伊勢 おいないな 日記 〜サラリーマンの写真集〜

神風の 伊勢の浜荻折り伏せて 旅寝やすらむ 荒き浜辺に 「万葉集より」

伊勢本街道 :奈良〜長谷寺

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 柳本町新町五智堂 1181620分に通過する。
 太神宮常夜灯であるが、南面には「天満宮」と刻まれまさに進むべき方向を照らす常夜灯である。
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 その後方にあるのが長岳寺への参道で五智堂と呼ばれる建物、1本の太柱で上部の御堂を支え四方に柱で補っている構造で傘堂または四如来の梵字を掲げることから真面堂(まめんどう)と呼ばれている。鎌倉時代の建築で国の重要文化財に指定されている。
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由緒ある傘堂裏にも、地蔵などが祀られている。 
じっくり見たが、そろそろ先を急がないと日が陰り始めてきた。 本日の最終目的地は 纏向 である。JR纏向駅(JR桜井線)があるから電車乗って近鉄桜井駅まで行って伊勢に帰らねば。 しかし、小雨に降られながら近鉄奈良駅から小学生2人とよく歩いてきたもんだ。
 
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 柳本町あたりの上街道は、古墳が多いが宿場であり城下町でもあり、江戸時代に織田家(織田信長の弟長益の五男尚長が明治維新まで支配した)1万石柳本藩の陣屋があったという由緒ある町である。 
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 しかし日の暮れ 先を急がねば。 何か食べて休憩もしたいし・・・。
 
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 兵主神社の鳥居かな? この荒れ具合は何なのか・・・ しかし出歩いている人はいない。 夕食の準備時間であるからなのか。煮物の良い香りがする。。。

 JR纏向駅に着いたが丁度用時間の汽車もなく、行けるとこまで行こうということになる。 駅にいた近所の方に聞いたら県道に出てバスに乗ったほうが電車乗るより早いらしいので歩く。
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 纏向の町中を通る 上街道はJR線路を越える県道となりわかりにくいが、うっすら方向を示すシールが貼られている。 感謝
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 纏向一帯は、古墳時代前期の大集落遺跡がある場所である。
 
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 こんもりとして目立つ箸墓を目指し、旧街道、上街道の高架橋?を降りて5分歩くと 箸墓 である。
 
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 箸墓古墳は、日本最古の前方後円墳で、日本書記に「昼は人が作り夜は神が作り手越しで大坂山(二上山)から運んで築いた」と記されている古墳で倭迹迹日百襲姫命(やまとととひももそひめのみこと)の墓と伝えられる。倭迹迹日百襲姫命は、第7代孝霊天皇の娘で 箸で陰部をついて亡くなり 埋葬された墓だから 箸墓・・・・。 
 もうよくわからない神代の世界だ。
 ちなみに、卑弥呼の墓ではないか?という説もある。神代の世界は文字の無い口頭により伝わってきた史実の世界。ミステリーである。
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 しかし、結構大きく風格ある古墳である。 
 そして一気に暗くなってきた。盆地だから暗くなるのが早いのだろうか?。

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 ここは、何かを口に入れて! 名物のみたらし団子屋がある!・・・・時間は510分 ハイ残念  閉店である。。。
 
 子供たちのがっかり具合ときたら・・・近くのバス停に向かうが、何にもない。
 
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 トイレにも行きたいし・・仕方がないので一つ先の芝バス停に向かい近くのコンビニで安らぎを得る。 
 時間は1720分 結構寒くなってきた。
 そして18時前のバスに乗り近鉄桜井駅までぐっすり熟睡でした。
 
 伊勢に向かう街道は、この上街道と山の辺の道の2種類ある。
 JR三輪駅の周りにも街道を示す道標があり見どころもある。また別の日、一人歩き旅に行くとする。
 平坦な道なので、子供達でもしっかり歩ける上街道でした。難点は、飲食やお菓子などを買う店が少ないし、空いてるか閉まっているかわからないおおらかさがあるところかな。
 
