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伊勢の祭り 夏(6〜8月)
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されば日の光と見ゆるは、実は日の光にはあらず、天照大御神の後光にぞありける。
〜 「 三大考 」 服部中庸 〜
宇治神社は、伊勢神宮内宮、宇治橋鳥居から徒歩1分程もかからない内宮前駐車場、後方奥の山側にある。
明治の神社改革で、明治41年、旧内宮所管社や近隣の神社、17社を合祀したことで、ご祭神が25柱祀られ、内宮に向かうたくさんの参拝者を眺める静かな高台に御鎮座されている。
さてここには、伊勢神宮にはなぜか祀られていない大きな神が祀られている。
「 素戔嗚尊(すさのおのみこと) 」である。
伊佐奈岐命(いざなぎのみこと)、が亡き妻伊佐奈弥命(いざなみのみこと)を慕い黄泉の国に行くも、黄泉の国の者となったその姿に逃げ帰り、その時戻ってから川で禊をし、その時に左目を洗ったときに天照大御神(あまてらすおおみかみ)が生まれ、右目を洗った時に月読尊(つくよみのみこと)が生まれ、鼻を洗った時に素戔嗚尊(すさのおのみこと)が生まれたとされ、この三柱の神を三貴子と言われる。
皇太神宮(伊勢神宮内宮)には、天照大神がご鎮座され、皇太神宮別宮には、月讀宮(つきよみのみや)、伊佐奈岐宮(いざなぎのみや)、伊佐奈弥宮(いざなみのみや)がご鎮座されているが素戔嗚尊は、125社ある伊勢神宮にはご鎮座されていない。
これは、諸説あり国津神で天津神ではないからや、神話が書かれた遥か以前に伊勢神宮は成立(御鎮座)しており、素戔嗚尊は伊勢神宮御鎮座以降に生まれた神だからとか言われているが、もちろん神話の世界に100%の答えを求めるのは不可であり、その必要もないであろう。
しかしながら、素戔嗚尊は出雲の地に祀られ大きな神であるのに間違いはない。 さすれば伊勢神宮の近くで素戔嗚尊を参拝できる場所はというと ここ 宇治神社である。
宇治神社は、宇治橋を渡り伊勢神宮神域に入るが、その後方にあるため、そこに神社があるとは気づきにくい場所に位置している。
伊勢神宮内宮をしっかり参拝すると、現在社前で大変混雑する状況のため、案内すると2時間は最低必要で、裏手のここまで来ると3時間は最低必要、おかげ横丁で2時間遊んで食事して1時間、猿田彦神社で道開き・・・云々考えていくと・・・・伊勢神宮内宮周辺で8時間はかかる。。。 と思っていただいた方が良いかもしれないのが注意点だ。 宇治神社の御神徳には、足に効くと伝えられる「宇麻志阿斯詞備比古遅神(うましあしかびこじのかみ)」が祀られていることがよく知られている。
この神様の御神徳が生き生きとした生命力を授ける神であるため病気平癒の祈願したあと治癒後に、お礼の「わらじ」を奉納する慣わしがある。
「人生の足取りがよくなる」とのことからスポーツ選手が「足が速くなるように、良い記録が出せるように」とお参りするようになっており 足神さん と言ったほうが知名度的には高い。(^^!
