伊勢 おいないな 日記 〜サラリーマンの写真集〜

神風の 伊勢の浜荻折り伏せて 旅寝やすらむ 荒き浜辺に 「万葉集より」

伊勢神宮の祭り 九月

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 伊勢神宮の神楽祭は、昭和20年の初めより、春は4/28からの3日間、秋は秋分の日を中日とした3日間、神宮の御神徳を広く示しとともに神宮雅楽を広く一般公開している。

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 神宮の神楽については、明治4年の神宮改革(国家管理)が行われるまで、私幣禁止(しへいきんし:私祈祷禁止)であり、国家の政を守護する神宮は、公儀(皇室)以外の祈祷は禁止であった。

 そのため、平安時代の終わりから朝廷の権力が衰退していくと、公儀からの収入は乏しくなり、神宮の祭祀も満足にできなくなっていった。
このままでは神宮は荒廃するばかり「背に腹は変えられぬ」と権禰宜(※ごんねぎ)クラスの神主達が奮起して「武運長久などの利益祈願を私どもが代行しますから、田畑を神宮へご寄進しなさい。」というある意味、神宮の経済活動に動き出した。
 ※この権禰宜たちは、のちに地方武士や庶民と「師檀関係」を結ぶ御師(おんし)と呼ばれる「伊勢信仰の仕掛け人集団」となる。


 その御師達が一般向けに行った神楽は、自らの館に神楽殿を設け、私祈祷し、神楽の舞を行った。 現在神宮で行われる祈祷や舞と違い「湯立て神事(榊の枝で湯を振りまく)」のような祈祷、神楽であったらしい。

 明治4年に「御師制度が廃止(神宮改革)」が行われると、神宮に祈祷施設設置の必要が生じたため、神宮祈祷所が設置され、現在の「神楽殿」と改称され現在(外宮にも神楽殿有り)に至っている。

 この神楽殿で行われるのは、民間に普及している里神楽ではなく、宮中から伝授を受けた舞楽・御神楽である。
 
 雅楽とは、飛鳥〜平安時代にかけて中国大陸や朝鮮半島などから伝来した音楽と、わが国で古来より行われていた音楽(神楽歌など)の総称を言い、舞楽(ぶがく)とは雅楽(ががく)を伴奏とする舞踊のことを言う。
 神宮(伊勢神宮)での雅楽は、祭典において奏でるため、明治の初めに宮内省式部寮より伝授され、神宮楽師という雅楽を専修する職者が存在し、神宮の祭典の奏楽の他、神楽殿での神楽の演奏を行っている。


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 今年の秋季神楽祭のは、以下の内容であった。
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 2人の舞人が鉾(ほこ)を持ち、雅楽に合わせて舞台を清めるおはらいの舞「振鉾(えんぶ)」。

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 極楽に住むという鳥が舞い遊ぶ様子を表現した奈良時代から伝わるという4人の舞女(ぶじょ)が演じる「迦陵頻(かりょうびん)」。
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 応神天皇の時代に百済(くだら)から渡来したという王仁(わに)が仁徳天皇即位を祝って詠んだ和歌「難波津(なにわづ)の歌」が起源とされる1997年以来21年ぶりに演じられた「皇仁庭(おうにんてい)」。
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 最後に舞いを伴わない平安時代中期に作曲されたという「長慶子(ちょうげいし)」。
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 耳で聞いて覚える、音に合わせ雅に動く、伊勢志摩サミット以降増えた海外からの観光客、国の機関ではなく宗教法人神宮としての古来から続く祭祀を守り続ける神職、職員様方。 
 こうして毎年春秋と見に行けることに 感謝 である。

 次は新元号の神楽祭 伊勢においないな☆ミ
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 みやびとの させる榊を われさして よろづ代まで かなであそばむ 
〜〜 倭舞 歌詞 〜〜