 私には面白い歩き旅でした。 
 伊勢に向かう旧街道散策 伊勢においないな☆ミ  
 
 

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 奈良県天理市新泉(にいずみ)町に御鎮座するは、倭大国魂神(やまとのおおくにたまのかみ)、八千矛神(やちほこのかみ)、御年神(みとしのかみ)の3座(神)で、日本最古の神社と言われる「大和(おおやまと)神社」である。
 平安時代までは、現在地ではなく山手の方に祀られていたそうだ。
 
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 第11代崇神(すじん)天皇の御代に、天照大神(あまてらすおおみかみ)とともに倭大国魂神は、皇居に祀(まつ)られていたが、あまりにも畏れ多いこととその神威を恐れ、皇女豊鍬入姫命(とよすきいりひめのみこと)に天照大神を、皇女渟名城入姫命(ぬなきいりひめのみこと)に倭大国魂神を祀らせようとしたところ、渟名城入姫命は髪が落ち体がやせて祀ることができないので、神教により市磯邑(いちしのむら)の長尾市(ながおいち)に祀らせたのが起源であると説が伝えられている。
 
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 『延喜式(えんぎしき)』では名神(みょうじん)大社、明治の官制では官幣大社で、4月1日の例祭で行われる神輿渡御(みこしとぎょ)は「ちゃんちゃん祭」といわれて有名である。
 大和神社と言うと、戦艦大和が同名であり、そのことから当社の祭神の分霊が艦内で祀られていたそうだ。
 戦艦大和は昭和20年(1945年)に沖縄沖で沈没したが、そのときに亡くなった2717名の英霊が末社・祖霊社に合祀されている。
 
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 昭和44年(1969年)、境内に「戦艦大和記念塔」が建立された。更に昭和47年(1972年)9月24日、巡洋艦矢矧外駆逐艦8隻の戦没將士英霊をも合祀して、坊の岬沖海戦の全戦死者3721柱が国家鎭護の神として祀られている。
 
 大和神社の周囲を歩くのも良い風景である。
 
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 ローカルなJRの風景。
 
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 街角の地蔵。
 
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 大和神社の南横の素戔嗚神社。
 
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 金止平大神なども御鎮座されているが、素戔嗚神社は、宮城(皇居)遥拝所の雰囲気がある。御扉には菊の御門が堂々と飾られていた。
 その横には、太神宮常夜燈(おかげ灯籠)がある。
 
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 とても堂々とした常夜燈であるがこの場所では、常夜燈としての意味をあまりもたないであろう。
 
 大和神社を離れると、そこそこに古墳が点在する地区を進む。
 
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 道中地蔵尊であろうか、一か所に集められた感じである。
 
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 さらに進んでいくと、違和感のある空き地がある。
 立札には、御旅所の立札があり 「 御旅所  長岡岬大市(市場町) 天照大神 大国魂大神 神輿座(みこしざ)  左三回半廻る  皇女淳名城(ヌナキ)入姫命が生前お祓いを執り行った場所 」と書かれ、その奥には井戸枠のような石がある。
 
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 元伊勢 と書かれないので、由緒は不明なのであろう。 
祓い場所であるから、近くに川が流れていたのであろうか。小さい祠でもあったのであろうか。
 ここまでで16時を周り、少し先を急ぐ。
 柳本の町に入る。
 
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 柳本と言うと街道の旅籠として栄えたが、今は歴史を感じる住宅地と言ったところか。
 柳本と言えば、長岳寺への参道入り口、上街道(伊勢本街道)沿いに 「五智堂」と呼ばれる変わった建物がある。
 
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 『傘堂』と呼ばれ、一本の太い柱で上部の御堂を支え、四方に柱で補う構造で、屋根下の心柱上部に四如来の梵字額がを掲げているので「真面堂(まめんどう)」とも呼ばれている。
 鎌倉時代の建築で国の重要文化財に指定されている。
 
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 その手前にあるのが、太神宮常夜燈(おかげ灯籠)で天保8年の銘と南面に天満宮と刻まれている。
 
