第17回「家康の花嫁」 5/8放送分あらすじ 天正13年(1585)7月、秀吉(岸谷五朗)は関白宣下を受け、天下人への道を着々と歩んでいた。10月には宮中で前例のない茶会を開き、後見役の千宗易(石坂浩二)は「利休」と名を改めた。江(上野樹里)は、関白となった秀吉の執心に茶々(宮沢りえ)が屈しないかと気がかりであった。 しかし、そんな秀吉にも、思いどおりにならないものがあった。家康(北大路欣也)である。家康は小牧・長久手の戦以来、秀吉と距離を置き、秀吉から上洛を促されても挨拶に現れないのだ。 そんな折、信長の四男で、秀吉の養子となっていた秀勝が18歳の若さで病死。秀吉は三姉妹のもとに、姉・ともの次男(AKIRA)を連れて現れ、小吉改め秀勝と名づけたと報告。さらに、江に家康を呼びつける策を相談するが、江は一方的に思いを通そうとする秀吉に卑怯千万と言い放つ。関白をも恐れず思うままを口にする江に、秀勝は思わず噴き出してしまう。 その後、江の言葉から妙案を思いついた秀吉は、妹の旭(広岡由里子)を家康に嫁がせる。家康は、旭を妻に迎えたものの、またも上洛を拒否。ついに秀吉は、大政所(奈良岡朋子)をも送り込むことに。 これにはさすがの家康も折れ、事態は収束。そののち、秀吉は茶々を茶室へと招く。母や妹に強いた犠牲に報いるため、ずっと茶断ちをしていたと告白。そんな秀吉の予期せぬ純真さに触れ、茶々の心が揺らぐのを江は見逃さなかった。 江の2番目の夫となる秀勝登場!でも秀勝って1人じゃないの?第17回「家康の花嫁」から、のちに江の2番目の夫となる羽柴秀勝がついに登場! しかし、ここでちょっと問題が?! お気づきの方も多いと思いますが、またまた秀勝が登場。ややこしい限りです。 そこで今回は、いったいどうして?っという方のために、羽柴秀勝について少しご紹介します。 「秀勝」という名は、実は秀吉にとってとても思い入れのある名前です。秀吉の周囲に、秀勝と名乗る人物は3人いました。 まず1人目の秀勝は、秀吉の実子と考えられる人物です。秀吉には、茶々(淀殿)が産んだ鶴松と秀頼のほかには実子がいなかったと考えられていますが、秀吉が長浜城主だったころ、南殿という名の側室との間に石松丸という幼名の実子がいたようです。生まれたのは天正元年(1573)か2年ごろ。秀吉はこの石松丸に秀勝という名乗りを与えていたらしく、これが1人目の秀勝となります。しかし残念ながら、この石松丸秀勝は天正4年(1576)ごろに早世。待望の跡取り息子の早すぎる死に、秀吉が落胆したことは想像に難くありません。 そのためか、秀吉はのちに、主君・信長に願い出て、信長の四男・於次丸(おつぎまる)を養子にもらい受けます。これが2番目の秀勝です。第9回「義父の涙」で、明智光秀を討った秀吉が、京の大徳寺で信長の盛大な葬儀を挙行したというシーンがありましたが、この喪主を務めたのが於次丸秀勝。“信長の実の子”で“秀吉の養子”とくれば、その後継者として、その将来は前途洋々だったはずです。 しかし、天正13年(1585)に若くして病死。そこで登場するのが、AKIRAさん演じる3番目の秀勝です。 於次丸秀勝を失った秀吉は、秀吉の姉・ともの次男・小吉を養子に迎え、秀勝の名と遺領・丹波亀山28万石を与えました。身内を大切にする秀吉らしい人事です。しかし、そんな秀吉の思いとは裏腹に、苦労知らずの小吉秀勝はどこ吹く風。のちに戦功に対する恩賞が少ないと秀吉にかみつき、所領を没収されるなど、波乱万丈の人生を歩むことになります。 ちなみに小吉秀勝は、永禄12年(1569)の生まれと考えられており、江より4歳年上。茶々、そして、江の最初の夫・佐治一成と同じ年です。そして気になる江との結婚は、もう少し先の話。江と秀勝の恋から、今後も目が離せません。 ![]() にほんブログ村 地域生活(街) 東北ブログ 栗原情報へ(文字をクリック) ![]() にほんブログ村 テレビブログ 大河ドラマ・時代劇へ(文字をクリック) ↑ブログランキングに参加中です!この文字をクリックして頂けたら幸いですm(__)m |

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毎週見ています。女性の側から見た歴史、これもまたいいですね。
ありがとうございます。村ぽち応援!!
2011/5/9(月) 午後 9:33 [ yukkon ]