 
神宮(伊勢神宮)の神楽祭は、昭和20年の初めより、春は4/28からの3日間、秋は秋分の日を中日とした9/22(今年は21日)からの3日間、神宮の御神徳を広く示しとともに神宮雅楽を広く一般公開している
 雅楽とは、飛鳥〜平安時代にかけて中国大陸や朝鮮半島などから伝来した音楽と、わが国で古来より行われていた音楽(神楽歌など)の総称を言い、舞楽(ぶがく)とは雅楽(ががく)を伴奏とする舞踊のことを言う。
 神宮(伊勢神宮)での雅楽は、祭典において奏でるため、明治の初めに宮内省式部寮より伝授され、神宮楽師という雅楽を専修する職者が存在し、神宮の祭典の奏楽の他、神楽殿での神楽の演奏を行っている。
 そもそも神宮の神楽は、明治4年の神宮改革が行われるまで、私幣禁止(しへいきんし:私祈祷禁止)であり、国家の政を守護する神宮は、公儀(皇室)以外の祈祷は禁止であった。
 そのため、朝廷の権力が衰退していった平安時代末期ごろから、神宮の祭祀も満足にできなくなる程、朝廷からの神宮に対する収入が満足になくなると、「背に腹は変えられぬ」と権禰宜(※ごんねぎ)クラスの神主達が奮起して「武運長久などの利益祈願を私どもが代行しますから、田畑をご寄進しなさい。」という、経済活動に動き出した。後にこれが、神宮と庶民、全国への繋がり(師檀関係)をつなぐ「 御師 (おんし)」となる。
 しかし、御師の行う神楽は、「湯立て神事(榊の枝で湯を振りまく)」のような神楽であったらしく、現在の「御神楽」とは、まったくの別物であったそうだ。
 
 今年の秋季神楽祭 神宮公開舞楽は4曲。演目順に紹介。

① 『 振鉾 (えんぶ) 』 
 古代中国の故事に由来する舞で、左方当方の舞人が鉾を振り、転地を鎮め安じて、天下の太平を言祝ぐという大変めでたい舞楽。 舞台を祓い清める舞楽と観念され、必ず舞楽の初めに奏されるようになった。
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② 『 迦陵頻(かりょうびん) 』
 インドに起源を持ち、日本には奈良時代に伝えられたといわれる。
 極楽に住んでいる鳥、迦陵頻伽(かりょうびんか)が美しい鳴き声で舞い遊ぶ様をかたどった童子の舞とされが、神宮では舞女が舞う。手に持った銅拍手(どうびょうし)を打ちながら舞台に上がった舞女は、それぞれの位置で緩やかに舞う。
 曲の中盤からは銅拍手を打ち鳴らし、舞台を一周して鳥の飛翔を表した後、舞いながら舞台を去る。舞女は赤色の装束を着け、背には美しい鳥の羽を負い、桜の花を挿した天冠を戴く。手に持つ銅拍手の音色は、迦陵頻伽の泣き声を表現していると言われている。

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③ 『 八仙 』
 八仙(はっせん)とは、崑崙(こんろん)山の8人の仙人が帝王の徳を慕って中国へ来朝し、曲を奏して舞ったという説により、崑崙八仙の名がある。舞人の数は昔は8人といわれ、現在は4人舞である。鯉の繍文様に網をかけた貫頭衣の袍をつけ、異様な冠と面をつけた。この面は鳥の頭を模したとも云われ、とがったくちばしがあり、その鼻先には小さい鈴をつけ、冠は鳥の頭の毛を象徴するいうな形であり、鶴の舞う姿を象ったものと思われ鶴舞とも呼ばれている。西域の風俗舞である。

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④ 『 長慶子 (ちょうげいし) 』
 長慶子(ちょうげいし)は、平安時代中期に琵琶・箏・笛・篳篥などの名手として知られた源 博雅の作曲と伝えられている。 唐楽・太食調(たいしきちょう)。管弦だけで舞を伴わないが舞楽曲に分類される特殊曲。舞楽終了の際、参会者が退出する際に演奏される曲(退出音声:まかでおんじょう)で、現在でも最終曲として舞楽吹(ぶがくふき)で奏されることになっている。

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 心の故郷 伊勢。

 感謝の休日

 伊勢においないな☆彡

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 みやびとの させる榊を われさして よろづ代まで かなであそばむ 
〜〜 倭舞 歌詞 〜〜