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 伊勢までの道を照らす太神宮常夜燈の前には「釜口山長額寺」の板碑型の道標がある。
元禄7年孟夏の銘があり、板碑型道標では天理市内で最も古いそうだ。
 御先祖様が見たかもしれない、古い物(道標)に手をあててみるが特に変わった感想が出るわけでもなく、無機質な冷たさが伝わってくるだけである。
 昔も今も、ただ見つめるだけ、そして見守るだけ、街道筋から少し離れた場所で、見守る暖かさは心で感じることができた。
 それでも、もう少し先に進んでおこうと思いに浸ることなく少し早足で遠くを見つめる歩き旅なのである。
 
 
 
信仰の道 思い訪ねて 伊勢においないな☆ミ
 
 
 
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 かつて栄えた丹波市町を離れると風景が農業地区へと一転する。
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 国道169号とJR万葉まほろば線(桜井線)間に上街道(伊勢本街道)が通っている。 
通っていると言っても、もともと旧街道が先で線路ができて、車が走れる国道が整備され、真ん中を走る旧街道が静かに残っていったのである。
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 左手には都祁の山並みが美しく見え、奈良のこの辺りが盆地であることがよくわかる。
 農道のような旧街道を歩いて20分ほどで三昧田(さんまいでん)町に入る。 微妙な町の分かれ目で、写真の辺りは福知堂町、少し行くと三昧田町である。
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 ふと横を見ると、こういうわけのわからないところに自由の女神がある所が好きだな。女神なのにこういう扱いはいかがなものかである。 
 手に持ったトーチがら電球が垂れているから、どんな店で道案内をしていたのだろうか。
 その横の福知堂町側には 「 八坂権現 」がある。
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 文久3年(1863)9月25日、岡見留次郎ら五人の天誅組(てんちゅうぐみ)の志士は、この社の裏手で藤堂藩士によって捕らえられたそうである。
 天誅組(てんちゅうぐみ)とは、幕末に公卿中山忠光を主将に土佐藩、久留米藩の脱藩浪士達や地元の武士たちで構成された尊皇攘夷派の武装集団。
 大和国で挙兵するが、朝廷から天誅組を逆賊とする令旨が出され、幕府軍の追討を受け一部の残党は、伊勢方面へ脱出を図るが、鷲家口(奈良県東吉野村)で幕府軍に捕捉され壊滅した(天誅組の変)。 初めて尊王攘夷派が幕府に対して行った武力行使である。
 上街道(伊勢本街道)が重要な街道であることを物語っている出来事である。
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 先に進むと藤棚の下に松尾芭蕉の句碑がある。
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草臥(くたびれ) て宿かる比や藤の花
 
 藤の花が垂れ下がっている様子がくたびれ感を表しているそうで、さすが松尾芭蕉。 宿をかりる所を私なら、飯食うにしてしまうでしょう。 この言葉遊びの上品さが良いのだろうなぁ。
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 風情ある住宅に目を奪われながら先に進む。 猫の家かな。。
 この先の上街道(伊勢本街道)は、地図を見ると国道169号を越えて乙女木町から佐保庄町から再度国道169号を渡って直線が続くという感じになるのであろうが、ここはいい目印があったのでそれに従うとする。
 
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 上記で書いた道より、この迷わないように張られた札に沿って、三昧田町をずっと進むように国道165号線を渡らず、まっすぐ進む道を行くのが本来の道であろうか。
 
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 新旧の位置が変わったのではないかと言われる説がある上街道(伊勢本街道)は、いろいろな地域の歴史の流れがあるのであろう。 できるだけ古い街道らしい風景を進んでいくと
 
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 八坂神社と素戔鳴神社にあたる。
 祭神:天児屋根命、素戔鳴尊
 
 素戔鳴神社は天平8年(736)の創祀で境内に、十三重の石塔(現在は八重)や宝暦6年(1758)の石灯籠が有り、そのひとつは、太神宮常夜燈である。 村の鎮守地に伊勢への道筋を照らす常夜燈が建てられているということは、この道筋が伊勢への巡礼の道である事をものがたっている。
 
