伊勢 おいないな 日記 〜サラリーマンの写真集〜

神風の 伊勢の浜荻折り伏せて 旅寝やすらむ 荒き浜辺に 「万葉集より」

伊勢本街道 :暗峠:枚岡〜奈良

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 大阪から伊勢までの歩行記録であるが、なかなか記事として上げられていないが ぼちぼち 更新は続く。
現在、奈良市内では 『 平城遷都1300年祭 』が行われているが・・・・歩行記録としては2008年。。。上記写真のごとく・・・まだ前々会場できていない。。(笑 
 そうこうしている間に 私・・・写真データをなくし、今回の記事は。。。。。。いろんな時期の写真が混ざって入る。。。下見等々で旧街道は幾度となく訪れているので、混ぜ込んでいることご了承ください。(−−
 
 尼ヶ辻から、奈良の大路 三条通りにでる。
歩いているのは常に旧街道、いよいよ奈良の都に入るとその道幅も素晴らしく広くなる。
 狭い旧街道と広い旧平城京 三条通りの分岐点にあるのが 伏見岡地蔵堂 である。
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 法蓮町にある興福院の旧地で、数年前までは、お堂があっただけですが、阪奈道路バイパス工事で道路とともに整備されお堂も立派な建物に生まれ変わったそうで、鎌倉時代の銘をもつ地蔵菩薩立像が手厚く安置されている。
 面白いのがこの地蔵、以前近くに尼寺があり、尼寺に入門する女人はこの前で俗界と縁を切ったために以来 縁切り地蔵 と呼ばれ、花嫁は縁起を担ぎこの堂前は避けて通ったのだとか(^^;
 
 そそくさと歩き出して、お腹がへってきた。 実は、2008年の時は、もう少し我慢して平城京前の蔵寿司(100円回転寿司)にいったのだが、昨年、散策に訪れたら、なんと奈良名物のラーメン屋 『彩華』ができていた!!。
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 奈良と言うのは、古都ですが実にラーメン店が豊富。 
特に、この彩華のラーメン、には思い出が・・・若かりし頃 破天荒な友人が今から 彼女にしたい子が入るんだけどラーメン食べに行くの付き合って。 と安心キャラ(だし?)な私を深夜に連れだして、近所のラーメン屋しかもおごり!!と喜んでいたが、1時間数分かけてつれてこられたのが奈良県天理市にあった『彩華』のラーメン屋でした。眠い、くたくたの中、あの頃は支店なんてあったのだろうか?車がたくさん並ぶ中 ブルーシートテントの中で食べた記憶が。。。笑
 なかなか おいしいラーメンである。イメージ 5
 
 
お腹も満腹になったところで この奈良街道でやはり メインといえば平城京と 復元された 朱雀門 である。
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朱雀門は、平城宮の正門。
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平城京は、710年から784年の奈良時代にあった都城である。
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2008年10月の段階では、2010年開催の 平城遷都1300年祭 にむけた整備事業が行われている。
会場を、横切るのは 近鉄線である。  しかし 広い。。。
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本当は、歩き旅の時、この時点で18時を過ぎており 真っ暗に近く足早に平城京を後にして 旧街道 三条通りを歩いた。 しかし、公共整備はすごい 道だけでなく JR奈良駅も整備中である。
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そして 市街地に入り。。 土産物屋などをのぞき 開花天皇ご陵墓が街中にあるのに驚きながら、ゴールの近鉄奈良駅に到着である。
 
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 写真が新しくその時のものではないので臨場感は出ない...。。。
 今回の歩きは、1日かけて南生駒から峠を歩いて奈良市街に入ったわけだが、やはり市街は便利であり、何も困ることもなく歩くスピードもUPするが、風情とか、何かが物足りないように感じるのいなめない。
 しかし、地図などを見比べ下見も入れると旧街道と今の主要道が実は近くを平行していたり、旧街道を少し離れるだけで新しい住宅地が広がっていることに驚かされる。
 人と道 その歴史と発展 目で見るのはとても面白く 歩いてみるからこそ 新しい発見があるのだと歩くことで感じることができた。 ただ。。。。記事を書くまで 時間かかり過ぎである。。反省反省。。
 ちなみに2年前のチビは、人の肩の上で居眠りで舟をこぎながら街道歩きに参加していたのであった。 今は恥ずかしいらしく、肩の上にはいない。。(^^;
 
