伊勢市内を流れる宮川周辺では、御頭神事(獅子舞)が各所で行われるであるが ここ伊勢市の隣町、玉城町宮古 梶原寺の御頭神事は、古来よりの由緒が受け継がれる貴重な神事である。
まず簡単なこの地の説明であるが、ここ玉城町宮古の周辺には、伊勢神宮の摂社末社が点在しており、明治維新前 世襲制度で奉仕された伊勢神宮 内宮 神官の荒木田家が平安時代後期まで玉城町の近在を本拠地としており、神仏混合の時代、神職にありながら氏寺「田宮寺」を建立している。
また、玉城町中心部は、参宮本街道と熊野街道が分岐する要衝の地で「田丸城」という平山城が建てられ、城下町を形成し神領と武家領の境をわけた地でもある。平野も広く水源もあり、米(農耕)に適した地である。
さて、旧暦の1月10日に行われる「宮古の御頭神事」であるが御頭を取り扱うにあたり、前日に二見ヶ浦(二見興玉神社:夫婦岩)にてお清め(垢離)を受け、日が変わる午前0時ごろから、獅子舞を執り行う地区民を事前に潔斎(清める)するための「 石風呂 」に火が入れられる。
石風呂は、屋形で宮古地区の梶原寺の傍らにあり、祭りの主となる御頭(獅子頭)は梶原寺境内の獅子堂に祀られ保管されている。
貴重なのが、この「石風呂」で、残念ながら昭和37年国の文化財保護委員会の調査で、焚口がコンクリートで固められ、原型が変わっていることから国の指定は受けられなかったが、昭和40年に県の有形民俗文化財に指定され、県下で唯一現存する日本古来の「蒸し風呂」(高温のミストサウナ)である。(^^;

「石風呂」の構造は瓦葺きの約二・五坪の小屋で、内部は浴場(温室)と炊き場の二室に仕切られ、浴場は約一坪の広さ、石釜は方形に約四五センチの高さに栗石が積まれる。
石釜の下から薪を焚き石を熱する(焚きあげる)には、6時間程かかり、深夜から風呂準備の火が入れられる。
この日、午前6時過ぎ現地に到着、初めていく場所で目印も無くカーナビがぶっ壊れているため少々道に迷ったが、到着した頃にはすでに石風呂に入るための準備が着々と進められていた。
住職が常時滞在していない梶原寺であり、境内に鳥居があるやや変わった寺の雰囲気で、周囲を散策すると、石神の祠や石像が祀られており、周囲の農家は大きな蔵が配しなかなかの村のたたずまいである。 梶原寺下にある「石風呂」の横の小池には、石に重ねる丸竹の簀の子1枚と莚(むしろ)数枚が浮かべられてあった。

入る準備が整うと、焼けた石の上に竹の簀の子とぬれた莚(むしろ)数枚を重ね、池の水をバケツでかける。そうするとものすごい勢いで蒸気が発生する。
蒸気が弱くなれば再度水をかけると、また瓦屋根の下から蒸気が煙のように発生するのである。
神事の潔斎であり女人は入ることができないが、蒸気で前が見えない風呂場にカメラを持ち、入らせていただくと、敷かれた竹からも水蒸気が発生し、奥ゆきを確認することはまったくできない。
地元ケーブルTVのカメラライトの光をかりて撮影を行ったが、風呂場は蒸し暑く普通のサウナとは違い木を焼いたような煙の匂いと湯気に3分も入っていられない蒸し暑さである。 石風呂場の外は、焚き火がないと寒いのであるが(^^!。
今のように、蛇口をひねればお湯が出て24時間いつでも風呂に入れる世ではない時代の石風呂は、病気の治療、疲労回復といった効果も高く、大きな神事前の重要な潔斎であったのであろう。

また、石風呂に入らないと、御頭にさわることはできないとされ
「御頭にさわりたければ入ってもいいですよ。(石風呂に入らないとさわれない)。」と笑いながら促されるが、服を着たままの撮影だけで充分である。
入ろうかなと迷ってしまうほど貴重な体験であったが、服を着て入っただけでカメラにも香ばしい独特な匂いがついてしまい今回はおとなしくである(^^;。
石風呂に入り終わるといよいよ、御頭が獅子堂から取り出される。
御頭は、地区の誇りであろう!!
獅子を入れる箱には元禄5年(1690)と書かれ、

獅子と共に舞われる天狗の面には正保2年(1645)の年号が書かれており、

伊勢の有名な和菓子「赤福」は宝永7年(1707)創業であるから、それより古い300年以上前に作られたものが、今に守り受け継がれている。(^^; まぁ、お菓子と比較対象するのもいやらしいきもするが(――;;;;。伊勢といえば赤福だろうなぁ。。
取り出された御頭と天狗の面ともに黒光りし、なんとも威圧感があるが、ややユニークさもあり知人に似ているような気もするところ(==;;。
さて時間は午前8時、獅子が舞われるのは午後6時から、一時帰宅である。
伝統と歴史の思いつながる 伊勢志摩においないな☆ミ
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