 
 
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 春日神社の境内隅にある地蔵堂は、咳乃地蔵尊(せきのじぞうそん)と呼ばれ、子供の咳によいとされ、昔は土だんごを供え祈願して、満願を迎えると飴を供えたそうだ。
 元は、村の北外れの上街道沿いにあり、旅人の守り地蔵として信仰されていたが昭和5年に現在の地に移転された。

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 この地蔵堂の奥にみえるのは、天理教の教祖(おやさま)中山みき氏の生家誕生殿である。
 
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 中山みき氏(天理教教祖)は、1798年(寛政10年)4月18日ほのぼのと夜のあける頃、当時は伊勢の国津藩主藤堂和泉守の領地、西三昧田の前川家に生まれ、当時の戸主、前川半七正信は藤堂藩から無足人の待遇を受け、名字帯刀も許され、大庄屋を勤めていましたそうだ。
 新興宗教と言うと、豪華絢爛な雰囲気を想像するのであるが、大きな土地であるがひっそりとしていた。
 
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 歩を進めると途中道標がある。やはり、この三昧田町を抜ける道が旧街道であろう。
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 もう少し行くと大和神社の参道であるが、その前にあるのが素戔嗚神社(すさのおじんじゃ)。
 この素戔嗚神社であるが、少し不思議なところがある。 大和神社の回りに3か所の同じ素戔嗚神社があるのである。 大和神社の社寺の位置が変わったとか、元はお屋敷に合ったものとかいろんな想像ができる。
 昔の事だから、正確な答えはわからないが、地図を見るというのは新たな発見につながるものである。
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 さて、大和神社に到着した。 
 大和神社近くには、万葉まほろば線(桜井線) 長柄駅があるので行きやすい場所である。
 大和神社の紹介は次の章で。
 
 
御先祖様が通ったかもしれない信仰の道 思い訪ねて 伊勢においないな☆ミ
 
 
 
 
 
 
 
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 田部町から天理市街・丹波市町へ 〜2008/11/8 伊勢本街道(奈良県天理市)  の歩き旅の修正である。
 笠山荒神への道標を目印に 鍵の辻(直角)を曲がる。
 カーブを曲がるとそこは・・・・・・
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 ただの道である。。;
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 宅地とともに天理教の詰所(建物)、畑が点在する。
 上街道(伊勢本街道)は、旧街道、過去の国道であるが今は櫟本町から天理駅前の川原城町までは奈良から下りの一方通行だから、車での利用は注意が必要である。
 
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 ところどころで辻を曲がる。
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 天理駅近くになると飲食街もチラホラ。 
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 昔の街道もこんな感じだったのであろうが。 
 美しい蝶やもてなす店の行燈の明かりに吸い込まれていったのであろう。
 
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 道はすぐに、天理駅前の中大路。 川原城町である。 少し離れた川原城会館に立つ道標。
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 大通りの突き当りは天理駅。
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 西日本旅客鉄道(JR西日本)・近畿日本鉄道(近鉄)の天理市の代表駅で天理総合駅とも呼ばれ、天理教の信者が毎日駅前を掃除されているそうである。
 さて、歩き旅の記事に戻るとする。 補足終了
 
御先祖様が通ったかもしれない信仰の道 思い訪ねて 伊勢においないな☆ミ
 
 
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 奈良のラーメン 天下一品でお腹を充たした後、歩き旅を続けるのであるがここで大きなミスをおかす。
 上街道(伊勢本街道)だと思い込んでそれなりの道を歩くがどうも静かな風景である。
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 旧街道だからそれなりの街道の町並みがあっていいはずなのであるが、どうも怪しい。

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 基本的にあまり道に迷う体質でもないのだが、進むべき辺りを見渡すと天理教の大きな建物で方向を間違えそうになる。
 だいたい街歩きでもそうだが道を間違わない為には、何かを目標とすればよいが、天理教団の同じような作りの建物だからどうしようもない。
 こんな時は、人に聞くことである。!
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 天理教の法被を着た人がたくさん歩いている、事前に用意してある地図を片手に聞いてみると 「 私、ここら辺の人じゃないので・・・。」 そっかぁ参拝か修行に来ているんだ。でも私も困るので、数名に聞いてみると「古道はあちらですよ。」
 しばらく歩いて・・・・・違うじゃん!それ山の辺の道の方でしょ。 と気づく。
 