 
          伊勢へ伊勢へと向かう道 旧街道を訪ねて 伊勢においないな☆ミ
 
 
 
 

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 砂茶屋を越えると住宅地の間の旧街道を進んでいくと軽いアップダウンに入る。この辺り一帯の丘陵地帯は五条山といわれ、今では住宅地が広がっている。少し上り始めた途中に遠州七窯の一つ『赤膚焼』という窯場前を通る。
 五条山の土は陶土に適し、古くから寺の瓦が焼かれ、郡山城主歴代 豊臣、柳沢に尾張常滑、瀬戸の陶工が招かれ発展した有名な陶芸地であるそうだが、チビもいるため粗相したら大変、ここはスルーして先を急ぐ。
 チビはすでに肩の上で熟睡中。力の抜けたチビは20kg程度だがかなり重く感じる。 途中の自販機で、チビを肩に乗せたままスポエネを購入し、ドリンクホルダーに入れ腰にぶら下げ歩いていく。途中何かしら由緒がありそうな社を見るが、おそらく村の入口の神か?
 人通りなくよくわからない。この辺りから溜池をチョコチョコと見かける(^^;。治水のためか農業用水のためかは良くわからないが、池の真下に宅地が広がっていたりするので、驚いてしまうところだ。
 この旧道(国道308号)は市バスも走っているようだが人はあまり歩いていない。旧街道をそれた場所には新しい住宅があるため人の流れはあまりないのであろう。
 旧街道は、第二阪奈有料道路と交差。
 狭路の旧街道 いちおう 308号 という国道ではあるが、国道??とは実感できないところである(笑。
旧街道は宅地を進む。(^^
 特に見るものもなく歩いていくと溜池がある。
 今回の記事の旧道沿いには、大池が何箇所かあるが、場所により水神を祀っているところもありが、貯水池なのか鯉や金魚を育てているのか良くわからない。
 旧街道の旅籠らしい建物も近くにあるが、ややありきたりな風景であろう。軽い上り坂を行くと下りで五条山も終わり。
 奈良の町並みが良く見え、正面には県立奈良病院病院が見える。
 わりと道幅のある宝来交差点に差し掛かるとこの辺りから自転車に乗った人や歩きの人をちょくちょく見かける。
 ここから、そろそろ道も直線的になってきた。奈良の市内、平城京の碁盤の目らしい直線的な旧街道、そろそろゴールも見えてくるが、実際にはまだまだ遠い。エンジン付の乗り物ならすぐだろうが・・・。

 ぼちぼちと人が行き来するし、にぎやかさを取り戻しつつある旧街道沿いにあるのは、「歯痛地蔵」、
 今は、地元の願掛け地蔵であろう。
 特に歯を痛めているわけでもないのが手をあわせお参りしておく。
 三重県に入った伊勢本街道にも歯痛地蔵があるが、歯痛(歯痛)なのか 吐いた なのか?と時折思うことがある。たくさんの人が伊勢を目指し歩いた道、途中行き倒れや病気になる方も見えたに違いない。歯痛も大変であるが 吐いた りもしたであろうから、いろんなことを考えながら健康に感謝である。

