宮城県栗原市 くりこま山車まつり 製作日記

ダイドードリンコ日本の祭り2013で紹介された300余年もの歴史と伝統を誇る栗原市最大のお祭りです。

各地区山車

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上野山車祭実行委員会【風流 森館軍記】

第八十六代、後堀川院の御代前後、陸前国栗原郡三迫初ヶ崎(里谷)森館の城主に平の朝臣、平弥衛師門という若く美顔な武将が世にも稀な美人の妻、千寿の前と暮らしていた。
隣国の奥州二迫の大守に安藤五郎菅原の窺家という大将が森館稲瀬城に住んでいたが、千寿の前のことを伝え聞いて横恋慕し、師門に鹿狩り奉行と偽って自鏡山に呼び出して不意打ちをし、千寿の前を奪い取ってしまった。
千寿の前は大守の城で厳しく監視されていたが、ある夜、大守以下郎党達が精進明けで大宴会を開き、酔いつぶれて寝入った隙に城から逃げ出すことができた。
逃避は宵闇の中、田圃のぬかるみの中を稲束を敷きながら逃げたので、この地を稲敷、その後、稲屋敷と呼ぶようになった。(中略)
後年、師門と千寿の前は辛苦の末、再会を果たし、都の帝の加護を得て大守を成敗し、初ヶ崎(岩ヶ崎)で幸せに末長く暮らした。
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以上、栗原市栗駒からでしたっ!
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田町町内会【風流 世界遺産 平泉】

日本史の舞台『平泉』
今から900余年昔の平安時代末期、東北の政治・文化の中心として栄えた平泉。奥州藤原氏によって築かれた仏教都市の面影を今も感じる事ができます。
『世界遺産・平泉』
中尊寺・毛通寺・旧観自在王院庭園・無量光院跡・金鶏山
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七区鶴親会【風流 一休さん】

室町期の禅僧。幼名千菊丸。父は南朝方から神器を受け取り南北朝統一の象徴となった北朝の後小松天皇。母は藤原一族、日野中納言の娘・伊予の局。
故あって5歳の一休を臨済宗安国時に入れ出家させた。「周建」の名を与えられた一休は成長と共に才気に育み、8歳の時に有名な数々の頓知話しを残したとされている。一休さんの頓知話しの中に「屏風の虎」という話がある。「最近お城にある屏風の虎が、夜な夜な屏風から抜け出し、暴れ回って困っておる。何とかしてこの虎を退治してはくれまいか。」と言う将軍に「分かりました。おまかせください。」と言って、御家来衆に「頑丈な縄を用意してください。」と頼み、一休さんはねじりはちまきにたすきをかけ、縄をしっかりと持つと、「さあ、お殿様虎を屏風から追い出してください。見事、捕まえて縛り上げて御覧に入れます。」と言って、いつ虎が出てきてもいいように構えてみせた。するとお殿様は自分で言ったことも忘れて、あわてて一休さんにこう言った。「何を言うのだ、屏風の中の絵に描いた虎を、追い出せるわけがないだろう。」すると一休さんはにっこり笑って「虎が屏風から出てこなければ、いくらわたしでも捕まえることも、縛り上げることもできません。」と答えたという。これを聞いたお殿様は、さすがは一休さんだ、また一本取られたと苦笑いしました。
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六区鶴城会【風流 平清盛「俺は武門の王になる」】

平清盛は平治の乱(1159年)で勝ち、武士で初めて太政大臣となる。
「平氏にあらずんば人にあらず」と栄華を極めるが知盛が壇ノ浦の戦いに敗れ平氏は滅亡した。
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五区東親会【風流 大江戸三美人】

「大江戸」という言葉が誕生した明和期、「明和の三美人」と呼ばれるアイドルが
おりました。
谷中、笠森稲荷門前の水茶屋 鍵屋の「笠森お仙」
浅草、奥山の楊子店(化粧品店)柳屋の「柳屋お藤」
浅草、二十軒茶屋の水茶屋 蔦屋の 「蔦屋お芳」
彼女たちが看板娘として有名になったのは、浮世絵師・鈴木春信が町娘たちの美人画を描き、カラー印刷され、江戸の街中に流れていたからです。
三大美人の中でも、薄化粧で自然派お仙と、化粧上手な都会派のお藤が大評判となります。江戸っ子らはナンバーワンを決めようとしますが決着が付きません。そこに王子稲荷大明神が現れて「美しさに優劣は付けがたいが、にぎやかな浅草にいるお藤にくらべ、人気もまばらな谷中村で人気になったお仙のほうが優勢」と誰もが納得する裁きを下したと語られています。
美人のお仙が淹れてくれるお茶を飲みたさに店先には行列ができ、十文のお茶代に御祝儀を加え、百文置くのが客の常識でした。人気はうなぎ登りで、お仙の絵草紙・双六・手拭いなどが売り出されました。さらに手まり歌・川柳・歌舞伎の題材にもなり、人形まで作られるという、大スターとなりました。
二十歳の人気絶頂期に引退し、笠森稲荷の地主で、幕府御庭番旗本の倉地政之助のもとに嫁ぎ、九人の子宝に恵まれ、七十七年の生涯を全うしました。
「柳屋お藤」、「蔦屋お芳」の行く末は定かではありませんが、店を繁盛させ、町興しを成し遂げた、江戸町娘たちの女子力は、次世代の「難波屋おきた」、「富本豊雛」、「高島屋おひさ」らの「寛政の三美人」という、第二期アイドル黄金世代へと受け継がれていったのです。
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