 もうどうしようもないので、とりあえず大きな道を歩いて天理駅を目指す事にする。その近くを上街道(伊勢本街道)が通っているし、まぁ これ以上間違えないであろう。
 あまり道を迷っても気にしない性格なので「総ての道はローマに通ず」と短絡的思考でローマに着いてしまったら大変なわけですが、この辺りは巡礼の道、伊勢に通じると思っていますので、楽天的に歩いて行くが、チビ達からの質問に往生する。  

 「なんなのこの建物。煙突でかい。」「天理教って何?」・・・・・「えーと 教祖は、真道彌廣知女命(まみちいやひろことしりめのみこと)と言って俗名中山みき女、天保9年10月天啓により立教し・・・・うんぬん・・・教育機関にも力を入れ明治41年1月天理中学、奈良盲学校、高等女学校、外国語学校、図書館やら建てて今では大学、病院も建てて・・うんぬん・・」と言っても分かりにくいので自分のうる覚えの経験を話す。
 
 「たしか大祖母ちゃんとお参りに一度来たことあるんよ。 パパちゃんが小学生の頃で一緒に行けばガンプラ買ってくれるからついていったのだけど、伊勢からバスに乗って着いたら暇で、広い畳の所でごはん食べて、おかずが魚の小さな煮物やら豆の煮ものやら子供の嫌いなもの、酒のつまみの乾きものみたいなのばかりでさ。 お腹減ってつまらんし、泣きべそかきながら、なんか赤い建物の中を大勢の人とともにくるくる歩いて、やっと終わって近くの商店街行ったら、置いてあるガンプラ少なくてジャブローのジオラマセットというのが欲しかったのだけど無くて、お腹も減って悲しい思いして帰ったことがある。 わけわからんから熱心に拝むこともないしさ。2回目からは連れて行ってもらえなかったな(笑。 まぁ でかい寺だね。 」と昔の記憶をもとに答えになっていない答えを語らせていただいた。 (^^; 
 大祖母ちゃん付き合いのおかげで、小さいうちからいろいろな宗教を見させていただいたので、説明に経験が役に立ったかな?
 『 宗教はね。悪いことじゃないし、外国では宗教をもっていないと、その人は信じられないと言われることもあるから、それだけに没頭するだけじゃなくて、宗教とは、自分の心の中で
良いお友達になることが大事だよ。 』 と言っときましたが小学生には理解不能であろう。

 そんなこんなで、天理教の法被を着た若い方々にすれ違いながら川原城(かわらぎ)会館前に着く。

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 川原城会館の川原城とは、この辺りの古い村名(現:川原城町)で開館前には、上街道(伊勢本街道)にあったであろう3基の道標が置かれている。
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 向かって一番左の石道標にみえるは「 右はせ 左なら 」で いせ ではない。
 向かって一番右は 「南はつせ道 岩上大明神 北なら道 」である。

 真ん中の大きな道標に いせ道 と彫られている。
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 珍しいのは、この道標の仏像の下に御詠歌(巡礼歌)の第一番が掘られていること。
        『 補多らく 岸うつなみは みくまのの 那知のおやまに ひびくたきつせ 』
              西国三十三所霊場の第一番札所 那智山青岸渡寺

 上街道(伊勢本街道)が重要な巡礼の道であることを物語っている道標。
 もちろん、元あった場所は街道沿いの十字路や分かれ道にあったのだろうが、人の流れが変わり必要がなくなったのでこちらに移されたのだろう。
しかし、御先祖様たちの思いを知ることのできる大変貴重なものであるのは間違いない道しるべだ。

