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図鑑no.1 トヨタ自動車 パブリカスポーツ)1965〜69年

トヨタスポーツ800は、1962年ごろに関東自動車工業で開発が開始され、ベースは当時の小型大衆車(現在でいうカローラの位置)であったパブリカとし、エンジン・シャーシともに流用することを前提に開発されていった。

パブリカベースであるため、開発時は「パブリカスポーツ」の名で開発されて行き、非力だったエンジンをカバーするため、当時としては高難易度であった「モノコックボデー」を採用し、航空機並みに軽量で空気抵抗の少ないボデーとなり、車重も580㎏となり、非力なエンジンでも速度が出るようになっている。航空力学を参考にしたのか、デザインも零戦を平べったくしたような形をしている。

今日空気抵抗を調べる方法は、クレイモデル扇風機のような機械の前に置き空気の流れを調査しているが、当時はなんと「回流水槽」を利用し調べられた。その結果試作車のボデーが完成した。デザインは佐藤氏がデザインしたとされているが実際は長谷川氏と関東自動車スタッフが手がけたものだという。(佐藤氏の主導で試作車デザインをまとめたという証言もあり)長谷川氏は航空技術しゃであったらしく、先述したように零戦を思わせるようなデザインもそこから生まれたようだ。試作車両は「開閉式ドア」ではなく零戦のように窓ごと外れる仕組みのものを採用したが、安全を確保できないという理由で量産車は開閉式ドアになっている。

ほとんどのコンポーネンツはパブリカそのものであるが、シフトレバーはフロアシフト化が図られ、エンジンもパブリカのエンジンを排気量拡大やツインキャブ化し、パワーアップし、155km/hの最高速度を出せるまでになった。

そうして市販のものが完成し、1965年に販売開始された。当時の価格は60万弱であった(当時のサラリーマンの平均が44万とすこしであったからそれなりに高価であった)それにくわえ当時の工場で大量生産できるわけもなく輸出もなかったために、販売が終了する1969年までに販売された台数は3131台にとどまっている。

参考:wikipedia

最終更新日:2016年5月26日午後11時ごろ









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