株式会社 大豊和紙工業は、明治32年(1899年)に神宮御用紙を奉製する地元三社が神都製紙株式会社を創立。
戦後、現社名に変更し、近年は、神宮御用紙だけでなく、インクジェットプリンタにも対応した和紙など手漉き和紙(県指定伝統工芸)、機械抄き紙を製造し新製品の開発も行っている。
大豊和紙工業敷地は、江戸時代まで伊勢の神宮と民衆を結びつけ、伊勢参りの仲介役を果たした「御師(おんし)」の中で山田(外宮)の御師として最大級の規模を誇った 龍太夫 邸跡に建てられている。
旧龍太夫邸は、格式ある立派な屋敷であったので、1880年(明治13年)7月、明治天皇行幸の際、二日間の宿所となり現在、駐輦された御遺蹟が敷地内に残る。
大豊和紙工業敷地内には、伊勢和紙館・伊勢和紙ギャラリーなどを開設し、伊勢での製紙の歴史、紙づくりの工程、道具等を展示して、和紙小物づくり等の体験もすることができるそうだ。(体験は毎月第2土曜の開館時間内)
さて、大豊和紙工業を訪れた目的は、伊勢の写真家 中野晴生氏の個展を見に行くため。
5月9日 - 6月6日 中野晴生写真展「伊勢の神宮」- 第62回 式年遷宮への第2章 –
会場は、モダンな旧館内で、淡い光の中、和紙に印刷された作品が優しく飾られている。
しかし、中野先生の作品には優しさがあるなぁ。
そうして、観賞し終えたあと、周辺を散策した。
そう、この大世古周辺は、昔懐かしい場所でもある。
過去、伊勢市駅前が栄えていた頃、この場所の近くには、ディスカウントスーパーの走り、伊勢勤労者百貨店(勤労百貨)なるものがあり(今でもあるのか??)暗く狭い店内に所狭しに家庭用品が置かれ、狭い通路をぶつかりながら買い物をしていた。
また、伊勢の名高い佐々木小児科(閉院)があり、ばぁさんによく連れて行かれたもんだ(^^。診察が終わると必ず勤労百貨で買い物、風邪を引いて弱っている私は、横にある須原神社で遊ぶというパターンであった(笑。。
そして、この大豊和紙工業の横には一之木公園があり、私のばぁさんの友人であった方が公園横に住まわれており、幼少期よく遊んでいただいた所である。
今では、他界されてその方の家もありませんが、一之木公園には、色は塗られているものの昔とおそらくかわらない汽車の遊具があった。公園の形は変わったか???。。
ファインダーを向けながら、少し懐かしさと、何やら今でないとわかりえない悲しさに涙が潤んできた(^^;;。 ほんと 何事にも 人の出会い 感謝である。
一之木公園と大豊和紙工業の敷地を分けるのは高い壁。
これも昔と代わらない。 この壁の向こう側にボールが入ったり、壁にボールをぶつけると(^^; こわいおっさんが出て来ておこられたんだよなぁ。
あるとき、年少だった てっつん が遊んでいて、意味も無く、大豊和紙工業さんのおっさん(守衛さん?従業員さん??)に怒られ泣かされたことがある(おそらく石を投げ入れたと怒ってきた?投げた人は逃走^^;)。
で、泣き声を聞いた、この横に住む、ばぁちゃんの友人であるおばちゃんが「 何で子供なかすのや!! 」 と家から飛び出してきて抗議してくれたことがあり「 この公園の壁の向こうにはこわいおじさんがいるから入ったらいかんよ。 」と約30年前教えられたのだった。
それ以来、おばちゃんが亡くなったことや伊勢市駅前の空洞化だけでなく、過去の危険な場所という記憶からか(^^まったく近づくことが無かった場所である。(爆笑。
今回、大豊和紙工業を訪れて、会社の方には大変親切に案内していただき、こわいおじさんはいませんでした(^^;。失礼な文でスミマセン。。。
以上昔の記憶(^^; 田舎育ちの子なら同じようなこんな記憶あるかな???(^^
消えかけた記憶なつかし 伊勢においないな☆ミ