 さて、上街道(伊勢本街道)に戻ることができたので、少し腹ごしらえでもと団子屋を見つける。「こんにちは!団子三本ください!!。」 「あ!いま作ってるから30分ほど待ってくださいね。」・・・・・・・・・・・・・
 三本の団子に30分待てるわけないし・・・・・・・・ つくづく食べ物に恵まれていない歩き旅である。。
 
 気を取り直して、30年以上前、私の記憶の形そのままの天理教のグッズ(御神具)などが売られているアーケード街(天理本通)を横断し、少し通り過ぎたところにある神明神社を御参拝する。
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 神明神社とは、伊勢神宮系の神明社の事で大日要命(天照皇大神の別称)あるが、おかしなことに鳥居の形が神明鳥居でなく明神鳥居である。
 どうやら、明治の改革がここでもあったためで、明治10年までは「川原城村鎮守四社相殿 弁財天 春日大明神 天照皇大神 八幡大菩薩」が祀られてきたようであるが、特に崇敬していた天照大御神の一神を祀ることに改め、神明神社と名称を変えたようだ。
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 神明神社内にも太神宮常夜燈があるが、これは上街道(伊勢本街道)にあったものかはわからない。
 字体も心なしか優しく細い。

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 伊勢へ伊勢へと萱の穂なびく  伊勢への思いが伝わる旧街道沿いの神明神社である。
 
 先に進むと伊勢本街道は、国道26号線を横切る。
 国道の傍らには、大神宮常夜燈が静かに建っている。
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 今は、幅の広い車が楽に通行できる道が国道であり、(酷道もあるが^^;) 国道を横切るが上街道(伊勢本街道)が昔の国道だと知る人は少ないであろう。
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 さて、前に前にと進む歩き旅であるが、この辺りの上街道(伊勢本街道)は、鍵の手の辻(急カーブ)になっているところが多い。
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 これは、この地を与えられ納めた藤堂藩の政策により故意に、街道を曲げて造られたからだそうだ。
 
 
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 途中、造り酒屋がありましたが、ここは我慢して。
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 丹波市町に入る。
 色の違うアスファルトは、川を暗渠にした蓋である。
 
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 丹波市(たんばいち)町とは、読んで字のごとく「市」の跡で、川を利用して、当時の荷運びに欠かせない馬の飲み水や、鮮魚を洗ったりしたそうだ。
 当時の生活を思い浮かべることのできる癒しの川が見えないのは、伊勢市内同様、痛々しい限りであるが、昔からの家並みには「うだつ」をあげている家もあり、当時の繁栄を思い浮かべることができる。
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 特に、丹波市町の象徴的なのが道に架かる屋根。
 今でいう、商店街のアーケードである。 なかなか意識しないとこれは何? な雰囲気である。
 
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 アーケード内には、丹波市町の案内が貼られており、この町の自慢の場所であろう。これからも残していってほしい生活の場所、生きている風景である。
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 古いアーケードを少し行くと、恵比寿神社と市座神社にあたる。
 御祭神は、恵比寿神社は「えびす様」であり、市座神社は「事代主命」。
違う神のようで、実は同じ「えびす信仰」に基づく神である。 古事記や日本書紀の説や明治の改革で市の神であった「事代主命」の横に「恵比寿神社」を別に祀ったそうだ。
 にぎやかに、人々の商売繁盛の願いがことさらに表れた、同坐しない、神社の横に別の神社風景ができたわけだが、拝む人の思いは一つ 御利益(寄り神信仰)である。
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 市座神社の境内には、街道沿いに立っていたのであろう太神宮常夜燈が置かれている。
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 なかなか大きな常夜燈である。 別に控えめなのもあるが、建てた方は丹波市の宿屋・商売人で扇屋の名が彫られている。
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 道中安全 商売繁盛 大事な御利益は今は昔の、静かな旧街道である。
 
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 現在時刻は、日もわずかに傾いてきたように感じる14時50分である。  先を急がねばと天理教の中心地と丹波市町を後にした。
 
 
 
御先祖様が通ったかもしれない信仰の道の思い訪ねて 伊勢においないな☆ミ
 

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