さて、毎年8月21日、夏の日差し照り輝く中、行われるのが 「伊勢神宮 内宮」 後鎮座地 「伊勢市宇治地区」の産土神「宇治神社の会式」である。
会式 = 大祭 で、この祭りは、正午前から宇治神社にて祭典が行われ、ソリ(舟形)御輿を曳き、おはらい町おかげ横丁前の通りを歩き、浦田橋手前から五十鈴川に入り、子供木遣り歌を交え、川で練りを行いながら遡っていく。 宇治地区の子供達が中心となる祭りである。
この行事は、伊勢(宇治地区)神事の大切さ面白さ、人の繋がり、大人の姿勢を後世の人々に伝える 文化継承 という 意味 がある祭りでもある。
残念ながら、この夏(8月)は雨量少なく五十鈴川の一部が干上がり、川に入ることができなかったが厚さ厳しい中、伊勢神宮前おはらい町を子供たちが木遣り歌を響かせながら、祭りを飾っていました。
お昼の子供川曳きが終わると、歌あり踊りありの夜祭が行われ、夏休みももう少しで終了、伊勢、宇治の町も秋が始まる感に包まれていくのである。
伊勢においないな☆彡
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雨あがる。 今日は、皇大神宮別宮 伊雑宮の御田植祭です。 伊勢においないな☆ミ |
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7月7日、伊勢の七夕に行われる祭りというと『世義寺(せぎてら)の護摩さん』である。
毎年七夕の日に行われる、伊勢の衆が「世義寺の護摩さん」と呼ぶ祈りをささげる加持祈祷が「紫灯大護摩(さいとうおおごま)」で、千葉の成田山、静岡の秋葉山と並ぶ日本三大護摩の一つに数えられる。
世義寺は、古儀 真言宗醍醐派の古刹で、寺名の元は「 教王山神宮寺寶金剛院 」と号していたが、明治5年以後 「 世義寺 」と称するようになった大峰山修験道の寺院である。
建立された時代は天平年間(729〜749)で、聖武天皇の勅願を奉じて僧 行基 が建立したと伝えられる。
古く寺院の建立地は、継橋郷前山(現:伊勢市前山町) に最初に建立されたが、中世、坂の世古(現:伊勢市八日市場町 伊勢神宮外宮工作場付近)に移建され、 寛文10年(1670年 江戸時代)に、「山田奉行 桑山丹後守」が「 本寺が神宮の宮域に接しているのはいかがなものか? 」と寺所を改めさせ、現在の滝浪山(伊勢市岡本町)に移らせて現在にいたる。
世義寺は、伊勢の玄関口である「近鉄宇治山田駅」から歩いて10分程の距離にある。
開創以来、千二百年続けられている 紫灯大護摩。
火渡り等の激しい祈祷で知られており、清められた護摩火で護摩木(200円)の先端を焼き、焦げた部分を畑にさすと豊作になるとか、玄関に飾ると家の清めになると言われ伊勢近辺の衆は、縁起物として御利益を持ち帰る。
昼から快晴の伊勢地方、土曜日ということもあり早い時間から人が集まっている。
しかし、この周辺もすっかり様変わりし、夜は暗くうっそうと木々が栄えていた風景であったが宅地開発で、すっかり明るい風景となった。
しかも、近鉄宇治山田駅駅前ローターリーや宇治山田駅前の老舗料亭大喜までも改築中である。
その場所を離れて、久しぶりに歩くと風景がすっかり変わっていることがあるが、これからこの周辺も変わっていくのであろうか。
浦島太郎のお伽話に登場するようにならないように、しっかりこの町を記憶していきたく思う最近である。
今の景色に合いに 伊勢においないな☆ミ |
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「 南町奉行 大岡越前守 御出座 」
時代劇ではこんなの感じの登場だったであろうか? さて、そろそろ夏祭りシーズン突入である。
伊勢では、夏祭りの一番初めに行われる由緒ある祭りが「 桜木地蔵尊祭 」である。
さて冒頭で、なぜ江戸南町奉行 大岡越前守忠相(大岡忠相) が登場する声を上げたか??というと、大岡忠相37歳の頃、正徳2年(1712年)に山田奉行(伊勢奉行)に就任し、4年間伊勢の地に赴任している間、大岡忠相が信仰し、参っていたと伝えられる地蔵尊が伊勢市桜木町にあるからだ。 桜木地蔵尊の別名は 「 出世地蔵 」、大岡忠相は、江戸時代中期の旗本、大岡家に養子に入り、最終的に奉行から大名となり、江戸時代を通じて唯一の 大出世 を遂げた人物である。 その大岡忠相が参り、出世に導いた徳の高い地蔵尊が「 桜木地蔵 」と言うわけである。(^^ 桜木地蔵の名の由来は、大きな桜の木の下に祀られていたからとされており、正徳年間(1704〜1715)には、了運尼・禅宜などの有徳が庵をかまえ、ご本尊を大切にお祀りしていたと伝えられている。 桜木地蔵尊から少し離れた場所には 「三界萬霊塔(さんかいばんれいとう)」等の石碑があることから、間違いなくここに寺院があったのであろう。(^^ 「桜木地蔵尊」で毎年、6/23「前夜祭」、6/24「本祭」が行われている。 華美な祭りではないが、町内役員たちが集まり受け継いでいる行事である。祭りの最後には盆踊り。 たくさんの参拝者が内宮さんへと向かった街道の町桜木町である。 御先祖様から受け継いだ芸達者な宴が繰り広げられたのであろう。 旦那のため妻のため子のため親のため友人のため人々のため世のために 神仏に願いを伝えに 伊勢においないな ☆
お守りもありますから願いを形に伝えられますよ。ただし平日や時間帯により管理されている方が常駐しているのかは、不確かなところである。 m(__)m
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