 さらに進むと
 旧街道沿いに小山の古墳、さらに歩を進める旧街道宝来地区を進み右手には、大きな古墳が!!なんと 娘(倭姫命)を御杖代とし、伊勢を天照大御神の御鎮座地と決めた時の『第11代垂仁天皇』の御陵墓である。※記事1〜3枚目写真
 『古事記』に垂仁天皇の御陵は「菅原の御立野(みたちの)の中にあり」とあり、『日本書紀』に「菅原伏見陵(すがわらのふしみのみささぎ)」と書かれており、ここ奈良県奈良市尼辻西町の宝来山古墳(前方後円墳、全長227m)と比定されている。
 大きな前方後円墳である。ここで休憩を取るためチビを肩から下ろし、愚図り気味なためジュースを渡すと「暑かった〜〜。」とのこと。肩の上が暑かったようだが、本当に暑いのは私である(苦笑。
 腰を下ろして、蒸れた足を癒そうと、今回の歩きには適さなかったトレッキングブーツを脱ぐと足に痛みが・・・・。急な休憩で足の裏がはってしまった(^^;。ここはあせらず、伊勢と関係が深いご陵墓を眺め、おやつの「よっちゃんいか」をかじりながらしばし休憩である。
 20分ほど腰を下ろし足の痛みが治まってからご陵墓を一回りする。
 正面の御陵遥拝所に向かう途中、御陵の堀には、小さな小島がありこれは、日本に初めて蜜柑類を持ち込み、お菓子や果物の神様とされる田道間守(たじまもり)の墓とされる。
 垂仁天皇に不老不死の木の実を持ってくるように命じられた田道間守であるが、10年の歳月をかけ、やっと不老不死の良薬とされた蜜柑をみつけ持って帰ったが垂仁天皇は、すでにこの世になく、悲しみにくれ御陵墓の前で命が尽きたそうだ。
 そんな物語が残る、垂仁天皇御陵墓を眺めながら、先を急ぐとする。やや予定時間を過ぎているため、またチビは私の肩の上である。
 御陵から少し歩くと「近鉄橿原線 尼ヶ辻駅」小さい駅ながら乗降客も多く、奈良交通のバスも多く停留している。 ただ・・・交通量のわりにさすがは旧街道、道幅が狭く、後方から来る車に注意しながら歩く。
 この駅から電車に乗れば、今回の旧街道歩きの目的地 近鉄奈良駅まですぐだろうなぁ。バスに乗れば楽なのだろうなぁ。と思いつつ歩く。
 肩に乗ったチビは、「マクドナルドの看板だ!!行こ!!!」とはりきり出すが「店を見つけたら行こな。」と店舗を発見できないように歩くと、真っ直ぐ延びた街道の奥に春日大社の山が見える。
 ここから先は、街歩き!! もう少しで今回のゴール奈良駅である。 
 


      旧街道歩き旅 先祖の苦労と喜びを感じて  伊勢においないな☆ミ



 

 ※掲載期間が切れた画像は、ヤフーフォトで公開 ↓。
 http://photos.yahoo.co.jp/ph/tetsukujira/lst?&.dir=/dc00&.src=ph&.view=t
 掲載写真には、歩いた日と撮影した日がちがうものがあります。。

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 1年ぶりの更新となる 奈良歩きの記事である。もう回顧録になりそうだ(――;
 http://blogs.yahoo.co.jp/t20_in_ise/46472353.html
  ↑前記事。。。。  いろんな出来事が多い伊勢おいないな日記である。タイムリーな記事を優先しておりますのでご了承ください。。。m(__)m。。

 暗越奈良街道と大和郡山への道との分岐点、大和追分を過ぎ奈良へ向かい旧街道を下って行く。
残念ながら街道歩きの相棒チビてっつんは、この頃から眠たいモード。 
今では「 股がしびれる!! 」と乗車を拒否するようになった私の肩車が散策する時の彼の基本的な居場所である。 
 10kgの彼を乗せ、背中にリュック、腰にカメラをぶらせげて歩く私は汗だく。 適度に揺れる肩の上はとにかく楽なのであろうこくりこくりと眠りはじめる。
寝ている分にはまだいいが、お目めぱっちりのとき、頭の上で飴やらガムやら食べだすと、最悪である。ベタベタと不気味なものが髪の毛にへばりつく(笑。 そろそろ髪は長い友達でいたい私である。(――;。

