上野山車祭実行委員会【風流 前九年の役 屯岡出陣の場】天喜4年(1056年)に始まった陸奥守兼鎮守府将軍源頼義と頼義の子義家対奥六郡の俘囚長安倍貞任との戦いでは、常に安倍軍の勢いが強く、頼義軍は敗戦の連続であった。 中でも黄海の戦いでは頼義軍は数百人の死者出し、僅か6人の家来に守られやっと逃げ延びるという惨状であった。 このため、頼義軍は出羽の俘囚長清原武則に援軍を求め、1万5千の軍勢を率いる清原軍を尾松八幡の屯岡に迎えた。 軍議の結果、七陣に編成、士気大いに上がり、衣川柵から厨川柵と攻めて、安倍貞任を打ち取るまで僅か2ヶ月、安倍氏は遂に滅亡した。 この前九年の役後、清原氏が鎮守府将軍に任命され、やがて後三年の役後、藤原清衡が清原氏に代って平泉藤原時代を築く事になる。 栗原市栗駒八幡の屯岡八幡宮に伝わる歴史です。 神社の北斜面には防護柵を築いた跡が今に残ります。http://www.dydo-matsuri.com/images/riyou/bannerA_cr.gif http://www.dydo-matsuri.com/list/kurikoma/ ↑ダイドードリンコ日本の祭り くりこま山車まつり紹介ページ |
各地区山車
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田町町内会【風流 政宗の夢 常長出帆】今から400年前の1613年(慶長18年)、仙台藩主・伊達政宗が仙台領内でのキリスト教布教容認と引き換えに現代のメキシコとの直接貿易を求めて、スペイン国王及びローマ教王のもとに使節を派遣した。 家臣・支倉常長は、宣教師ルイス・ソテロとともに、総勢180余人を乗せて、仙台藩内で建造された洋式帆船「サン・ファン・バウティスタ」で月浦(石巻)から遥かローマを目指し出帆しました。一行は90日間の航海の後、メキシコ・アカプルコに入港、その後スペイン艦隊に乗り、大西洋を渡りスペインの首都マドリードに到着し国王と謁見、さらにイタリア・ローマに入り教皇・パウロ5世に拝謁しました。 常長はローマ市民権を与えられ貴族に列せられましたが、法王から通商許可は得られず、やむなく帰路についた7年後の1620年、日本はキリスト教禁止の時代となっており、政宗は常長の身を案じ幕府への建前上、死んだ事にしたが実際は宮城県大郷村に隠れ住み、84歳まで天寿を全うしたとされています。 直接貿易の願いは叶いませんでしたが、常長は『初めて太平洋・大西洋横断に成功した日本人』・使節団は『初めてヨーロッパへ赴いて外交交渉した日本人』として、画期的な出来事でありました。http://www.dydo-matsuri.com/images/riyou/bannerA_cr.gif http://www.dydo-matsuri.com/list/kurikoma/ ↑ダイドードリンコ日本の祭り くりこま山車まつり紹介ページ |
七区鶴親会【風流 鳥居強右衛門の忠烈】1575年(天正3年)武田勝頼は大兵を率いて長篠城に迫る。食糧、弾薬もとぼしくなり、風前の灯と化した城主奥平定昌は、この危急を家康に訴えようとしたが、厳重な包囲で脱出は容易ではない。決死の役を買って出たのが鳥居強右衛門である。彼はひそかに豊川の水底にもぐり対岸に這い上がり、岡崎の家康のもとに出向き援軍を要請し、吉報をいち早くと城に戻る途中、穴山梅雪に見つかり、城内に向かって「援軍は来ないから降伏せよ。」と強制されたが、「あと3日のうちに織田・徳川方の援軍が到着する。今しばらくの辛抱でござる。」と叫んだ。 激怒した勝頼は彼を磔刑に処したが、精強を誇る甲州騎馬隊は織田・徳川の連合軍により長篠城外で潰滅的な打撃を受けて敗れ去った。 長篠の戦いより七区鶴親会から配られた原稿に誤字、脱字がありましたので間違いがさらにありましたらご容赦下さい。 http://www.dydo-matsuri.com/images/riyou/bannerA_cr.gif http://www.dydo-matsuri.com/list/kurikoma/ ↑ダイドードリンコ日本の祭り くりこま山車まつり紹介ページ |
六区鶴城会【風流 八重の桜 幕末のジャンヌ・ダルク】山本八重は、慶応4年戊辰戦争で西軍が会津若松城下に攻め入った時、銃を持って砲撃の指揮をとり奮戦したという、忠君愛国の人でした。 後、明治9年博愛主義による教育を目指し同志社を創設した新島襄と結婚し、近代的な女性として活躍。 昭和7年86歳で生涯を閉じました。http://www.dydo-matsuri.com/images/riyou/bannerA_cr.gif http://www.dydo-matsuri.com/list/kurikoma/ ↑ダイドードリンコ日本の祭り くりこま山車まつり紹介ページ |
五区東親会【風流 風水四神獣】四神獣とは、四方を守り、土地に幸福をもたらす神々です。この四神が揃う土地は風水で理想的な地形配置とされ、四神相応といいます。東の清龍、南の朱雀、西の白虎、北の玄武をいい、それぞれ川、平地、道、山などに対応します。 岩ヶ崎の街も風水に適っています。軽部川が東に向けて流れ、南に下河原の平地が開け、西に国道457号線が走り、北には裏山があります。 青龍 東の守護神、川を象徴し、龍が天に昇ることから、運気を呼び込み金運を高め巨万の富をもたらすとされます。 朱雀 南の守護神、開けた土地を象徴し、快適さと家運隆盛を導きます。五色の美しい羽根を持つ美しい鳥。大きな翼で悪を祓い、天下泰平のときだけ現れるといいます。 白虎 西の守護神、道を象徴し、人が往来して人を招くという意味で商売繁盛を助けてくれるといわれています。虎が500才になると白虎になるといいます。 玄武 北の守護神、亀に絡みつく蛇を一体化したもので、宇宙を象徴しています。山が北風を遮り、病魔や災難を防ぎ、健康と長寿をもたらすといわれています。 おめでたい四神獣を山車に頂き、街を巡り、皆様に、運気上昇、家内安全、商売繁盛、身体堅固のご利益がございますよう、お祈り申し上げます。http://www.dydo-matsuri.com/images/riyou/bannerA_cr.gif http://www.dydo-matsuri.com/list/kurikoma/ ↑ダイドードリンコ日本の祭り くりこま山車まつり紹介ページ |






