宮城県栗原市 くりこま山車まつり 製作日記

ダイドードリンコ日本の祭り2013で紹介された300余年もの歴史と伝統を誇る栗原市最大のお祭りです。

山形県 新庄まつり

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今年の新庄祭り展示山車選考結果が発表されました!!

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千門町若連【風流 二人道成寺】(歌舞伎)歌舞伎部門最優秀賞 新庄ふるさと歴史センター展示


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落合町若連【風流 神童 天草四郎時貞】(物語)物語部門最優秀賞 新庄ふるさと歴史センター展示


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下金澤町若連【風流 連獅子】(歌舞伎) ゆめりあ展示

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千門町若連【風流 象引】歌舞伎

関東守護職を務める豊島家から蘇我入鹿が術をもって象を操り、八雲の鏡を盗んだあげく悪巧みを働かせ、当家の弥生姫をよこせと無理難題を持ち出す。そこに「待ぁてぇー」と勇ましい声とともに荒武者の山上源内左衛門が現れる。そして姫は、象を退治した方に嫁ぐことに話は決まる。
 庭に現れた象を源内左衛門と入鹿が引っ張りあい、暴れる象を源内左衛門が静めようとすると、弥生姫の祈祷によって、どこからか八雲の鏡が現れ象はおとなしくなる。
 姫の祈祷の力の前に蘇我入鹿の企みは敗れ去り、山上源内左衛門は豊島家の後見人として象が与えられ、手なずけた象を連れてゆうゆうと引きあげて行くのだった。 

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若葉町若連【風流 大津絵道成寺】歌舞伎

「大津絵道成寺」は、歌舞伎舞踊「京鹿子娘道成寺」の登場人物を「大津絵」の登場人物に替えたものです。
 「大津絵」とは、江戸時代に滋賀県大津の三井寺付近で売られた仏教画で、もともとは寺で発行されたものだが、だんだん絵の題材のバリエーションが増えて宗教色が薄れ大衆的なものとなり、当時旅行の土産として人気があった。
 「大津絵道成寺」は、絵の題材である鷹匠・座頭・船頭などが登場しそれぞれが踊りを見せ、最後に藤娘が現れ踊っていると、突然鐘が落ちてきて藤娘が閉じ込められてしまう。そこへ弁慶が現れ、祈りを唱え鐘を吊り上げてみると、そこから出てきたのは鬼であった。
 その鬼が暴れているところへ矢の根五郎が現れ、弁慶とともに鬼と大立ち回りを見せ鬼を退治するという場面です。

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川西町若連【風流 菅原伝授手習鑑「車引」】歌舞伎

 平安朝の時代、歴史上有名な“天神様”こと菅原道真公は、宿敵藤原時平の逆心の策略により、遠く筑紫の地に流されることになる。
 菅原家再興につくす梅王丸と桜丸、時平の為に働く松王丸、三人は元々三つ子だが今は敵同士。吉田杜頭にて時平大臣の車が通りかかったのを、これ幸いと桜丸と梅王丸は思う存分恨みを晴らそうと行列の前に立ちふさがり、供をしていた松王丸と車で烈しく争う時、車を破って姿を現した時平大臣の威に打たれ、意趣を残して後日を期して別れる。
 「義経千本桜」、「仮名手本忠臣蔵」とともに丸本歌舞伎の三大傑作の一つ、菅原伝授手習鑑「車引」の名場面です 

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下金澤町若連【風流 八俣遠呂智】物語

高天原を追放された須佐之男命は、出雲国の肥河の上流島髪で美しい娘(櫛名田比売)を間にして泣いている老夫婦に出会った。
 夫婦には八人の娘がいたが、毎年現れる八俣遠呂智という八つの頭を持ち、ホオズキの様に真っ赤な目の巨大な怪物に食べられてしまい、今年もこのままでは最後の娘も怪物の餌食となってしまうという。それを聞いた須佐之男命は、娘との結婚を条件に八俣遠呂智退治を請け負った。
 彼は夫婦に八塩折之酒を醸造させ、その酒を満たした八艘の酒船を置かせた。須佐之男命は、現れた怪物が酒を飲んで酔ったところを十拳剣で切り刻み、肥河はその血で真赤に染まった。その時、切り刻んだ尾から大刀が出てきた。不思議に思った須佐之男命は、この大刀(天叢雲剣)を天照大御神に献上した。 
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北本町若連【風流 義経千本桜「伏見稲荷鳥居前の場」】歌舞伎