 この先の奈良盆地へ向かおうとする旧街道周辺は宅地開発され、住宅街同様、道も整備されているが、真っ直ぐ延びる道を横目に旧街道は山の間をアップダウンしている。
 http://proxy.f2.ymdb.yahoofs.jp/users/9bf3d453/bc/dc00/__sr_/7069.jpg?BCTbtjLBwM2Nz5R_
 この旧街道が国道308号線と位置付けられているのだから、それはそれで面白く、昔の名残を感じる。
大阪と奈良を結ぶ 第二阪奈道 をくぐり、旧家が多く残る中町山之上地区を下る(写真1枚目)。
 遠くに町の景色を見ながら坂を下っていくと、携帯が鳴る・・・・職場からである。この日の散策は平日、代休利用だからいたしかたない。。とても野暮の電話である。
歩きながらこまごま話しているうちに、坂に沿った集落を過ぎ村入口に誇らしげに立つ常夜灯前まで下りきってしまった。これも現代版の旧街道歩き旅である。携帯のバッテリー残量が気になるところであるが(苦笑。 

 しかし、立派な品のある常夜灯である。
 http://proxy.f2.ymdb.yahoofs.jp/users/9bf3d453/bc/dc00/__sr_/62a9.jpg?BCTbtjLBis2NJPJy
 常夜燈には、天保七年(1836)「木嶋社 闇夜燈 往来安全」と銘がある。
 旅人だけで無く、小高い場所にある常夜燈である。 この集落から奈良へ稼ぎに行った村人の目印となったことであろう。
 常夜燈ではなく 「 闇夜燈 」というところが粋な感じがする。 暗闇を歩く人々を見守ってきた常夜灯がこの地区のシンボルなのであろうか。(^^! 灯りは耐えたが、この旧街道でずっと往来する人々を見守り続けて欲しいものである。

 坂を下りきり、直線の道をしばらく歩くと富雄川にあたるが、この周囲は田園が広がりなんとも風情がある。江戸時代の画家の街道風景画のようである。
 http://proxy.f2.ymdb.yahoofs.jp/users/9bf3d453/bc/dc00/__sr_/2e2f.jpg?BCTbtjLBW2MjpJTS
 ただ・・・・・少し視線を延ばすと高速道路の高架なのだが写真に撮ると分かりはしない(笑。

 少し田のあぜ道を歩くと、アスファルトの上ばかり歩いた足にはちょうど良い心地よさだ。だが、いかんせん植物を育てる泥濘は汚れる。撮影も早々に本道(旧街道)に戻り、富雄川にかかる下鳥見橋を渡ると 砂茶屋地区に到着する。
橋から来た道を見ると生駒の山を越えてきたのがよくわかる。
 http://proxy.f2.ymdb.yahoofs.jp/users/9bf3d453/bc/dc00/__sr_/9010.jpg?BCTbtjLBwtQmxcGW
 砂茶屋という地区の名前から、この地には茶屋があり、宿場町として栄えていたのだろう。川には砂が確かに多い。今では護岸工事や主要道の変更で茶屋や人の足を止める魅力は無さそうだいが、由緒ありげな店屋と旧家が残る。
 http://proxy.f2.ymdb.yahoofs.jp/users/9bf3d453/bc/dc00/__sr_/a320.jpg?BCTbtjLBXWXmzQqB

 旧街道を砂茶屋に入ってすぐ十字路にはシンボル的な大きな地蔵がお堂に御座されていた。
 http://proxy.f2.ymdb.yahoofs.jp/users/9bf3d453/bc/dc00/__sr_/fda5.jpg?BCTbtjLBkybN8ivm
 砂岩質の地蔵であろうか、なかなか立派にそして大事に祀られている。反対側には交番があるのが追分として重要な場所だったのかもしれない。

