宮城県栗原市 くりこま山車まつり 製作日記

ダイドードリンコ日本の祭り2013で紹介された300余年もの歴史と伝統を誇る栗原市最大のお祭りです。

各地区山車

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田町町内会【風流 義経伝説2011】

日本を代表する英雄・源九郎判官義経は兄の頼朝に追い詰められ、さらに奥州藤原氏の裏切りにあって、文治5年(1189)に平泉・衣川方面で死んだ、というのが通説です。義経が生き延び、北へ北へと逃れていったことを示す伝説が岩手県・青森県・北海道の各地にある。さらに関東や東北の旧家には、義経が平泉から逃れる際に兵糧や軍資金を示す古文書が残っているそうです。
また、中国の古書『金史別伝』に、義経の子が金(満州・河北にまたがる国)の将軍になったと伝えられています。つまり義経は北海道からさらに満州そして、モンゴル入りしたのではと思われるのです。

モンゴルの古い軍旗や兜の紋章なは日本の笹竜胆紋に似たものがある。笹竜胆といえば清和源氏、すなわち義経の家系の家紋です。清和源氏の旗と言えば白旗だが、チンギス・カンこと義経が、自分は清和源氏であることと「九郎」であることを示したものと思われる。そしてチンギス・カンという称号、これもまた「源義経」を音読みにしたGen・Gi・Keiがモンゴル風にいいかえられたものではないでしょうか。

そして、孫のクビライ・カンの時代に仕えていたマルコ・ポーロが後に、「東方見聞録」で日本のことをジパングの名で紹介しています。「ジパングの人々は優雅な仏教徒であり、国王の宮殿の屋根は、すべて黄金で葺かれている。宮殿内の道路や部屋の床には金が敷き詰められていて窓さえも黄金で出来ている」と書かれてあります。当時の日本ではこのような場所は平泉の中尊寺『金色堂』しかありません。しかしマルコ・ポーロは日本に来ずに、何故それを知ったのでしょう?そう、クビライから祖父のチンギス・カンこと源義経がいた平泉のことを伝え聞いていたのではないでしょうか。

そして今年、その黄金の国ジパングの象徴「平泉」が世界文化遺産に登録されました。
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七区鶴親会【風流 鬼ヶ島】

昔々ある所に子供のいない老夫婦が住んでいました。ある日のこと、お婆さんが川で洗濯していると、大きな桃が流れて来たので、お爺さんと食べようと家に持ち帰りました。桃を割ってみると、中から男の子がでてきたので、『桃太郎』と名付けて大事に育てました。成長した桃太郎は、鬼ヶ島の鬼が人々を苦しめている事を知り、犬・猿・雉にきびだんごを与えて家来にし、鬼ヶ島で鬼と戦い、見事に勝利して、鬼が持っていた宝を持ち帰りました。
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六区鶴城会【風流 江「大阪夏の陣 永遠の別れ」】

元和元年(1615年)5月、大坂の陣が勃発。
裸城となった大坂城では籠城することができず、壮絶な野外戦となり、15万5千の徳川勢は5万5千の豊臣勢を破り大坂城は落城。
江は、姉淀との永遠の別れとなった。
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五区東親会【風流 青雲のましら】

栗駒の東に猿飛来(さっぴらい)という地区があります。そこには青雲神社があります。この村は大昔、高倉荘と言われていました。
永承5年(1050)5月、鎮守府将軍源頼義と八幡太郎義家父子は、奥六郡の豪族である安倍貞任を討とうと、二迫郷、八幡村、屯ヶ岡に陣を構え、青雲権現戦勝祈願をなされました。いざ、挙兵となりましたが、藤原経清などの離反もあり、黄海の戦いで大敗してしまいました。その後も紛争は続き、前九年の役という長い戦となってしまいました。康平5年(1062)9月、源頼義、義家父子は出羽の清原氏と手を結んだため、劣勢となった安倍貞任は厨川柵の戦いで討たれました。
勝利を納めた八幡太郎義家は、御館山の権太郎清衡に青雲神社の建立を命ぜられたと伝えられています。御館山の権太郎清衡とは江刺郡の御館山で育った、後の奥州藤原氏の祖、藤原清衡のことです。当時、7歳でした。11月29日、神社造営中、栗駒山より猿が一匹、短冊を持ち、青雲に乗って飛んで来、龍へと変わって天に昇ったので、以来、猿飛来と称するに至り、短冊には「魔成下海涼」の5字が記してあったと安永風土記に伝えられております。
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四区親和会【風流 奥州王 伊達政宗〜月下の誓い】

もしも奥州の覇者伊達政宗が自分の領地内で起きた今回の未曾有の大震災の傷跡を目の当たりにした時、どう思うでしょうか?
心を痛めつつも、きっと、心を奮わせ、再生と復興のために自らが先頭に立って、強力なリーダーシップを発揮したに違いありません。
そのような伊達政宗の熱い想いを巡らし、「鎮魂と再生」をテーマにその想いを「折り鶴」に込めました。
東日本大震災で犠牲になられた方は、行方不明者を含め2万人を超えております。私たち四日町町内会では犠牲となられた方々の鎮魂のため、区民一丸となって2万余の「折り鶴」を作成しました。
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