこと。
途中、小説家・俳人の横光利一が幼少期を過ごした家の跡地を見ながら、結構な距離歩いて・・・・
で・・・・・・近くに見える家の前が「斎宮芝(さいかしば)」である。
都美恵神社からの往復、道も迷ったせいか結構足にきた。
1時間ほど歩いて、都美恵神社に帰ってくると、ちょうど斎王群行が帰ってきたところでした。
心温まる斎王群行に感謝。
最後に都美恵神社のご紹介。
〜〜 都美恵神社(つみえじんじゃ) 〜〜
都美恵神社の起源は古く西紀二、三世紀以前ではないかと思われる。我が国へ渡来してきた北方民族(出雲民族)がこの柘植へ移住してきたことは、伊勢風土記逸文に「伊賀の事志【あなし】の社に坐す神、出雲の神の子出雲建子命、又の名は伊勢津彦の神、又の名天櫛玉命、此の神、昔、石もて城を造り、其の地に坐しき、ここに阿倍志彦の神、来り集い勝たずして還り却りき。因りて名を為しき云々」とあることからも、霊山の中腹穴師谷にこれらの民族の祀っていた神であることは事実のようだ。
この神社のもとの名は穴石(穴師)神社又は、石上明神ともいって上柘植村の産土神として祀られていたが、寛永二十一年(一六四四)大洪水の為社地欠損甚だしく、正保三年(一六四六)今の地に移されたことは、種々の古文書から明らかであるし、その時の社殿造営の棟札(式内社 正保三戌年八月二十七日)も町文化財として今日残されている。 この神社の祭神は栲幡千々比売命【たくはたちぢひめのみこと】、布都御魂命【ふつみたまのみこと】、布津主命【ふつぬしのみこと】外三十三柱となっているが、又他の一本によるともとの祭神は木花開耶姫【このはなさくやひめ】であったとも伝えられている。 都美恵の社号については、一村一社の合祀(明治四十二年四月)後、大正十一年七月に現社号に改称されたもので倭姫世紀、伊勢御鎮座遷幸囲略、二所皇太神宮遷幸要略等にある「敢都美恵宮」から「敢」をとって撰定されたもので、即ち都美恵は柘植の古語であり神宮縁りの地でもある。 こうした由緒のある宮をわれわれの産土神として末永く祀りつぎたいものだと思う。 〜〜御由緒より〜〜〜〜〜〜〜〜〜
高い位置の社殿は、春日造。 周囲はすっきり見渡せ。社殿横からさらに高い位置に愛宕・秋葉の神が祭られている。
伊勢神宮へ遥拝する場所も立派である。
神社周辺には、昔を物語る地図が作られ、歴史から郷を学び、観光につながり郷を活性化しようとする気持ちと有志が伝わってくる。
これからが楽しみな祭りであった。
良い運動もできて、天候もよく、良い一日でした。
伊賀で学んだ後は、祈りを届けに伊勢においないな☆ミ
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『 是の神風の伊勢の国は、常世之浪重浪帰(とこよのなみしきなみよ)する国なり。傍国可怜国(かたくにのうましくに)なり。是の国らむと欲ふ 』
〜〜 天照大神から倭姫命への神託 日本書紀 〜〜
伊勢からからカーブの多い道を約1時間少々、釣りの師匠とよく出かけた南伊勢町の太平洋側海岸線(国道260号線)に、神話を残す場所がある。
「倭姫命 腰かけ岩」がそれである。
河内集落、国道260号沿い皇大神宮別宮滝原宮へと続く峠道が海に出る河内川河口付近、目立たない道のカーブした国道沿いに、2本の老松のある所が腰かけ岩の旧跡地である。
日本書紀や倭姫世紀と言った数百年後に書かれた記録はあるが、日本に文字がない時代の話である。 この地に伝わる伝承によると、垂仁天皇(すいにんてんのう)の皇女:倭姫命(やまとひめのみこと)が、大神さまの御鎮座を求め御杖代となり、近江、美濃、丹波、紀伊、伊賀、吉備、尾張と御巡業の途中、この地で疲れを癒そうと倭姫命が腰を下ろし、休息をとった岩がこの「倭姫命御由緒伝承岩」となっている。
しかし、疲れはなかなか癒せず、やがて夜が白み始めると岬と集落が見えたことから、この地を明崎(赤崎)と呼ぶようになったと伝えられるそうだ。 倭姫命は、実に不思議である。
伊勢にある、皇大神宮別宮 倭姫宮(やまとひめのみや)は、大正12年11月5日に御鎮座祭が行われた新しい宮である。
倭姫命は、皇大神宮を現在地に御創建され、伊勢の草分け的な姫神であり祭主であり斎王であったにもかかわらず、伊勢には、御陵墓の伝承地を残すだけでお祀りする宮社がなかったため、神宮ならびに地元、篤志者の熱望が実を結んで建てられたのが倭姫宮である。
単純に考えると、第11代垂仁天皇の娘であるから、御巡業に際しては警護する屈強な家来(兵士)がお供したことであろうが、それにしても一人の姫が、人一人が通るほどの幅の古代の道を、岡山、京都の日本海側、和歌山、愛知、岐阜、滋賀、三重などに馬に乗ったか歩いたかして、神に仕えながら旅をしたわけである。
危険であろうし、さまざまな障害もあったことであろうから、倭姫命はふく数人存在したとか世襲制であったなど考える研究者もいる。 それゆえ なぞの多い 神である。
神が休息したいわゆる「腰掛け岩」の伝承は、倭姫命、猿田彦命と数箇所あるが、探せばもう少し全国的にあるかもしれない。
それゆえに、日本の神 われわれの中に自然な信仰心が何千年と伝承され続いていることが理解できる。
「せめて一生に一度はお伊勢さんへいきたい。」との思いで伊勢を訪れる参拝者と面識もなくお会いし会話することもしばしばである。
伊勢へと続く道につながる伝承地であるが、いかんせんよくわからない伝承地ともいえる。
鳥居は、明神鳥居で 伊勢神宮の神明鳥居で無く、腰掛け岩がどれかわからない。 この碑の後ろにも岩がある。何らかの磐座(いわくら)なのかもしれない。案内板も解説少ない。
古い松の幹と地盤に差があるのは、津波の影響か道路工事の影響か、何せ疑問が残る。 しかも交通量は少ないが、カーブにあるため結構なスピードで車が曲がってくるので、多くの方が訪れると事故が心配な場所である。前に消防署はあるが、救急の拠点病院までは遠い場所である。
もう少し、町をあげて観光資源として何とかしていただけるとありがたく感じるし、今のブームに乗ってこの地を訪れる人も増えるのではなかろうか。 広報とか意見が必要ならいつでも協力はしますので、から口にかかせていただきました。 感謝。
訪れるときは、交通の便も調べて、付近の観光地も調べていくことをお勧めする。
素朴な海の香り心地良い南伊勢町
神々素朴に伝わる 伊勢志摩においないな☆ミ
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さて3/9の京都マラソンも終わり、そそくさと愛車に乗り込み帰途についた。 名古屋国際女子マラソンも見たかったので車内にて鑑賞です。 |
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京都は、朝廷のあった都である。当然、伊勢との関わりも深い。 |
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