 地蔵堂から少し歩き奈良県道7号線 砂茶屋交差点に入る。結構な交通量である。
 バス停もあり、寝るチビを肩に乗せ歩いていると、信号待ちをする車の奥様から「何しているのか???;」という冷たい視線を感じる。
確かに平日、世の夫は働きに出ているであろう。。。人通りの多い所に平日、子供と親父が遊んでいると世間の目は冷たい。過去に2度ほど動物園とデパートで平日、私と子供で遊んでいると「可愛そうに。。。」と言われた事がある。(――;いやいや!!可愛そうとはいかに!!!と反論するのもめんどうくさい(苦笑。 人の休みに働いているからの平日休日なのである!!。
この状況で、もうこの辺でと心が弱さを感じながら目的地である奈良駅まで歩を進める。
ちなみにチビてっつんは、肩の上でコクリコクリと眠り続けている(笑。。。

 砂茶屋交差点から100m程進むと左手にコンビニがある熊取交差点に行きつく。
 交差点の角には、妙に延びた黒松の木が大きな旧家から真っ直ぐ天に向い延びている。
 http://proxy.f2.ymdb.yahoofs.jp/users/9bf3d453/bc/dc00/__sr_/65aa.jpg?BCTbtjLB7strhk_B
 旅人の目印となった木であろう、奈良市の保存樹に指定されている。
過酷な場所に立つ大木、これからもがんばって立ち続けてほしいものだ。

 砂茶屋を過ぎると、小高い丘道を進んでいく。この先は次回の記事に続くとしよう。


      

     旧街道を歩いて先祖の苦労を感じる旅  伊勢においないな☆ミ




※掲載期間が切れた画像は、ヤフーフォトで公開 ↓。
 http://photos.yahoo.co.jp/ph/tetsukujira/lst?.dir=/dc00&.src=ph&.order=&.view=t&.done=http%3a//photos.yahoo.co.jp/

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 榁の木峠の頂点には、大きな石仏と小さな祠が峠の境を示すように鎮座している。その姿は、「神と仏」が同居しながら歩く人々の道中を見守るようである。 ※写真1、2枚目
 榁の木峠の頂上から向かうは、「大和追分」である。
さすがに、初めて歩く道、そうそう何度も通らないであろうことから、足を止めて、目を凝らし、手で触り感じる先祖を思い敬う古道歩きである。時間がかかってしかたがない・・・・。
しかも国道ではあるが、古道というすでに人の往来のまばらな道筋は、重要なものが手に入りにくい。そう、食べものを買うことができないのである。。。。。。

 こういうとき便利なのが、乗換駅で買っておいた『パン』である。
昨今までは、駅で売っているといえば、ビニール包装された「のどが渇きそうなパン」であったが、今では焼きたてのパンが少し こじゃれた駅 の売店にあるため便利である。 
  伊勢志摩線には無いかな。。。。。(――)
 お腹が減ったとき、しっとりとしたパンは、歩きながら食べるのに丁度良い美味しさがある。生粋の日本人ではあるが、おにぎりは、朝食なので歩くときの昼食はパンなのである(^^。

 そういえば、昔、室の木峠には、『榁の木団子』と言う名物があったそうである。

「 榁の木団子の粉はたきよりも 朝に水汲みなおつらい 」

 と言う俗歌があったそうだ。 
 場所的に草もちに粉をはたいたものであろうか?どんなのであったのか、今は口にも目にもすることはできないが、大阪の暗がり峠を越えて丁度お腹が減ってくるのがこの辺りであったのであろう。 古道に団子 これは魅力的な存在である。

 しかしここまで歩いて、団子を口にしていないことに気づく。。 
 水戸廣門の旅でも「ダンゴ」は、キーポイントなのに・・・あと・・・お風呂――;(笑。
 
 何件か、団子屋(お菓子屋)はあったのだが、冷えたみたらし団子はちっと・・・と言うこだわりもあるので買わずに歩いている。奈良の市外に近づくと焼きたての団子屋があったのだが、学生さんが多く、並んでいたのでしばらく時間がかかるということでスルーした(――。
 大阪だと「今焼けるで!まってな。」と話術で5分ほど 待たす ことができるのだが、同じ関西でも奈良県は、商売っ気のところだなぁ。。。。。それとも場違いな登山のような格好の客に不信感抱いてるのかなぁ。。。。なんて思ったりした。(^^;;;;
 そのほかにもいろいろ出来事はあるのだがその都度報告するとしよう(^^!