 
神宮(伊勢神宮)の神楽祭は、昭和20年の初めより、春は4/28からの3日間、秋は秋分の日を中日とした9/22(今年は21日)からの3日間、神宮の御神徳を広く示しとともに神宮雅楽を広く一般公開している
 雅楽とは、飛鳥〜平安時代にかけて中国大陸や朝鮮半島などから伝来した音楽と、わが国で古来より行われていた音楽(神楽歌など)の総称を言い、舞楽(ぶがく)とは雅楽(ががく)を伴奏とする舞踊のことを言う。
 神宮(伊勢神宮)での雅楽は、祭典において奏でるため、明治の初めに宮内省式部寮より伝授され、神宮楽師という雅楽を専修する職者が存在し、神宮の祭典の奏楽の他、神楽殿での神楽の演奏を行っている。
 そもそも神宮の神楽は、明治4年の神宮改革が行われるまで、私幣禁止(しへいきんし:私祈祷禁止)であり、国家の政を守護する神宮は、公儀(皇室)以外の祈祷は禁止であった。
 そのため、朝廷の権力が衰退していった平安時代末期ごろから、神宮の祭祀も満足にできなくなる程、朝廷からの神宮に対する収入が満足になくなると、「背に腹は変えられぬ」と権禰宜(※ごんねぎ)クラスの神主達が奮起して「武運長久などの利益祈願を私どもが代行しますから、田畑をご寄進しなさい。」という、経済活動に動き出した。後にこれが、神宮と庶民、全国への繋がり(師檀関係)をつなぐ「 御師 (おんし)」となる。
 しかし、御師の行う神楽は、「湯立て神事(榊の枝で湯を振りまく)」のような神楽であったらしく、現在の「御神楽」とは、まったくの別物であったそうだ。
 
 今年の秋季神楽祭 神宮公開舞楽は4曲。演目順に紹介。

① 『 振鉾 (えんぶ) 』 
 古代中国の故事に由来する舞で、左方当方の舞人が鉾を振り、転地を鎮め安じて、天下の太平を言祝ぐという大変めでたい舞楽。 舞台を祓い清める舞楽と観念され、必ず舞楽の初めに奏されるようになった。

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② 『 迦陵頻(かりょうびん) 』
 インドに起源を持ち、日本には奈良時代に伝えられたといわれる。
 極楽に住んでいる鳥、迦陵頻伽(かりょうびんか)が美しい鳴き声で舞い遊ぶ様をかたどった童子の舞とされが、神宮では舞女が舞う。手に持った銅拍手(どうびょうし)を打ちながら舞台に上がった舞女は、それぞれの位置で緩やかに舞う。
 曲の中盤からは銅拍手を打ち鳴らし、舞台を一周して鳥の飛翔を表した後、舞いながら舞台を去る。舞女は赤色の装束を着け、背には美しい鳥の羽を負い、桜の花を挿した天冠を戴く。手に持つ銅拍手の音色は、迦陵頻伽の泣き声を表現していると言われている。

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③ 『 蘇利古(そりこ) 』
 進蘇利古(しんそりこ)別名を「竈祭舞」(かまどまつりまい)ともいわれる。
 蘇利古とは、舞人が持っている桴の名称であるとも言われていわれ桴は、白楚(ずばい)と言う。舞人四人が巻纓(けんえい)の冠をかぶり、雑面(ぞうめん)という紙製の面を着けた、手に棒状の「白楚(ずばい)」を持ち、狛鉾(こまぼこ)という曲の一部を使い舞われる。
 舞曲は、早くに絶えてしまったことから狛鉾(こまぼこ)という曲の返付(かえしつけ)という所から、何度も繰り返し演奏し、舞台上で止め手になり、舞台から帰る時は、楽無しの無音で帰る不思議な舞である。

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④ 『 長慶子 (ちょうげいし) 』
 長慶子(ちょうげいし)は、平安時代中期に琵琶・箏・笛・篳篥などの名手として知られた源 博雅の作曲と伝えられている。 唐楽・太食調(たいしきちょう)。管弦だけで舞を伴わないが舞楽曲に分類される特殊曲。舞楽終了の際、参会者が退出する際に演奏される曲(退出音声:まかでおんじょう)で、現在でも最終曲として舞楽吹(ぶがくふき)で奏されることになっている。

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 神楽祭は春と秋に行われ、本来神苑の特設舞台で行われるが、台風と雨のため今季の開催期間は参集殿奉納舞台で午前十一時の一回のみ公開される。 


