五区東親会【風流 風水四神獣】四神獣とは、四方を守り、土地に幸福をもたらす神々です。この四神が揃う土地は風水で理想的な地形配置とされ、四神相応といいます。東の清龍、南の朱雀、西の白虎、北の玄武をいい、それぞれ川、平地、道、山などに対応します。 岩ヶ崎の街も風水に適っています。軽部川が東に向けて流れ、南に下河原の平地が開け、西に国道457号線が走り、北には裏山があります。 青龍 東の守護神、川を象徴し、龍が天に昇ることから、運気を呼び込み金運を高め巨万の富をもたらすとされます。 朱雀 南の守護神、開けた土地を象徴し、快適さと家運隆盛を導きます。五色の美しい羽根を持つ美しい鳥。大きな翼で悪を祓い、天下泰平のときだけ現れるといいます。 白虎 西の守護神、道を象徴し、人が往来して人を招くという意味で商売繁盛を助けてくれるといわれています。虎が500才になると白虎になるといいます。 玄武 北の守護神、亀に絡みつく蛇を一体化したもので、宇宙を象徴しています。山が北風を遮り、病魔や災難を防ぎ、健康と長寿をもたらすといわれています。 おめでたい四神獣を山車に頂き、街を巡り、皆様に、運気上昇、家内安全、商売繁盛、身体堅固のご利益がございますよう、お祈り申し上げます。http://www.dydo-matsuri.com/images/riyou/bannerA_cr.gif http://www.dydo-matsuri.com/list/kurikoma/ ↑ダイドードリンコ日本の祭り くりこま山車まつり紹介ページ |
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四区親和会【風流 三貴神 ミハシラノウズノミコ】三貴神とは、天照大御神さま、月読命さま、須佐之男命さまの三柱の神様のことです。 その登場のお話は、国生み神話で有名なイザナギノミコトが、火の神を生んで亡くなった妻イザナミを迎えに黄泉の国まで降りていったことから始まります。 ようやくイザナミに会えたのですが、妻の変わり果てた姿を見てしまったイザナギは、驚いて逃げ出してしまいます。怒ったイザナミは、様々な戦いを仕掛けてきます。 イザナギは、最後は桃を投げつけ、イザナミとの戦いに勝ったものの、心身は黄泉の汚れまみれになっていました。そこで、日向国の阿波岐原(アワギハラ)に行き、清流に身を浸して禊祓(ミソギハラエ)をしました。これにより、汚れはすべて流れ去り、直毘神<=禍を直す神>など多くの神が生まれた。また清流からも水底・水中・水上の順で海を守護する綿津見神と筒之男命が、それぞれ3神づつ生まれました。 こうして完全に清浄の身となったイザナギが最後に顔を洗った時、左目から天照大御神、右目から月読命、そして鼻から建速須佐之男命が生まれました。 イザナギは大変喜んで、彼らに後世を託す「三貴神」としました。 そして、天照大神は天上界である高天原、月読命は夜を食す国、そして須佐之男命は海原を治めるように命じたのです。http://www.dydo-matsuri.com/images/riyou/bannerA_cr.gif http://www.dydo-matsuri.com/list/kurikoma/ ↑ダイドードリンコ日本の祭り くりこま山車まつり紹介ページ |
三区躍進会【風流 土蜘蛛】病気で臥せる源頼光(みなもとのらいこう)のもとへ、召使いの胡蝶(こちょう)が、処方してもらった薬を携えて参上します。ところが頼光の病は益々重くなっている様子です。 胡蝶が退出し、夜も更けた頃、頼光の病室に見知らぬ法師が現れ、病状はどうか、と尋ねます。不審に思った頼光が法師の名を聞くと、「わが背子(せこ)が来(く)べき宵なりささがにの」と『古今集』の歌を口ずさみつつ近付いてくるのです。よく見るとその姿は蜘蛛の化け物でした。あっという間もなく千筋(ちすじ)の糸を繰り出し、頼光をがんじがらめにしようとするのを、頼光は、枕元にあった源家相伝の名刀、膝丸(ひざまる)を抜き払い、斬りつけました。すると、法師はたちまち姿を消してしまいました。 騒ぎを聞きつけた頼光の侍臣独武者(ひとりむしゃ)は、大勢の部下を従えて駆けつけます。頼光は事の次第を語り、名刀膝丸を「蜘蛛切(くもきり)」に改めると告げ、斬りつけたはしたものの、一命をとるにいたらなかった蜘蛛の化け物を成敗するよう、独武者に命じます。 独武者が土蜘蛛の血をたどっていくと、化け物の巣とおぼしき古塚が現れました。これを突き崩すと、その中から土蜘蛛の精が現れます。土蜘蛛は千筋の糸を投げかけて独武者たちをてこずらせますが、大勢で取り囲み、ついに土蜘蛛を退治します。http://www.dydo-matsuri.com/images/riyou/bannerA_cr.gif http://www.dydo-matsuri.com/list/kurikoma/ ↑ダイドードリンコ日本の祭り くりこま山車まつり紹介ページ |
二区飛翔会【風流 義経八艘飛】市長賞源平最期の決戦地壇ノ浦で、平家は得意の海戦で必勝を期そうと、平知盛を総大将に待ち構えていた。源氏は源義経が総大将、初めは潮流に乗り優勢に進んでいる中、弓矢で水夫舵取りを射るという義経の奇策で形勢が変化、潮流も変わり平家の敗色は濃厚なものとなった。最後を悟った知盛は猛将能登守教経に憎き大将義経を討つよう頼む。教経は懸命に義経を探し、ついに見つけ一騎打ちを望むが、さすがの義経も力では勝てないと、ひらりと体をかわすと隣の船に乗り移り次から次へと八艘も飛び越えた。これが世にいう義経の八艘飛びである。散っていく一門を見て、もはやこれまでと二位尼(平時子)は幼い安徳天皇を抱き寄せ、三種の神器である宝剣を腰にさし、神璽を抱えた。安徳天皇が「どこへ行くのか」と仰ぎ見れば、二位尼は「弥陀の浄土へ参りましょう。波の下にも都がございます」と答えて、安徳天皇とともに海に身を投じた。源平最期の合戦は、平家滅亡という形で終わる。http://www.dydo-matsuri.com/images/riyou/bannerA_cr.gif http://www.dydo-matsuri.com/list/kurikoma/ ↑ダイドードリンコ日本の祭り くりこま山車まつり紹介ページ |
一区協和会【風流 八重の桜 会津戦争の場】弘化8(1845)年 会津藩、砲術師範、山本権八を父、その妻佐久を母として生まれる。幼き頃からおてんばで、薙刀を得意としたが、父や兄の影響により砲術の道を志すも「おなごはならぬ」と厳しく悟られた。が決してあきらめず、やがて山本家の鉄砲場に立つことを許される。 明治元(1868)年 新政府と旧幕府勢力との間に起きた「戊辰戦争」で「ならぬことはならぬ」と会津若松城での籠城戦に臨み、最新銃、スペンサー銃を手に奮戦、のちに「幕末のジャンヌ・ダルク」と呼ばれた。 その後も日清、日露戦争で看護婦をしたり、いつも誰かのために、と芯の強さをもちつつも柔軟に、常に前向きに生き続け、昭和7(1932)年6月14日88才にて永眠。http://www.dydo-matsuri.com/images/riyou/bannerA_cr.gif http://www.dydo-matsuri.com/list/kurikoma/ ↑ダイドードリンコ日本の祭り くりこま山車まつり紹介ページ |




