田町町内会【風流 義経伝説2010】源義経。平安時代の武将で、兄頼朝に追われ、1189年に岩手県奥州市で自害したという歴史上の人物ですが、実は生き延びていて、津軽海峡を渡って蝦夷地に入ったという伝説が残されています。これは義経伝説最大のミステリーとして「義経不死伝説」「義経北行伝説」「源義経北行説」「義経入夷伝説」と言われています。 室町時代初期に松前広次が「九郎判官義経が渡りました蝦夷が島」と蝦夷地のことを述べているほか、1670年頃には江戸時代の林羅山が残した本の中で、「義経衣川で死せず、逃れて蝦夷島に至り、その種存す」と記しており、義経が北海道に渡ったという伝説が広まっていった。 この山車は、津軽海峡を渡って蝦夷地に向かう義経一行の一場面である。 ![]() にほんブログ村 テレビブログ 大河ドラマ・時代劇へ(文字をクリック) ![]() にほんブログ村 地域生活(街) 東北ブログ 栗原情報へ(文字をクリック) ↑ブログランキングに参加中です!この文字をクリックして頂けたら幸いですm(__)m おかげさまで栗原情報ランキング上位です☆ありがとうございます(^o^) |
各地区山車
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七区鶴親会【風流 一寸法師】現在一般的に知られている一寸法師のあらすじは、以下のようなものです。 子供のない老夫婦が子供を恵んでくださるよう住吉の神に祈ると、老婆に子供ができた。しかし、生まれた子供は身長が一寸しかなく、何年たっても大きくなることはなかった。子供は一寸法師と名づけられた。 ある日、一寸法師は武士になるため京に行きたいと言い、お椀を船に、箸を櫓にし、針を刀の代りに、麦藁を鞘の代りに持って旅に出た。京で大きな立派な家を見つけ、そこで働かせてもらうことにした。その家の娘と宮参りの旅をしている時、鬼が娘をさらいに来た。一寸法師が守ろうとすると、鬼は一寸法師を飲み込んだ一寸法師は鬼の腹の中を針で刺すと、鬼は痛いから止めてくれと降参し、一寸法師を吐き出すと山へ逃げてしまった。一寸法師は、鬼が落としていった打出の小槌を振って自分の体を大きくし、身長は六尺になり、娘と結婚した。ご飯と金銀財産も打ち出して、末代まで栄えたという。 ![]() にほんブログ村 テレビブログ 大河ドラマ・時代劇へ(文字をクリック) ![]() にほんブログ村 地域生活(街) 東北ブログ 栗原情報へ(文字をクリック) ↑ブログランキングに参加中です!この文字をクリックして頂けたら幸いですm(__)m おかげさまで栗原情報ランキング上位です☆ありがとうございます(^o^) |
六区鶴城会【風流 龍馬伝 船中八策と大政奉還】慶応3年(1867年)龍馬が人生において最も顕著な功績は「薩長同盟」を成し大政奉還を盛り込んだ船中八策を提議したことにある。 土佐藩の建白を受けた徳川慶喜は、徳川家の存続、武力討幕を避けるための大政奉還を断行する。 所謂、龍馬の経論が天下国家を動かしたと言える。 ![]() にほんブログ村 テレビブログ 大河ドラマ・時代劇へ(文字をクリック) ![]() にほんブログ村 地域生活(街) 東北ブログ 栗原情報へ(文字をクリック) ↑ブログランキングに参加中です!この文字をクリックして頂けたら幸いですm(__)m おかげさまで栗原情報ランキング上位です☆ありがとうございます(^o^) |
五区東親会【風流 文字三山】文字三山とは、文字富士の「大土ヶ森」、おっぱい山の「中ノ森」、お弁当山の「櫃ヶ森」という愛称で民衆から親しまれている三山です。 この山々に伝わる伝説があります。昔々大昔、大土ヶ森は今より少し低いなだらかな山で大土彦という神様が鐘掘りをして暮らしていました。近所にある櫃ヶ森は先の尖った高い山で、御櫃姫という神様が機織をして暮らしていました。ところが二柱の神様は、元々仲が悪く、些細な背比べから、とうとう戦になってしまいました。 大土彦の神は自分の山を高くしようと、大勢の人足を使い、周りの土をどんどん、かき上げて、富士のような形の山を作りました。そして勢いに乗じて御櫃姫を攻め、山を崩してしまったのです。櫃ヶ森は天辺を切り取られたような形の山になってしまいました。 それを見ていた揚石山の神様が仲裁に入り、「喧嘩は止めなされ、高さ比べなら、わしの方がずっと高いぞ。奥の栗駒山はもっと高い。お前達の及ぶところではない。喧嘩をすれば、損をするばかりで決して幸福にはならない。お前達は男女である。お互いを良く理解し合って、夫婦の契りを結びなさい」と言われました。初めは中々承知しませんでしたが、何度も説得されたので、遂に承知して夫婦になりました。その後は夫婦仲も至極円満にて、仲ノ森太郎という、子供が生まれたのです。 親子三人、変わることなく仲良く過ごして今日に至っています。でも、父親の大土彦が雷を落とすので、中ノ森太郎は怖がって母親の御櫃姫の側に寄り添っています。 また大土ヶ森を高くするとき、周りの土石をかき上げたので、大土ヶ森の沢は岩石だらけで耕地がなく、櫃ヶ森の方は禍転じて福と成し、崩された土が沃土と化して、美林と棚田と牧場を成しています。中ノ森は、木炭の産地として、炭を焼く小屋が、2、30棟も建ち並び、煙たなびいて実に見事な風情でした。大土ヶ森は金の山として、近年まで採掘が続けられていました。 文字三山は、何万年、何千年という長い間、大噴火や大地震、豪雨や豪雪に耐えた雄大な姿を見せてくれます。里人は喜びにつけ、悲しみにつけ、この山を眺め、この山に教わり、この山に恩恵を浴して来たのです。 ![]() にほんブログ村 テレビブログ 大河ドラマ・時代劇へ(文字をクリック) ![]() にほんブログ村 地域生活(街) 東北ブログ 栗原情報へ(文字をクリック) ↑ブログランキングに参加中です!この文字をクリックして頂けたら幸いですm(__)m おかげさまで栗原情報ランキング上位です☆ありがとうございます(^o^) |
四区親和会【風流 本能寺の変】天正10年6月2日早朝、毛利征伐中の羽柴秀吉支援を命ぜられた明智光秀は、桂川を渡って、京に入ろうとしていた。 その頃、織田信長も後方支援のため出陣し、その夜、わずかな手勢で本能寺に宿泊していた。 かねてより、信長に対する恨みや、天下統一の野望を抱いていた光秀は、「敵は本能寺にあり」と突如、謀反を起こし、本能寺を急襲した。 信長は、近習100人足らずで、奮戦するも及ばず、やがて屋敷に火を放ち、自害した。 ![]() にほんブログ村 テレビブログ 大河ドラマ・時代劇へ(文字をクリック) ![]() にほんブログ村 地域生活(街) 東北ブログ 栗原情報へ(文字をクリック) ↑ブログランキングに参加中です!この文字をクリックして頂けたら幸いですm(__)m おかげさまで栗原情報ランキング上位です☆ありがとうございます(^o^) |