 また、水戸黄門といえばお風呂(??)。 旧街道の旅籠などでは、入り口近くにお風呂があったそうで、これは急な来客に対応するためであったそうだ。 だが水戸黄門のように覗いたら、笑い事では済まされず即刻犯罪になあるので、いくら旅と言ってもこういうことはしちゃだめだ(××失笑。。。



 そうこう雑念を浮かべながら歩いているうちに峠はどんどん下りにはいる。
 実は、歩行するときは、下りが意外と足に負担がかかる。てっつんの古傷を痛めるのも下り道である。適当にかつ慎重に歩を進めなければならない。
 昔、旅籠であったであろう民家の農機具小屋で作業するご婦人に挨拶し先を急ぐ、途中「榁の木大師」と呼ばれる聖徳宗賢聖院にお参りする。新しいお堂であるが、親しみやすい雰囲気を持つ古刹であった。
 道をどんどんいくと開けた場所に出る。久しぶりに見る山間の田である。
 ここには警察犬を訓練する場所があり、旧街道には何の関係も無い毛むくじゃらの山羊がいた(^^適度に癒されるが(笑。※写真3,4枚目

 街道をそれて奥に行くと「子供の森」と言うのがあるらしいが、もう充分森林浴をしているので前を通るのみ。子供でもないし(^^;。子供のように道歩きをしていると言われればそうではあるが(苦笑。
田を大きく迂回する旧街道にかかる途中には、読み取るには難しいが「右やたさん、ミわミようじん、左むろのき峠などが書かれた道標がある。※写真5枚目

 あくまでもこの街道は、伊勢へ向かうための道ではなく、奈良、三輪明神や長谷寺参りの道である。方向の同じ「伊勢」を示す道標が、ところどころすべてあるわけではない。  
 実際、「いせ」に気を取られると彫られた文字を「はせ」と読み間違えることもある。
 信仰対象が、「伊勢」だけでなく、神仏が混合していることを感じることができるのがこの奈良道である。

 下りばかりだけではない峠道、上ったり下ったり、静かに歩いていると どんぐり が葉にあたる音を立てながら落ちてきたり、渋そうな柿の実が落ちている偶然な出来事、風景に足を止める。そのたびになかなか前に進んでいないことに気づく(^^;。
 
 足を進め軽くのぼりを終え下るとそこには街道に面した「追分」の集落が広がる。集落に入るとすぐに、「追分神社」がある集落の目印である。※写真6枚目より大和の追分
 小さな祠を祀る「追分神社」の鳥居は、山肌を登っていくためか妙に低い。頭をかがめてお参りを済ませる。
 ここまでくると、街道から奈良市内が見えてくる。天気はイマイチであるが霞む中、小高いビル郡が見える(^^!。奈良盆地らしい、山と平野の風景に歩いたことへの達成感を感じるが先はまだ長い。(――;
 
 さて、大和追分には、『追分本陣村井家住宅(本陣:江戸時代、街道の宿駅で、大名・公家・幕府役人などが宿泊した公的な旅宿)』が残っている。
 追分一帯も宅地化の波が押し寄せているようで、追分の梅林があるらしいが、そこは重機(ブルトーザー)が入り、有料道路が走り、けたたましい音を立てる場所であった。

 しかし、ここ追分の町に住んだら、さぞかし眺めは最高だなぁ。と思いつつも、ここまで歩いてきて空き家もあるところを見ると本当に必要な開発なのか??と気になって仕方が無い。
森 を切り開いて新興住宅地が立つ。そこまではいいが、廃墟と化しつつある空き家が多いのではないかと思うのは私だけだろうか?それはそれで昔の風情があっていいのだが、もったいないようでならない。もう少し何とかならないかなぁ。。。昔のようにどんどん開発していく政策は、京都議定書を締結した国、現代社会に今でも続く宅地開発は似合っているのかなぁと思うしだいである。(――