 ジブリ映画に出る神の舞、夢にも出そうな雰囲気…明日も、ありますよ。(^^

 しかし、神にささげる舞にも神がいる、形としての神がいるものだなと 蘇利古の舞をみながら 心静かに 心落ち着かせました。

 心の故郷 伊勢。

 感謝の休日

 伊勢においないな☆彡

  
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「 みやびとの させる榊を われさして よろづ代まで かなであそばむ 」
〜〜 倭舞 歌詞 〜〜
 
神宮(伊勢神宮)の神楽祭は、昭和20年の初めより、春は4/28からの3日間、秋は秋分の日を中日とした9/22からの3日間、神宮の御神徳を広く示しとともに神宮雅楽を広く一般公開している
 雅楽とは、飛鳥〜平安時代にかけて中国大陸や朝鮮半島などから伝来した音楽と、わが国で古来より行われていた音楽(神楽歌など)の総称を言い、舞楽(ぶがく)とは雅楽(ががく)を伴奏とする舞踊のことを言う。
神宮(伊勢神宮)での雅楽は、祭典において奏でるため、明治の初めに宮内省式部寮より伝授され、神宮楽師という雅楽を専修する職者が存在し、神宮の祭典の奏楽の他、神楽殿での神楽の演奏を行っている。
 そもそも神宮の神楽は、明治4年の神宮改革が行われるまで、私幣禁止(しへいきんし:私祈祷禁止)であり、国家の政を守護する神宮は、公儀(皇室)以外の祈祷は禁止であった。
 そのため、朝廷の権力が衰退していった平安時代末期ごろから、神宮の祭祀も満足にできなくなる程、朝廷からの神宮に対する収入が満足になくなると、「背に腹は変えられぬ」と権禰宜(※ごんねぎ)クラスの神主達が奮起して「武運長久などの利益祈願を私どもが代行しますから、田畑をご寄進しなさい。」という、経済活動に動き出した。後にこれが、神宮と庶民、全国への繋がり(師檀関係)をつなぐ「 御師 (おんし)」となる。
 しかし、御師の行う神楽は、「湯立て神事(榊の枝で湯を振りまく)」のような神楽であったらしく、現在の「御神楽」とは、まったくの別物であったそうだ。
 
 今年の秋季神楽祭 神宮公開舞楽は4曲。演目順に紹介。

① 『 振鉾 (えんぶ) 』 
 古代中国の故事に由来する舞で、左方当方の舞人が鉾を振り、転地を鎮め安じて、天下の太平を言祝ぐという大変めでたい舞楽。 舞台を祓い清める舞楽と観念され、必ず舞楽の初めに奏されるようになった。
 
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②蘭陵王(らんりょうおう)
 中国南北朝時代の北斉(550〜577年)の蘭陵武王・長恭(皇族)の逸話にちなんだ曲目で、眉目秀麗な名将で、皇帝より「蘭陵王」の称号を与えられた。
 長恭は、優しげな美貌を獰猛な仮面に隠して戦に挑み、天下に勇名を轟かせた武勇を讃えて作られたのが一人舞の蘭陵王である。別名 没日還午楽(ぼつにちかんごらく:夕日を差し招く楽)とも言われ、走舞の代表的なものである。
 
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③納曽利(なそり)
  納曽利は、双龍舞と呼ばれるように、雄雌の龍が舞遊ぶさまをあらわした舞と言われていいる。
 「蘭陵王(らんりょうおう)」とは、番舞(つがいまい)の関係にあり相撲や競べ馬などで左方が勝てば「蘭陵王」、右方がかてば「納曽利」を舞い、勝利を祝っていた。
  曲は「破」と、「急」の二部構成で、舞人は裲襠装束(りょうとうしょうぞく)に、龍のような恐ろしさを感じる面を付け、萌黄色に青地金色と天を舞う龍を連想させる豪華な衣装である。
 
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④ 『 長慶子 (ちょうげいし) 』
 長慶子(ちょうげいし)は、平安時代中期に琵琶・箏・笛・篳篥などの名手として知られた源 博雅の作曲と伝えられている。 唐楽・太食調(たいしきちょう)。管弦だけで舞を伴わないが舞楽曲に分類される特殊曲。舞楽終了の際、参会者が退出する際に演奏される曲(退出音声:まかでおんじょう)で、現在でも最終曲として舞楽吹(ぶがくふき)で奏されることになっている。
 
