『 日と照らし土とかためてこの国を 内外の神のまもるひさしさ 』
〜〜 第100代 後小松天皇 〜〜
常若の思想ひろく、常に若々しい常緑樹まぶしい伊勢神宮神域。
緑多い神々の森も、所々で色づき秋の色を見せている。
季節は移ろい行くが、伊勢神宮では古来から続く由緒正しきまつりごとが毎年同じ日に行われている。
11月23日 祝日 勤労感謝の日 伊勢神宮では 天皇陛下の勅使から奉幣を賜り『 新嘗祭(にいなめさい) 』が厳かに執り行われた。
新穀を天皇陛下御自ら神々に奉げられ、また御自らもお召し上がりになる大儀が宮中で行われるのに際して、神宮にも勅使を差遣(さけん)されて、奉幣の儀が行われる。
それに先立ち、勅使から奉幣の儀が行われる前に神饌をたてまつる大御饌祭が行われる。
外宮内宮それぞれの正宮で祭典が終わると別宮以下諸宮社でも祭典が行われる。
第二次世界大戦での敗戦を迎えるまで、国民の大祭で祝日とされていた「新嘗祭」であるが、戦後、占領政策によって天皇行事・国事行為から切り離される形で名を変え今に至るのが、祝日 「勤労感謝の日」 である。
天皇陛下は、毎年11月23日皇居内の神嘉殿(しんかでん)において、お一人で新嘗祭を執り行ない収穫の感謝を奉げ、この日より新米を召し上がられる。
伊勢の民もそれに習って「今上天皇が新米を食してから、新米を食す。」という家庭が多かったが、農耕技術の発達により、10月の神嘗祭より前に伊勢の民ならず日本国民は、新穀を食べるようになった。
倉庫に米を備蓄する必要もなく、電話一本、スーパーへ行けば10kg3500円程度で美味しい新米が手に入る時代である。 さすがの私も、どうせ買うなら新しい物を買うに決まっているから10月には新穀を食べていると思われる。(^^;
特に今、全国的に売れに売れ生産が追いついていないのが米粉で作るホームベーカリーなんだとか。
「 今日の朝ごはんのパンは、イセヒカリの新米の食パンよ。 」なんて米を炊くから、米を焼くという新しい時代を感じる今日この頃。 文明の進化とはまさに素晴らしいものだ。 ただ、うちにはホームベーカリーは無いし、おそらく・・;まぁ 食パンを普通に買って米の朝食、パンの朝食をチョイスする生活がこれからも続くであろう(苦笑。それで満足である。。
話を戻して、現代でも、完全に新嘗祭の時期を守り、新穀を食べる時期を守り抜いているのは一部の篤志家をのぞけば「天皇陛下」だけと言える。
祝日の午前7時、伊勢神宮 外宮にて行われた「奉幣の儀」。
天皇陛下の勅使に続き、池田厚子祭主、鷹司大宮司に続きご奉仕される神職の方々が正宮の中でも重要な御垣内に入られる。 その時は、一般の通行も参拝も止められる。 祭祀が始まると、参拝は可能であるが当然のことながら重要で清らかな祭祀の撮影はできない。 これは報道関係者も同じである。
むやみにカメラで撮影するより 「霊台(れいだい)の方寸(ほうすん)」と言われる 『われわれの心』 に、直接その感銘を受け取ることのほうが大事なのである。
祭祀の間は、一般の参拝は可能である。中の祭祀は決められた場所から見ることもできる。
御垣内への入り口にかかる純白で、絹の御幌(みとばり)を抑える神職の影が神々しく美しさを増している。
静寂の中、張り詰めた空気とともに祭祀が終わると、勅使を先頭に神職の方が退下される。
続いて、池田厚子祭主。
昭和天皇と香淳皇后の第四皇女で、旧名、順宮 厚子内親王(よりのみや あつこないしんのう)。今上天皇・常陸宮正仁親王の姉にあたる。
御歳79歳である。 祭主としてのお勤めは深夜、早朝にわたる。 尊くもありがたいお姿である。
古事記に名を残す、神話の天皇の中には100歳を超えていた方もおられるが、それも古事の間違いではないような気さえする。
後ろを歩かれるのが鷹司大宮司である。 祭祀に向かう厳しいお姿は、伊勢神宮への尊さをいつも感じさせていただける。
正宮の祭祀を終えた神職は、別宮の祭祀に向かう。
98段の階段を登った場所にある 外宮第一別宮 豊受大御神の荒御霊(あらみたま)をおまつりしている「多賀宮(たかのみや)」である。
外宮において、この別宮だけは正宮に続いて勅使が参向せられ 「 奉幣の儀 」 が行われる。
高い木々 神宮杉の間から木漏れ日が周囲を照らし、瑞々しい空気の中、静かに行われた新嘗祭 奉幣の儀。
「 世を守る神のしるしか今もなお 茂る千枝の杉の下かげ 〜勝定院贈太政大臣(新続古今集)〜 」
昔も今も 変わらぬ感謝 と 思い が神宮には存在し、参拝者に語らずも伝えている。
神の地 伊勢においないな ☆)彡
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