 話を戻して、この村井家の本陣は、周囲が新しい建物に変わっていく中、少々の開発はあったらしいが、村井家の方々が保存に心血を注がれ昭和59年に奈良市による文化財指定をうけたそうだ。うれしい限りである。追分にしてこの『本陣』ありである。 ただ道標だけの追分であれば、通り過ぎるだけであったであろう。
 この追分本陣にある道標、ここに来て彫られた地蔵立像の下に「左はせ いせ」という文字が見えた。旅人にとってここが重要な場所であったのがわかる。

 これから、森に囲まれた峠を去り人里、街中を通っていく。緑から離れるのは、少し悲しい気もするが、これからは人里を通る街道は、新しい発見ができることの楽しみに心震わせながら、美味しい食べ物、美味しいお酒を想像するてっつんなのでした。
 公共交通機関を利用すると缶に入った(^^;;美味しいお酒を飲みながら帰れるのがいいです(^^;。




        奈良街道 ご先祖様が伊勢を目指した旧街道を通って 伊勢においないな☆



※ちなみにこの旧街道(古道)は、国道です。

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 午前中は雨、午後から天気が回復するという不安定な天候の中、伊勢から近鉄線に乗り、前回の歩行の続き、今回の出発点である南生駒駅に向かった。↓前歩行記録。
http://blogs.yahoo.co.jp/t20_in_ise/23029085.html

 この日の目標は、奈良駅までである。直線で30数kmであろうか?
大阪から奈良、伊勢に向かう『奈良街道』である。↓
    http://blogs.yahoo.co.jp/t20_in_ise/46096591.html


 天候不順で出かけるのを悩んでいたので、伊勢市駅を少し遅い7時だいの電車にのり 近鉄大阪線 大和八木駅で橿原線に乗り換える。大阪経由でも10分ほどの時間差でつくことができるがここはあえて遠回りをする。
 近鉄の駅員さんに、迷惑だろうが路線情報を聞いてみると、田原本線→生駒線で行くと面白いとの事で時間はかかるがこの行程をチョイスした(^^。
 何が面白いかと言うと・・・・ 乗り換え である。田原本線→生駒線の乗り換えは、一度駅を出て歩いて乗換駅に向かう必要がある。簡単に言うと街歩きが必要なのである。ちなみに、てっつんではあるが「鉄オタ」ではない(^^;; 時間をかけ車窓を満喫しながら南生駒駅に着いた。

 駅到着後、そそくさと合羽を着込み大き目の傘をさし、歩行開始である。マップは、インターネットで調べてあるので、迷わないように趣のある道を探しながら歩く。伊勢までの街道は、一部道幅の狭い国道なのである程度標識が出ているので安心ではある。
 さすが峠道である。スタートから長い昇りと短い下り道、起伏に富んでいるが正直、古道と言うより町、趣が少ないため面白いとは言えない。 しばらく歩くと2斜線の国道に出る。何かしらの石碑があるがここは遠くから眺めそそくさと峠越えのため歩く。

MAP↓
 http://map.yahoo.co.jp/pl?type=scroll&lat=34.66037991&lon=135.72138993&sc=5&mode=map&pointer=on
 
 途中で、いよいよ峠を攻めるぞと期待しながら歩くも、なかなか道が整備されておりだらだらと歩く。峠の中頃には、小瀬保健福祉ゾーンという、町から離れた山の中、環境抜群な場所に、福祉施設を集めて立てているが、どうも一角を通るがどうも私は日本人過ぎるようで、こういうコロニー的なものを見ると「○○捨て山」に見えて仕方がない。街中に分散してこそそういう福祉的なものは本来必要ではないか?と思うが日本の現実であろう・・・しかし、福祉ゾーンがあるおかげで広すぎるくらいに立派に道は整備され安全に歩道を歩くことができる。 ちなみに大きな道に出てからすれ違う人は、天候のせいもあるだろうが皆無である(--;。