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 さて、来月はいよいよ 遷御 である。
 
 伊勢の大御神様、神々が新宮にお移りされる。
 
 いよいよな緊張感が伊勢にあるように感じる。
 
伊勢においないな☆ミ
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「 みやびとの させる榊を われさして よろづ代まで かなであそばむ 」
〜〜 倭舞 歌詞 〜〜
 
神宮(伊勢神宮)の神楽祭は、昭和20年の初めより、春は4/28からの3日間、秋は秋分の日を中日とした9/22からの3日間、神宮の御神徳を広く示しとともに神宮雅楽を広く一般公開している
 雅楽とは、飛鳥〜平安時代にかけて中国大陸や朝鮮半島などから伝来した音楽と、わが国で古来より行われていた音楽(神楽歌など)の総称を言い、舞楽(ぶがく)とは雅楽(ががく)を伴奏とする舞踊のことを言う。
 神宮(伊勢神宮)での雅楽は、祭典において奏でるため、明治の初めに宮内省式部寮より伝授され、神宮楽師という雅楽を専修する職者が存在し、神宮の祭典の奏楽の他、神楽殿での神楽の演奏を行っている。
 そもそも神宮の神楽は、明治4年の神宮改革が行われるまで、私幣禁止(しへいきんし:私祈祷禁止)であり、国家の政を守護する神宮は、公儀(皇室)以外の祈祷は禁止であった。
 そのため、朝廷の権力が衰退していった平安時代末期ごろから、神宮の祭祀も満足にできなくなる程、朝廷からの神宮に対する収入が満足になくなると、「背に腹は変えられぬ」と権禰宜(※ごんねぎ)クラスの神主達が奮起して「武運長久などの利益祈願を私どもが代行しますから、田畑をご寄進しなさい。」という、経済活動に動き出した。後にこれが、神宮と庶民、全国への繋がり(師檀関係)をつなぐ「 御師 (おんし)」となる。
 しかし、御師の行う神楽は、「湯立て神事(榊の枝で湯を振りまく)」のような神楽であったらしく、現在の「御神楽」とは、まったくの別物であったそうだ。
 
 今年の秋季神楽祭 神宮公開舞楽は4曲。演目順に紹介。

① 『 振鉾 (えんぶ) 』 
 古代中国の故事に由来する舞で、左方当方の舞人が鉾を振り、転地を鎮め安じて、天下の太平を言祝ぐという大変めでたい舞楽。 舞台を祓い清める舞楽と観念され、必ず舞楽の初めに奏されるようになった。
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② 『 迦陵頻(かりょうびん) 』
 インドに起源を持ち、日本には奈良時代に伝えられたといわれる。
 極楽に住んでいる鳥、迦陵頻伽(かりょうびんか)が美しい鳴き声で舞い遊ぶ様をかたどった童子の舞とされが、神宮では舞女が舞う。手に持った銅拍手(どうびょうし)を打ちながら舞台に上がった舞女は、それぞれの位置で緩やかに舞う。
曲の中盤からは銅拍手を打ち鳴らし、舞台を一周して鳥の飛翔を表した後、舞いながら舞台を去る。舞女は赤色の装束を着け、背には美しい鳥の羽を負い、桜の花を挿した天冠を戴く。手に持つ銅拍手の音色は、迦陵頻伽の泣き声を表現していると言われている。
 
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③ 『 仁和楽 (にんならく) 』
 第58代光孝天皇の御代(仁和年中)に楽人である百済貞雄が勅命を受けて作られた曲。
 日本における最初の外来楽を模して作られた作品であり、至極やさしい静かな舞振りである。舞人は、襲装束で、右肩を脱いで舞う。
 
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④ 『 長慶子 (ちょうげいし) 』
 長慶子(ちょうげいし)は、平安時代中期に琵琶・箏・笛・篳篥などの名手として知られた源 博雅の作曲と伝えられている。 唐楽・太食調(たいしきちょう)。管弦だけで舞を伴わないが舞楽曲に分類される特殊曲。舞楽終了の際、参会者が退出する際に演奏される曲(退出音声:まかでおんじょう)で、現在でも最終曲として舞楽吹(ぶがくふき)で奏されることになっている。
 
 
 来年は、いよいよ第62回式年遷宮のクライマックス。
 来年の、春秋の公開神楽祭も大変楽しみである。
 
 
 春 秋 日本古来の舞  季節を感じに伊勢においないな☆ミ

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