ここは都の外れにある伏見稲荷の鳥居前。都を落ち延びようとする義一行が参拝にやってきたところへ、義経の愛妾・静御前が後を追ってくる。だが、家来達はこれからの道中は女には危険だから都へ残るようにと静御前を説得する。その後から武蔵坊弁慶も追いかけてくるが、義経は先日の失態を許そうとせず、弁慶を手討ちにするという。しかし弁慶が義経を思えばこそしたことなので、どうか許してほしいと願い、他の家来や静御前も義経に許しを請うので、義経は弁慶を許し旅に同道することにする。だが静御前の同じ願いに義経は耳をかさず、迎えを待てといい、形見にせよと禁裏から拝領した初音の鼓を渡す。納得できない静御前を、亀井たちは鼓の調べ緒で側の梅の木に縛りつけ、境内へと入っていく。
 そこへ頼朝の家来・笹目の忠太達がやってきて、静御前を捕らえ初音の鼓を持ち去ろうとする。すると義経の家臣・佐藤四郎兵衛忠信がどこからか姿を現し、忠太達を散々にやっつけて忠太を踏み殺す。境内から出てきた義経は、静御前を救ってくれた忠信に自らの姓名・源九郎と着長(きせなが)を与え、万一の時には自分の身替りとなって敵をあざむくよういう。義経はわずかな家来を連れて、九州へ旅立つため大物浦へと急ぐ。残された静御前は形見の鼓を抱え都へと戻っていく。その後を佐藤忠信がついていくのだが、その姿にはどことなく怪しいところがあるのだった。 

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万場町若連【風流 浦島太郎】物語

漁師の浦島太郎は、子供達が亀をいじめていたので、亀を助けると、その亀はお礼に龍宮城へ連れて行ってくれた。龍宮城では乙姫が出迎えてくれ、浦島太郎を歓待してくれた。しばらく龍宮城で楽しい時を過ごし何日か過ぎると、故郷が恋しくなり帰りたいと乙姫に言うと、決して開けてはなりませんと玉手箱を手土産にくれた。浦島太郎が故郷の浜に帰ると、浦島太郎が知っている人は誰もいなかった。おかしいと思いつつ玉手箱を開けると、中から煙が出てきて、浦島太郎は白髪白髭の老人の姿になってしまった。
 龍宮城で過ごした日々は数日だったが、地上では三百年経っていたというお話です。

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落合町若連【風流 萩野・仁田山 鹿子踊り伝説】物語

鹿子踊りには二つの伝説がある。
 遠い昔、小倉山にカモシカが群がり、踊りたわむれていた。この年は天候に恵まれ、五日ごとに風が吹いて十日ごとに雨が降り、とても豊作で、村人は「これはめでたい。カモシカの踊りのお蔭だ」と、この踊りをまねて踊るようになったという。
 一方、天平の昔、将軍大野東人が蝦夷討伐で仁田山に陣を張り、東人は兵士の一行を慰めるため村人に踊りを所望した。マタギの親方助十郎が、若者にカモシカやクマの頭骨をかぶらせ毛皮を着せて即興の踊りを披露し、東人は助十郎の功を讃えて一巻の巻物を与えた。
 鹿子踊りのカモシカは山の精霊の象徴で、里人に豊作を恵んでくれるということを形にしたのが鹿子踊りであり、踊りと伝説が遠い昔より現代まで受け継がれ、今年も五穀豊穣を願い奉納される。 

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北町若連【風流 竹取物語】物語

今から千年以上も前の日本最古の物語です。竹取の翁が竹林に出かけると光り輝く竹があり、中から三寸ほどのこの上もなく可愛い女の子が出てきたので、自分達の子として育てることにした。
 女の子は三カ月ほどすると妙齢の娘に成長したので、「なよ竹のかぐや姫」と名づけた。あまりの美しさに皆が結婚したいと望んだが姫はかたくなに拒み続けた。そんな様子が帝にも伝わり、会いたいと思うが叶わず、三年の月日が流れる。
 八月の満月が近づくにつれ、姫は悲しみに包まれ、自分は月の人で帰らねばならないという。帝は阻止しようと二千の兵を繰り出すが、天人には勝てるはずもなく、かぐや姫は車に乗って天へ昇っていった。

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