 上り坂を歩いていくと生駒山という地の環境の素晴らしさがわかる。
 暗峠(くらがりとうげ)と榁木峠二つの山が綺麗に別れ、整い過去に歩いた道もはっきりわかる。
雨も上がりかけで空気も綺麗である。
 しかし峠でありなかなかの勾配。綺麗に舗装された道は、車なら難なく進むのだろうが30半ばの事務員の脚は、そうは行かない。
 スタートしたばかりではあるが、なかなか上りはつらいものである。
 そうこうするうち小瀬保健福祉ゾーンにつくとなんと 「天然温泉の足湯」があるではないか!しかも無料である!! 天候も回復したので、屋根のあるここで合羽を脱ぐことにした。
歩き出したばかりなのでトレッキングシューズを脱ぐのは面倒くさいし、足を温泉につけると歩く気力が溶けて行きそうなので入るのは我慢。逆のコースで歩くと丁度よかったのかもしれない(^^;
 便利なことにこの足湯は、近所のセレブ達の憩いの場所になっているようで 井戸端会議 ならぬ 足湯会議 に花が咲いていた(^^。
環境もいいしなんてナイス!な所だろうと思いながら先を急ぐ。ここの足湯を越えると峠の旧街道は狭くなり趣が出てくる。まぁ、裏道らしいと言うか「それなりの粗大ゴミ」も捨てられており、女性の一人歩きには怖い感じもする(。。)。
 わが道を進む私である。 悲しい風景だがお構いなしに前を向いて歩いていく。きのこやどんぐり、山の幸がアスファルト脇の崖にはたくさん生え、落ちている。
 しかしなかなかの急勾配、狭い道だが抜け道として勢いをつけ急勾配の峠を走り去る車が多い。
気をつけないといけないな・・・・と思いながら、もう少しで頂上であろう場所に「峠を見守るお地蔵様」がある。
 お地蔵様があるここからがさらに急勾配。
アスファルトから、丸い引っ掛かりをつけたコンクリートの舗装になる。歩きにはあまり関係がないが。。
 ここも江戸時代の峠とは、かなり違うであろう。古道を削った切り通しの道である。崩された山肌を見ながら程なく峠の頂上についた。
 峠頂上で街道の形跡を探すとなんと「旧街道の道跡」らしきものが舗装路の横にあった。○(写真1枚目)
 どう考えても急勾配の、ここまでの旧街道が狭くなってからは、それなりのおもむきがあるのだが、重機で切り崩した峠道である。ついつい観察したくなり、本当の未舗装の旧街道を歩いてみたくなる。本当に歩いた者でないと、ここを見つけることはできないであろう。(^^;

 そういえば・・・ここで初めて土の道を踏んだのに気づく・・・。土の上の感触は気持ちの良いものである。
 土の感触を確かめていると、一台の貨物車がすごいスピードで峠の頂上に向け走りこんできた。切り通しの道袖から「危ないなぁ・・・。」と見ているとあと数十メートルのところでタイヤが空回りゴムの煙を上げた。何度か挑戦し、結局は昇りきれず、バックのまま峠を戻っていった。
雨にぬれた舗装路で近道になるとはいえ、そうそう思うようにいかない旅人(商人)には、昔も今もつらい古道のようだ。 昔の峠声の厳しさを、便利な現代になっても感じることができた・・・危険ではあるが(−−;。。
 
 


 歩く時は、車に気をつけて(^^ 車は歩行者に気を配って(^^ 伊勢においないな ☆




※写真2枚目以降は、歩いた行程順に写真を並べています。m(__)m
最終写真のお地蔵様のバックに落ちているのは、軽自動車のフロントガラスのようです。今気づきましたがどういう意味でここにあるのでしょうか(−−;?
 

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