宮城県栗原市 くりこま山車まつり 製作日記

ダイドードリンコ日本の祭り2013で紹介された300余年もの歴史と伝統を誇る栗原市最大のお祭りです。

各地区山車

[ リスト | 詳細 ]

記事検索
検索
イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

四区親和会【風流 卑弥呼〜龍神降臨】

今から1,700年も前の3世紀の中国の歴史書「三国志」に、海外でははじめて日本のことを記した「魏志倭人伝」に卑弥呼なる女王の記述がありました。卑弥呼は、小国同士が争っていた国々が、共通に崇拝していた邪馬台国の女王で、大乱を鎮めました。卑弥呼は龍神をも舞い降ろせる鬼道と呼ばれる神秘的な力で人々を引き付け、神のお告げを伝える形で政治を行いました。また魏国との交易も盛んで、金印紫綬や銅鏡などの贈答品も残っています。卑弥呼がなくなったとき、大古墳に葬られ、多くの殉死があったと伝えられています。政治や経済が混迷する現代社会ですが、卑弥呼のような政治力のある人物の登場が待たれるところであります。
https://localeast.blogmura.com/kurihara/img/kurihara88_31_pink_2.gif
にほんブログ村 地域生活(街) 東北ブログ 栗原情報へ(文字をクリック)
↑栗原情報ブログランキングに参加中です!この文字をクリックして頂けたら幸いですm(__)m
以上、栗原市栗駒からでしたっ!
イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

三区躍進会【風流 義経北行伝説 龍飛崎の場】

歴史にはいくつかのロマンがあり、また、英雄には民衆の期待が寄せられる。英雄不死の考えは、日本には古くから信仰のように息づいている。源為朝、牛若丸のちの源義経、豊臣秀頼、西郷隆盛などが、その例である。中でも源義経は判官贔屓(はんがんびいき)という言葉が生まれたほどの悲劇の英雄で、多くの伝説が今に残っている。
その義経は、平泉・高館で自害せず、密かに脱出したと言われている。
脱出後、八戸に上陸・滞在し、龍飛崎から北海道へ渡り、樺太、モンゴルへと移り、義経は成吉思汗(チンギス・ハーン)になったと言われている。
龍飛崎近くの『三厩』の地名は義経伝説に由来する。
津軽半島の突端までやって来た義経主従は、ここから渡海しようとしたが海は荒れ狂い、とてもできそうもない。そこで海を静めるために3日3晩祈願。満願の日、夢に白髭の老人が現れ、『付近の岩穴に3頭の龍馬がつないである。これに乗って渡海せよ』と告げた。義経たちは、その龍のごとき馬に乗って北海道へ飛び渡った。3頭の馬が3つの岩の馬屋(厩)にいたことから、この地を三厩と呼ぶようになった。そして津軽半島の突端から義経一行が北海道目指して飛んでいったので、『龍飛崎』という名がつけられた。
https://localeast.blogmura.com/kurihara/img/kurihara88_31_pink_2.gif
にほんブログ村 地域生活(街) 東北ブログ 栗原情報へ(文字をクリック)
↑栗原情報ブログランキングに参加中です!この文字をクリックして頂けたら幸いですm(__)m
以上、栗原市栗駒からでしたっ!
イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

二区飛翔会【風流 五条大橋】

平安時代末期の話である。京都五条大橋では夜になると大きな長刀を抱えた恐ろしい大入道が現れるという噂が流れて、人々はとても怖がり、日が暮れると五条大橋に近づくものはいなかった。その大入道こそ、太刀千本を奪い取る誓いを立てた武蔵坊弁慶であった。この夜、最後の1本を奪い取るため待ち構えていたところに、通りかかったのはある一人の少年であった。その少年は小柄で女のような顔つきをし、腰には立派な太刀を差していた。後の源義経の少年時代、牛若丸であった。弁慶と牛若丸は橋の上で一騎打ちとなるが、ひらりひらりと欄干を飛びわたる牛若丸に翻弄され、弁慶は負けてしまい、牛若丸の家来となった。その後、金売吉次と出会い、奥州平泉へと下ることになる。
https://localeast.blogmura.com/kurihara/img/kurihara88_31_pink_2.gif
にほんブログ村 地域生活(街) 東北ブログ 栗原情報へ(文字をクリック)
↑栗原情報ブログランキングに参加中です!この文字をクリックして頂けたら幸いですm(__)m
以上、栗原市栗駒からでしたっ!
イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

一区協和会【風流 平清盛】

今から約1千年前の平安時代。
二大武士勢力だったのが源氏と平氏である。
保元の乱の後、信西は盟友清盛の武力を後立てに思いのまま政治を行っていた。
その信西に反旗をひるがえしたのが義朝と藤原信頼であった。
信西亡き後、清盛と義朝は最初で最後となる戦いをする。
平氏が大勝で終わったこの戦いが「平治の乱」である。
10年後出家し福原に移住、厳島神社を建立する。
https://localeast.blogmura.com/kurihara/img/kurihara88_31_pink_2.gif
にほんブログ村 地域生活(街) 東北ブログ 栗原情報へ(文字をクリック)
↑栗原情報ブログランキングに参加中です!この文字をクリックして頂けたら幸いですm(__)m
以上、栗原市栗駒からでしたっ!
イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

上野山車祭実行委員会【風流 「郷土の力士 磯乃浦物語」】

浅野久治郎は明治20年10月8日栗駒町栗原浦ノ沢浅野家10代久太郎、ふみのの次男として生まれる。
明治40年志を立て20歳にして尾車部屋に入門、磯ノ浦の四股名で幕下mで昇進、帰郷後も国技相撲道を以って青少年の育成と地域近隣の交わりを大切にし、剛胆な一面温情厚く、困窮する人々を助け数多くの難関難問の仲介の労を惜しまなかった。
昭和22年以来鳥矢崎村々会議員に当選、昭和30年3月まで土木常任委員長として栗駒町発展の礎を築いた。中でも岩ヶ崎高等学校設立や栗原電鉄田町駅の新設に尽力し、久治郎の功績は多くの認めるところである。
家にあっても剛直一念の努力で家運を盛り立て、その一面には風流優雅の心を以って良く庭を愛した。
こうした家運隆昌の支えとなり内助の功となった賢婦ときえの存在は大である。容姿端正にして礼儀を重んじ句誌書道の文芸に長じた才女である。
厳父久治郎と賢婦ときえの労苦を偲び、その訓育を忘れずに浅野家末代までその繁栄を願いつつ、力士磯ノ浦久治郎夫妻の功徳を五昆に伝える。
https://localeast.blogmura.com/kurihara/img/kurihara88_31_pink_2.gif
にほんブログ村 地域生活(街) 東北ブログ 栗原情報へ(文字をクリック)
↑栗原情報ブログランキングに参加中です!この文字をクリックして頂けたら幸いですm(__)m
栗原市栗駒は震災に負けずに頑張っています!がんばろう 東北!!

よしもとブログランキング

もっと見る

[PR]お得情報

お肉、魚介、お米、おせちまで
おすすめ特産品がランキングで選べる
ふるさと納税サイト『さとふる』
コンタクトレンズで遠近両用?
「2WEEKメニコンプレミオ遠近両用」
無料モニター募集中!
ふるさと納税サイト『さとふる』
実質2000円で特産品がお手元に
11/30までキャンペーン実施中!

その他のキャンペーン


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事